59 自信
レストランから宿への帰り道、二人は歩いて戻ることにした。
本当は馬車を頼んでも良かったのだが、やや飲み過ぎたサンが気分を悪くするかもしれないというシックの気遣いであり、酔い覚ましも兼ねての事である。
並んで歩く二人の距離は今までに無く近かったが、その肩が触れあうような事は無い。
初めはサンを支えて歩こうかと思ったシックだったが、本人が遠慮したことと、存外しっかりした足取りで歩けるらしいことからそうなった。
近いけれど、決して触れ合わない距離。そんな距離感を保ったまま、二人は静かに歩いた。
「……ごめんなさい、シック。酔いって、こんな感じなんですね……。」
「気分は悪くない?途中で休み休み行こう。」
「えぇ、大丈夫です、ありがとうございます。……なんだか暑いし、動悸がします……。」
「酔うとそうなるね。水、いる?」
サンは無言のまま首を振って断る。シックは肩をすくめて返事の代わりとする。
静かな時間だった。夜のラツアの都はほどほどに賑やかだったが、今はその喧噪もどこか遠かった。
サンは酔ってもそこまで調子が変わらないタイプのようで、その頭は割合に冷静なままだった。
その頭で考えることは、今後のこと。“神託者”を追う旅は終わった。恐らく、ルートからして間違えていた以上、最短のルートを取ったサンよりも先にラツアへ着いていることはまず無い。
であれば、今はラツアへ向かう旅路のどこか。だが、このままラツアで待ち伏せというのも都合が良くない。というのも、サンは“神託者”の顔も背格好も知らない。いくら先を読んで待ち伏せをしたとして、何の手掛かりも無しにどうして見つけられようか。
一度、贄の王と相談する必要がある。
それがサンの結論であった。出来るなら、そこでわざわざシックと共に行かせた理由も聞きたいところだが――。
「ねぇ、サン。サンはこれから、どうするの?」
シックからかけられた声に反応が少し遅れる。というのも、サンこそがこれからどうするべきか分かっていないからだ。
「ごめんなさい、考え事を……。
私は、そうですね。取り敢えず、主様の用事を済ませます。明日、一日あれば終わるかなと見ていますがまだ分かりません。」
「そう。……その後は?」
「その後は……。まだ、決めかねています。その、話せないこともありますし……。」
「あぁ、そうだね。ごめん……。」
「いいえ、私の方こそごめんなさい……。私、シックに隠し事ばかりしています。」
「それは俺の方も同じさ。……俺の隠し事、全部聞いたらきっとサンは飛び上がって驚くよ。それこそ、あの灯台より高くね。」
「ふふ。それは大変です。それで落ちてきたら、きっとまたシックが受け止めてくれるのでしょう?あの、狼の魔物の村から逃げた時みたいに。」
「そんなこともあったね……。なんだか、随分前のことみたいだ。」
「まだ、一月も経っていないんですね……。二度とごめんですけれど。」
「それは間違い無い。サンがいなければ命は無かったね。」
「シックこそ、居てくれて助かりました。シックがあんなに強いなんて、驚いたんですよ。」
「俺なんてまだまだだよ。サンこそ、魔法に剣に……。すごいよ、本当に。」
「私は、必要だっただけです……。」
「俺だってそうさ。必要だっただけ。人を殺す技術なんて、疎ましく思ったこともあったけどね。」
「シックは優しいですからね……。」
「……優しくなんか、無いよ。俺は、決して……。」
シックの吐いたその言葉には、なにがしかの苦悩が色濃く表れていた。サンにはそれが何となく気がかりで、問うてみる。
「……どういう意味、なのですか?」
シックは迷っていた。それを口にするかどうか、決めかねているみたいだった。だからサンはもう一度問うてみる。
「シックは、何を悩んでいるのですか?」
その言葉が背を押したのか、シックは迷いながらも、血を吐くように言葉を吐いた。
「俺は……、俺は、怖いんだ。怖いだけなんだ。今まで、そうと教えられてきたことから外れるのが恐ろしいだけなんだ。優しいからそうするんじゃない。ただ、神様の教えに背くのが怖いんだ。」
「教えに、背く?」
「うん。……”汝、全てのすれ違う人を隣人とし、愛しなさい。その身を分け、その血を与え、苦しめるものを救いなさい“。そういう、教えだよ。」
「……。
では、シックがこれまで助けてきた人たちは……。私だってそう。みんな、助けたくて助けた訳では無いのですか?本当は、見捨てたかった?」
「そんなはずは。」
「私が死んだら、シックはどう思うのですか?」
「そんなの……。辛いに決まってる。苦しいし、悲しいよ。」
「ほら。
……シックの行動の理由がどうであれ、最後にその行動を選択したのは神でも教えでもありません、あなたなんですよ。神にも教えにも、私の命を救えなかった。救ってくれたのは、あなたです。シック。」
「それは……。」
「あなたのその苦悩だって、きっとあなたが優しいから。私には分かりますよ。
……あなたは、ただ教えのままに従っているんじゃなくて、自分の心で決めてきたんです。だから、ありがとうございます。シック。私を、何度も助けてくれて。」
「……そんなの、お互い様だ。サンだって……。」
サンはシックの手を取って、両の手で優しく握る。大きくて、たこだらけの硬い手だった。
「聞いて。……私は、こう信じることにします。もし、私の命が危険にある時、シックは必ず助けてくれる。例え私の為に教えに背くとしても、必ず。
――シックは、神の教えなんかの為じゃなくて、自分自身の魂のためにこそ戦う人。私は、そう信じます。だからシックも、一緒に信じて下さい。あなたは決して、己の魂を裏切らないって。」
「……信じる……?」
「そうです。きっと私よりもシックの方が得意でしょう?疑うんじゃなくて、信じるんです。自分自身を。」
シックはサンの目を見つめたまま、暫し沈黙する。サンもシックの目をまっすぐに見つめていた。だから、シックの目に力が戻っていくのが見て分かる。
「サンは、強いね……。」
「強くなんてありませんよ。私、本当はとても弱いんです。とても、一人じゃ生きていけないくらいに。誰かが居てくれなければ、絶対に立っていられない人間です。」
「……なら、サンの傍には誰かが居てくれている?」
「えぇ。主様と、もちろんシックも。誰かが私を信じてくれるから、私も自分を信じられる。私が強いというのなら、それはシックのおかげでもあるんですよ。」
「……信じる……。そっか。
――そうかもしれないね……。」
「信じられそうですか?自分自身を。」
シックは今度こそはっきりと力を取り戻した瞳で、確かに笑う。
「分からない。でも、やってみるよ。」
「えぇ。それなら、きっともう大丈夫。
――だって、シックは強い人ですから。」
「……ありがとう。ありがとう、サン。」
「どういたしまして。さぁ、行きましょう。遅くなってしまいますよ。」
サンはシックの手を放しながらくるりと振り返ると、宿の方に向かって歩き出す。
「――。」
その背中に向けて、シックは一言だけ呟いた。
それから、サンを追って歩き出した。




