49 斥候
ラツアまでの道のりを半分ほど消化した頃、シックはサンに注意を促す。曰く、街道が戦争の前線の近くを通るため、臨検などに合う可能性があるとのこと。
「戦争ですか……。厄介ですね。」
「本当に……。戦争なんて、良くないよ。本当に。」
サンがシックの横顔を見れば、その顔は確かにうんざりとしていて、心から戦争を嫌がっているらしいことが見て取れる。
「シックは戦争が嫌いなのですね。」
「まぁね。あまり良い思い出も無いから。」
「そうですか……。私には、あまり馴染みがありません。」
「馴染みなんてない方が良いよ。戦争なんて、一生関わらないのが一番いい。本当だよ。」
「戦争には特に興味もありませんが……。その戦争嫌いの理由を聞いても?」
シックは口をへ(・)の字に歪める。それから語りだすところによると、元々は戦争で故郷を追われた人間なのだとか。
「俺は、まだ小さかったからよく覚えてないけどね。両親がよく話してくれたんだ。平穏な毎日だったのに……。突然、軍隊が襲ってきて、皆散り散りに逃げたんだって。後から聞いた話だと、敵国の軍隊が食料や水の確保のために襲った村の一つだったらしい。殺された人も、多くいるって……。」
「それは無残だそうですね……。伝え聞く話だけですが……。」
「うん。俺には姉がいたらしいんだ。でも、その時に死んでしまったって……。俺は顔も分からないよ。」
「それは、酷い話です。」
二人の間に沈痛な空気が漂う。シックの口ぶりから、顔も分からないその姉への確かな想いが感じられて、余計痛ましいのだった。
サンは思い出したように口を開く。
「どうして、いつも罪の無い者が苦しむのでしょうか。何も、悪い事なんてしていないのに。」
「……“神は、試練を与えたもう。”なのかな。」
「試練なんて……!死んでしまったら……。」
「違うよ、サン……。彼らにとって、死は救いなんだよ。現世を離れて神の腕に抱かれるんだ。楽園で、現世の誰よりも幸せを――。」
「そんなのは詭弁です。ただの願望じゃないですか……。」
「……そうかも、しれない。でもだから信じるんだよ。神様は試練を与えるけれど、必ずそれを乗り越えたものへの報いもくれるんだ。俺が姉を覚えていない苦難は、いつか来たるほかの幸せの代償なんだ。」
「代償って……。それは、代償にされた者には通じない理論でしょう。」
「だからこそ、死後の幸福を信じているんだ。神様は、必ず――。」
「いいえ。――神なんて、無用に人を苦しめて絶望させて、それで喜ぶ破綻者です。」
「サン!いくらなんでも、その言い方はあんまりだ。神様がくれた幸福まで否定は出来ないはずだよ。」
「その幸福を神がくれた保証なんてどこにもありませんよ。ただの偶然を、都合よく神の贈り物としているだけです。」
「そんなことは……。」
そこで、一度二人は沈黙する。サンはどうしてシックがこうも神なぞを信じるのか分からなかったし、シックの方もどうしてサンが神を毛嫌いするのか理解できなかった。ただ、シックは――。
「――そんなことは、ないよ。」
「……シック?」
「サン。神様は、本当にいるんだよ。俺は、知っている。」
「……っ。知っているとは……。」
「……この辺にしよう、サン。いつかサンが言ったよね。俺たちにこういう話題はしない方がいいみたいだって。」
「……そうですね。私は今でも、そう思います。」
ぶるる、とポラリスが首を振る。二人の言い争いを嫌がって止めるようにも見えたかもしれない。サンはそっと首を撫でてやり、大丈夫だと伝えようとする。ちょっとすれ違っただけだと。自分たちは、良い友人なのだから。きっと、これからも。
何となく黙ったまま一日歩き、夜になって休む場所を決める頃にはいつもの空気を取り戻していた。二人とも、あまり気まずさに慣れていないのかもしれない。
いつものようにサンが夕食を用意し、二人でそれを食べる。たまにシックが変わろうか、と聞くのだが、サンは食事の用意をするのが好きだった。相手がそれを食べてくれるのも、また嫌いではなかった。だからいつも断って、結局サンが用意するのだった。
「サンが居てくれると、本当に助かるよ……。俺一人では、保存食をそのまま齧ることしか出来ないから……。」
「……それで、変わろうかと聞くのだから不思議な人ですね。シックは。」
「いや、出来ない事を言い訳にやらせ続けるのも違うのかなって……。」
そんなシックを見てサンはふっと笑う。本当に根っからの善人なのだな、と。何となく羨ましさを感じながら、サンがそう言う。
「――いや、サンの方こそ筋金入りの善人だよ。俺なんかよりよっぽど。」
「とてもそうは思いませんが……。」
「善人は皆そう言うよ。だってサンは、いつだって傷つく人と一緒に傷ついている。サンには別に、関係無い人だって。」
「そんな覚えはありませんが……。」
「じゃあ、自分では気づいていないんだ。俺には分かるよ。サンは決して悪人にはなれない人だ。」
「……実は既に、悪人かもしれませんよ。」
「本物の悪人はそんなこと言わないよ。……もしサンが悪人になるとしたら、それは違う誰かのためだ。決して、自分のためじゃない。」
そこまで言われては、サンの方も何だか居心地が悪い。偽悪的なつもりは無いが、特別善人とも思わないからだ。困る人も容赦なく見捨ててきたと思うし、救える手を差し伸べなかったことも多い。少なくとも、自分ではそう思う。
「と、とにかく、私の事はもういいです。シックこそ、呆れるくらいに良い人でしょう。少ない食べ物を分けようとしたり……。」
「それはまぁ、神様の教えを守っているだけだよ。”汝、隣人を愛せよ“。凄いことじゃない。」
「それを実践できるのは、誇っていい事だと思いますよ。世の中には、口だけの者が多すぎますから。」
「そ、そうかな……。何だか、決まりが悪いというか、何というか……。」
「そ、そうでしょう。私もそうだったのです。だから、これ以上褒めあうのはやめましょう。恥ずかしくなってしまいます。」
「うん、そうしようか……。」
二人そろって照れながら、黙々と食事を口に運ぶ。何だか今日はこんな事が多いな、とサンは思う。
その時だった。サンが遠くで馬の足音を聞いたと思った瞬間、シックが顔を上げる。その顔は先ほどの緩みは無く、緊張感の漂う顔だった。
「サン。馬が駆けてくる。」
「気のせいかと思いましたが……。何者でしょう。」
「分からない。ただ、万一の場合に備えて、逃げる準備をしよう。」
「分かりました。」
二人は手早く片づけを済ませ、近づいてくる馬の足音の方へ向く。サンはポラリスの手綱を片手に、もう片手はマントの下で拳銃の位置を確かめる。
やがて二人のカンテラに照らし出されたのは、赤い軍服に身を包んだ兵士だった。
「何者だ!」
兵士は手のライフルを二人の方へ向けながら問いかけてくる。
「我々はただの旅人です。ファーテルから、ラツアを目指しています。」
「身分を証明できるものは無いのか。おい、動くな。」
「俺は何も無いな……。サンは何かある?」
「いえ、私も特に……。」
「……そうですかと信用する訳にもいかん。では、正直に答えろ。お前たちは魔法使いか。」
「……いいえ。俺たちは魔法使いではありません。」
「……ちっ。おい、後ろを向け。」
「……何故です?」
「いいから後ろを向け!二人ともだ!」
サンとシックは横目で見合う。――まずい、と。
シックは敢然と言い返す。
「いいえ。後ろを向かせて何をするつもりか分かりません。教えていただけますか。」
「……武装を確認する。ここから先は我々の要地だ。武装したものを通す訳にはいかないからな。」
「ならば、このままでもいいでしょう。自分も彼女も、武装していますよ。」
シックはそう言ってマントを開け、腰の剣を見せる。サンも同じく、剣だけを見せる。
「信用出来ん。抵抗されないためにも、後ろを向いてもらわねばな。」
「……そうですか。」
サンはマントの内で魔法を準備しようと、魔力を左手に集める。その時――。
りん!りん!とベルを鳴らすような音が響き渡る。なにがしかの警告らしいその音を聞いた兵士は目を見開いて自分の胸元を見る。どうやら、音はそのあたりから鳴っているらしかった。驚いた表情のまま顔を上げた兵士と、サンの目が合った――。




