45 脱出
二人が飛び出した窓の下は宿の入り口の裏で、ちょうど誰も居ないらしかった。
「行きましょうシック、まずは、馬が取り戻せればいいのですけど……。」
「分かった。馬屋は一体どこにあるかな……。」
「宿の横です。シックの後ろの方ですね。」
「うん。じゃあ急ごう。」
シックが振り向くのと、建物の角から一体の狼人が現れるのは同時だった。素早く剣を抜いて構えるシック。サンは右手で”土“の魔法を編みあげると、狼人の足元から土埃を吹き上げさせる。それは遠吠えを始めようとした狼人の口を覆い喉に張り付き、試みを中断させる。激しくむせる狼人の首を、駆け寄ったシックが一刀のもとに斬り落とす。
その見事な剣閃に感嘆しながら、サンはシックを追い越して建物の角に張り付き、先をのぞき込む。
宿の側面に作られた馬屋にはサンの馬が繋がれており、特に異常も見当たらない。どうやら、無事だったようだ。
さらに馬屋の向こうには狼人たちが集っているのが見える。
「シック。宿の正面側にもたくさんいます。馬は無事なので、乗って逃げましょう。」
「分かった。馬を頼むよ。近づけさせない。」
「ありがとう。気を付けて下さいね。――では、行きましょう。」
二人は角から飛び出す。その姿は当然、多くの狼人たちに見つかる。いくつもの遠吠えが上がり、狼人たちが一斉に集まってくる。
サンは素早く馬の縄を解きにかかる。寄ってきた最初の狼人が、シックに駆け寄る。
先手を取ったのはシック。小さく踏み込むと、大きく横なぎ。狼人は勢いを殺して剣閃をやり過ごす。
狼人は剣閃が過ぎ去ると、シックに向かって飛び掛かる。牽制の横なぎを軽く体に戻すシック。
飛び掛かってくる狼人とすれ違うようにその両足を斬り払うシック。空中で両足を失った狼人はバランスを崩し顔から地面に叩きつけられる。
シックはうつ伏せに倒れた狼人の首に一突き。狼人の命を絶った。
シックの一連の動きはまるで舞のように美しく、その技量が並々ならぬ領域にあることを素人にも窺わせただろう。集っていた狼人たちもシックの間合いの外で動きを止めて様子を見始める。いくつもの視線を集めて、むしろ不敵に笑みを浮かべるシック。
「近づけるものなら、来い!」
挑発に乗るように、3体の狼人がシックに向かう。3体はシックを囲むように半円を描くと、タイミングを合わせて一気に襲い掛かる。
一体目、素手のままシックに殴りかかる。二体目、木から削り出したままの棒を振りかぶる。三体目、低い姿勢でシックの足に向かって飛び掛かる。
シックは一体目の腕を斬り払いながら足を捌いて三体目の跳躍を避ける。返す刀で地面すれすれの三体目の胴を上から突きさす。さらに引き抜く勢いのまま振り上げ、二体目の棒を剣で受けて守る。
腕を払われた一体目がもう一方の腕で掴みかかろうとする。地面にうつ伏せの三体目がその姿勢のまま、もう一度足に手を伸ばす。
シックは三体目を越えるように飛び退って一手にそれらを避ける。
二体目が再び棒で殴りかかってくる。地面に着地したシックは反動ままに踏み込み、三体目を踏みつける。振り下ろされる二体目の棒を剣の腹でいなす。
一体目がシックの腹めがけて飛び掛かる。シックは半歩引きながら剣を振り上げ、一体目の後頭部めがけて振り下ろす。
全体重を乗せた剣撃が一体目の頭を斬り割る。絶命した一体目の亡骸が三体目におぶさり、その動きを封じてしまう。
二体目がさらに棒で殴りかかろうとするが、シックの方が一歩早い。
棒を振りかぶろうと上がった腕をシックの剣が切断する。宙を舞う棒と腕。
シックの連撃は止まらず、そのまま二体目の首を刎ねる。勢いままに三体目に振り下ろし、その命を絶つ。
悠々とした態度で剣を構え直し、周囲の狼人たちを睥睨するシック。その目は手の剣よりもむしろ鋭さを宿し、敵対者を震え上がらせる。実力差を見せつけられ、怯む狼人の群れに、シックは一歩踏み出す。
「シック!こっちです、乗って!」
サンの声が響く。シックは目を向けるよりも先に声の方へ駆けだす。走りながら剣を収め、サンの後ろ、馬に飛び乗る。驚いて前足を高く上げていななく馬をサンが宥めながら駆けさせる。一拍遅れて、狼人たちも走って追いかける。
命の危険を感じ取り、全力で村の中を駆け抜けていく馬とそれに乗ったサンとシック。途中、家々からは続けざまに狼人たちが飛び出しては追いすがり、遠吠えがいくつもいくつも上がる。
「何が起こってる!?昼間は皆人間だったのに!」
「分かりません!でも、明らかに普通の存在じゃない!」
馬の上、サンの腹に手を回してしがみつくシックと、必死に馬を駆るサン。逆であれば、とサンは思う。馬を駆るのがシックであれば、魔法で追い払えるのに、と。
だが馬を止めている余裕は無い。人らしい二足歩行をやめ、獣らしい四足歩行に切り替えた狼人たちは速い。あるいは、馬と同じかそれ以上に。
家の中から待ち構えていたのか、一体の狼人が窓から飛び出して襲い掛かる。シックが腕を伸ばし、狼人の腕を掴んで後ろに投げる。後続の狼人たちにぶつかり、何体かが悲鳴を上げながら転倒するが、他の仲間たちに飛び越えられてすぐに見えなくなる。
サンは片手だけ手綱から放すと、馬のすぐ後ろに“土”の壁を生み出す。数体が激しくぶつかるも、後続の仲間たちが避けてすぐに意味をなさなくなる。
「ダメだ、サン。あまり意味が無いみたいだ。」
「そのようですね……。逃げ切れるか、そうでなければ……。」
サンはちらりと右手人差し指の指輪を見る。最悪は、主に助けを乞わねばならないか――。
「サン、どこかで一回止まろう。それで、俺と交代するんだ。そうしたら、魔法に集中できる。」
「それは無理です!あの数に追いつかれては……。」
「大丈夫だよ。俺が先に降りて寄ってくるのを打ち払う。そうしたらサンも止まって、俺が馬に乗るのを援護してくれ。」
「危険です!それに、この子が止まってくれるか……。」
「少しくらいなら走るよ。大丈夫、やってみよう。」
サンは迷う。あまりに危険で、無謀だ。しかし、このままでも馬が疲れる方が早いように思う。
――あまり、迷っている暇は無いみたい。
サンは頷く。
「分かりました。前に見える柵を飛び越えます。そうしたら、やりましょう。」
「分かった。ダメだったら、見捨ててくれていいから。」
「そんな訳にはいきませんよ……。大丈夫、私にも奥の手があります。」
そして、馬に一つの大きな柵を飛び越えさせる。
「行くよ!サン!」
「武運を!シック!」
シックが飛び降りる。ごろごろと転がって勢いを殺して、剣を抜きながら立ち上がる。サンは馬を無理やりに止めさせようとする。
それを見た狼人たちは勢いままにシックへ飛び掛かっていく。それを次々に打ち払っていくシック。だが――。
狼人たちの見た目よりもずっと重い体重に走ってきた勢いが乗って、流石のシックも体が崩れていく。一体、二体、と二桁に迫る頃、ついに打ち払えきれない一体の牙がシックに傷をつける。何とか取りつかせなかったシックだが、出来た隙は大きい。それに、打ち払われた狼人たちも再びシックに飛び掛かろうと体勢を立て直し始める。次に、次にとシックの身体に傷が増える。無数の攻撃にもなお軽傷に抑え続けるのはシックの技量ゆえ。
「シック!こちらです!」
サンの張り上げた声がシックの耳に届く。その声はそれなりに遠い。馬を止めるのに苦労したようである。
ばん!と響いた銃声に狼人たちが気を取られた一瞬、シックは逃さなかった。飛び掛かっていた一体の頭を柄で殴りながら振り返り、全力で走る。だがシックは人間だ。狼人たちの方がずっと早い。爪がシックの身体にさらに傷をつける。
「シック!」
シックがバランスを崩してしまう。転倒を免れるも、その背に狼人が飛び掛かる。サンが馬の傍を離れ、シックの方へ駆けだす。走りながら両手に編み上げるのは、“土”の魔法。
「『見せよ、見せよ。地の鉄槌。我臨む、汝の敵よ、穿たれよ!“杭の逆雨”!』」
シックの周囲の大地が泡立つように跳ねて杭状に形作ると狼人たちに切っ先を向ける。それらは大地から勢いよく撃ちだされる。獣の悲鳴がいくつもあがり、串刺しになった狼人が後続の邪魔をする。シックの元まで駆け寄ったサンが、シックの背にのしかかる一体を剣で斬り払う。悲鳴を上げながらサンに狙いを変える狼人。とびかかろうと地を蹴ったその狼人を、しかしシックが掴んで止める。後ろ脚を掴まれて大地に叩きつけられた狼人の首にサンが剣を突きさす。
シックが立ち上がる。
「シック!乗って!」
「分かった!」
シックが駆けだし、サンもそれを追う。その後ろに、またも追いすがる狼人。振り返るサンと一体の目が合う。狼人が吠える。サンは後ろ手にいくつも”炎“の魔法を落としてその足を阻もうとする。
シックが馬に飛び乗り、サンに向かって手を差し伸べつつ叫ぶ。
「サン!急いで!」
サンも必死に走り、その手に掴まる。シックの強い力に勢いよく引き上げられ、その後ろに乗る。
「ハァッ!」
シックが勢いよく馬を走らせる。恐怖を必死に堪えていたのだろう、馬は勢いよく駆け出す。手綱を操るシックと、その背にしがみつきながら片手で魔力を練るサン。
「はぁ……っ、もう、大丈夫です、シック……っ。」
「サン?」
サンは答えず、詠唱を始める。
「『我こそは星に愛されしもの。我と我が身を映さんと、星々はその煌めきを宿して照らす。我に名は無く、必要も無い。我こそは遥かなる時の始まりより、世界の意味を詠うもの。星よ、我に従え。星よ、我を照らせ。我が敵は汝らの敵。汝らが照らすに値せず。ゆえに潰え、光の生む出す陰りの中に、その身を溶かして消えてゆけ!今!我はここにうたうもの!星の愛し子の声を聞き!世界よその意を果たすべし!“新星の炎”!!』」
それは光だった。いや、違う。その本質は、純粋なる熱であった。その小さな小さな熱は大気を燃やし、大地を燃やし、世界をあまねく照らし出す――。
村の中にぽつりと現れたその熱は解放されるや、一瞬きに村中を焼いた。凄まじい熱は大気を燃やし、膨張した空気が猛烈な勢いの風となる。風に乗せられた熱は石と木の家々を焼いて、燃やして、焦がして、全てを全くの灰に変える。解放の中心点近くにいた大勢の狼人たちはあまりの熱に原型をとどめず、家々は降り積もる灰になり果てた。
解放は指向性を持っており、その正面にあった村のほぼ全ては灰塵に帰し、そこが生命の住処であったことを示すものは最早灰だけである。熱のすぐ真後ろにあった家々も熱の余波に焼かれて崩れ、廃墟と化した。生ける者はもはや、村の中には居なかった。




