6 エルメアの都
太陽は燦然と輝いている。
天から降り注ぐ光は石と鉄の都を明るく照らし出し、人々は活力に満ち満ちて通りを行き交う。黒と緑に怪しく染まった川は陽光を虹色に反射させ、船に割かれて泡立つ。川を埋め尽くさんばかりの船たちは黒い蒸気を噴き出し、明るい日差しのもとにあって向こう岸を隠してしまう。
規則正しく並んで進む馬車たちの横を汽車がゆっくりと追い越した。客車には埋まらんばかりの乗客と、貨車には溢れんばかりの積荷を乗せるそれは、都の誇る英知と技術の結晶である。
――エルメア。内海の出口から外海を睨む島国であり、人類の繁栄の絶頂を行く鉄と水の都。
贄の王とその従者サンの姿はその川沿いの広場にあった。
転移の闇から解放されたサンは眩しさに目を覆いながら辺りを見回す。ぼぉーっと音がした方を見れば、荷物をいっぱいに積んだ蒸気船が川を進んでいた。
「これは、凄いですね……」
「ここがエルメアの都。人類の最先端を行く都市だ」
「凄い……ファーテルの都とは全然違う……」
「王都から離れたことも無かったのだったか。人々の暮らし、家々、言葉……。遠く離れた地では、何もかもが違う」
「本当に……凄い……。建物もすごく大きいのですね……」
サンの目には川沿いに並ぶ巨大な工場の数々。いずれも黒い煙をもうもうと掃き出し、折角の陽光を覆い隠そうとしているかのようだった。
「都市観光も良いが、まずは用事を済ませることだ。私は城に帰るので、用が済んだらこれを鳴らせ」
そう言ってサンに手渡された袋には鈴が入っているらしい。
「袋から出して鳴らせば私に伝わる。では、身の回りにだけは気を付けることだ。ここはエルメア……繁栄と光豊かだが、その影も濃く大きい」
それだけ言い終えると贄の王の姿は消えていて、消えたことすらすぐには気づかないほどだった。
サンたちが転移してきた場所も人の目は多いが、不審に思われた様子はない。贄の王が気を使っているのか、転移がそういうものなのか、人の意識から外れて行われるものであるようだ。
以前から一人に慣れたもののサンは特に心細さを感じることもなく、まずは案内役を探すことにする。と言っても心当たりがあるでもなく、やや途方に暮れつつも取り敢えず歩き出してみる。
川辺に作られた石畳の広場には怪しげな屋台や出店が多くあり、看板を体にぶら下げた男がベルを鳴らしながら何事か謳いあげる。サンには分からない言葉だったが、雰囲気からするに宣伝か何からしい。
“おのぼりさん”といった雰囲気を隠すことも知らないサンは辺りを見回しながら適当に歩く。何となくだが、あの主が意味も無い場所をわざわざ選んだ気はしなかったからだった。
どん! と後ろから衝撃を感じれば、サンの胸ほどの少年がぶつかったらしい。
やはり分からない言語で何か言いながら離れていこうとする少年――を、サンは右手を伸ばして素早く捕まえる。
「……スリ。ほら、返して」
少年が隠し持つ財布を取り返すと解放する。離れた少年は何かしらの悪態をつきながら走り去っていく……。
サンも何となく気づいたことだが、美しい金髪と容姿に明らかに慣れない様子で歩くせいで彼女は非常に目立っていた。
目立つ彼女にスリを敢行した少年はある種勇敢だったかもしれないが、このまま歩けばまた別の勇者が現れないとも限らない。素人の暴漢に絡まれた程度なら払いのける自信もあるサンだが、大きな犯罪や事故に巻き込まれては堪らない。
やや困りながら歩いていると……サンの目に慣れ親しんだファーテルの文字が目に留まる。『ファーテル人 通訳』と書かれた看板に惹かれ、屋台の男に話しかける。
「あの、言葉は分かりますか?」
「ええ! もちろん分かりますとも。通訳が必要ですか?」
「通訳というか、そうですね。街の案内が出来る人を探していて」
「それなら、ウチが大正解です。その辺のモグリとは違いますよ。一日中8エリオンで案内出来ますよ。ちょっと割高ですが、信頼分のお値段になりますから。如何です?」
サンには何しろ硬貨の見分けも分からない以上8エリオンという相場などサッパリ分からなかったが、何せ自分の主は硬貨を造れるのだ。手持ちがある分には構わない。
「えぇ、ならこれでお願いします」
と言ってサンは適当に覗いた財布の中から20と書かれる銀貨を取り出す。男は実に嬉しそうな笑顔を浮かべると10と書かれたやや小さい銀貨を返してくる。
どうやら釣銭の計算が出来ないと思われているらしい。多少ぼったくられるのは想定の内でも詐欺にまで取られては流石に主に申し訳が無い。
無言のまま手を差し出し続けると男は何事も無かったかのように何も書かれていない銅貨を二枚続けて渡してくる。
それからどこかへ向けて声をかけると、一人の少年が寄ってくる。
途端にサンは不愉快になった。
何故なら、寄ってきた少年の首に神の象徴たる天秤の飾りがかけられていたからだ。サンと同じくらいの年の少年は頭一つ分背が高く、にこやかにサンを見下ろしてくる。それがなんだか余計に苛立たしかった。
「初めまして。俺はシックって言います。よろしく」
「……えぇ、初めまして。よろしくお願いします」
とはいえ、また案内の出来る人間を探すのも面倒なサンは妥協する。敬虔な類の人間との付き合いは慣れているせいもあった。
「さっそく案内する。あ、俺ファーテルの言葉は得意じゃないで、変だったらごめんなさい」
「いいえ、後から学んだ言葉にしてはとても奇麗だと思います。ではまず、服を買いたいのですけど」
「服。分かった。女性の服で、いいかです?」
「えぇ」
やや片言が混じるがシックの言葉は十分に聞き取りやすかった。サンも異国の言葉を学んだことのある身として、尊敬に値する練習を積んだのだろうと感じる。恐らく敬虔らしい少年に対し、それはそれとして評価を上げていた。
「お客さん、たくさん払わされたよ。8エリオンなんて……高くても4エリオンってところです」
「それは構いませんよ。私の主はお金に苦労していないですから」
「そうですか。やっぱり、どこ見てもすごいお使いさんですよね」
「使用人、ですか?えぇ、とてもす(・)ご(・)い(・)方ですよ」
「そう、使用人。やっぱりファーテルの貴族様かです?」
「いいえ?もう少し遠いところですよ」
「ふぅん。エルメアには観光とかかな。ご主人さまは、女性か、ですか?」
「……えぇ、女性の方です」
「だったらおススメのお店もあるよ。良ければ後で案内します。あ、ここ一番近い服の店です」
サンは目の前の建物を見上げつつドアを開けて中に入る。中はいきなり花の香りで満たされていて、ファーテルでは見たこともないほど多様な服たちが並んでいた。
「お客さん、どういうのが良いって言わなかったから、とりあえず色々あるお店だよ」
「ありがとう、気が利く人なのですね……」
サンは若干雑にシックに返事しつつ、目当て――下着を探す。半分成り行きとは言え主になった相手に対し、やや無理を言うようにしたのはどうしても下着だけは変えたかったからだったりした。
しかしお目当ては見つからない。店員らしき人物に聞くと、店の奥へ案内される。
奥まった場所にあるそこは戸棚ばかりで、下着類は目につかないように売っているらしい。
身振り手振りで見るからに無駄に高価なものを薦めてくる店員をかわしつつ、色気のないものを十分な数揃える。外から見えないよう袋に入れられたそれらを持って店の入り口の方まで戻る。
シックはどことなく『ここから動きません』といった雰囲気を感じさせつつ待っていた。
「シック、値段を聞いてもらえますか」
「分かった。待っててください」
シックと店員がわずかなやりとりをした後、シックが困り顔をしながらサンに言うには、23ヘイズと67エリオン、らしい。
シックの値段からして相当に高そうに聞こえるがサンは構わない。財布を取り出してシックに適当に取り出した硬貨をぽんぽんと渡していく。
「ごめんなさい、硬貨の種類がよく分からないの。……これ、かな?」
と、一番大きいらしい金貨を一枚取り出すとシックと店員が固まる。間違えたらしいのでしまいつつ今度は二番目に大きい金貨をシックに見せてみる。
「え! ええと! うん、それでいいよ!」
明らかにぎこちなくなった動きで渡された硬貨から何枚か選んで店員に渡すシック。店員はそれを受け取ると、見事な笑顔で再びサンに品を見せようとしてくる。しかし容赦無くサンは店の外に出ると、シックも後についてくる。
「お客さん、すごい……」
「ありがとうございます。……次は適当に食品を買いたいのですけど」
「食品……分かった。あと、これ、返すます」
シックは不要だったらしい硬貨をサンに差し出してくる。サンはそれを受け取り財布に仕舞うと、適当な銅貨を一枚シックに渡す。
「どうぞ、チップに差し上げます」
「あ、ええと、ありがとう。ございます……」
二人はシックの案内で歩き出すが、シックはやけに大切そうにもらった銅貨を見つめている。その様子が気になり、サンは話しかけてみる。
「いや、実は俺、初めて自分でお金もらいました。なにか、感動してます……」
「初めて?あの人のところで働いているのではないのですか?」
シックが説明するには、シックはエルメアの生まれではないらしい。自分でもどこで生まれたか分からないらしいが、両親とともに旅をしていて、エルメアで初めて別行動をしているのだそうだ。
「ずっと両親の手伝いをしながら勉強をしていて、初めて働いたんです」
「そう、ご両親はいまどちらに?」
「今はエルメアの……ええと、り(・)よ(・)う(・)じ(・)か(・)ん(・)にいるよ。エルメアにいる間だけ、別行動」
「領事館ですか? シックは偉いんですね……」
「俺は偉くないよ? 流浪の人間だもの」
「ええと、その偉いではなく……」
二人は会話しながら市場へたどり着く。
市場は意外か当然か、ファーテルのものと同じような雰囲気に包まれている。いくつもならんだ屋台では肉や野菜が様々に並べられ、それぞれに商売を広げている。中には雑貨などを扱う店や観光客狙いらしき店もあり、実ににぎやかな市場だ。
サンは適当に大きな袋を買うと、時々見たことのないものや美しい土産ものに動きを止めながら食品を買っていく。
「いっぱい買いますね。やっぱり、料理も出来るですか?」
「えぇ、簡単なものでしたら……。シックは食事をどうしているのですか?」
「俺は宿か、適当にその辺で何か買う。料理は、あまり出来ないです」
「そうですか……。覚えておくと、便利ですよ」
「そうですね。そのうち、習ってみようかな」
数日ぶんになる食品を買いそろえる頃には、太陽も傾き始めていた。サンは早めに帰った方が良いだろうと、シックにそう伝える。
「そう、ですか……。帰り道、分かりますか?」
「最初の広場まではお願いします。そのあとは大丈夫ですから」
「分かった。じゃなくて、分かりました。こっちですよ」
広場まで戻る道も二人はほどほどに会話を弾ませた。出会い頭の不愉快さはほとんど消えており、サンは“敬虔”なことは別にしても、シックのことはそれなりに好意的に評価をするようになっていた。
やがて広場までつくと、シックは名残惜しそうに言う。
「あの、まだ案内は出来ますけど……、本当に、良いんですか?」
「えぇ、あまり主様を待たせてはいけないですから」
「そっか……」
「それでは、今日はありがとうございました。おかげで助かりました」
「えぇ、はい……」
サンはそのまま別れようとするが、シックにお客さん、と呼び止められる。
「あの……名前、聞いてもいいですか」
「構いませんよ。――サン、といいます」
「サン……。良い、名前ですね。ほんとうに」
まだほんの半日も経っていないが、自分の名前を初めて他人に名乗ったサンはなんだか嬉しくなる。これが今の自分の名前だと、証明しているような気がしたからだ。
「サン、ええと。……また、会えますか? 俺、しばらくはあの通訳のところにいます」
「ええ、きっとまた来ると思います」
シックは俄かに嬉しそうな顔をする。
「よかった!待ってます。サン。また会える日を、主にお祈りしてるます」
と、それなりに良かったサンの機嫌が急降下した。同時にシックへの好悪も急降下する。
「えぇ、そうですね」
「え、サン……?」
「では」
露骨に不機嫌さを見せてしまった自分の不甲斐なさへの苛立ちも込めつつ、シックに背を向けて歩き去る。
背後からシックの声は、聞こえないままだった。