42 暗闇に浮かぶ
並んで歩く二人は、ほどほどに周囲への警戒をしつつ道を行く。
道中、農民野盗に襲われた話をサンがしたためで、この辺りも決して安全では無いと注意を促したのだ。それを聞いたシックは驚く次にサンの身を心配し、無傷であると安心すると、切り抜けた腕前を称賛して、と目まぐるしく表情を変える。
「サンはすごいんですね……。俺、5人相手なんて勝てるか分かりませんよ!」
「いえ、全員素人でしたし……。シックも自分の身くらいは守れるのでしょう。一人旅なんてしているのですから」
「まぁ、多少は剣を習ってますから……。でも、やっぱりすごいですよ。サンは絶対強いんだろうな、って勝手に思っていたりして」
「いえ、そんな……。武芸の師には全く敵いませんでしたし……」
「じゃあ、サンの師匠もすっごく強いんだ! へぇ、一度会ってみたいですね」
「私の師は確かに強いですが……。ええと、縁があれば会えるかもしれませんね」
「そっかぁ。きっと主のお導き……、じゃなくて、うん。運が良いことを期待していなきや」
サンとしてもシックは嫌いでは無いのだが、その素直すぎるというか純真すぎる態度にはどうしても戸惑いがあった。世の中、色んな人がいるのだと知ってはいても、会ったことの無い人種というのは想像し難いものである。
「というよりもシック。随分ファーテルの言葉が上手くなりましたね」
「あぁ、それは自分でも分かるんです。何せずっと一人で旅をしていたから、自然に覚えてきたのかな。でももうじき言葉の覚え直しですね」
「ラツアの辺りでは通じないそうですね……。私もあちらの言葉は分からないのですが……」
「意外と言葉が分からなくても何とかなるんですよ。こう、身振り手振りっていうのかな」
「そんなものですか……」
「一番大事なのは、伝えようとする意志。これですよ。この旅から得た教訓その一です」
「……では、その二もあるのですか?」
「聞きますか? 実は――」
やがて、夜が近づく。
サンとシックは今日の旅路を止め、適当な場所で野宿をすることに決める。適当な道の脇で腰を下ろすと、二人のカンテラにそれぞれサンが火を灯す。なんとなく、それを挟んで腰を下ろす。
高い夏の夜空には無数の星々が輝き、細い月が大地に光を零している。
虫の鳴き声と、風に草花が擦れる音だけが辺りを満たす。二人のカンテラの灯りだけが暗闇にぽうっと浮かび上がっており、二本の長い影をくっきりとうつす。
まるで、世界には今たった二人しかいないようだった。
穏やかな沈黙の中、サンはカンテラの灯を眺める。ちらちらと揺れる炎は、暗闇の世界にたった二つだけの光である。
何気なく、そっと手をかざしてみる。サンの白い手のひらが光を浴びて浮かび上がる。一方、サンに見える手の甲は真っ黒に塗りつぶされて闇に沈む。手首を返せば、当然逆に。
何でもないことなのに、まるで何かの暗示のようで、サンは手を下ろす。すると、そんなサンを見ていたシックが口を開く。
「……なんだか、不思議な気分です。昨日までずっと一人だったのに、今はサンが居る。俺の目の前に当たり前の顔で」
「……」
「……ねぇ、サンは、運命を信じますか?」
「運命、ですか。どうでしょう、あまり考えたこともありませんでした」
「俺も完全に信じてるわけじゃないけど、やっぱりあるのかな、って思うんです。俺とサンがエルメアで出会ったことも、ここでこうして再会したことも。誰か、この世に最初の光をもたらした人が、全部決めてらしたことなのかもって」
「単なる、偶然ではないと?」
「ええ。……きっと、俺たちには想像もつかないような、遠いところで決まってるんです。何か……分からないけど、何かの必要があって。俺たちの出会いも、この再会も、何か“次”を作るための欠かせないピースなんですよ」
「途方もない話ですね。全ては繋がっている、と?」
「うん。上手くは言えないけど、そんな風に思うんです」
「ふうん……」
一理くらいはあるかもしれない、とサンは思う。命を絶ったことで、贄の王と出会ったこと。贄の王に仕えるようになったことで、シックという友人を得たこと。全ては繋がっている。それが、あらかじめ決まっていたことだとすれば、その終着にはどんな意味があるというのか――。
サンはひとつ小さく頷く。
「……そうかも、しれませんね」
そうだったとしたら、『エルザ』の死にも意味があったのだろうか? 『私』がここにいることにも、何かの必要があるのだろうか? サンは答えを求めない問いを胸の内で呟く。
再び降りた穏やかな沈黙の中、サンはシックの言葉を考える。
――もし、全てが決まっているとしたら。
――もし、初めから全てが必要だったのだとしたら……。
サンの脳裏に浮かぶのは、ファーテルの都で暮らした苦しみの日々。それから、エルザと過ごした僅かながら幸せな時間。エルザを失った時の、絶望。その暗黒から、いつの間にか救い出してくれた主。
そして、贄の王に待つ暗黒の『宿命』。
サンはかぶりを振って考えを追い払う。自分が変えたいと思うもの。それが余りに大きいものに見えてきたからだ。
「――でも、やっぱり私は偶然の方が良いです。最初から全て決まっていたなんて、何だかつまらなくって」
「そうかな。何だか素敵じゃないですか? 俺たちは生まれるずっと前からこうして出会うことが決まってたんですよ。これから、まだ見ない出会う人たちもみんなそうです。それって、なんだかすごいなって思うんです」
「分かる気は、します。でも、私は自分の意志で生きてきたと思いたいですよ」
シックはサンの顔を見つめながら、頷く。
「サンは、やっぱり強い人ですよ。俺は臆病だから。……いいなぁ」
「私は、強くなんてありませんよ……」
だってあの日、自分が選んだのはエルザを救う為に命を懸けることじゃなく、絶望のままに己の命を絶つことだった。
そうだ、だからこれはエルザへの贖罪でもあるのだ。“次”は、絶対に戦い、救って見せると。
サンは今一度、心を決める。
どんな未来があろうと。どんな運命があろうと。自分が変えて見せる。望むままの、未来の形に。
サンは今も世界のどこかにいるはずの、【神託者】に思う。必ず、止めて見せる。たとえこの身を捨てるとしても、絶対に――。
「……サン。そろそろ、休んだ方が良いですよ。俺が先に番をしますから。安心して、眠ってください」
「……では、お言葉に甘えて。適当なタイミングで起こしてください。代わりますから」
サンは自分のカンテラの灯を消すと、その場でマントにくるまって横になる。シックの方に背中を見せると、視界には無限の暗闇がうつる。マント越しに感じる柔らかな草の感触。その向こうの大地。
考えてみればサンは野宿など初めてだった。硬い地面で眠るのは慣れているが、空と大地に挟まれて眠るなんて何だか悪くない気分だった。そっと指輪に魔力を込めてから、小さく呟く。
「――おやすみなさい。主様、シック」
目を閉じれば、ゆっくりと意識は眠りに沈んで行く――。
眠りについたらしいサンの背中をシックは眺めている。
女性の一人旅なんて随分と度胸のある人だと思っていたが、どうやら思うよりもずっと、らしい。自分の事も友人として信頼してくれているのだということだろうか。シックは静かに微笑む。
それにしても、サンとは不思議な少女である。資産家の使用人であったり、魔法使いであったり。
大の男5人に無傷で勝つような武芸者であり、見た目にはどこかのお嬢様のようであり。年に見合わない落ち着きを見せるかと思えば、ふとした拍子に見せる顔は幼子の無垢さを思わせる。
そんなサンの事を自分がどう思い始めているか、シックは良く分かっていた。あまり、自分の心に偽らない性格なのだ。
だが、シックには使命がある。果たさねばならないことがある。それは危険な旅だ。帰らない可能性も低くは無い。だからシックは、サンという少女の幸福を祈るだけ。
「主よ。我らのお傍に。主よ。我らの行く先を愛したまえ。主よ。この少女を愛したまえ……。あれかし、あれかし」
首の天秤を大事に握り、目を閉じて祈る。大いなる存在を感じられるような、この瞬間がシックは好きだった。神様嫌いの少女の手前、今日はしていなかったが、眠っている間くらいは許してもらおう。
「『ともがらよ、愛を乞いなさい。ただ懸命に、愛だけを乞いなさい。そのお方は我らを遠く見守りたもう。我らの父と子を慈しみたもう。我らそのお方の従僕なるべし。輝かしき大地を、我ら祈りとともに捧げよう。あれかし。主よ、あれかし……』」
別れた父と母の健やかなるを。かつてすれ違った友たちの栄光なるを。眠る少女の幸福なるを。唱える聖詩にひたすら乗せて、シックは祈る。
彼らの天秤の右皿に多くの愛を乗せるためならば、我と我が身を左皿に。我が血を捧げ、我が魂を捧げ、我が剣を捧げよう。神の愛せし大地の上に、僅かでも多くの愛あれかし。
シックは祈る。ただ祈る。
シックはひたむきに真摯に祈り続ける。
自らの宿命が果たされ、世に光のあらんことを――。