73 カーテンコールと舞台挨拶
「――では、結局その男は“神託者”では無かったのだな。」
サンは恥じ入ってうつむく。こんなにも時間をかけ危険に触れ、その結果がただの徒労だったとは。
「申し訳ありません……。」
「いや、構わん。事実、可能性は低く無かったように思う。」
「しかし、時間をいたずらに使っただけでした……。」
贄の王はふっ、と息を吐くとうつむくサンの頭に手を置く。
「気にするな、と言っても無駄か。――ならば、その遅れを取り返して見せろ。時期を見れば恐らく神託者は既にガリアへ発っている頃だろう。次こそ、見つけてこい。」
「は……はい。必ず!」
サンは顔を上げて主の目を見る。その冷たい青の瞳は、優しい微笑みに細められていた。思わず、どきどきと心臓が跳ねる。何故だか恥ずかしくて、目を逸らしてしまう。
「それよりも、その男が盗んだという本とやらが気になるな。教会にとって重要な物には違いあるまい。」
「内容については、知らないそうです。何者かから、依頼を受けたのだとか。」
「ふむ……。その男、一度会ってみるか。最早ラツアに”神託者“は居ないはず。私が出向いても問題はあるまい。」
「分かりました。それでは、謁見の準備をするよう伝えて参ります。」
「謁見、とは。……随分大げさだな。」
「だって、主様は”贄の王“、王様でいらっしゃいます。王様にお会いするのですから、謁見と言うべきでしょう?」
「さて、な。かの国には本物の王もいるが。……まぁ、いい。では行ってくれるか。」
「はい。それでは、失礼を致します。」
頭から離れる主の手のひらにちょっとだけ寂しさを覚えつつ、サンは美しく礼をして見せる。ちなみに、今は使用人姿である。城で過ごす場合はこの衣装が常になっていた。
頭を下げたままラツアの都に転移する。場所はフランコのアジト前。もはや、顔を隠す意味は無い。
ノックもせず中に入れば、一斉に集中する視線。最も奥からの視線はフランコのものだ。一人の大柄な男がサンに寄ってきて、口を開く。
「おう、嬢ちゃん。入るお家をお間違えだぜ。」
「いいえ、合っていますよ。ね、フランコ。」
大柄な男越しに、奥のフランコに声をかける。サンからは見えなかったが、フランコは表情を驚きの色に染め、大柄な男に退くよう言う。
「これは、これは……。こんなに美しいお嬢さんだったとは知らなかったよ。”従者“さん。」
フランコがそう言えば、周囲の部下たちもサンが誰だか分かったのだろう。皆一様に驚きを顔に浮かべる。何名かの男など、それこそ顎が外れるのではないかと心配になるほどだった。
「もう、顔を隠す意味もありませんから。それより、カールはどちらに?」
「そうかい……、寂しくなるね。カールなら上に居るよ。勝手に……いや、ぼくも行こうか。」
フランコと共にアジトの二階に上がり、奥の部屋のドアをノックする。あいよ、と返事が返ってくる。
ドアを開けて中に入れば、ソファで横になってくつろいでいるカールがいる。入ってきたサンの姿に見覚えが無かったためだろう。怪訝な顔を浮かべてじろじろと眺めてくる。
「なんだって、メイドなんかが居るんだ。そういう趣味なのかフランコさんよ。」
「いやいや、このお嬢さんにそんな失礼なことを言っていいのかな?」
「構いませんよ。私は冗談には寛容なのです。」
「あん?……いや、まさか?」
サンはにっこりと笑う。
「私はとあるお方の”従者“なのですよ。普段城で過ごす時はこういう恰好なのです。」
カールはあんぐりと口を開けて驚く。
「”従者“って、嘘だろ!?……おいおい……。」
「驚いたよねぇ?ぼくもさっきそんな顔をしてたよ。ふっふっふ。」
「驚くって……おぉ……。死んだフリだったのか……。あの怪しい奴がねぇ……。」
「それで、俺に何の用なんだ。”従者“さんよ。」
「えぇ。フランコも聞いてください。私の主様が、カールに会ってみたいと。なので、謁見の準備をしてください。」
「は?えっけん?何言ってるんだ?」
サンは部屋の中を素早く片付けて、少しでも良い見た目にしようと努力する。
「さぁ、そんなところに寝ていないで下さい。主様をお迎えするのに失礼に当たります。」
「いや……は?」
部屋の中にある一番まともな一人掛けソファを動かし、その正面にフランコとカールを立たせる。フランコは何故か訳知り顔で、カールは混乱するばかりである。
サン自身はソファに脇に控えるように立つと、右手の人差し指に魔力を込めてこう言う。
「主様。準備が整いましたので、どうぞお越し頂けますでしょうか。」
それは深い”闇“だった。
それは部屋の中央、フランコとカールの正面に浮かび、やがて消える。そして、”闇“の消え去った後には一人の男が立っていた。
黒い髪と黒い衣装。ひどく冷たい青の瞳は見る者を射抜くよう。そのモノは優雅な動作で用意されたソファに腰掛けると、堂々たる所作で足を組む。
そのモノこそは、“贄の王”。
横に侍るは、“従者サンタンカ”。
世界の敵たる、闇の主従である。
フランコとカールは思わず、その場で膝をついて首を垂れる。何も言われずとも、分かったからだ。そのモノは、”王“であると。
「顔を上げるがいい。――よい、顔を上げろ。」
二人はそう言われて、ようやく顔をあげて正面の男を見る。怜悧な視線が己らの体を舐めたのが分かった。まるで、斬り裂かれたような錯覚を覚える。
特に驚愕がひどいのは、フランコの方だった。
いつも悠々と柔和な表情を浮かべて見せる男が、こうも余裕を無くして驚くことは珍しい。その口が、震えながら言葉を紡いだ。
「で、殿下……?」
「今はもう、違う。今の私は、“贄の王”。」
「まさか、本当に……。」
贄の王の横に控えるサンが口を開いてフランコを注意する。
「フランコ。主様の許可なく口を開くのは無礼ですよ。」
「いい、サン。そこまで固くする必要は無い。」
「失礼を……。」
「さて、わざわざすまんな。カールと言ったか、そこの男。お前に会ってみたくてな。」
「い、いえ……?光栄です……?」
「ふっ。光栄とは……。用と言うのは、お前の盗んだという本だ。今はどこにある?」
「今はもう、雇い主に引き渡しましたので、どこにあるやら……。その、顔も名前も知りませんで……。」
「そうか。是非見てみたかったが、仕方あるまい。雇い主が何者か、推測はしているか?」
「いえ、その、あまり触れないのが俺らのマナーと言いますか……。た、ただ、連絡に使った手紙ならまだあったはずです。確か、今そこの荷物に……。」
そう聞いて、サンはベッド脇に転がっている袋を開いて中を漁る。やがて取り出したのは、しわくちゃの一枚の紙。
カールに目で確認した後、それを贄の王に差し出した。
「……確かに、これで間違い無いのだな。」
「は、はい。仲介人からその紙を渡されて……。いや、ほんとは処分しなきゃならねぇんですが……。」
「いや、助かった。……なるほどな。」
贄の王は横のサンに紙を差し渡す。それを受け取り、しわを伸ばすように開いてみれば、中に書いてあるのは何という事も無い文章で、母から子に宛てたものである。サンにはさっぱり分からないが、贄の王は何かを読み取ったらしい。
「さて、そちらのお前。フランコと呼ばれていたな。……私を知っているのだな?」
「この都に住まうもので、殿下を知らない者など……。私は裏社会の人間でありますゆえ、特に殿上人のことはよく頭に入れておくのです。ただ、失礼を。殿下のお名前は……。」
「名前が分からないのは当然だ。何せ今の私には名前が無い。“贄の王”となるのと同じに失われたのでな。」
「そうですか……。やはり、本当に“贄の王”に……。」
「おとぎ話では無い。残念ながらな。このサンもお前たちに超常の力を見せたか?あれは私の与えたものだ。」
「確かに、見ました。随分心臓に悪い思いもしましたが。」
「私の従者がすまないな。許してやってくれ。」
「元より何とも思っていませんので。」
「それは助かる。
――さて、フランコ、カール。私の従者が世話になった。礼を言う。」
「そんな、こちらこそ……!」
「俺こそ、助けられて……!」
「お前たちが居てくれて私も助かった。素直でない従者なのでな。代わって礼を言っておこうと思ったのだ。」
「あ、主様……。」
「冗談だ。……さて、私の用事は終わった。お前たちから何かあるか。」
フランコとカールは一度目を見合わせ、フランコが躊躇いがちに口を開いた。
「でしたら、殿下……。国には、お戻りにならないのですか。」
「無理を言うな。今の私は”贄の王“。人ですらない。」
「しかし、殿下であれば民も納得しましょう。殿下さえいれば、あんな戦争も起こらなかった……。」
「継承戦争か。それはどうかな。私には王位を継ぐつもりなど無かった。」
「御身にそのつもりがなくとも、そうなったでしょう。ザーツランドの愚か者が首を突っ込む隙間など無かった。」
「そうかもしれんな。しかし、民には悪いが……。戻れはしないさ。私には役目があるし、それに……。」
贄の王はそこで一度サンを見た。視線の意味が良く分からず、僅かに首を傾げる。
「まぁ、お前の気持ちは嬉しく思おう。望みを叶えてはやれないが。」
「いえ、余りに不敬な嘆願でありました。それに、確かに殿下はかつてよりも……良い目をしておられる。」
「良い目か。ふふ……。そうかもしれんな。」
やがて贄の王は立ち上がると、軽く別れを告げて”闇“にその身を包んで姿を消した。
“王”のいなくなった室内は急速に緊張が薄れ、カールなどはその場で床に転げてしまう。フランコは危なげなく立ち上がり、苦笑を浮かべている。
「お疲れ様です。お二人とも。」
「あ“-……、寿命が縮んだ……。」
「いやいや、全く……。意地が悪いよ、”従者“さん。」
「実は、主様の過去については余り知らず……。この国の王族であらせられた事は知っているのですが。」
「王族も何も、王太子の一番の候補だったよ。10年前に突如姿を消されたけれど、何事も無ければそのまま王様だったさ。」
「あら……。ご本人は末端なんておっしゃっていましたが、謙遜なされていたのですね。」
「あのお方が居なくなって、続けて王がお隠れになった。残った殿下の弟君が王位を継がれたが、横やりを入れてきた奴らがいてね。それが継承戦争さ。ラヴェイラの名は、あのお方と共に消えたようなものなんだよ。」
「なるほど、それで……。」
「まぁ、ご尊顔を拝謁出来ただけでぼくは幸運だねぇ。10年前、殿下が姿を消された時の民の憂いはそれはそれは、深いものだったから。」
「民に愛されていたのですね。」
「容姿は端麗、頭脳は明晰、人柄は誠実。それが自分たちの王様になると言われたら、嫌な気になる人間はひねくれ者だけだったよ。」
「では、主様の唯一の配下になれた私はより幸運でしたね。
――さて、私もそろそろ失礼をしなければ。」
「そうかい。……もう、ラツアには来ないのかい?」
「私の探し人は既にラツアには居ないはずですから。後は、主様次第でしょうか。」
「いつでもおいでよ。殿下も“従者”さんも、歓迎するよ。」
「えぇ、そうさせてもらいます。……あ、ホテル・ヴィーノの夕食に主様をご招待差し上げるのも良いかもしれません。」
「それはいい。じゃ、席を空けとくよう同業に言っておくよ。」
「それは助かります。――では、フランコ。暫しお別れです。」
「うん。随分大暴れさせてもらって、楽しかったよ。ほら、カール。いつまで寝てるのかな。」
「あぁ……。エルザだか、サンだか、“従者”だか、よく分からねぇけど、元気でな。助かったよ。」
「えぇ、お二人とも息災で。」
サンは二人に向かって美しい礼をして見せると、そのまま転移で姿を消した。
かくして、”贄の王の従者“によるラツアの都の一幕は終わりを告げた。望む者は見つからなかったが、出会った演者たちは良き友であったろう。
幕は上がれば、下りるもの。出会いがあれば、別れがあるように。後に残るのは、舞った舞台の思い出と、出会った演者の友情であった。




