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贄の王座と侍るもの  作者: 伊空 路地
第一章 世界の敵たる孤独な主従
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8 普通の大掃除


 東から日の光が部屋の中に差し込む。


 磨き上げられた窓が光を反射して輝く。既に目覚めていたサンは使用人服へと着替え、身支度を整える。もともと化粧は必要な時しかしない。


 巨大な鏡で全身をチェックし、朝食にりんごを切って食べる。


 全ての朝支度を終えたサンは鍵を開けて寝室から出ると、まずは城内の構造を把握するところから始める。


 この城は中央の謁見の間とその正面廊下を挟むように東と西に内部的に分かれており、東側が高位の者たちの居住区と主な執務室。西側がそれ以外のものたちの仕事場に分かれているようだ。


 サンの使う“お姫様”区画は南東よりの中ほどの階。上が”王様“の区画で、下が”王様“の執務区画になっている。この辺りは使われている空気が漂っており、贄の王が使用しているらしい。


 高位の者たちの居住区から出る階段はたった一つだけで、謁見の間近くの巨大な廊下の内一つに出る。謁見の間周辺は共有的な区画らしく、大きな会議室や食堂、図書室などもあった。


 謁見の間を通り過ぎるように西側へ行くと、所謂大臣や将軍といった役職の者たちとその配下たちが使っていたらしい区画になる。


 こちらはやや複雑な作りで階段が行き来していて、慣れるまでは迷うかもしれない。また、この辺りは酷く散らかっており、“お姫様”の区画が不気味なほど片付けられていたことと対照的だった。


 謁見の間を中心として、地階に下りれば巨大な倉庫や兵士たちの居住区と思わしき場所に出る。倉庫には備蓄されていたらしい食料や酒類がそのまま残されており、この城の過去を偲ばせた。


 兵士たちの居住区は恐ろしく散らかっており、酷く埃が積もっていることを除けばついさっき大慌てで兵士たちが走り出ていったかのようだった。


 廊下にまで武具や毛布が落ちているさまで、掃除には骨が折れそうである。


 謁見の間を背にまっすぐ歩けば巨大な階段に変わり、いくつかの城門をくぐりつつやがて広大な中庭に着地する。


 中庭をぐるりと囲む宮殿は内部的にまた城側とつながっていないようで、また別の区画として独立している。こちらはたくさんの客間や遊戯室、使用人の居室などで埋められており、この城が恐ろしく大量の人間で運営されていたほか、客人たちが多く集まることもあったらしいと推測出来た。


 中庭の南、城の正面は巨大な城門になっている、察するに平和な時代の宮城であるこの城だが、最低限の防衛力は有しているらしく、城門塔の中はいっぱいの兵器が備えられていた。


 サンは真っ先に掃除すべきはやはり、現在も自分や主が使っている区画であろうと思うが、主がどこにいるか分からない手前、いたずらに部屋を開けて回る訳にもいかない。


 では城の顔たる謁見の間か、と言えばそこには【贄の王座】がある。主曰くもう近づいても問題無いとのことだが、万一ということもある。うかつに近づくわけにはいかない。


 結果、サンは謁見の間正面の廊下とその周囲の部屋から掃除を始めることにした。


 まずは、と巨大な廊下に立つ。天井は空のように高く、壮麗に飾られた窓がいくつも嵌められている。廊下の幅は走れるほど広く、いくつもの絵画やら像やらが飾られている。


 間違っても単身掃除に挑んでよい難易度ではないが、サンはこの困難にむしろ燃えていた。


 昨晩の敗北――サンの中では敗北になっていた――その雪辱を晴らすのだ、と。


 掃除の基本は上からだ。が、見上げるのも苦労する高さにどうしたものか、と思い悩む。おとぎ話でもあるまいし、人は空など飛べはしない。【動作】で雑巾などを飛ばしたとして、届きはするだろうが丁寧に磨くことまでは出来そうも無い。


 と、そこで考える。外から、つまり屋根の上からならどうか、と。思い立つや、サンは自室の方からさらに上へ上り、最上階から伸びる塔のひとつへ。その頂はぐるりと張り出したバルコニーになっている。幸い屋根まではそれほど高く無かったので、【強化】の魔法を施して飛び降りる。


 どん!と音を立てながらも上手く着地に成功する。頭の地図と組み合わせて廊下の上へ苦労しながら伝い歩く。


 広すぎる故に地面が見えないのが救いである。到着したサンは一番小さい窓を探し……幸運に感謝する。仕掛け的に嵌められており、比較的簡単に取り外せるようになっていたのだ。ガラスを割ったりしないよう気を付けながら錆びた仕掛けを外すと――ぐらっ。


 外した窓が穴から下へ落ちそうになり――咄嗟に【動作】で止める。


 往々に危機の瞬間は冷静であるように、乗り越えてから焦りが訪れるように。一拍ほど落ちる窓を受け止めたまま固まり――どっと汗が噴き出す。心臓がこれでもかと早鐘を打ち、震える手で窓を屋根の上へ持ち上げる。平らになっているところへ窓を静かに降ろすと、はぁーーーーっ……と長い息をつく。


「し、死ぬかと……」


 はぁ、はぁ、と荒れる息を整えつつ、サンは気を取り直す。


 外した窓の穴からそっと下を覗き……ぞわっとする。


 自分の頭を拳銃で撃ち抜いた少女といえど、本能的な恐怖すら感じないわけではない。端的に言って高くて怖かった。


 見降ろすと、下から見上げた時には気づかなかったが窓の影になるように梁が渡されており、気を付ければ降りられそうである。


 怖い。怖いが、戦わないわけにはいかなかった。何故なら彼女は誇り高き従者――昨日なったばかりだが――掃除は己の使命なのである。


 恐る恐る窓枠に捕まりながら足を降ろす。両足が梁に着いたところでゆっくりと身体を下げていき、身体の重心が梁の上に完全に移るところで手を放し、梁の淵に捕まり、移動を完了する。


 見上げれば、ちょっと身を乗り出さねばならないが戻る分にも問題無さそうである。


 決して重心を高く不安定にしないようにしつつ辺りを見回せば、梁は緩く婉曲した天井に上手く同化するよう沿いながら交差状に廻らされており、天井付近の掃除には極めて便利だった。怖いが。


 サンは梁の上にへばりつくような姿勢のまま天井の掃除を開始する。


 移動する内に真っ黒なってしまわないようまずは梁の上からである。幸いにして梁の幅はそれなりに広いので、移動しながら“風”で埃をなるべく静かに落とす。


 それから使用人服のポケットから雑巾を一枚取り出し、“水”で湿らせて梁の上を拭きあげていく。それなりの時間をかけながら、一本の梁を掃除し終える。懐中時計を見ればおよそ30分以上かかったことになる。


 ――このままでは、遅すぎる。


 サンは本気を出す。もはや恐れている場合ではない。この梁は20本以上あるのだ。そのあとには天井自体も磨かねばならない。


 梁から次の梁へ移る。左手で、自分の立つ梁を。右手で、さらに隣の梁を。まずは”風“で埃を落とし、二枚の雑巾を【動作】で扱って拭きあげる。


 早く、速く、もっともっと。二本の梁を今度はおよそ10分で終える。


 最初にどれほど恐る恐るだったのか痛感したサンはそのまま掃除の終えていない梁へ移り掃除を開始する、“風”で落とし、雑巾で拭く。早く、速く、もっともっともっと。二本の梁を今度は8分。


 その次は7分。


 また7分。


 7分弱。


 6分。


 ……。


 …。






 気付くと、全ての梁の掃除を終えていた。だがサンは全く止まらない。そのまま天井付近の壁、天井を掃除していく。最初は慣れないのかやはりゆっくりと。その内どんどん速度を上げ、最後には目で追えない速度で雑巾が飛び回る。


 天井は磨き上げられた。掃除を始めてからまだ1時間と半分しか経っていなかった。


 サンはそれなりに満足すると、降りた窓から屋根の上へ戻る。


 最後に外したままの窓も奇麗に磨き上げてから元通りに戻す。金具が古びていて固さに少し苦労したが、落としそうにも落ちそうにもならなかった。


 流石に屋根の上までは磨くつもりもなかったので、降りてきた塔に戻る。当然手など届かないが、これくらいの高さならやりようもあるのだ。


 あらかじめ体に巻き付けるようにしていたロープを解くと、【動作】でもって上へ持ち上げ、バルコニーの手すりに通して結びつける。


 いざ登ろう、といったところで衝撃の事実が発覚した。


 それは上から垂れるだけのロープである。当然揺れる頼りないただのロープである。


 サンはロープを登れなかった。






 数十分の格闘のすえ、ロープを登る技を無事身に着け塔の中へと戻ってきたサンはもはや疲労の限界を迎えていた。


 サンは誓う。次はもっと対策をしてから天井の掃除にかかる、と。


 痛む手足のまま自室へ戻り休憩をとることにする。正面廊下に大量の埃を落としてしまったままだが、このままでは掃除などままならない。


 まずは塵と埃でどろどろに汚れた使用人服を脱いで浴室で髪と身体を洗う。こういうとき、湯沸かしの苦労が少ない魔法使いは便利だと実感する。


 身体を洗い終えたサンは新しい使用人服に着替える。古い服を残り湯につけおき洗いしておくのも忘れない。






 そのまま居間のソファに座り込んでやっと一息。


 今だけは何もしたくない、と思いつつ休息を取る。休息を終えたら、正面廊下の掃除の続きをしなければ。落とした埃を軽く集めてから、壁を磨いて。調度品たちは扱いも様々だから、どうしても時間がかかるだろう。


 それから……。


 ……。






 サンは夢を見ていた。夢の最中にあって、これは夢だなと自覚していた。


 自分はまだファーテルの館にいて、馬屋の掃除をしている。


 本来は下女や下男の仕事であるそれを館の令嬢である『  』がやっているのは、ひとえに疎まれているからだった。


 生まれた時からそんな扱いだったが、『  』は頭が良かった。


 幼い頃にはその扱いが一般的ではないこと、疎まれる要因の責が自分に無いことを理解していた。


 だからと言って表立って反抗しない賢さもあった。館に味方は基本的にいなかったのだ。


 『  』はいつも一人だった。




 てきぱきと掃除を終わらせる。自分でも思う事だが、要領は良い。慣れが早いと言おうか。


 掃除が終わったらやることは終わりだ。武芸の稽古をしなければ。


 いつか、ここを出て一人で生きていく為には様々な知識や技術が必要だから。


 その前にまず、身体を洗いたい。鼻は慣れてしまっているが、馬屋の匂いをいつまでも纏っていたくはない。


 館の中に入ろうとすると、手紙が入っていることに気づく。


 それは何の変哲もない白の封筒で、だからこそ誰からの手紙かはすぐに分かった。


 手紙をもって自室に入り、鍵をかける。手紙をそっと机に置くと、大きな桶を持ってきて、そこに魔法で編んだお湯を溜めていく。


 十分に溜まったところでさっさと入浴を済ませてしまう。






 手紙を開ければ、中には見慣れた彼女の文字。


 何が書いてあるのか、読もうとして――。





 ――やめて。


 ――もう、やめて。早く覚めなきゃ。






 『  』の目に、文字が。文字が……。






 ――知ってる。文面だって覚えてる。






 意味を理解して、理解、して――。


 ――。


 ―。






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