69 戦の花形
「“従者”さん。もう警察署が近い。最悪、そこで戦争だ。」
フランコが言うには、既にホテル・ヴィーノと警察署の中間を過ぎ、残る道程はそれほど無いらしい。つまり、それまでに人相書きの男ことカールを奪わなければ警察署をまるごと相手にする必要があるということだ。
そして“神託者”の可能性を持つカールに”闇“の魔法は見せられない。純粋な魔法のみで戦う必要がある。
「分かりました!なるべく、それまでに!」
疾走の騒音と風に負けないよう大声で答え返す。正面、ルシアーノの駆る馬車を睨む。
だが馬車を奪うというのは難題だ。下手に馬車を破壊すればカールにまで被害が及ぶ。最悪は馬車ごとカールを死なせてしまうというのも目的だけ見れば最低限だが、サンに取り敢えずその気は無かった。
やがて、サンたちの馬車とルシアーノの馬車が横に並ぶ。御者席のルシアーノは銃を抜くとこちらに向けるが、少し迷ってから収める。その代わり、大きく叫んだ。
「フェルナン!!出番だ!頼む!」
その声に応じて、ルシアーノの馬車のドアが開く。そこから身を乗り出してきたのは、いつか警察署で門番をしていた男、フェルナンだった。
フェルナンがその右手をこちらに向け――その手から炎が噴き出した。
――魔法使いだ。
サンは慌てて”風“の魔法を使ってフェルナンの炎に叩きつける。二者の間で炎と風が激しくぶつかり、その場でお互いに押し返し合う。
炎の向こうでフェルナンが顔をしかめながら口を開くのが見えた。
「対抗魔術!くそっ、魔法使い相手だなんて聞いてねぇぞルシアーノ!」
炎と風がぶつかり合って両方とも掻き消える。走る馬車、フェルナンとサンがにらみ合う。
「『それは炎の蛇――。』」
「っ!『我乞い願う――。』」
「『我の怨敵を食いつくすなり!』」
「『彼の厄災をはらいたまえ!』」
「『“火炎餓蛇”!』」
「『“清流盾”!』」
フェルナンの放った炎の蛇をサンの作り出した水の盾が防ぐ。熱で蒸気が吹き上がり、“火炎餓蛇”が消えれば“清流盾”も消える。
対抗魔術と呼ばれる技術だ。放たれた魔法に対し、適切な魔法をぶつけることで相殺する。魔法使い同士の戦いでは必須となるが、瞬時の魔法の選択、適切な魔力の制御など、魔法使いの技量が直接反映されてしまう。
サンが”炎“で火球を作り、フェルナンに向けて飛ばせば、フェルナンは風の砲弾でそれを打ち消す。
フェルナンが”水“で馬車の破壊を試みれば、サンの”水“がぶつけられて空中に爆ぜる。
「くそっ!あの野郎が”従者“ってやつか!くそ!」
「魔法使いだなんて、厄介な。時間も無いのですが……。」
その時、御者席のルシアーノが拳銃を抜くと、発砲。それはサン達の馬車を操る御者に命中してしまった。
ぐらり、と御者の男の体が傾き、落ちる。馬車に撥ね飛ばされて遥か後方へ見えなくなる。
「しまった。”従者“さん!ちょっと援護を頼むよ!」
「えっ、フランコさん!?」
御者を失い見る間に失速していく馬車の上、フランコはドア縁から屋根の上によじ登ろうとする。
その隙だらけの姿をフェルナンの魔法が狙った。咄嗟に“土”の盾で射線を遮った瞬間、フェルナンの手から走った紫電が盾にぶつかって消える。
さらに”水“の水球が馬車に飛来する。首元の”水“のペンダントを握って巨大な水の盾を生み出し、これを弾く。
反撃とばかりに“炎”の魔法を使い、フェルナンでは無くルシアーノの方を狙った。フェルナンは慌てて“風”の魔法でそれを逸らし、ルシアーノを守る。
そうこうするうち、屋根に上り切ったフランコが御者席に降りて手綱を握った。馬車は見る間に速度を取り戻し、ルシアーノたちに迫る。
サンはフェルナン本人よりもルシアーノを狙った方が守りづらい事に気づき、そちらに向かって”炎“の魔法を詠唱し始める。
「『吠える獅子、舞う鳳――。』
「やばっ。『我乞い願う!』」
「『駆けるは狼、うたうは龍!』
「『彼の厄災をはらいたまえ!“清流盾”!』」
「『顕現せん、我がしもべ。“業火の獣”!』……行きなさい!」
サンの手から赤い光が迸り、頭上へ駆けあがるとそこで炎となって獣をかたどる。それは獅子の首と狼の身体、鳳の翼を持った幻想の獣である。
炎の体を持つ獣は宙を駆けるように、あるいは翼で舞うように空を飛んでルシアーノを目指し、その体めがけて火を噴いた。
火は先に展開されていた水の盾に勢いを殺されるも、消え切らずにルシアーノに届く。
「がああっ!あっつ……!!」
「すまん、ルシアーノ!あの野郎、俺より上手だ!」
実際は主から授けられた”炎“の手袋やその他の装備のお陰もあったが、事実サンの方が上手だった。だが、一息にフェルナンを倒せない。じきに警察署までついてしまえば、無数の応援を相手にしなければならないだろう。
“業火の獣”が再び火を噴き、フェルナンがそれを“清流盾”で防ぐもやはり殺しきれず、ルシアーノが悲鳴をあげる。
フェルナンは獣を倒そうと続けて“水”を質量弾として獣に向ける。複数の水の砲弾が空中の獣に向けて飛んでくるが、サンが操ると獣は華麗に空中でそれらを回避する。
だがサンも喜んではいられない。“業火の獣”は強力な魔術で発動後も自在に操ることが出来る上、その身を構成する炎は通常の炎よりもずっと高熱だ。だがその代償として魔力効率は非常に悪い。サンが持つ魔力量は、王族のエルザの肉体だけに非常に多いが無限では無いのだ。
一度上空に高く上がった獣がルシアーノ目掛けて急降下する。これ以上の魔力の消耗を嫌ったサンが一撃でもってルシアーノを仕留めようとしたのだ。
「『我乞い願う!彼の厄災をはらいたまえ!“清流盾”ぇ!』」
噴く火だけでも防ぎきれないフェルナンの“清流盾”では、獣の直接の体当たりを止めることは出来ない。多少減衰するだろうが、ルシアーノを行動不能にするには十分な威力になるはずだ。
急降下した獣がフェルナンの“清流盾”を突き破ろうと体当たりをする。熱に焼かれた水が一気に蒸発し、凄まじい蒸気が吹き上がる。だが獣は消えない。そのままルシアーノを焼こうと――。
「――『“水龍の顎”!』」
唐突に現れた巨大な水の槍。それは獣を挟み込むように対に現れると、その矛先で獣をはさんで突き貫いた。
獣は悲鳴を上げて暴れるが、水の槍に縫い留められて動けないままにその身体が消失する。対抗されきったのだ。
一体何事かと周囲を見れば、一騎の騎兵がルシアーノの馬車の向こうから現れる。その身体は黄色い軍服に包まれており、その胸には大きな勲章。サンには分からなかったが、軍服はラツア軍のものであり、勲章は多大な貢献をした魔法兵に与えられるものだ。
フェルナンが歓喜の叫びをあげる。
「軍が来てくれたか!助かった!」
“軍”の単語を聞いてサンは顔をしかめる。なぜなら――。
「フランコの旦那!兵どもが来た!まずいぜ!」
近くで馬車を走らせていたフランコの部下が寄ってきてそう言う。
事実、周囲の状況は急速に変化しつつあった。
周囲から続々と現れる黄色軍服の騎兵集団は整然と隊列を組みながらライフルを斉射。フランコの部下たちへ弾丸の雨をぶつけていた。
入れ替わりに青い制服の警察たちは次々に離脱していき、黄色い軍服の兵士たちが入れ替わりにフランコの部下たちを包囲しようとする。
サンは戦況のまずさを思い知らされる。そう、軍隊は決して単独で動くような集団ではない。訓練された兵、規律の取れた隊列、整備された武装。
サンは決して弱くは無い。多少実践経験は少ないが、その年齢も考えれば世界でも指折りの実力と言っていいかもしれない。だが所詮一人なのだ。あるいは一人一人の兵士には打ち勝てたとしても、軍隊を相手にはまるで足りない。それは、人間として当然の限界だった。
黄色い騎兵集団はルシアーノの馬車を囲むように隊列を組む。サンはそこに“炎”の魔術を放つが、騎兵集団の息の合った対抗魔術でいとも容易く消されてしまう。
ならば、と詠唱を開始しようとするが――。
「『それは炎の蛇、我の』――くっ!?」
数名がサンの詠唱に対する対抗魔術の詠唱を開始すると同時に、残る数名が簡易な魔法でサンを狙い撃つ。それはほとんど怪我すら負わない程度の魔法だったが、詠唱は中断されてしまう。
「“従者”さん!これはダメだ!撤退するよ!」
「……えぇ、そうする他無さそうです……。」
背後を見ればフランコの部下たちは次々にその数を減らしていっていた。一方、散発的な攻撃しか出来ない部下たちは兵たちをまるで相手に出来ていなかった。このまま執着すれば、順当に殲滅されてしまうだろう。
「私が魔法で援護します。皆さんに離脱を!」
「助かるよ!――撤収!!撤収だッッ!!!」
そう指示を出すやフランコは軍隊が現れるのと反対側に馬を走らせる。部下たちも撤退の指示を待っていたのだろう、遅れることなくそれに続いてくる。
サンは急速に視界から消えていくルシアーノたちの馬車を最後に睨むと、背後から追ってくる軍隊を相手に魔法で足止めを図ることにした。




