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贄の王座と侍るもの  作者: 伊空 路地
第二章 敵の名は宿命
54/292

54 潜伏


 ――長い。


 サンとシックは音を立てないように息を潜めて寝室に閉じこもっていた。廊下や階段の窓から姿を見られるかも、と恐れて部屋を出ることもままならないばかりか、寝室の中でさえ気を緩める訳にはいかない。どうしても気疲れしてしまうのだった。


 嫌味のようにゆっくりとした時計の針を睨みつつ、サンは脱出の手段を考える。二人が潜伏している建物は町の外壁のすぐ傍で、三階建てだ。夜を待ち、階下へ降りてから――、どう脱出するか。町の出入り門は全て封鎖されているだろう。力ずくの突破は無理だ。かといって、外壁はそれなりに高く、厚い。乗り越えることは出来たとしても、二人にはポラリスがいる。ポラリスを置いていくことも考えたが、この先何が起こるか分からない旅路、馬を捨て去るのはリスクが高いように思えた。それに、死地を共に脱した相棒でもある。簡単に手放すのは気が引けた。


 もちろんサンには脱出など問題にならない力がある。すなわち、権能による転移だ。外壁を飛び越えるだけの短距離でも、それこそ地図から緯度経度を読み解いてラツアに直接行くことさえ出来る。


 しかし、それはつまりシックの前で人ならざる力を行使するという意味だ。シックは魔法使いでは無いし魔道の見識も深いとは言い難かったが、それでも魔法によらない力であることくらいは分かるだろう。転移など、おとぎ話の力である。


 最終手段として躊躇うつもりは無いが、不必要なリスクは冒せない。シックを信用しない訳ではないが、それとこれとは話が別なのだ。


 本来町を外敵から守る壁であったはずの外壁は今や町の中から誰も逃がすまいとする檻と化していた。サンとシックは、何とかしてこの檻から脱出しなければならない。そのために仕える手段は、何であろうか。


 サンたちが持つ手札は多くない。サンの魔法。シックの戦闘力。ポラリスという足。最終手段としての、転移。それらをどう使えば、この檻から脱出出来るだろうか。


 大前提として、軍隊と正面切っての戦闘は自殺行為である。サンもシックも人としてはそれなりに強い方だが、所詮個人である。兵士という個人には勝てても、軍隊という群れには勝ち目が無いのだ。つまり、戦闘になったり見つかって応援を呼ばれたり、というのは詰みに近い。逆に言えば、誰にも見つからず、見つかっても騒ぎを大きくせず、それでいてあの外壁を越えなければならない。


 サンの魔法を使えば外壁を破ること自体は難しくない。きちんと長い詠唱を唱えればあの程度の外壁を破壊することは大して難しくない。だが、それは当然目立つ。外壁を破壊するほどの魔法行使はその音からしても見た目らしても目立ってしまう。


 目立たないように少しずつ”土“の魔法で切り崩す、という事も考えたがそれにはかなりの時間がかかる。その間一切見つからないというのは難しいだろう。


 では穴でも掘ろうか、と言うとこれも大して変わらない。目立たせないためには時間がかかるし、何よりポラリスの馬の巨体を通すのは相当な大穴が必要だ。これも現実的では無い。


 すると、そろそろサンには取れる手段が無くなってきてしまう。どうしたものか、とシックの方に目を向ける。


 シックは壁に寄せた椅子に、腰から外した剣を抱きかかえるような恰好で座っていた。剣の柄を指でとんとんと叩くのは無意識だろうか。――そのとんとんという音が、何故かサンを無性に苛立たせる。


 自分でも脈絡が無いし子供じみた癇癪だと思うので我慢しているのだが、緊張する意識を逆なでするようなその音がどうしても苛立つのだ。


 とん、とん、とん。


 シックの指がたてるほんの僅かなその音に、時計の針が動く音。


 ちっ、ちっ、ちっ――。


 とん、とん、とん――。


 ちっ、ちっ、ちっ――。


 とん、とん、とん――。


 「……その、シック。本当に申し訳ないのですが、その、剣を指で叩くのをやめてもらえませんか。何故か、どうしても気になってしまって。」


とうとう堪えきれず、サンは最大限苛立ちを隠してシックにそう言う。ただ、どうしても言葉尻に棘が付くのを隠せない。


「……あぁ。ごめん。無意識で……。」

「いえ、いいのです……。ごめんなさい。」

「うん、俺こそ、無神経だった……。」


沈黙。それは、何とも気まずい空気だった。


 ちっ、ちっ、ちっ――。


 時計の針の音だけが、二人を嘲笑っているような気がした。




 気まずい沈黙と気を緩められない緊張が続き、はっきりと精神の疲労を自覚する頃、その音が聞こえた。


 ばぁん……!ばぁん……!


 はっとして、サンとシックは顔を上げて目を見合う。どこからか聞こえてきたその音は反響して距離が分かりづらいが、確かに銃声だった。二発続けての音のあとは何も聞こえてこず、また耳の痛くなるような沈黙だけが辺りを包む。


 ちっ、ちっ、ちっ――。


 「……銃声、でしたね。」

「……ん。どこからかは、分からなかったけど……。近くないといい。」

「そう、ですね……。」


短い会話だけが交わされて、また静かになる。


 ちっ、ちっ、ちっ――。


酷くうるさい時計の針。サンには、互いの吐息すらはっきりと聞こえてくるような気がした。


 ばぁん……!


 また、銃声。今度は、明らかに先ほどよりも近かった。それに、かすかに混じって聞こえてくるのは人の走る足音だ。


サンは静けさを保ったまま窓際まで行くと、姿を晒さないよう気をつけながら外の通りを見下ろす。そちらの方から聞こえてきた気がしたからだ。


 通りを見下ろすサンの目に移りこんできたのは、必死の形相で走る女の姿だった。そのすぐ背後から、二人組の男の兵士。サンは、思わず息を呑む。


 サンの雰囲気に気づいたシックも窓脇まで寄ってきて、同じ光景を目にする。シックもまた、目を見開いて息を呑む。


 女はまだ若く、サンよりも少し年上くらいだろうか。髪を振り乱し、必死で走る。それを追うのは紫の軍服に身を包み、ライフルを手にする男が二人。その顔には余裕が見て取れ、女が追いつかれるのは時間の問題だった。


 男の一人が立ち止まってライフルを構えて、撃つ。


 ばぁん!


 それは、走る女のどこかに命中したらしい。女はもんどりうって転げてしまう。急所ではなかったらしくすぐに立ち上がろうとするが、その間に追いついた男の手にその足を掴まれ、再び地面に引きずり倒されてしまう。


 二人の眼下で、必死に抗おうと暴れる女が、脚を掴まれて引きずられていって、やがて見えなくなった。最後に見えた男二人の下衆な笑みが目に焼き付いて離れない。


 がた、と音がした方を見ればシックが思わずと言った様子で立ち上がったところ。その両拳は強く握りしめられており、その目は酷く険しい。


「――シック。……ダメ、です。」

「……でも……!」

「分かっているはずです。シック。私たちではあの女の人を助けられません。」

「……っ。」

「あの男二人を殺すのは訳無くとも、その後どうします。……絶対に仲間が探しに来ます。私たちまで、見つかってしまう。」

「夜まで……隠れていられるかもしれない。」

「ダメかもしれません。それに、居たのはあの二人だけでは無いかも。既にもっと大勢の仲間と合流していて、逃げ場なんて無いかもしれません。」

「……。」

「ね。シック……。堪えて。私たちまで……殺されてしまいます。」

「……うん。分かってる……。分かってるんだ……。」




 シックだって分かっているのだ。あの女の人を助けに行けば、自分たちまで危険に会う。そして、恐らくは無事ではいられまい。そうなった時、隣の美しい少女がどんな目に合わされるか、想像することなどシックには難しくなかった。


 ならば自分一人で助けにいくのか。それもまた、あまりに無責任だ。そうしたとして、サンはどうなるのか。この窮地から一人無事に逃げ出せよと放り出していくことなど、シックに出来るはずが無かった。


 つまり、どうにもならないのだ。




 サンは考える。あの女の人はもう殺されてしまっただろうか、と。あるいは、生きたまま奴隷として売り飛ばされてしまうのかもしれない。分かるのは、もう幸せな人生からは遠く離れた場所に行ってしまっている事だけ。――知らず握りしめられていた自分の手をそっと解く。サンだって、好きで見捨てる訳では無かった。


 横のシックは服の下から天秤の首飾りを取り出すと、悲痛な表情で祈りを捧げている。小さな小さな声で呟くのが何かは分からなかったが、恐らく祈りの文句か何かだろう。筋金入りの神嫌いたるサンとしても今くらいは目くじらを立てるつもりは無かった。何かに縋れるなら、きっと何よりだろうから。




 ちっ、ちっ、ちっ――。


 ちっ、ちっ、ちっ――。


沈黙の中、時を刻む音だけが響いていた。サンは窓枠から離れると、ベッドの上に身を投げ出す。やり場のない感情を、必死に堪えながら。





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