50 事故
兵士の口が大きく開いて、何事か叫ぼうとしながらライフルを発砲しようと指に力を込めた瞬間。稲光のごとき素早さでシックが動く。
瞬くまに兵士までの間合いを詰めると、抜剣しながら兵士のライフルを打ち払う。ライフルはかちあげられ、発せられた銃弾が天へ放たれる。……銃声とともに。
その時、サンが“風”の魔法をまさに放とうとしていたこと。狙いをつぶす為に顔を狙っていたこと。サンの右手がポラリスの手綱を掴んでいたこと。そして、ポラリスが銃声に慣れていなかったこと。全てが噛み合ってしまったゆえの事故だったと言えるだろう。
サンが兵士の顔を狙って魔法を放とうとした瞬間と、銃声に驚いたポラリスが前足を振り上げながら暴れた瞬間は同時だった。
ポラリスに引っ張られたサンの狙いがずれ、放たれた魔法は兵士の乗る軍馬の首を下から打ち上げる。軍馬は衝撃に暴れ、兵士は地面に振り落とされてしまう。――頭から。
どさ!という重い物が落ちる音の中に、サンの耳はごきっというくぐもった音を捕らえた。それは当然、落馬した兵士の首が折れる音だ。
「ぁ……。」
「しまった……!」
シックが奇妙な姿勢で動かなくなった兵士に駆け寄り、やがて首を振る。
「ご、ごめんなさい、シック。私はそういうつもりでは……。」
「分かってる。今のは、事故だ……。」
シックは兵士の服から何かメダルのようなものを取り出す。
「さっき鳴っていたのは、これかな……?」
「私が魔法を準備しようと魔力を集めた瞬間のことでした。まさか、反応する道具なんて……。」
「不幸が重なった……。脚が鐙に引っかかったんだ……。それで頭から。」
「……まずい、ですね。シック……。」
「この男は見回りか、斥候か。帰らないとなれば捜索が来る。事故だって言い訳しても意味があるとは思えない……。」
「しかも発砲してしまっています。もし音を聞いているものがいれば、時間はありませんね。」
「急ごう。この人は、このまま……?」
「私が魔法で土に隠すことは出来ますが、掘り返した跡が残ります。どうしますか。」
「……埋めさせてもらおう。申し訳ないけど……、少しでも時間は欲しい。サン、お願いできる?」
サンが頷いて、“土”の魔法を用いて男の遺体を地中に埋める。だが離れて見ても掘り返した跡は明らかで、怪しまれることは間違いない。
シックは埋められた男に向かって膝をつき、手を組んで祈りの文句を唱える。
「『汝、大いなる御方の御許に参るなり。汝は我らが友にして、懐かしき人。その足跡だけを大地に残し、今汝は長き旅路を終え、果てなる安らぎの中に眠るなり。その眠りはいと永く、いつか来たる審判の時まで、父なる方の腕の中、ただ静かに抱かれるのみ。』」
立ち上がったシックが傍らの軍馬を思いきり走らせる。走り出した軍馬はやがて夜闇の中に消えていく。
「よし、行こう。夜だから気を付けて。」
「はい。行きましょう。」
二人は手に持ったカンテラの明かりだけを頼りに、街道を行く。流石に和やかな談笑を交わす気分では無く、辺りは自然の静けさだけがある。虫の鳴く声、風が草木を揺らす音。それから、ポラリスのやけに大きく聞こえる蹄音。
既に昼中歩いた後だけに、サンの疲労は濃い。段々と脚が重くなってくることを自覚していた。しかし、悠長に止まってはいられないのだ。もし他の見張りや斥候に見つかるとして、あの男の遺体からは少しでも離れた場所である必要がある。
それに、先を歩くシックの速度が少し速い。離れなければ、という焦りからか、普段見えるサンへの気遣いが今だけは無かった。サンも流石に事故を起こしてしまった手前、休みたいとは言うに言えない。結果、疲労の濃い体で足を引きずり、余計に疲れがたまっていくのだった。
それからしばらくサンは必死に歩いたが、ついに目に見えてシックに遅れだす。必死に歩く速度を上げようとするが、痛む足がそれを許してくれない。息も上がり、眠気もあって意識が朦朧としたか転倒してしまう。
「あっ……!」
手をつくことで顔は守ったが、立ち上がるのも苦しい。それでもよろよろと立ち上がる。
転倒した音で気づいたらしいシックが少し先から小走りで戻ってくる。
「サン!?ご、ごめん……。立てる?」
「え、えぇ……。大丈夫、です……。」
「ごめん……。焦っていたみたいだ。……ほら、ポラリスに乗ろう。俺は自分の荷物くらい持てるから。」
「ごめんなさい……。そうさせてもらいます……。」
シックがポラリスの背から自分の荷物を下ろし、代わりにサンを乗せる。
「シックも、乗っては?疲れているでしょう。」
「いや、俺はまだ大丈夫。それよりは、ポラリスも休ませてあげないといけないから。」
申し訳なさでいっぱいになりつつ、ポラリスの背で揺られるサン。不手際で事故を起こして兵士を死なせてしまい、体力不足からシックの足を引っ張ってしまう。疲労から心も多少弱っていたか、サンには珍しく弱音を吐く。
「ごめんなさい……、シック。私、足手まといに……。」
シックはサンに笑いかけて、大丈夫だと答える。
「いつも、サンには助けてもらってる。偶には頼ってくれていいんだよ。」
「でも……。」
「大丈夫。このくらい、俺にはなんてことないよ。」
シックも焦りが薄れてきたか、それとも意識してのことか、余裕のある笑みを浮かべて見せる。
「俺も男だから、サンみたいな女の子に頼ってもらえたら嬉しいんだよ?だから、今はゆっくり休んで。」
「……ありがとう、シック。」
「どういたしまして、サン。」
それから、二人と一頭は朝まで歩いた。途中サンが眠りそうになってしまい、結局休みながら自分で歩く羽目になったり、そのために歩く速度を落としたり、ということはあったが、概ね順調に距離を稼ぐことに成功していた。
それが二人にも分かっていたのだろう。朝焼けに空が染まる頃、道を外れて休むことになった。
歩き通しだったのだから、というサンの強硬な薦めでシックが先に眠ることになる。
林外れで木に背を預けて眠るシックと、その脇で同じ木に背を預けて座り、番をするサン。サンは寝不足と疲労でぼんやりする頭で、シックを眺める。
シックは自分にいつも助けられていると言っていたが、サンには逆に思えてならない。あの狼人たちの村でも、シックに危ないところを何度も助けられたし、シックが居なければ間違いなく脱出は不可能だった。勿論、その場合は贄の王に頼って無事を得ただろうが、そういう問題では無いのだ。
そう考えれば、完全に常識外の存在である贄の王や既に人でないサンに対し、シックは普通の人間なのだから、本当に尊敬に値するとサンは思う。まだ人を捨てた自覚は薄いものの、手にしている権能は明らかに自然の理を逸脱した力だし、身に纏う装備も贄の王手製の超常技術の賜物だ。人間の少女サンがこの旅路に踏み込んだとして、最初の野盗たちに殺されて終わりだったろう。
「本当に、あなたが居てくれて助かりましたよ、シック……。」
眠るシックの顔に感謝を述べる。
そのうち、一緒になってサンも眠ってしまう。寄りかかり合って眠る二人の顔は赤子のように無垢であった。




