67 第二楽章:夜、煌々
オリーヴ巡査長は憤慨していた。
このところ教会からしつこい捜索の要望を受けており、署の者たちは誰もが辟易していたのだが、今夜ようやく例の男を捕まえられそう、だったのだ。
少なくとも何らかの大きな手掛かりは手に入るはずだったのだが、邪魔が入った。
少し前から俄かに噂されるようになった“従者”を名乗る怪人物だ。
とある大物の手先だとか、他国から来た諜報員だとか、様々に噂されるがその正体はようとして知れない。分かっているのは、“例の男”を探しているらしいということだ。
不気味な存在感を放つ”従者“だが、オリーヴ巡査長の前に姿を現したその人物は声からして女のようだった。”例の男“の手がかりだけでなく、非合法組織の尻尾、更に噂の”従者“まで捕らえられる。そう思った。大手柄だ、出世出来る――と。
ところが“従者”は何と強力な魔法使いだったのだ。どこかでそんな話を聞いたような気もするが、よくわからない。とにかく、”従者“の魔法で嵐を起こされ、オリーヴ巡査長は何一つ手に入れることが出来なかった。
風と雨でぼろぼろになりながら突入した建物はもぬけの殻で、ただの酒場以外の何物でもなかったのだ。非合法組織に利用されていただろうことは間違いないにしても新たな手掛かりは何一つ手に入らず、手柄どころか失態と呼ぶ方が近かった。
オリーヴ巡査長は憤慨した。
自分の出世を邪魔した“従者”が許せない。何としても、捕まえてやる。
ラツアの都は随分と騒がしい夜を迎えていた。
いくつもの明かりが都中を駆け回る。路地という路地を靴音が通り過ぎていく。フランコの部下たちと警察が血眼になって捜しているのはたった一人の男。
どちらもそれぞれ人手を増やす一方で、時に互いの衝突が起こる。やがて、時折銃声すら響くようになり始め、都全体が騒然としていた。
そんな都の只中、相変わらず屋根の上を行く影はサンである。“透視”でもって建物内や物陰を見通し、それらしい人物を捜し回る。見える人影はあまりに多いが、目的の男はこの状況下、ソファやベッドでくつろいでは居まい。となれば、目に入る人間の多数は気に留める必要が無い。
しかしラツアの都はあまりに広い。フランコの部下たちも必死に捜し回っているが、数として警察には敵うべくも無いとなると、発見を先んじるには幸運が必要だ。
あてもない捜索ではそれこそ何日かかるか分からない。何か、ヒントがいる。
サンは一度立ち止まって考える。例えば自分なら、どこに隠れる?
いつまでも屋外には居ないはずだ。不幸にも警察と鉢合わせてしまったらお終いになる。姿を消してそれなりに経っている以上、どこか建物の中と考えるのが普通だ。
適当な民家に隠れるのはリスクが大きい。当然、住人に発見されれば騒ぎになるからだ。
となれば、見知らぬ顔とすれ違っても疑問に思わない場所。ラツアの外の人間が、堂々と立ち入り出来る場所。それでいて、警察がほとんど立ち入らないような場所――。
そこまで考えて、サンの脳裏に浮かぶのは一人の男の顔。
――ホテル・ヴィーノだ。
城の自室に転移したサンは例のごとく、フードの不審者から上品なご令嬢に着替える。そしてホテルのエントランスに移動すると、端のソファに腰掛けて“透視”を使う。
”透視“の魔法にだけ意識を集中する。魔力では無く、自身の内に宿る権能の”闇“を漲らせる。
魔力が増えれば魔法が強力になるように、”闇“が増えれば”透視“は強化される。普段使うレベルならば視界の全てが半透明と化し、半透明の物質が重なるごとに見通せなくなっていく。薄い霧をいくつも重ねるごと、濃い霧となって視界が通らなくなるのと同じような原理だ。
だが、“透視”だけに”闇“を集中すれば近いものから透明度が増していき、最終的には全く見えなくなる。それはつまり、“透視”で見通せる距離が伸びていくということだ。
サンは周囲をきょろきょろと見渡しながら“透視”を強化し、ホテル全域を見通そうと試みる。
近いものから、壁が、柱が、床が消えていく。その先にあるものがどんどんと見えるようになっていく。そして、それらしい人影を必死に探していく。
どれほどの時間をかけただろうか、大きなホテル丸ごと一つをようやく見通しきったサンはついにそれらしい人物を発見する。
最上階、レストランよりさらに奥。バルコニーにその者は居た。
端の物陰に潜むように、しゃがみこんで眼下の通りを覗き込んでいる男。“透視”の視界では顔までは判別出来ないが、いかにも怪しい。サンは立ち上がって“透視”を解くと、階上に向かって移動する。
蒸気機関式のエレベーターに乗り込み、最上階へ。
まっすぐバルコニーへ向かい、先ほど見た物陰を覗き込めば……。
「うわっ!?だ、誰だ!?」
サンと目が合ってその男はひどく驚いたようだった。飛び上がって尻もちをつき、目を見開いてサンを見るのは、確かにあの人相書きの男だった。
サンは内心で達成感を得つつ、それを表面には出さない。そして男に話しかける。
「……落ち着いて。私はエルザ。フランコさんの使いです。」
「ふ、フランコ……?あ、あんたが……?」
どうやら、男はフランコの名を聞いていたらしい。その名を聞いて、男の目に確かな安心が宿る。
「じゃ、じゃあ、あんたは……味方、だな?」
「えぇ、そうです。ですから、安心してください。」
「よかった……。なら、俺はどこへ行けばいい?どこへ逃げればいいんだ?」
「案内します。さぁ、急ぎましょう。ここにも警察の手が伸びてこないとは限りません。」
「あぁ、分かった。」
そして男は立ち上がり、サンの目を見て言う。
「俺はカール。助かった、エルザ。」
「えぇ、無事で何よりです。では――。」
サンはそう言いながら振り返る。さっさとバルコニーを離れるためだ。一度どこかに匿って、フランコを呼びにいかないといけない、そんなことを考えていた。
振り返ったサンが目にしたものは銃口をこちらに向けて、自分を睨みつける一人の男の姿。
「やぁ、“サン”。今夜は随分明るい夜だね。」
「――ルシアーノ。」
その男はルシアーノ。ラツアの都で警察として働く男であり、以前サンに見当違いの推理を披露して見せた男である。
「俺の勘は当たっていたな。ホテル・ヴィーノを睨んだことも、君に目をつけたことも。だからこうして、一人目標を目にすることが出来ているわけだ。」
「……私をつけていたのですか?」
「ホテルのロビーでやたら周囲をきょろきょろとしていただろう。合図か暗号か……何かメッセージでも探していたのかな?ま、そんな君を追ってきたら見事ここって事さ。」
サンは己の失態に唇を噛む。
油断していた。ホテル・ヴィーノに到着してから一人も青い制服を見なかったことで、まだここには警察の手が及んでいないと思い込んでしまった。
だがそうだった。このルシアーノという男は始めた相見えた時も普通のシャツ姿だった。それが警察の身分を隠すためだったのなら、見事にサンは嵌ったことになる。
「おい……!あんた、何やってるんだ……!」
背後のカールが苛立ちの声を上げる。だが、それに反論のしようもない。事実、完全にサンの失態だった。
「申し訳ありません、カールさん。……私のミスです。」
サンは正面、拳銃とともにこちらを睨むルシアーノを睨み返す。
「おっと、動くんじゃないぞ、“サン”。こう見えて俺は射撃が得意なんだ。その奇麗なお肌に穴を空けたくない。」
「そうですか。お気遣いどうもありがとうございます。」
「いやいや、ラツアの紳士として淑女を気遣うのは当然のことさ。
――さて、その男をこちらに引き渡すんだ。」
「お断り致します。彼には私も用がありますので。」
しかしサンには打開の手が無かった。通常の魔法では拳銃の弾丸に為す術が無い。”炎“も、”水“も、”風“も、”土“も、”雷“も、この距離で迫る弾丸から身を守るにはサンの力量が足りない。射撃が得意かどうかの真偽はともかくとしても、相打ち覚悟で撃たれては意味が無いのだ。
ならば“闇”の魔法ならどうか。それならルシアーノの背後に転移するだけだ。簡単に終わる。
しかしそれは同時に、背後のカールに”闇“の魔法を使うところを見られるということだ。――”神託者“の可能性を持つこの男に。
ゆえに”闇“の魔法は使えない。使えば最悪の場合、”神託者“とこの場で戦闘になる。武装も準備も無く、主への連絡すら無い今、それは絶対に避けなければならない。すなわち、手詰まりであった。
「……まだ若い君の年でそんな汚れ役を引き受けている辺り、事情もあるんだろうなぁ。別に君を嫌っても恨んでもいないんだ。大人しく捕まって、法に裁かれてくれ。なに、悪いようにはしないさ。」
「……その言葉を信用出来ると?」
「もちろん。神に誓ったっていいんだ。いや、事実誓おう。その男を引き渡してくれれば、俺は君を悪いようにはしない。正当かつ公平な法で裁かれることが出来るように約束しよう。俺は君の罪の数を知らないが、情状の余地もあるはずだ。不当に重い刑罰は与えない。誓う。」
語るルシアーノの目は真摯で、その言葉に嘘は無いのだろう。相変わらずサンのことをやや勘違いしているようだが、人間自体は善性なのだろう。
裏社会に生きる関係も無い女一人――ルシアーノの脳内では――にこうも真摯に語り掛けてくる。その誓いはきっと信用出来るに違いない。
だが。
「お心遣いに感謝申し上げます。……ですが、ルシアーノ。」
向けられた拳銃に構わず、サンはバルコニーの縁に向かって歩く。何をするつもりか気づいたルシアーノが慌てた声を上げる。
「おい!まさか、やめろ!!」
最後に振り返ってみれば、必死の形相でこちらへ駆け寄ってくるルシアーノ。だが、間に合わない、間に合わせない。
「――私、神は信じていないのです。」
そのまま手すりを乗り越えて、サンは空中へ身を躍らせた。




