39 鍛錬の成果
追跡の旅を始めたその日は何事も無く、夜になるため城へ転移して帰った。城内の馬屋に馬を繋ぎ、贄の王に一通りの報告を済ませに向かう。
「主様。ただいま戻りました」
「あぁ、サン。大事は無いか」
「はい。今日は一日何事もありませんでした。――地図を見る限り、明日には近隣の村を通り過ぎる筈ですので、そこで情報を集めようかと」
「分かった。それで良いだろう。明日も朝からか?」
「掃除などの日課だけ済ませたらすぐに出るつもりです。何かご用でしょうか」
「いや、何かあるわけでは無い。……何か、旅路で困ったことはあったか」
「いいえ。何事も問題無く」
「そうか。では、何も無ければ下がって休むといい。明日もあるだろう」
「はい。――それでは、失礼致します。おやすみなさいませ、主様」
「あぁ。お前もな」
そして翌日である。サンは同じように馬の背に揺られながら街道を南下していく。
魔術の練習をしたりして暇をつぶしながら、周囲への警戒も忘れない。単独であるサンは不意を突かれれば格下であろうと危険な場面になり得る。特に、周囲は戦乱で治安も低下している以上、気を緩めすぎる訳にはいかなかった。
すると、その警戒が功を奏した。すぐ傍の丘の陰から出てきた人影に対し、サンは機敏な反応を取ることに成功したからだ。
馬の足を止めさせながらマントの下で拳銃を抜いて密かに構えるサン。
「――何者です。動きを止めなさい」
「……あ? 女……? まぁ、落ち着けよ嬢ちゃん。何も悪い事はしねぇ」
それはみすぼらしい衣服を纏った農民と思しき男だった。手には細い丸太のようなこん棒を持ち、ぎらついた目線でサンを窺うその様子は明らかに“悪い”ことが目的に違いなかった。
サンは考える。すなわち、逃げ方である。恐らく男は一人では無く、周囲のどこかに味方が潜んでいるはずだ。男は馬の正面を塞ぐように立っており、その手にはこん棒。馬を走らせたとて、頭や足を殴られれば怪我をさせてしまうかもしれない。最悪、馬がダメになるだけならばいいが、落馬してサン自身が無力化されてしまうのは避けねばならない。
馬の足を止めさせたのは失敗だったかもしれない、とサンはやや後悔するが、それは所詮結果論だった。今重要なのは、どう切り抜けるか、である。勿論、最終手段としては指輪に魔力と込め、主を呼ぶことである。同時に、出来る事なら選びたくない手段である。
「……ならば、道を開けなさい」
「まぁまぁ、そう焦るなって」
「いいえ。すぐに道を開けなければ、撃ちます」
そう言ってサンは銃を露出させて相手に向ける。目の前の男はぎょっとして怯むと、こん棒を体の前で構える。一瞬、サンと男の目線が交わり――。
近くの丘から一気に男たちがサンを囲むように走り出てくるのと、目の前の男が背を向けて逃げ出すのは同時だった。
刹那、サンは迷ってしまう。銃を撃つというのはブラフだ。乗っている馬は訓練などされていないため、銃声に驚いて暴れてしまうかもしれない。振り落とされる危険があるため銃は撃てなかったのだ。
結果、馬を走りださせるのも間に合わず男たちにぐるりと囲まれてしまう。
――逃げ時を失った……。
サンはそう判断すると、今度は迷わず戦いを選択する。素早く馬から降り、拳銃を仕舞いながら剣を抜く。邪魔になるマントを払いのけるように前を開くと、拍子にフードも外れてしまう。
「おい! なにビビってる! 逃げられるだろうが!」
「うるせぇな! 銃だぞ、撃たれたら死んじまう!」
男たちはサンの下馬の瞬間を狙いもせずに口汚く罵り合う。
ぐるりと周囲を囲まれた現状で、サンは僅かに安心する。男たちの様子が、サンにも分かる程度の明らかな素人だったからだ。偽装した兵隊、という最悪の可能性を斬り捨て、サンは馬を背に剣を右手に、左手には魔力を集める。
「おい、こいつかなり良い女だぞ。身なりもいい! 当たりだ!」
「おう! 運がいいぜ!」
男たちは5人。安っぽい剣が二人、手斧が一人、こん棒が二人。最初の男はサンが銃を仕舞ったのを見て戻っており、正面。連携は素人。体格の良い農民か何か。魔法使いである筈は無いので、勝ち目は悪くない。サンは注意深く全員を見回すが、何故か襲い掛かってくるものは居ない。
「おい、何してんだ。さっさといけ! おい!」
「あ!? お前がいけよ、偉そうに!」
「おい早くしろよ! また人が来ちまうぞ!」
呆れたことに先手を取るのが怖いらしい。それで誰かが最初にサンに向かっていくのを全員が全員で待っている……らしい。
サンは甘くない。これほどの好機、みすみす男どもに譲ってやる気は無い。
先手を取る。【強化】の魔法を自分に使うや否や、サンは右手に向かって一気に駆け出す。狙いは、一番近い剣を持った一人。
男の目が恐怖と驚きに見開かれるのと、サンの剣が男の太ももを切り裂くのはほとんど同時。男の悲鳴を聞きながら、更に剣を持った手を一刀に斬り落とす。
「ぎゃああああーーーーっ!!」
「次! 誰です!」
サンが包囲の穴に背を向けて、男達を睨みつける。
何が起こったか分かっていない男たちのぽかんとした顔。サンはさらに、向かって左、一番馬の近くにいる男の方へ間合いを詰める。
「く、くそっ! こいつ!」
近づかれた男は無様に背を向けて仲間の近くまで走る。これで、敵は全て前面。
「くそ、一気にいくぞ!」
「お、おう! やれ!」
こん棒を持った男がサンの方へ駆けてくる。それを見て後の3人も追って駆けてくる。
サンは冷静に先頭の男を見る。こん棒を上に掲げ、どたどたと走る足は決して速くも無い。つまり、一対一なら敵では無い。
先頭の男がサンの間合いに入る。それはリーチの差から男の間合いでもあったが、動き出すのはサンの方が早い。
一歩、踏み込む。男のこん棒が頭に向かって振り下ろされる。
右側へ身体を捌いて避けつつ、すれ違う腹を斬り裂く。
次、寄ってくる3人だが、その内一番目に早い男がサンの左手側。
左手で“風”の魔法をその男の顔面に放つ。剣を構え直し、次の男に備える。
サンの”風“の魔法に顔を殴られた男がバランスを崩し転倒する。最もサンから遠い男が、それを見て目を見開く。
サンは二番目の男の方へ一気に進み出ると、顔に向かって突き。男は思い切り目をつぶって手斧でサンの剣を払おうとする。
しかし、恐怖の反射で振るわれた手斧はサンの剣に掠りもしない。フェイントのつもりだったサンは一度足踏みするように体を整える。
最も遠い三番目の男の口が大きく開かれ、叫ぼうとする。サンは二番目の男の左目を狙って本気の突き。
最も遠い男が「魔法使いだぁーっ!」と叫ぶのと、サンの剣が目の前の男の顔を深く裂き貫くのが同時。
顔に一撃を貰った男はその場でうずくまる。最も遠い男は既に逃げ始めている。
転倒していた男が地面に尻をついたまま、サンに恐怖の視線を向ける。既に抗戦の意志を見ないサンはその場で剣を引いて、辺りを見回す――。
サンの少し後方に一人。太ももと手を斬られ、既に意識を失っている。
すぐ後方に一人。腹を深く斬られ、血を吐いている。
足元に一人。左目のすぐ下を深く裂き貫かれ、うずくまって悲鳴を上げている。
正面やや左に一人。大きな怪我は無いが、既に戦闘の意志は無く恐怖に震えている。
正面少し離れて最後の一人。既に背を向けて逃げ出している。
サンは戦いが終わったことを確認すると、マントの端で剣の血脂を拭う。そのまま顔や手の返り血もマントで拭う。そのまま己の身体を見回し――衝撃を受ける。
即刻その場で城の自室に転移。浴室に飛び込み、コートについた血を必死で抜く。
だってこの間ブルートゥとの戦いでの汚れと穴の処置をしたばかりなのだ。胸の大穴を塞ぐのも大量の血を目立たないようにするのも大変だったのだ。折角主から頂いたコートなのに。
必死でコートを奇麗にしつつ、サンは戦いを振り返る。終わってみれば、完勝であった。相手は連携も武芸も素人だったが、大の男5人である。少なくとも、“サン”になる以前なら間違いなく負けていた。サン自身も実感していたことだが、主との稽古はかなり身になっている。
一方、主から貰った剣の強さに頼ってしまってもいただろう。馬のために銃は使えなかったとして、もっと魔法を主体にしていれば良かったのでは無いか。そもそも、無事な男2人の反応からして、魔法を見せていれば戦いにすらならなかっただろう。
そう、最も問題なのは戦いになってしまったことである。戦いというのは非常手段だ。最終手段なのである。戦いでは何が起こるか分からない。如何に格下相手とて、うっかり怪我をしたり、負けることだってあるのだ。もっと賢い対処を最初から取らねばならなかった……。
幸い、コートは奇麗になった。処置が早かったおかげである。ついでに顔や腕をきちんと拭い、血まみれになったマントは湯につけておき、新しいものを纏う。それから、戦いの現場へと転移で戻る。
というか衝撃すぎて忘れていたが馬と荷物を放置したままだったのだ。幸い戻れば馬も荷物もそのままだったが、危ないところであった。
現場には、無事だった男が呆然とした様子で倒れている仲間の傍にしゃがんでいた。目の下を裂き貫かれた男は血を溢れさせたまま道の端で座り込んでいる。そしてサンがコートの汚れと格闘している間に、重傷だった二人は命を落としてしまっていた。
流石のサンも己の手で人を殺めたとなれば嫌な気分になる。同情や後悔は微塵も無いが、やはりいい気分のするものでは無いのだ。敢えて足音を立てながら呆然としゃがんでいる男に近づく。
呆然としていた男だが、サンが戻ったのに気づくとひきつった悲鳴を上げて腰を抜かす。逃げようと足で地面をかき、立ち上がれないことに気が付くと必死で命乞いを始める。
「ち、違うんだ! 悪かった! 俺が悪かった! 殺さないで!」
「殺しませんよ。必要が無ければ命を奪う趣味はありません」
「ほ、ほんとうか。俺は、ころされないのか!?」
「えぇ。本当です。だから、これ以上私の邪魔をしないで下さい」
「分かった! 邪魔はしない! ほ、ほら、あんたの馬だ。何もしてない! 触ってない。な? だから……」
「もう用事はありませんから。……あぁ、いえ。あなた方はどこから来たのですか?」
「む、村だ。すぐ近くにある。軍隊が来て、仕方なかったんだ! 食べ物が全部持ってかれて!」
「そうですか。私には、関係ありません……」
サンはそう言って馬に跨ると、指輪に魔力を込めて話しかける。起動すれば主に視覚と聴覚が連携されるので、一方通行ならば会話も出来るのだ。
「主様。道中戦闘になってしまいました。私には傷一つありません。ご安心下さい……」
軽い状況報告を淡々と述べつつ、馬を再び歩かせてゆく。
後には、恐怖から解放された安心に涙する男が一人。ちなみに、もう一人怪我で済んだ男は意識の無いフリをしていたようだ。仲間を失った農民野盗が今後どうするか、サンには欠片も興味の無いことだった。




