66 第一楽章:嵐
何事も無く迎えた約束の夜、サンは待ち合わせのバーの傍まで転移する。周囲に怪しげな存在が居ないことを“透視”で確認しつつ中に入れば、バーのマスターに奥へ行くよう言われる。
ドアを開けて奥の小部屋に入れば、既にフランコが座って待っていた。
「やぁ、“従者”のお嬢さん。ごきげんよう。」
「えぇ、こんばんは。」
サンはフランコがにこやかに手で示した向かいの席に座る。どうも、目的の男はまだ来ていないようである。
「何も問題はありませんか。」
「今のところは特に何も。警察がやけに鬱陶しいくらいかなぁ。ぼくのお仲間が持っている隠れ家も嗅ぎまわられているらしくてね。」
「警察というのは面白い組織ですね。他国のように衛兵だけで十分なのでは?」
「ま、何事にも得手不得手はあるのさ。警察は戦力じゃなくて、治安維持に特化してる。この通り、年中ぼく達を追い回してくれてるのさ。」
「私としても厄介には違いありません。先日、少し邪魔をしないよう言伝を頼んだのですが、特に変わりは無いようですね。」
「それはわざわざありがとう。でも、あぁ。面倒だなぁ。昔は楽だった――。」
そのまま暫く雑談を交わしながら待っていたが、目的の男は来ない。一体いつになったら来るのやら、痺れを切らし始めた頃にそれは聞こえてきた。
俄かにドアの向こう、バーの表側が騒がしくなり始める。サンとフランコが一体何事かと顔を見合わせていると、一人のチンピラがドアを開けて中に駆け込んでくる。
「旦那、警察だ!なんでか分かんねぇけど、ここを嗅ぎつけたみてぇだ!」
「警察……?本当に、厄介な連中だねぇ……。」
フランコはこれでもかと言うほどうんざりした表情を浮かべると、サンの方を見てくる。
「“従者”さん。聞いての通りだ。我々の不手際で申し訳ないけど、今回の取引はポシャった。ここから逃げた方がいいねぇ。」
「やれやれ……。あなた方は?」
「我々はただの善良な客……、と言いたいけど無理だろうなぁ。逮捕してから証拠を探しにくるよ。別にここには何も無いけど。」
「では?」
「裏口から逃げるよ。“従者”さんはあの手品があるだろう?悪いけど、あれで逃げてくれるかい。」
そこでサンは少し考える。サンが一人逃げるのは簡単だが、ここでフランコ達が警察の手に落ちるのはサンとしても困る。折角手に入れた裏社会への伝手だ。出来れば大事にしたい。
ならば少しくらい助力をしてもいいだろう。危ない橋を渡ることになるが、得るものも小さくないのだから。
「フランコさん。少し私が時間を稼いでみましょう。その間に逃げられますか。」
「……助かるけど、いいのかい。警察に付きまとわれることになるよ。」
「構いませんよ。いざとなれば私はラツアを離れるだけです。なので、少し恩を買っていただけませんか。」
「はっはっは。いいねぇ。随分高くつきそうだけれど、悪い買い物じゃない。じゃ、精々気を付けてね。」
「お気遣い感謝します。では、後程この前のアジトで。」
「はいはい。お待ちしてますよ。」
それだけ言うとサンはドアをくぐりバーの表まで歩いていく。
ドアを開けて外に出れば、辺りはぐるりと青い制服と明かりに囲まれていた。包囲のどこかから「出て来たぞ!」という大声が聞こえてくる。警察たちの話声と包囲の外にいる野次馬のざわめきで、久々に随分と騒々しい夜だった。
警察の包囲から初老の男が歩み出てくる。男はサンの間合いより数歩遠いところで止まると、サンに話しかけてくる。
「あー、そこの君。そこの建物は非合法組織の集会所と目されている。我々は警察として、君たちの身柄を一時拘束させてもらう。なので、まずはそのフードを取り大人しく投降しなさい。」
「申し訳ありませんが、お断り致します。」
「残念だが君に拒否権は無い。なに、君が非合法組織と無関係ならば無事釈放されるとも。それとも、何か後ろめたいことでもおありかね?」
「……私はとあるお方の“従者”です。この前、“私の邪魔をしないように”と言伝を頼んだと思うのですが。」
「“従者”……?あぁ、なるほど。確かにそう名乗る犯罪者がいたらしいな。では――。」
「いいですか。……私は暇では無いのです。これ以上、煩わせないでください。」
「何を馬鹿なことを。いいからさっさと投降したまえ。さもないと、力ずくで逮捕することになる。」
「おや、聞いていないのですか……?私としては、好都合なのですが。」
「聞いていない……?ええい、もういいからさっさと――。」
「私は――魔法使いですよ。」
そう言うと、サンは背後の建物屋上に転移する。屋根の上から警察の包囲を見下ろし、その中央をめがけて魔法を構える。
右手に魔力を集め、練って編む。それは”風“。不可視の力で、警察たちを薙ぎ払うのだ。
「『平伏せよ。我の振るう不可視の手が、汝らを地に叩き伏せん。知るがよい。我が力のありようの、いと気高く強き様――。』」
眼下のざわめきの中、誰かが屋根の上に立つサンに気づく。「上だ!」という声が上がり、無数の視線がサンに向く。だが、サンの魔法に反応など出来はしない。
「『汝ら似合いの大地を舐めよ。――“風神掌”。』」
それは猛烈な風の吹き下ろしだ。上空から叩きつける風は大地にぶつかると爆発するように広がる。あまりの風圧に、人は立っていることを許されず地面へと薙ぎ倒されていく。
勢い余り、風は帽子を舞い上がらせ、倒れた人を更に転がし、鎖で下げられていた看板たちを引きちぎっては吹き飛ばす。馬も馬車も大地に倒れ、暴風の中立っているものは一人も居ない。
サンは“透視”でバーの中を見るが、中には既に誰も居ない。そのまま周囲を見渡すがフランコ達と思しき人間たちはどこにも見えない。重なりすぎていると見えないので、例えば地下などを通っていれば全く分からない。
サンは少し考えるが、どうせなのでもう一撃だけ入れていくことにする。
左手で”水“のペンダントを握り、右手で魔力を練って編む。次に使うのは”水“の魔法である。
「『大地濡らす、天の慈雨、ここに降り注ぎて、恵みをもたらさん。“翠雨の乞い”。』」
ぽつり、ぽつり、ぽつぽつぽつぽつざざぁーーー……!
極めて狭い範囲に雨が滝のような勢いで降り始める。それは大地に転げたままの警察と野次馬たちの上に容赦なく降り注ぐ。サンは更に”水“のペンダントの力で水量をいや増す。
雨はどんどんと勢いを増し、滝のよう、というよりも滝そのもののように降り注ぐ。凄まじい水量に激しく打たれる眼下の者たちは雨に覆い隠されてしまって僅かも見えない。
これで銃の火薬も湿って使えないことを期待し、サンは魔法をやめて転移で去る。
“翠雨の乞い”は術者が使用をやめてもしばらく勝手に雨が降り注ぐ特徴的な魔法である。サンが離れた後もしばらく豪雨は続くだろう。それが晴れる頃には、サンもフランコ達も皆影も形も無い、という算段だ。
転倒の負傷者はいるだろうが死者まではまず居まい。実に平和的で合理的な時間稼ぎだとサンは自画自賛していたし、事実サンの目論見は完全に達せられるのだった。
サンが転移で移動してきた先は先日フランコを探して辿り着いたアジトである。案外先ほどのバーからは近いところにあるので、バレないか不安ではあるがそれはサンが考えることでは無いだろう。
中に入って見回すがまだフランコ達はついていないらしい。
サンは適当なソファに座り、フランコ達の到着を待つこととした。
そのまま待つこと暫く、入り口のドアが開いて集団がぞろぞろと入ってくる。戦闘の男は怪しげなフードの人影に気づくと警戒を浮かべたが、それが“従者”と呼ばれる存在だと理解するとすぐに警戒を解いた。
集団の中ほど、囲まれていたフランコが姿を現すと、サンに向かって大げさな礼をしながら感謝を述べて見せる。
「おぉ!これはこれは、我らが守護天使さま!ありがとうございます。おかげさまで我らは何の危険も無くこうして無事に帰りつくことが出来ました!」
「無事で何よりです、フランコさん。」
「“従者”のお嬢さんも無事なようで何よりだねぇ。女性を盾にしていくなんて紳士の風上にも置けないが、いや実際助かったよ。感謝感謝。」
「折角手に入れた伝手ですしね。また一からやり直しは面倒でしたから。」
「うんうん、互いに利益ある素晴らしい取引だ。さて、早速だけどこれからの話をしよう。二階を使うから、来てくれるかい。」
フランコはサンを先日と同じ二階の部屋に案内する。手ずからワインを開封すると、グラス二つに注ぐ。片方をサンに差し出し、自分から先に煽って見せた。
サンもそれに続いて一口飲んでから、口を開く。
「さて、バーはやられてしまいましたが目的の男に会うにはどうしましょうか。」
「さてさてどうしようかねぇ。取り敢えず、中継ぎの彼を探したいところだけど。」
「探し方はどうすれば?」
「そもそも約束の場に来なかったというのが気になる。警察に捕まっているか、先に気づいてどこかに隠れているか。隠れているのなら、いずれ出てくるだろうけど……。」
「警察に捕まっているとすれば、どこに?」
「警察署最上階の檻で一時的に拘束されているか、刑務所に移送されているか、かなぁ。まだ警察署の方だと思うよ。」
「では今から見てきましょう。すぐに戻りますので。」
「えっ、それ冗――。」
フランコの言葉を最後まで聞かずに警察署の屋根の上に転移した。最近やけに屋根の上にいる気がするな、と呟きながら“透視”で最上階の檻とやらを見通す。見えてくる檻の中の人影は、確かにあの晩サンが尾行したチンピラだった。
最上階にはちょうど警察が一人しかいなかった。サンは最上階に転移すると、“闇”の魔法で闇を走らせ、警察を闇の檻に閉じ込める。中で何かわめいているようだが、外に声はほとんど漏れないので何を言っているかは分からない。
そのまま檻の中のチンピラに声をかける
「あなた、掴まっていたのですね。バーの場所が漏れたのもあなたですか。」
「うぉ!?あ、あんたは……この間の。」
「聞きたいことがあります。……今夜、バーに来るはずだった男はどこにいますか。」
「……じゃ、じゃあ、ここから出してくれ。そうしたら、教えて――。」
サンは懐から拳銃を取り出すとチンピラに突きつける。
「交渉が出来る立場だと思っているのですか?早くしてください。それとも、腕か脚か置いていきますか。」
「じょ、冗談だ!嘘だ!や、やめてくれ!」
「大声を……、はぁ。それで、約束の男はどこですか。」
「し、知らないんだ。ばらばらに逃げて俺だけが捕まっちまった。だから、どこにいるかは――。」
このチンピラに聞くことの無意味さを早々に悟ったサンはさっさと転移でフランコのアジトに帰った。どの道、助けるつもりなど毛頭無かったのである。
「お、お帰り”従者“さん。」
「あのチンピラさん、捕まっていましたよ。約束の男の居場所は知らないと。」
「えー……。使えないなぁ。あのバーの場所を漏らしたのも彼かな?」
「答えを聞き忘れましたが、恐らくそうでしょう。それでは、どうしますか。」
「んん。こうなると困ったねぇ。目的の彼は今、都のどこかを逃げ回っているってことだよね?……地道に探すしかないかな。警察よりも先に。」
「そうなりますか……。
分かりました。私も手ずから捜索します。あなた方も探してくれますね?」
「もちろん。それに、“命令”だよねぇ?」
「えぇ。”命令“です。」
「はいはい。部下たちも走らせるよ。じゃ、さっさと動き出そうか。既に遅れを取っている訳だしねぇ――。」




