80 隠密行動
イキシアの案内でサンと贄の王は港の一角に到着した。
そこは大きな船たちが多く泊っており、その船の一つが奴隷商人タジクの船であるらしい。
「ここから先へは進めない。警戒される。」
「ここから目的の船が見えるか?」
「見える。正面、赤と金の旗が上がっているやつだ。」
そう言われてみれば、いくらか離れたところに泊っている船が確かに赤と金の旗を上げている。赤い地に金で紋章が描かれている。
「あれはターレルの国章だな。公認の商人か。」
「そうだ。憎らしいことに。」
「公認、とは何でしょう。主様。」
「そのまま、国に認められている商人のことだ。これを襲う事は外交問題になる。我々がタジクとやらを殺したとして、ガリアとターレルが揉める可能性はあるかもしれんな。」
「主様には関係ありませんが……イキシアとしては?」
「タジクの存在はガリア・ターレルの両方に利がある。共通の敵を捜す方に動く、と思うのだが……。」
「捜すまでもなく、サーザールが追われるだろうな。」
「それは構わん。我々は軍にあっさりやられるほど柔じゃない。というか、既に追われている。」
「ふむ……。」
そこで贄の王は少し黙考する。サンは静かに、イキシアはゆらゆらと揺れながら待つ。やがて口を開くには、「“従者”がやったことにしよう」というものだった。
「”従者“……。最近話題の魔法使いのことか。」
「あぁ。そしてその正体はこのサンだ。……”従者“がやったことにすれば、サーザールが特別に追われることはあるまい。」
「は?待て、いま何と?」
「”従者“がガリアに入っていることが知れれば神官騎士団やらも動き出すのが面倒だが、裏を返せば好都合だ。やつらの情報を掠め取ってしまえば我々の目標も捜しやすい。」
「なるほど。確かに捜索の情報であれば彼の者の動向も読めるかもしれません。」
「いや、だから待て。人の話を聞けあんたら。」
「む。何だ、女。」
「イキシアだ。“従者”がそっちの金髪だと?本気か?」
「本気も何も事実だ。我々の魔法を見ただろう。」
「いや、そうだが……。」
「良いのですか、主様?イキシアさんに教えてしまって。」
「問題無い。どの道、私から逃れることは出来ん。」
「なるほど。転移を簡単に見せてしまったのも驚きでしたが、考慮済みでしたか。失礼をしました。」
「いや、気づいた事は今後も口にしてくれ。私は誤らぬ天才では無い。」
「ご謙遜を。しかし、ご要望とあらばその通りに致します。」
「うむ。」
「だから、勝手に話をつづけるなこの似た者主従め。私が置いてけぼりだ。」
「に、似た者なんて、恐れ多いです……。」
「照れるな!ええい!何なのだこいつら!」
「騒ぐな。人目を引くぞ。」
「ぐぅ……。私が悪いのか……?」
「――それで、これからどうするのだ。イキシア。」
「タジクの居所を確定させたい。恐らくあの船だと思うが、襲撃出来るのは一度きりだ。外したくない。」
「確定させるとは、どうやる。」
「既に何人か手下を記憶している。今日はタジクに商談があるはずだ。使者として、そいつらのうち誰かが船から降りるのを待つ。」
「なるほど。では、目立たない方がいいな。」
そう言って贄の王が何かしたらしい。形容しがたい違和感をサンは覚える。それはイキシアも同じだったらしく、きょろきょろと自分の身体や周囲を見回している。
「主様、何を?」
「他者から意識されぬようにした。そもそも、人が”見る“というのは万物から放射される魔力を受け取り、眼球という器官で微小な魔力の性質遷移が起こることによる。眼球内で絶え間なく起こっている極めて微小かつ複雑な性質遷移を認識することで我々は物を見ているのだ。ならばつまり、我々の肉体から放射される魔力が相手の眼球に届かなければ、相手は我々の肉体すなわち我々自身だが、それを”見る“ことが出来なくなる、という事に他ならない。我々の肉体からの放射を完全に止めてしまうことも出来るが、それは人体の健全な呼吸の営みを阻害することに繋がり、良い影響は与えない。それを避けつつ我々の肉体から放射される魔力が相手の眼球に届かないようにするという目的を果たすためには実に単純、それを阻害する壁で我々を包めばよい。何が起こっているかという質問にまとめて答えるならば、我々の肉体から放射される魔力だけを完全に遮断、直接の大地にのみ循環させる不可視の壁が展開されている。それは凡そ半球状の壁であり、人が我々を認識するためには肌が触れる距離まで近づかねばならない。では見えないならば気づかないまま衝突してくる人間がいる筈では無いか、という質問が想定されるが、これに対する回答は問題無し、だ。なぜかと言うと、所謂気配というものだ。人が世界や己を認識するのは何も”見る“ことに限らない。匂いや、温度、空気。意識的に認識することは難しいが、そういった微小な感覚を統合的かつ無意識的に認識しているのだ。これらの多くもまた人体に放射された魔力が届くことによる。だが、例えば匂いを見ることは出来ないように、それぞれの感覚器官が対応する魔力は同一では無いのだ。眼球は眼球に対応した魔力を、鼻は鼻に対応した魔力を認識している。つまり、我々を包む不可視の壁は現在、眼球が認識する魔力のみを遮断しているのだ。人々は我々が見えていないが、我々の存在を無意識的に肌で認識している。見えなくとも、無意識的に”何かいる“ことが分かるため、自然それを避けてしまうのだ。本来はあり得ない認識の不一致だけに、それは所謂”気のせい“ということで処理されてしまう。人間の感覚とは精密だが曖昧さを許容出来るようになっているのだな。知れば知るほど便利だが、これを利用しない手は無い。今、周囲の人々から我々の存在は”気のせい“ということで無意識に処理されてしまい、誰にも気づかれることが無いのだ。」
「……つまり、見えないから気づかれないけど、何となく居るのが分かるから避けて通っていくという事ですね。」
「その通りだ。少し長くなってしまったな。」
「いえ、実に興味深いお話でありました。惜しむらくは、知識が足りず完璧な理解は出来なかった事ですが……。」
「――あ、終わったか?」
イキシアが待ちくたびれたと言った感じで口を開いた。途中から完全に聞いていなかったらしい。
「……無礼ですよ、イキシアさん。主様のお話を聞かないなんて。」
「だって何言ってるか分からん。それより、見えてないみたいだしもう少し近づいていいか。」
「……い、イキシアさん……。」
「いい、サン。気にしていない。」
「しかし……。」
「結果だけ理解出来ていれば十分だ。さぁ、行くとしよう。」
そう言って歩き出す贄の王の背中はほんのちょっぴり寂しそうだった。
――大丈夫ですよ、主様。私はちゃんと全部聞いています。
そんな風に思いつつ、贄の王の傍に付き従う。ぽふ、と贄の王が頭を撫でた。
三人は奴隷商人タジクの船のすぐ傍まで近づいている。道行く人も船を乗り降りする人も三人には一切気付かない。目と鼻の先を通ってもまるで視界に入っていない様はなんとも不思議だった。
「これは反則だ。苦労して体得した隠密の術が……。」
「確かに、これは反則級です。流石は主様です。」
「私としても最近実用にこじつけただけに、この強力さは目を見張るものがあるな。このまま船に乗り込んでしまおうか。」
「いやだ。手下を待つ。そして情報を引き出す。」
「無駄ではありませんか?」
「無駄じゃない。」
「はぁ……。」
そのまま待つこと少し。船から降りてくる一人の男にイキシアが反応する。
「あいつだ。後をつけ、静かなところで尋問する。」
「いいだろう。邪魔にならぬよう少し離れてついていくぞ、サン。」
「分かりました。」
男を尾行するイキシアを先頭に、少し離れて贄の王とサンが歩く。イキシアは本来の尾行術を使っているようで、それなりに離れているのにまるで男を見失う様子は無い。二人の距離では男を完全に見失ってしまっている。
やがて大通りを離れ、人気の無い路地に差し掛かる。一つ二つ角を曲がり、完全に人気の無くなった頃、イキシアが動いた。
音も無く疾走し、男の背後に迫る。そして、自分の身体を軸に回転するように男を地面に投げ倒した。その背に乗り、拘束しつつ首にナイフを押し当てる。
「……騒ぐな。」
「ぐっ……!?な、なんだ……!?」
「……質問に答えろ。さもなくば、命は無い。」
「こ、答える……。」
贄の王とサンの二人もイキシアたちに近づく。
「タジクはどこだ。」
「……い、言えねぇ……。」
男の首が浅く切られる。
「いてぇっ!」
「次は死ぬ。タジクはどこだ。答えろ……。」
「く……くそ……。」
「答えろ。早く。」
「……ふ、船だ。」
イキシアのナイフが男の首を深く掻っ切る。男は首筋から血を噴き出させ、そのまま息絶えた。嫌に静かだった。
「よし、船だ。行くぞ。」
「待て。……転移する。」
贄の王がサンとイキシアを連れて船のすぐ傍に転移する。流石に突然視界が切り替わることにも慣れて来たか、イキシアに驚きは無い。
ただ、不服そうにたん、たん、と地面を足で叩いている。
「……これではあんまりに楽すぎる。隠密の仕事とはこんなものじゃない……。」
「楽ならいいだろう。それで、乗り込むのか。」
「そのつもりだが……。流石に警戒だらけの船に一人乗り込んでは無理がある。……お前たちの力を借りたい。」
「この術……。“欺瞞”とでも呼ぼうか。“欺瞞”はまだまだ未完成ゆえ船室ほどの狭い空間を気づかれずに進むのは無理だ。戦闘になる。構わんか。」
「構わない。逃げられさえしなければ勝ちだ。撤退はお前の術で出来るだろう。」
「よかろう。では私とイキシアで船に乗り込む。サンは逃げる者が無いよう外から船を見張れ。」
「分かりました、主様。」
「分かった。」




