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贄の王座と侍るもの  作者: 伊空 路地
第十章 愛が為に
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289 想い別ちて


 黒い城に夕日の光が差し込んでいる。


 光は魔境のそれらしく、いかにも弱弱しくて頼りない。しかし黒い石を微かに彩る赤は、どこか切なげに美しかった。


 サンは贄の王に続いて城の一番大きな廊下を歩いている。城の正門から真っすぐ伸びて、最奥までを繋ぐ大廊下だ。


 さらさらと音を立てるような夕日の光の注ぐさま。陰と日向を交互して、壮麗なる大廊下を飾り立てている。


 硬い絨毯を踏む足音の静かな響き。近づく夜の呼ぶ冷気に、表れ始める息の白。


 前を行く主の背に、サンは何をも読み取れない。


 寂しさ。悲しさ。苦しさ。切なさ。


 孤独。恐怖。不安。覚悟。


 それらいずれも、見通せない。読み取れない。


光を浴びて影を退けて、ただただ歩む主の背中。断頭台への階段を上るが如きいま、しかしひたすらに無感情なその背中。


 遠い。


 どうしてか、今は酷く遠くて、届かぬかのよう。


 ならばと、サンもまた言い表しえぬ感情の波と波とを飲み込み続ける。


 そうしてサンと贄の王は、ただ静かに歩いてゆく。


 今を進むように。


 過去を置き去るように。


 そして未来へ落ちるように。






 やがて、廊下は突き当たる。


 そこにあるのは、見上げる程の巨大な扉だ。城の最奥にして中核、謁見の間へ続く大扉である。


 この扉を越えれば荘厳なる広間があり、そしてその奥には【贄の王座】が鎮座しているのだ。


 サンはこの巨大な扉の前に立つと、かつての恐怖を思い出さずにはいられない。初めてこの城で目覚め、一人この扉を開いた時のこと。


 サンは最も忌まわしき闇を見た。


 暗く、黒く、深い闇。この世のものではありえない、どこまでもおぞましく、それでいてどうしようもなく蠱惑的な理外のそれ。


 贄の王が助けてくれてから再び見た事は無いのだが。


 ――今にして思えば、どうしてあんなものを見たのだろう?


 と、サンが考えていると、大扉がゆっくりと開いていく。贄の王が魔法で開いているのだろう。


 重々しい音を響かせて開いていく大扉の向こう、段々と謁見の間が見えてくる。サンはつい身構えるが、その奥に超常の闇が見えたりはしなかった。


 二人が十分に通れるよう扉が開かれると、驚くほど広い謁見の間が見通せた。


 よく磨かれた黒い石の床、真っすぐに伸びる赤の絨毯、高い窓から注ぐ赤い光。豪華な装飾たちが光をぱらぱらと煌びやかに反射している。


 広間を占めるは静謐、息もままならないような厳かさだ。


 そしてその最奥には鈍く輝く黒い玉座。


 全ての元凶だと思っていた。大地を呪う邪悪の化身と。


 しかし違う。それはむしろ、大地を守らんとする意志なのだ。


 それなるは【贄の王座】。――【神】たちが遺した、魔を封じる神器である。






 贄の王が静かに歩を進ませる。サンもまた、それに追従する。


 ――しかし。


 贄の王がすぐに歩みを止めた。丁度、大扉を過ぎて広間と廊下の境目を越えた位置だ。


 そしてくるりと振り返り、広間から外へ向かって手を伸ばした。


 その瞬間。


 黒い靄がふいに表れて、贄の王の伸ばした手を包んで止める。広間から抜け出でようとしたはずの贄の王の手は、広間と廊下の境目でぴたりと押しとどめられた。


 贄の王は少しの間だけそのままでいたが、やがて手を靄から抜くように引く。すると、靄はふわりと消えてしまった。


「なるほど。これ以上は、逃げられんらしい」


 元より逃げるつもりもないが。そう呟きながら、贄の王は再び前を向いて歩き始める。


 【贄の王】は【神託者】から逃れられない。その制約の実態を目の当たりにしたことは無かったが、つまりは今の光景であろう。


 【神託者】が十分に近づいた今、【贄の王】はこの謁見の間から出られなくなった。そう理解して問題は無さそうだ。


 サンはまだ、広間と廊下の境目を越えていない。恐らく越えた所で何も起こらないとは思うが、念のため足を進めないよう気を付けた。


 サンは。


 もう、ここから先へは進めない。


 進んではならないからだ。


 進む訳にはいかないからだ。






 すぅ、と息を整える。


 心臓が早鐘を打つ。緊張で体が強張る。強く握る両手に汗がにじむ。


 怖いな、と思った。出来ることならやりたくない、とも。


 このまま贄の王の背中を追って歩いていくことも出来る。そうしてしまいたいという欲求も感じる。その方が、少なくとも今この瞬間は、ずっと楽だから。


 だが、ダメなのだ。


 どれほど逃げたいと思っても、絶対に逃げてはならない瞬間こそがいま。


 刹那の時間、己の覚悟を確かめて、サンは一つ息を吸った。


「――主様っ!」


 恐怖を押し殺すためか、自分を逃がさない気迫のためか、意外に大きな声が出た。


 声に振り向く贄の王は、微かな緊張感を顔に見せている。


「……サン」


「……主様」


 サンと贄の王の目と目が合う。


 最早それで充分だった。たったそれだけで、二人は互いの想いの全てを知った。


 サンの決意が、贄の王に。


 贄の王の絶望が、サンに。


 しばし、沈黙が下りる。


 無数の想いと想いが交差して、互いの心を触れ合わせる。


 それは僅かでも、永遠よりも重い時間。


 やがて、先に口を開いたのは贄の王だった。


「そうなるかもしれない、とは思っていた。お前のことだ。素直に私の死を受け入れる訳が無いことぐらい、分かっていた……」


「……はい。主様の命に逆らうことは心苦しい。私への優しさを仇で返しているようで……。でも、でもこれだけは、ダメなんです。どうしても、ここだけは」


「ずるい奴だ。私には勝手に死ぬなと言っておいて、お前は一人で行ってしまうのだな。……生き延びられるなど、思えんだろうに」


「はい。それでも、ここだけは譲れない。主様を見殺しにして生きるなんて、他の何を得るとしても受け入れられない。身勝手を、お許しください」


 そう言って頭を下げるサンには、贄の王の痛ましい面持ちが見えた。


「……なぁ、サン。今からでも遅くはない。こちらへ来るんだ。お前は、お前だけは、未来を生きて欲しい。……頼む」


「……出来ません。そんな未来、主様のいない未来なんて、私は生きたくない」


 サンは首を横に振る。贄の王を失って生きる未来など、何の意味があるだろうか。それは紛れもないサンの本心だった。


「それに、主様は勘違いをされています。私は死にに行くのではありません。全部全部、拾いに行くんです。主様も、ヴィルと三人の生活も、何もかも。ここから拾って、もう二度と手を離れていかないように抱きしめるんです。そのために、私は行くんです」


 今度は贄の王が首を横に振る番だった。だが、込められた感情は全く似て非なるもの。


「愚かな事を言うな。そんな事が出来るとでも……。お前自身、信じ切れてもいないというのに」


 サンは言葉に詰まる。図星だったからだ。


 サンがこれから為そうとする事がどれほど荒唐無稽か、よくわかっている。サン自身信じ切れてもいない。まさしく、その通りだった。


「サン。これはもう命令ではない。頼みだ。私と共に来てくれ。……その時まで、私の隣にいて欲しい。頼む……」


 いっそ弱弱しい程の贄の王の言葉に、サンは心苦しさが増す。


 しかし、頷けない。絶対に。


「ごめんなさい、主様……」


「何故だ。意味の無い賭けだ。いや賭けですらない。ならば私の隣で、私の最期まで。……私を、独りで死なせないでくれ」


 泣きたくなるほどの悲痛な言葉。むしろサンの方が苦しくなってしまうほど。


 喉が震える。目の奥が熱い。鼻の奥がつんとする。


 でも。


「それでも。……それでも、私は行きます」


 言葉と共に、開いている大扉に魔法を行使。ゆっくりと、その扉を閉じ始める。


 弾かれたように贄の王が右手を上げる。しかし何も起こらない。【贄の王】の制約は、魔法すらも逃さないらしかった。


 ゆっくり、ゆっくりと、大扉が閉まっていく。


 サンを外に、贄の王を内に。


 越えられぬ隔たりを、二人を分かつ永遠の壁を、築いていく。


「待て、行くな、サン。戻るんだ……!」


 サンは答えない。ただ、涙の溜まる両目を拭いもせずに、思いっきりの笑顔を作った。


「ダメだ、サン……。戻れ……!」


 贄の王が両手を思い切りサンの方へ伸ばそうとする。


 しかし、黒い靄がそれを止めてしまう。


 大扉が、どんどんと閉じていき――。


「主様。私は、サンは! 必ずや再び、主様の下へ戻ります。だからどうか、待っていて下さい……ッ」


 涙声になりながら、サンは贄の王に再開を約束した。


 それはつまり、この瞬間の告別を意味する。


「やめろ、やめてくれ! ……サン!!!」


 その言葉を最後に、大扉は閉じた。


 見たことも無い悲痛な顔も、聞いたことも無い苦痛の叫びも、もう届かない。


 これが今生の別れだというのなら、なんてどうしようもない悲劇だろう。


「でも、悲劇なんかじゃ終わらせない」


 そう、サンはまだ何も諦めていない。


 再開を約束した。全て拾いに行くと言った。


 だから。


「あぁ、【神託者】。……シック。私があなたを、必ず―ー殺してみせます」


 サンは振り向き、閉じた大扉を背に立つ。


 長い長い大廊下、そのずっと先にいるだろう友を目掛けて。


 サンは思い切りに走り出した。







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