37 サンの権能
翌日、サンは主に提言した。
「主様。大聖堂地下室の調査ですが……主様にお任せすることは出来ませんでしょうか」
「構わないが……何をするつもりだ」
「私は神託者の追跡に当たるべきかと。……元々、ブルートゥに会いに行ったのもその為でした。鍵の先に何があるのか、と思いましたが……少なくとも現在の神託者に繋がるヒントは見つからないように思います。であれば、私はファーテルの都からラツアに向かい南下、神託者の追跡をしたいと思います」
サンは強く力を込めた瞳で主を見る。主も神託者の事を忘れてはいなかったようで、静かに頷く。
「そうだな……。神託者の捜索にはお前一人のほうが適任だと、以前結論を出したこともある。お前に任せよう」
「ありがとうございます。では、早速――」
「まぁ待て。その前にひとつ確認しておきたい。――お前の身に宿った権能について」
二人の姿は中庭にあった。相変わらず、中庭はかつて美しかった面影を残したまま鮮やかさだけを失って止まっていた。変わるはずも無い場所ではあるが、萎れも育ちもしない花々は酷く不自然で、見るたびに何となく不安にさせるのだ。
そんな中庭の中央、一番周りに何も無い場所で二人は向かい合う。
「まずは、ブルートゥとの戦いで使ったという【転移】を試してみろ」
「分かりました。……とは言っても、何しろ無我夢中でしたので……。とりあえずやってはみますが、出来るかは……」
「構わん。出来るなら、それに越した事は無いと言う事だ」
「はい。……では」
サンは意識を深く深く己の奥底に潜らせる。身の内にある魔力を辿って、深く深く、深奥を目指して意識を潜らせる。
その集中はやがて、血を辿り肉をかき分け、己の中心へと到達する。それは魔力の核。生命の生命たる根源。意識の一番の深層。それは暖かな熱であり、闇を孕んだ光であり、思い出せない思い出。
すなわち、魂である。
サンはそこで、あの日触れた闇を探す。この世ならざる超常の“闇”。あり得ざる現象を実現する矛盾した力。治るはずの無い傷を癒し、時に物理的な質量さえ持ち、一方で姿を持たない。己の魂に宿っているはずの、そんな闇を――。しかし。
「……申し訳ありません、主様。あの時感じた“闇”を、感じられません……」
「……ふむ。しかし、私の目には今も見えているぞ。出会った時には無かった深い闇が。お前の魂を汚す暗い闇が」
贄の王はそう言うと、その身に闇を纏う。黒い光のような、暗闇の霧のような、温度を忘れた熱のようなそれ。それは贄の王の身体を包むように、その身体から放たれるように、宙を漂う。
贄の王はサンに向かって手を差し出す。
「この手を取れ。そして感じろ、この”闇“を。この世ならざる影は、お前の内にもある。私と同じ”闇“が」
サンはそっとその手を取る。つながった手を伝い、闇がサンの身体を這っていく。
サンはその闇を己の一番深い場所まで受け入れる。意識を集中させ、意識の一番深い場所へ。再び、意識を暖かな熱が満たす。違うのは、手に感じる”闇“の冷たさ。温度を忘れ去ったそれは酷く無感情で、根本から魂とは相いれないように思ってしまう。
だが違うのだ。光が影を作るように、この魂もまた闇を孕んでいる。闇は、受け入れられざる敵では無いのだ。“それ”は、確かに己の一部でもあるのだ。
――集中。聞こえるのは、自分の鼓動。見えるのは、魂の残照。触れるのは、暖かな熱と無感情な冷たさ。
やがてサンは見る。真っ黒に凪いだ海。光を無くした地平。どこまでも暗く、おぞましさを湧き立たせる“闇”の世界。天も地も無く、ただどこまでも”闇“だけがある。そしてその世界にあって、最も暗い中心点に立つのは、贄の王。すなわち、己の主――。
サンはゆっくりと、主の元へ歩き出す。闇だけを踏みしめ、闇だけをかき分け、いつしか己自身も闇へと身を染めながら。サンは歩く。何故なら、主の傍こそが己の居場所だから。そしていつものように声をかけるのだ。――主様、と。
サンは目を開く。世界がまるで違って見えるような気がする。己の内に感じるのは、もはや暖かな熱では無かった。そこにあったのは、深い“闇”。
後は、難しい事では無い。いつも主がそうするように、闇から闇へと渡り歩くのだ。
「――『【転移】』」
サンの姿が消える。まるで最初からそこにはいなかったように。
贄の王が振り返ると、そこにはひどく驚いているサンの姿があった。
「……で、出来ました……。主様……」
「確かに見た。見事だ。――“闇”を感じるか。サン」
「――はい。感じます。自分にも、世界にも、主様にも」
「そうだ。闇は大地に満ちている。意識しても、そうとは見えないだけで。人の魂にも肉体にも、闇は満ちているのだ」
「本当に……。初めて見るような、でもずっと触れてきたような……不思議な感覚です」
「私も当初は慣れなかったな……。まぁ、すぐに慣れる。もう分かるだろうが、権能の使い方は魔法と似たようなものだ。魔力の代わりに闇を、魔法の代わりに権能を。己の闇でもって世界の闇に影響を及ぼす力こそが権能の正体。すなわち、世界の現象を歪め意のままにする力。――闇とは、万物に満ちている裏の面なのだから」
次だ、と贄の王が手の上に浮かべたのは、黒い球体。あるいは、空間に空いた穴のように見えるそれ。同じものを作って見せろ、と言われてサンも挑戦する。
サンにはもうやり方が分かっていた。いつもと何も変わらないのだ。魔法の根源は魔力。その核は魂。ならば、権能の根源は”闇“。その扉は、魂。
サンのかざす手の上に同じく黒い球体が浮かぶ。その正体は、物質としての性質を与えられた闇。魔力を練って編み、かたちを成すのが魔法であれば、己の闇で世界に満ちる闇へと干渉し、かたちを成すのが権能である。いわばこれは、“闇”の魔法である。
それから後は順調だった。闇の触れ方を覚えたサンは権能を扱いこなし、転移をはじめとする様々な現象を操っていくことが出来た。ただしそれらは全て贄の王よりも低位の力らしく、贄の王が行使する権能には遠く及ばなかった。
具体的には、権能を用いた“闇”の魔法は性能で半分程度。転移は精度がやや落ちている。指定する転移先の闇が詳細であればあるほど時間がかかり、多少のブレは消えない。
具体的には、中庭内と指定すればタイムラグは無し。中庭の東から3番目の花壇の北から数えて4番目のレンガの……と細かくなるほどタイムラグが出る。ちなみに、主の場合はどこでもタイムラグなどは出ない。
「上々だな。転移を扱えるとなれば、これまでより自由に動けるだろう。危険から逃れるのも容易くなる。私としても有難いことだな」
「はい。戦いにあっても、日常にあってもこれまで以上にお仕え出来ます」
サンは手にした新しい力に奮起する。弱いよりは強い方が良い。出来ないよりは出来た方が良いのだ。贄の王の従者として、これ以上無い力であろう。
「しかし、気をつけろ。人は本来光に属する生き物。相反する闇がその身を滅ぼさないとも限らない。便利に使うのはいい。生きるために利用するのもいい。だが気は許すな。常に頭に置いておけ。これは本来人の身に余る力なのだと」
「はい。お言葉、しかと胸に刻みました。決して、溺れることの無いように致します。……もし、万が一私が闇に呑まれるとすると、どうなるのですか?」
その問いに贄の王は答えづらそうな顔をする。苦々しく発した端的な答えは『死ぬ』というものであった。
「それだけならまだいい。最悪は魔物もどきになる可能性もある。その時は――」
「――その時は……私自ら始末をつけたいと思います。主様の御手を煩わせはしません」
「……無い、とは思う。お前は既に人の身ではない。私の血を受け入れた眷属。おとぎ話で言うなら悪魔とでも言ったところか。だが、覚悟だけはしておけ」
「はい。一度は捨てた命。必要とあらば、再び捨てることも厭いません」
「ダメだ。一度捨てた命を拾ったのが私であるなら、お前の命は私のものだ。勝手に捨てることは許さん」
贄の王が酷薄な様子で発したその言葉の意味するところは、むしろ酷く優しいものだ。サンにはそれが分かるからこそ、その胸中は歓喜の驚きに支配される。
「……はい。はい! この命は、主様の物です」
「……そうだ。だから、せいぜい大事にしろ」
贄の王はそれだけ言い残すと、背を向けてしまう。贄の王にとっては照れ隠しのようなものだったが、それはサンにとっても助かった。笑み崩れそうな頬を抑えるのに苦労していたからだった。
そんな主の背中に向けて、サンは改めて誓う。
「主様から頂いたこの権能。御身のために使うことを誓います。これまでよりも一層、良くお仕え致します。……それから、この命も。主様のためだけに、使い果たすことを誓いましょう」
「あぁ。許そう。……ただ、自分の身も可愛がるのを忘れるな。お前は勤勉だが、時に行き過ぎそうで心配だ」
「勿体無いお言葉です。はい。身体を壊せば、主様にお仕え出来なくなってしまいますから」
「……まぁ、それでいい……」




