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贄の王座と侍るもの  作者: 伊空 路地
第四章 砂漠に在りし忘られの想い
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75 砂と海の都


 ラツアの都から真っすぐ南に内海を渡ると、やがてガリアの大地に辿り着く。

船人を迎えるのはガリア最大の港のひとつを有する街、エヘンメイアの巨大な古神像たち。かつて広く信じられていた古神信仰、その中でも水を司る神アイハーンを中心に据えた古神像たちは悠久の時をそこに座してすごしている。足元に広がる港街を太古から見守り続けてきた古神像たちはその信仰の失われた今、果たして何を思っているのだろうか。


 今、新たにガリアの大地を踏む旅人たちを、高い場所から見つめている。


 新しき旅人の一人、サンはアイハーン像の顔を見つめ返す。遥か昔から僅かたりとも変わらないその表情は優し気で、まるでこの世に許せないことなど何一つ無いとでも言うかのようだった。


 エヘンメイアの都市神アイハーンは豊穣、恵み、慈悲、癒しなどを司る。その属性は水。無限の砂漠の大地ガリアにあって、人を豊かにさせたのはただ“水”であったのだろう。実際、ガリアの古神たちの中でもアイハーンは特に偉大な神の一人とされている。


 そんな慈悲深い神は己への信仰を捨てた人々でさえ慈しむのだろうか。エヘンメイアはエルメアの都の次に水の恩恵を受ける街に違いない。


 そんな都になぜサンがいるかと言えば、もちろん”神託者“捜索のためである。魔境への長い旅路、ガリアの大砂漠へ踏み出すのは間違いなくこのエヘンメイアである。ゆえに、まずはこの街で情報を集めるつもりだ。




 「――サン。」


「ぁ、はい。主様。」


「興味深いのは分かるが、いつまでもそこで見上げていては日が暮れてしまうぞ。そろそろ行くとしよう。」


 今回、ガリアの地には贄の王も同行していた。エヘンメイアにまだ“神託者”がいる可能性は高くないこと。サンはガリアの言葉が分からないこと。それから、珍しくサンが誘ったこと。理由はいくつかあった。


「申し訳ありません。つい……。

では、まずどちらから向かいましょう。」




ガリアの強烈な太陽の下でも普段通りの黒い衣装を纏う贄の王。ゆっくりと歩き出しながら答えるのは、準備、ということだった。


 「ガリアの砂漠は気軽に踏み込めばそれこそ命を落としかねない。ガリアの地で過ごすための準備を最初にするべきだ。」


「なるほど。確かに、私もこの衣装では暑いと思っていたところです。」


サンが着ているのは外出時の鉄板、贄の王から貰った”風“のコートに始まる一式である。エルメア式のファッションを流用した大切な衣装だが、ガリアの気候には全く合わない。このまま砂漠に踏み出せば間違いなく行き倒れるだろう。もちろん、横に贄の王が居るからには滅多なことはないであろうが。


「そうだな。ここで服装を見繕っていけ。それに同じような魔術陣を組み込もう。そうすれば、砂漠の旅でも問題無いはずだ。」


「ありがとうございます、主様。ありがたく頂戴したく思います。」


「あぁ。私としても実験の成果を試せる良い機会だ。腕が鳴るな。」


「では、服を扱うお店に参りましょう。えっと、どこがいいのでしょうか……。」


 こっちだ、と言いながら贄の王が歩き出す。どうやら、主はエヘンメイアに来たことがあるらしい。多少の土地勘を持っているような歩き方だった。


「主様はこの街が初めてでは無いのですね。エヘンメイア、でしたか。」


「何度かな。古神信仰に興味を持った頃だ。」


「古神信仰でしたら私も多少の興味があります。五大属性でしたか。」


「そうだな。”炎“、”水“、”土“、”風“、”雷“。現代の魔導学の始まりはガリアの古神信仰にある。古のガリア人たちは世界が五つの元素から出来ていると考えた。それが魔法の基本五種と一致するのは偶然では無いだろうな。」


「とても面白い考え方です。天秤の神などに駆逐されてしまったのが惜しいですね。」


「信仰としての古神たちは消えたが、その息吹はガリアを始めとする文化に根付いている。今も古神像たちが残されている通り、完全に消えた訳では無い。

――興味深いのは、天秤の神に対する信仰と違って“光”や“闇”といった概念が希薄なことだな。命や死などを司る古神たちはいるが、“贄の王の呪い”についても古神信仰では解釈が難しい。これは特筆すべき点だ。」


 サンは主の言葉の意味をしばし考える。解釈が難しい、ということはどういう事だろうか。常に頭の中にある事ならば、解釈は簡単になるはずだ。魔法と属性のように。つまり?


「それは……古神信仰の時代には”呪い“が重要視されていなかったという事ですか?」


「そうなのだ。あれほど特徴的かつ人類にとって意味深い現象だと言うのに、それを素直に解釈出来ない。つまり、古神たちの時代には“贄の王の呪い”など無かったのではないか。私はそう考えたことがある。流石に、飛躍しすぎかと思ったが……。」


「“贄の王の呪い”が存在しない……。考えたこともありませんでした。」


「現代を生きる我々では、そうだろうな。だがもし、逆に存在しない世界があったのだとしたら……。彼らの目にはこの”呪い“がどう見えるのか。興味深いではないか。」


「それは、確かに……。そんな世界だったら、主様も普通の人であったのでしょうか。」


「そうだったとすれば、お前も人のままであっただろう。今頃、ファーテルの都でどこぞの貴族に嫁がされてでもいるのではないか。」


 自分が今もファーテルの都に居たら。その場合、エルザも”贄“などにされて殺される事は無かったかもしれないが、こうして贄の王と出会う事も無かっただろう。徹底的に疎まれていた自分が結婚などさせてもらえるかは怪しいし、あの館の中で長い生涯を孤独に過ごすのだ。


「……それは余り、楽しい想像ではありませんね。私、主様の下に来るまでは生まれたくなんか無かったと思っていました。」


「……そう言えば、お前の過去についてはほとんど知らんな。あまり幸せでは無かったか。」


「幸せなんて……。私は基本的に“いないもの”として扱われていましたから。」


 贄の王はそう聞いて不愉快気にしかめ面をする。


「……そうか。」


「失礼しました。……それに、所詮過去の話です。今は、こうして主様にお仕え出来て幸せですよ。」


「……私も、人であった頃よりは今の方が楽しい、かもしれんな。

……まぁ、なんだ……。お前のお陰だな。」


「ぅぇ……。」


それはまさに“殺し文句”というやつであった。

自分の日々の頑張りが認められている。自分が思っていることと同じことを相手が思ってくれている。

喜びと照れで熱暴走を起こしたサンは押し黙ってしまう。頭の中で贄の王の“お前のお陰だな”という声が反響する。サンの顔が、にやける――。


「ぇ、ぇへへ……。」


変な笑いが零れてしまうが、それも気になっていなかった。過度の嬉しさに酔っていて、そんな些末な事はどうでもいいのだ。


 ところでサンはそんな状態であったので気づかなかったが、贄の王の方も大概照れてサンの方が見れていなかった。実に浮ついた沈黙である。






 そんな二人であったが、20分ほども歩いて目的の服屋に到着する頃には大分普段通りに戻っていた。


 その辺りの街並みはどことなく高級な雰囲気を漂わせており、ファーテルで例えるならば貴族街といったところだろうか、つまりは金のある人間を相手にしている場所だった。


 贄の王は何といっても無限に金銭を生み出せるのだ。お金に糸目をつける意味は無かった。サンの方もお金に関してはあまり遠慮しなくなっている。金銭感覚が狂いそうなのが最近の悩みであったりする。


 贄の王に続いて中に入れば、いかにも高級な感じの店内である。パリっとした衣装を着こなしている店員に贄の王が何事か話しかける。サンの方を手で示しているので、サンに合わせた服でも頼んでいるのだろう。


 サンが店員の案内についていけば、女性用の衣服が並んでいる区画に連れてこられ、あれこれと服を合わせられる。良く分からないのでされるがままになっていると、背中を押されてカーテンで仕切られた場所に放り込まれる。

渡される衣服たちに着替えて見せろということらしい。


 というわけで早速着替えてみる。何となくだが、見れば着方が分かる物ばかりだったからだ。


 だが途中でふと気づく。上着が無い。


今着ているのはとてもゆったりとしたパンツと胸を抑える下着のみである。上に羽織るものが足りていない。店員が忘れたらしい。


 身体が見えないようカーテンから頭だけ出して贄の王の方を見る。


「主様。……その、上に羽織る物が無いのですが……。」


 贄の王が店員と二三言葉を交わす。


「羽織るような物は渡していないそうだ。確かに一式渡したと。」


「え?そ、そんなはずは……。」


 そんなはずは無い。無いはずである。というかそうであって欲しい。そんなサンの目に映るのは、等身大の人形が似たような一式を身に着けている様。

それが示すところ、つまりはこの下着にしか見えないもので上半身は終わり、ということらしい。


「ぃや、でも、その……。」


「どうした?着替え終わったなら見せて欲しいそうだが。」


「ぁ、ぅ、ぇ……。」


 頭を引っ込めて、改めて自分の身体を眺める。

下はいい。面白い服だと思う。異国情緒と言うのか、こういう服も楽しい。

問題は上である。どう見ても、ほぼ裸である。胸だけは隠されているが、ほぼ裸である。


 この姿を晒せと言うのか。見ず知らずの店員と、主に。

サンは葛藤する。だがいつまでも悩んではいられない。主を待たせているのだ。さっさと覚悟を決めなければ。いやでも、こんなの痴女である。絶対に何か間違っている。


「サン?」


カーテンの向こうから贄の王の声。素直に案じてくれているその声が、今はなんだか恨めしい。


 ふぅーっと大きく息を吐いて、サンは覚悟を決める。どんな死地でも、これほどの覚悟が必要になった場面は無かった。それでも、彼女は覚悟を決めたのだ。偏に、主人のために。


 恐る恐る、でも確かに、カーテンを開けて――。




 「き、着替え終わりました……。」


 熱い。それは恥ずかしさから来る熱である。全身から火が出そうな錯覚を覚えつつ、サンはカーテンを開ききった。


 顔が上げられない。何という拷問であろうか。もう、好きなだけ見ればいい。いや、見ろ。これが痴女、サンである。


 見知らぬ店員にこんな姿を晒す屈辱。敬愛する主にこんな姿を晒す羞恥。


 あぁ、ごめんなさい、エルザ。どうか許して。

まさか楽園に行ってからこんな恥をかくことになるなんて思わなかったでしょう。私も悪くないけれど、あなたはもっと悪くない。


 でも主の反応は気になる。最早店員は“いないもの”とすることにしても、一体主はどんな反応をしてくれているのか。


おそるおそる、ちらっと、主がいる方を見てみる。


 そこにいたのは、まさに“唖然”とした表情を浮かべる贄の王の姿。その視線は普段の怜悧さを失い、ある一点に釘付けである。ぽかんと開いた口はちょっと間抜けだ。

思考が止まっているのだろう、店員が何事か褒めているらしいのにまるで聞いている様子が無い。しかし、その目だけは、ひたすらサンの身体を見ている。具体的には、サンのむき出しの肩、腹、そして布一枚の胸。




 永遠に思える時間が流れ、贄の王が突如はっとする。稲妻の如き速さで“動作”の魔法を使うとカーテンを閉めた。


 視線が遮られ、ほっと一息。


「……あー、サン……?」


「な、なんでしょう……。」


「ガリアの伝統的な衣装だそうだ……。その上に大きなマントを羽織って砂漠を行くのだとか……。」


「そ、そうですか……。」


「と、取り合えず、もう少し……その、肌の出ない服を見繕うように言っておく……。」


「おねがいします……。」






 紆余曲折あったが、サンは無事に砂漠を行くための服を手に入れた。店員との密な相談の果て、ゆったりとした肌のほぼ出ない衣装に辿り着くことが出来た。


 これもまた異国情緒というのか、着ても見ても楽しい服である。そして何より、肌が隠れている。


 その衣装一式を主に手渡し、諸々の魔術陣を加えるようお願いしておく。これで、今後の旅も随分楽になるはずである。ガリアの砂漠は広く、ターレルまでは遠い。これからたびたびガリアを訪れるにあたって、大いにお世話になることだろう。







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