56 道外れ
サンとシックはそのままポラリスを駆けさせ、遠く町が見えなくなるまで逃げる。街道から遠く離れた適当な斜面の上でやっと休憩を取る。
ポラリスから降りた二人は斜面に腰を下ろすと、そのまま後ろ向きに倒れる。
「はぁーーっ……。何とか、なったかな……。」
「えぇ……。ただ、いつでも出られるようにはしておきましょう。追手が来ないとも限りませんから。」
「それはもちろん。ただ、今は、きゅうけい……。」
サンも疲れていたが、ひたすら馬を駆けさせ続けたシックはそれ以上に疲れただろう。サンはコップに水を注いで渡し、シックを労う。
「お疲れ様です。シック。……怪我はありませんか?」
シックは渡された水を転がったまま浴びるように飲み干すと、一つ伸びをする。
「うん。大丈夫……。かすり傷ひとつ無いよ。幸運に感謝、だ。」
隣からシックの全身を眺めまわし、怪我も血の跡も見当たらないことを確認して、サンもようやく安心する。
「それはそれで不思議ですが、無事なら何よりです。」
「うん。……ところで、驚いたよ。サンの方こそ無事?」
どうも、静かに壁を破る計画と違って、盛大に目立ちながら壁を破壊したことを言っているらしい。
「えぇ。運悪く兵士に見つかってしまって……。時間をかけていられなくなったのです。私は何ともありませんよ。」
「そっか……。なら良かった。終わり良ければ総て良し、だね。」
「本当に。お互い無事で本当に良かった……。心配で息が出来なくなるかと思いましたよ。」
「ははっ……。俺も無事なサンを見て安心したんだよ。」
「私は神には感謝しませんが、幸運には感謝します。今回ばかりは、本当に……良かった。」
「大丈夫、サンの分も俺が神様に感謝申し上げるよ。……いや、冗談だって。嘘、嘘。」
「もう……。シック一人の分でお願いします。」
緊張の解けた反動かふざけつつ、身体を休める二人。陽光に薄らぎ始めた無数の星々を散りばめた星空をともに眺める。
「本当に、なんだかこんなことばかりですね。狼みたいな魔物の村から逃げたのもついこの間で、死なせてしまった兵士から逃げたのもほんの少し前のことですよ。」
「全く、何だかなぁ……。たった一月の旅でどうしてこんな忙しいのやら。サン、実は何か悪魔に好かれていたりしないだろうね?」
「シックこそ。私の人生は平穏で何事も――。」
そこで、サンの脳裏に浮かぶのはリーフェンの瓦礫、神官騎士団団長ブルートゥの剣。あげくに、エルザの死と自分に向けた銃口。
「――いえ。もしかすると、本当に私かも……。」
「い、いや。冗談だよ……。」
「だって……。考えてみると、結構色々な不幸に遭遇している気がします。この旅の前にもちょっと危ない場面がいくつか……。」
「え、えぇ……。もうちょっと安全な人生を過ごそうよ……。」
「私としては平穏を望むばかりなのですが……。不幸の方が私から離れてくれないと言うか……。」
「……まぁ、でもほら。結果こうして無事なわけだし。それはむしろ幸運なんじゃないかな?」
実は無事でないどころか普通なら3度は死んでいるのだが、言えるわけも無いので黙って首肯する。
それから、幾ばくかの間沈黙が降りる。聞こえてくるのは、虫が鳴く音くらいの静かな朝焼け前だった。
シックは勢いづけて立ち上がると、サンに手を差し伸べて助け起こす。
「そろそろ行こう。出来るだけ距離は稼いでおきたいしね。」
「分かりました。……また、朝焼けですね。最近とみに朝焼けを見ている気がします。」
「確かに。でも奇麗だよ。」
「そうですね……。移り変わる空の模様は、嫌いではありません。」
「夕焼けも奇麗だよね。……さて、しばらく街道には戻れないかな。」
サンは荷物から地図を取り出して広げる。逃げ走った距離からおおよその位置を掴み、これからの道筋を選ぶ。
「当然街道には戻れませんから、道の無い場所を行くことになりますね。今は街道から大きく西に外れたところですから……。このまま街道の外を沿うように南へ行けばいいかと思います。」
「分かった。それで行こうか。……足元が不安定だし、ポラリスに乗せてもらおうか。」
「はい。ゆっくりなら大丈夫でしょう。」
シックを前にサンを後ろにポラリスの背に乗る。せめて負担を減らそうと荷物はサンが”動作“の魔法で浮かべる。シックが手綱を握り、ポラリスを歩かせる。
そのまま、ポラリスに揺られること数時間。太陽も高くなり気温も上がってくると、お互いくっつくように馬に揺られているのも辛くなり始めた。そこで、交代でポラリスに乗ることにして、シックだけが降りて歩く。こういう時レディーファーストというのは有難いな、とサンは思う。勿論それに甘えてばかりも居られないので、次に休憩をするタイミングでシックと変わろうとも考えていた。
「しかし、どうしてあの町は襲われたのでしょうね……?前線からは大分離れていたと思うのですが。」
「何だろうね……。ぐるりと回りこんで来たんだろうけど、何か狙いでもあったのかな。」
「狙い……、狙い。――うぅん。全然分かりません。」
「俺も軍隊なんて縁遠いからなぁ。兵法書とか今度読んでみようかな。」
「兵法書なんて普通の人が読んで意味があるのでしょうか?興味は無いでも無いですが。」
「この先軍隊と関わる事なんてあるとは思えないけど、知らないよりは知っていた方が良いかもと思ってね。知って初めて無意味とも言える訳だし?」
「確かに、それはそうですね。私も読んでみましょうか……。」
「次の大きな町はラツアまで無いね。ラツアに着いたら本屋さんを探してみようか……と。そっか、そこでお別れになるのか……。」
「……そう、ですね……。」
実際のところ、ラツアに着いて以降のサンの予定は皆無と言って良かった。城に戻るも良し、しばらく留まるも良し。サンの目的は神託者を探す事。ラツアに着いたら、今後について贄の王ともまた相談しなくてはならないだろう。それを考えれば、こうして呑気に旅をしているのも無意味な気がするのだが、それを命じた贄の王の意図はまるで読めなかった。
今後の予定が読めないだけに明確な返答が出来ず、結果微妙に濁したような答えになる。
「まぁ、まだどうなるか分かりません。それより、シックはラツアに着いたらどうするのですか?」
「俺?俺は、その後もずっと旅を続けるよ。とりあえずはアッサラの方に行こうかな。」
「アッサラ……。何だか本当に遠くまで来てしまいましたね。アッサラなんて、遠く異教の地としか知りません。」
「異教だけど、奉じる神は同じなんだよ?教えが少し向こうの方が過激だね。後は、民族の文化の差、かな?」
「そうなのですか。全く何もかもが違う遠い地という印象でした。古い神のような……、全く別の神でも崇めているのかと。」
「ガリアの神々みたいな?面白い考え方だよね。5大属性と主たる神。それから、眷属の神々。世の物理的な理に神を見出したんだろうね、昔の人は。」
「ガリアの神々もあまり詳しくはありませんが、面白い考え方と言うのは同意します。魔法は神の意向の体現、でしたか。」
「神の意に反する魔法は存在しない、だっけか。戦争とか、どう考えていたんだろうね。魔法のぶつかり合いも多くあったはずだけど。」
「さて……。どうなんでしょう。強い方が正義、なんて……、何とも”宗教的“ではありませんか。」
「また、サンは……。悪いのは宗教を悪用する人間だよ。神様にも、その教えにも、悪いものは何も無いさ。」
「とはいえ、神の名の下に多くの血が流れてきたのもまた事実ですし……。」
「まぁ、それは否定できないけど。そんな人の行いも、全て神は見ておられる、だよ。」
「見ているなら何とかして欲しいものです。……ラツアに着いたら、すぐにお別れですか?」
「それは人間の怠惰さだよ。……うーん。ちょっとくらいなら大丈夫だよ。別に一日を急ぐような旅では無いし。」
「私は……何にしても着いてから、でしょうか。まだどうなるか、不透明ですね。」
「そっか……。まぁ、別れたとしてもいつかまた会えるさ。俺もいつかはエルメアやファーテルの方に戻るつもりだし。」
そこでサンは疑問に思う。そもそも、シックの旅の目的は何なのだろうか。あるいは、神託者を探す協力は取り付けられないだろうか。
「そもそも、シックの旅の目的は何なのですか?」
「旅の目的、か。……悪いけど、それは内緒、かな。」
「内緒、ですか。」
「うん、内緒。ごめんね。」
「いいえ、構いませんよ。私とて、明かしてはいませんから。」
「じゃあ、お互い様ってことで許して欲しいな。……色々あったけど。ここまで楽しい旅だったよ。あと半分くらいもよろしく。」
「えぇ、こちらこそ。……ここまでのような難事はもう勘弁して欲しいところですけどね。」
「全く同感。平穏無事な旅がしたいね。」
そう言って、シックは剣を引き抜くと天に向け、日光に反射させて弄ぶ。
「もうこいつに頼りたくは無いなぁ。いつか子供が出来て譲るまで、壁の飾りにでもなってほしいところだね。」
「ふぅん。それはシックの愛剣といったところなのですか?」
「そんなところだね。別に特別な品じゃないけど、父から貰った剣なんだ。大事に手入れして、子供が出来たら譲るのが夢さ。」
「剣なら私も自慢の品ですよ。主様に頂いた特別な物です。」
「サンの剣、真っ黒な剣なんて珍しいよね。いかにも特別、って感じがするよ。」
実際通常の技法では作れない“特別”な剣である。サンもシックの真似をして剣を引き抜き、日光に反射させてみる。
黒く優美な剣はサンに合わせて細身の刀身である。実によく切れそうな見た目で、実際異常なほど良く切れるので頼りにさせてもらっている。柄から切っ先まで黒いそれは光を浴びてぎらりと鋭い反射を返す。刃の根元に輝く赤の宝石には”闇“の魔法”治癒“が刻まれており、いわば剣の核だ。
「……奇麗な剣だ。サンが持つと良く似合うね。」
「ありがとうございます。……実際、私の為に誂えて下さったのです。」
「それは凄い。わざわざ専用の剣をくれるなんて、サンはご主人様に大切にされてるんだね。」
「そうですね……。少し、過保護なくらいかもしれません。」
「そうなんだ。でも、良い事だね。」
「えぇ。私には勿体ない主様です。いつも感謝しきりです。」
サンは剣を仕舞う。鞘の方も黒基調の特製である。
剣と言えば、自然サンが思いおこすのは“神託の剣”だ。昔は奇麗だったろう古ぼけた剣は、一体今どこにあるのやら知れない。
「そういえば……。シックは“神託の剣”という物を知っていますか?」




