70 間奏:休息
撤退は成功した。最も厄介な魔法兵たちがルシアーノ達の護衛の為に追撃に参加していなかったのが幸いし、サンの魔法が追ってくる軍隊の足止めに非常に大きな効果を発揮することが出来たのだ。
追手を完全に撒いたことを確認するとフランコは自らのアジトに戻る。何名かの部下たちも先に戻っており、逃げ切った者はそれなりに多いようだ。
フランコはソファの一つに身を投げ出すように座り、大きく息を吐いた。
「いやぁ……。流石に肝が冷えたね。」
「もう少し早く敵の魔法使いを仕留められていれば良かったのですが。」
「うん。ま、しょうがないさ。……さて、これからどうしようかねぇ。」
「……あの男の奪還は難しいですね。」
「そうだねぇ。警察相手ならともかく、ウチの奴らを使っても軍隊相手じゃあ分が悪すぎる。正面からぶつかったら皆殺しさ。」
「本当に、どうしたものでしょう……。」
そこで暫し沈黙が降りる。流石のフランコもこの状況を打開する策をすぐに思い付きはしないようだった。
サンはまずこれからカールがどう扱われるかを考えてみる。まずは警察署かどこかで拘束されるだろう。その周囲には厳重な護衛がついていることも想像に難くない。その後は牢獄の檻の中だろう。もしかすると、教会に引き渡しなどもあり得るかもしれない。
牢獄まで連れていかれてしまえば流石に手の出しようが無い。何としても、それまでに奪還する必要がある。そして、邪魔の入らない場所で対決だ。“神託者”かどうかを問いただし、そうでなければ良し。そうであれば――。
サンはカールを奪還するならばどこにチャンスがあるか、フランコにも聞いてみる。
「……どうしても狙うと言うのなら、移送中しか無い。警察署に勾留されていると思うけど、そこに襲撃は無謀すぎるからねぇ。ただ、移送中なら何とかなるって話じゃあ無いよ。どうせ厳重に護衛がついてるからね。
……いや、もしかすると……。”従者“さんの手品なら何とかなるのかな……?」
「あれで移動出来るのは私自身だけですが。何か思いついたのですか?」
「うーん……。例えば、警察署の中に移動して、内側と外側から挟み撃ち……とか出来ないかなぁ。」
サンは少し考える。それはつまり、カールの傍で”闇“の魔法を使うということに他ならない。出来るだけ避けたいリスクだが、他に手は無いのだろうか。
「――護衛を引き剥がす事は出来ませんか?手薄になったところに私が突入します。少々危険ですが……。」
「――。出来なくは無いよ。ただ、“従者”さん。」
フランコはそこで一度言葉を切った。サンの目をじっと見つめてくる。
「死ぬ覚悟は、あるかい。」
「……。」
「分かってると思うけど、とっても危険だ。向かった人間が全員皆殺しなんて可能性も低くない。もちろん、“従者”さんも死ぬよ。その覚悟はあるかい?」
その言葉には確かな重みがあった。今まで何人もの人間を殺し、残酷な殺し合いの世界を生き抜いてきた男の鋭さがあった。この男はきっと、常に己の死を覚悟しているのだ。きっと、サンとは同じようで、全く違う景色を見ているのだ。
「……私は、主様のためならこの命など惜しくはありません。」
「ほう。」
「でも、主様は私が勝手に死ぬことをお許しにはなりません。ですから、私には死ぬ覚悟などありません。
まだ、こんなところで、死んではいられませんから。私にはまだ、やらねばならないことがある。どんな手を使っても、“生きて見せましょう”。」
それがサンなりの覚悟だ。
死ぬ覚悟など欠片も無い。あるのは、“生きる”覚悟。どんな地獄だろうと、どんな困難だろうと、必ず生き抜いて主の下へ帰る。だって自分こそが、唯一の主の“従者”なのだから。自分が死んだら、主はまた独りぼっちになってしまうのだから。
「……なるほどねぇ。死ぬ覚悟など無いか。
――ふっふっふ!うん!いいね、気に入ったよ!その“覚悟”!
改めて、力を貸そうじゃないか、“従者”さん。」
「ありがとうございます、フランコさん。」
「呼び捨てでも構わないよ。その代わり、”従者“さんの名前を教えては貰えないかな?」
「いいでしょう、フランコ。私の名前は――サンタンカ、と言います。」
「サンタンカ。うん、不思議な響きの良い名前だ。
――それじゃ、例の男の奪還作戦を練るとしよう。同業にも改めて声をかけるよ。今度こそ、成功させないとねぇ。」
作戦はこうだ。
まずは移送のタイミングを狙う。カールの乗せられるのは専用の鉄馬車。そして襲撃のポイントで待ち構え、一気に攻撃する。フランコ達は緩やかに撤退しながら攻撃、護衛を引き剥がしにかかる。そしてある程度護衛が離れた瞬間にサンが単身カールの鉄馬車へ突撃し、馬車ごとカールを奪う。そのまま護衛達の背後を突っ切り、フランコ達を壁にして護衛達を振り切る。
無茶な部分の多い作戦だが、これを必ず成功させなければ次は無い。
サンとフランコはアジトを移る。アジトは一か所だけではないらしく、今は最も警察署に近いアジトを目指している最中だ。
「“従者”さん、これが終わったらウチの仲間になりなよ。特別な地位を約束出来るよ?」
「申し出は嬉しいですが、私は主様の従者ですので。他のどこへ行くつもりもありません。」
「そうかぁ。分かってても残念だねぇ。きっと仲良くやれると思うんだけど。」
「そうですね。そういう生き方も面白かったのかもしれません。」
面白いかもしれないが、どうせ違う生き方をするのならもっと静かな生活がしたい。命の危険など訪れない、平穏な日々だ。どうせならそこに、主やエルザ、シックも居たら素敵かもしれない。
「ところで、“主様”ってのはどんな人なんだい。」
「そうですね……。一見すると冷酷で不愛想な方です。でも本当はとっても優しくて、暖かい方なんです。私なんかにもよく気遣って下さって、いつもありがとう、なんて言って下さるんですよ。」
「へぇ。随分素敵なご主人様だねぇ。」
「はい。私には勿体無いくらいの方です。でも、実は意外な弱点なんかもあったりして……。ふふ、可愛らしいところもあるんです。」
「……そのご主人様は男の人かな?」
「えぇ。そうですね。」
「……なるほどぉ。ふふふ、なるほどねぇ。」
「……?」
なぜかにやにやとした笑みを浮かべているフランコ。その様子に疑問を抱いたが、言葉にする前に馬車が止まる。どうやら、アジトに到着したらしい。
外からドアが開けられる。フランコとサンが降りれば、そこは至って普通の事務所か何かの前だった。
フランコの案内で中に入れば、使われている気配の無い事務所風の部屋。見回しても怪しげな物は何も無かった。
「そりゃそうさ。入っていきなり色々な物があったら、ここは普通の事務所じゃありませんって教えてるようなものじゃないか。そういうのは、上に隠してあるよ。」
そういうことらしい。そう言えば、前に何度か訪れたアジトにも目立って怪しげな物は無かった気がする。
カールの移送は今日明日には行われないだろう。まずは日時を待つ必要がある。それまで、このアジトがサンの寝床だ。
与えられた個室は上等な部屋で、ホテル・ヴィーノほどではないにしろ豪華な雰囲気だ。
そう言えばホテル・ヴィーノのチェックアウトをしていない。荷物なども城の自室に置いてあるため大した物は何も無いのだが、今頃どうなっているのだろう。
ベッドにどさりと倒れ込んでみれば、ふかふかとした感触に包まれる。心地よさに身を任せてそのまま目を瞑る。すると意識が急速に遠のいていき――。




