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贄の王座と侍るもの  作者: 伊空 路地
第一章 世界の敵たる孤独な主従
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7 最初の夕暮れ


 少し歩いてなるべく人目の少ない広場の片隅まで来ると、サンは主から渡された鈴を取り出して鳴らしてみる。ちりん、ちりんと音が――。


「もう、良いのか」


 サンは飛び上がりそうなほどに驚いた。鈴の音が鳴り終わるかどうか、といった瞬間、正面に贄の王が無表情で立っていたからだった。


 元々表情の豊かでないサンの顔は人から見れば何にも動じていないようだったが、その心臓は驚きに緊張していた。


「――主様。その、意識の不意を突かれたと言いますか、非常に心臓によくないのですが……」


 やはりその声音をほんの僅かだけ震わせつつサンは主に文句を述べる。


「そうか、分かるように予兆でも出してみるとしよう……。用事はもう良いのか」


「お願い致します……。はい、取り急ぎ必要な物はそろえたつもりです」


「では城へ戻る」


 すると贄の王の背後に黒い靄が現れて、ぶわりと二人を包み込む。


 サンの視界は瞬きほどの間、暗闇に染まり、その次の瞬間には城の謁見の間の前に立っていた。


「これで次は驚かないな。では、私は部屋に戻る。お前も自由に過ごすがいい」


 今のは今ので恐怖を煽ると思いつつ、サンは主に問う。


「主様、お食事は用意致しましょうか。また朝は如何致しましょう」


「私に食事は不要だ。朝にもこれと言ってやることは無い。適当な時間にお前のもとへ向かう。自由にしていればいい」


「……分かりました」


 今度こそ去ろうとする贄の王に向かって、サンは無感動ながら真面目な声で主様、と呼び止める。


 贄の王がサンの方を見れば、荷物を降ろしたサンが美しく礼をする。


「私を配下にしてくださり、ありがとうございます。力の限り、主様にお仕えすることをここに誓いましょう」


「……あぁ。気にするな、降ってわいたお前の扱いにも困らなくて良い」


 あんまりと言えばあんまりな台詞にサンは僅かに笑みを浮かべる。


「はい。ある程度までは、どうぞご自由にお使いください」


「ある程度、か」


「はい。ある程度までです」


 何が面白かったか贄の王は素直な笑みを返す。


「肝に銘じておこう。では、また明日に」


「はい。また明日に」


 贄の王は振り向きながらその姿を黒い靄に包む。靄がすぐに晴れると、そこに贄の王の姿はもう無かった。


 サンは降ろした荷物を再度抱えると、最初に目覚めた部屋へと戻っていった。






 時は夕暮れ。西に傾いていった太陽は空を赤く染める。反対の東の空は藍色に染まりゆく中、小さな星々が輝き始めていた。


 サンは部屋に戻るとまず全ての窓を開け放つ。


 埃や塵はほとんど無く、大掛かりな掃除は必要なさそうなのが幸いか。開いた窓から寒々しいそよ風が入って、部屋の澱んだ空気を追い出していく。魔境という地の特性ゆえか、新鮮で気持ちのいい空気といった感じは全くしなかったが……。


 寝室、居間、台所、浴室。一人で掃除するにはやや広い。効率良く進めなければ夜遅くまでかかってしまいかねない、サンはこの難題にむしろ燃える。


 最初は浴室だ。まず“水”の魔法でタイル張りの壁や床を全て洗い流す。次に市場で買っておいた石鹸を“炎”と“水”で必要分溶かし石鹸水を作る。


 それを【動作】で宙に持ち上げ……緻密な魔力制御でもって凄まじい圧力と速度で乱回転する球体状に押しとどめる。それを天井から壁、床、浴槽に押し付けて滑らせると、水球の乱回転の圧力で一気に磨かれていく。


 元々丹念に掃除されていたらしいがやはり経年の汚れがあったのだろう。タイル張りの浴室は見る間に輝きを増していく。


 時折石鹸水を入れ替えつつ、浴室全体を磨き上げてから最後に再び洗い流す。“風”で水気を飛ばして集め布で拭きあげれば、完璧な美しさを取り戻した浴室の姿。


 この間、僅かに10分ほどである。


 まずまずの早さにまぁまぁ満足しつつサンは隣り合った脱衣所の掃除に取り掛かる。


 風で澱んだ空気を入れ替え、右手と左手それぞれに【動作】で持った雑巾で部屋を隅から隅まで磨き上げる。手で直接動かさないために雑巾の速度は尋常でない速度である。


 舞い上がる埃を“風”で押し出しつつ、部屋を磨き終えると次に床だ。


 木製の床にカーペットが敷き詰められているが、今回はカーペットを剥がさないままとする。“風”と“動作”の応用でカーペットから強烈に塵を吸い上げて宙に押しとどめる。吸い出された塵たちを寄せ集めて窓の外に捨てる。――いずれ城全体も掃除しなければならないだろう。


 脱衣所全ての掃除を終える。この間は20分ほどだろうか。


 今度のタイムには満足できないらしいサンはやや不満げに寝室に取り掛かる。


 要領は脱衣所と変わらない。再び両手の【動作】で雑巾を持ち、部屋全体を磨き上げていく。脱衣所よりも装飾や細かいところがずっと多いが、雑巾の動く速度は先ほどよりもさらに速く、目で追うのがやっとというほど。


 絶妙な力加減で細部に傷や歪みを作らないまま磨き上げ、終えるや否や布団やクッションの類を窓の外に浮かべ、埃をはたき落とす。


 それらを素早く戻し、床のカーペットから塵を吸い上げる。集めた塵を窓の外に捨て、寝室の掃除を終了する。


 寝室は脱衣所よりもずっと広いが、タイムは同じ20分ほど。


 まずまずの追い上げ、と納得しつつ隣の居間に襲い掛かる。ここは寝室よりもさらに物が多い。小物類の掃除は後日に後回しと決め、先ほどと同じように部屋全体を掃除し終え、およそ25分。


 縮み悩むタイムに焦りつつ最後の台所を攻略する。ここは非常に戸棚が多い。一つ一つ開けていたらそれこそ日が変わってしまう、とそれらも後に回すことにする。


 台所だけに難題も多い。例えば石かまどだ。とりあえず開けてみるがやはり内部の隅々までは掃除が行き届ききっていない。遥かな先人の努力の痕跡は伺えるが、サンには魔法の力がある。


 “水”で洗い、【動作】で磨き、“風”で拭い、“炎”で乾かす。煙突の中は見えないためにやや感覚頼りながら、その全てを攻略しきる。


 石かまどに時間をかけ過ぎた、とタイムの鬼は部屋全体の掃除に移行する。またも雑巾を【動作】で持つと、天井を、壁を、板張りの床を、戸棚たちを高速で磨き上げる。集まった塵は窓の外に捨て、終わり!とサンがタイムを確認すればおよそ30分が経過していた。


 総合タイムは1時間と45分。今回のタイムは著しく不満だったらしく、完璧に磨きあげられた部屋の中でサンは目に見えて落ち込む。


 そして胸の内の魂を燃え上がらせる。――次こそは、と。






 途中から趣旨がおかしくなっていたがともかく掃除を終えたサンは夕食を作りにかかる。気づけば目覚めて以降何も口にしていないのだ。サンは空腹だった。


 適当に小麦を練って平らにする。日持ちしない肉たちと野菜類を切って乗せ、薄いチーズでふたをするように被せる。それをかまどで程よく焼く。


 手抜きしたい時に作るシェッツェルというファーテルの料理だ。ちなみにファーテルの食事は基本的にわりと雑である。


 焼きあがったシェッツェルをちぎって食べつつ、今後について思案する。


 サンは正直なところ、まだ贄の王を信用しきっていない。恐らく贄の王の方もその筈だ。


 サンがここにいる状況からして理解不能なことが多すぎるため、当然と言えば当然ではある。


 今後は贄の王の従者として働いていくことになるが、贄の王自身の世話は本人が不要だと言っていた。ゆくゆくはともかくとして、まずは信頼関係を築いていかなければならないのだろう。


 サン自身には“目的”が無いのだ。一度全てを捨てて命を絶ったはずの身。やりたいことも、やらねばならないことも無いままにこの地で目覚めた。ゆえに従者としての目的を当面の自分の目的としなければならない。


 従者としての目的とは何であろうか。主人の生活が快適になることか、主人の目的を補佐することか、それとも?


 ――取り敢えずは……。城の掃除から始めよう。


 サンが食事の後片付けを終える頃には、夕暮れの赤はすっかり夜の闇に塗り替えられていた。


 窓の外を見れば、厚い雲に隠されていた大きな大きな満月が姿を現すところだった。その光はむしろ、魔境の外で見ていたものよりも美しかった。







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