29 語り部は口を閉じず
その後、サンと贄の王は洞窟の入り口を”土“の魔法で隠し、剣の調査を続けた。
城から贄の王の持つ道具や器具も持ち出しつつ、思いつく限り出来る限りの調査をするが、分かったことはあまりに少なかった。
まずやはりと言うべきか、剣そのものへの干渉は一切成功しなかった。いかなる道具も、いかなる魔法も、僅かほどの影響も及ぼせなかった。唯一反応を示すのは贄の王が権能を向けた時で、この時ばかりははっきりとした拒絶の光を放つのだ。
手も道具も触れられないので当然だったが、剣が何で出来ているかも分からなかった。
そう言えば、とサンが主に贄の王座は何で出来ているのか、と聞けばこちらも答えは分からないらしかった。直接触れることの出来る王座も分からないのなら、剣のことが一層分からないのも道理だろうか。
剣が纏う祝福の正体も全く分からなかった。しかしこれは恐らく贄の王の権能と同じく完全な超常の力であると思われるので、予想通りの結果ではある。あらゆる物質をはねのけてしまう祝福だが、こちらも唯一主の権能だけは通じているようである。
ちなみにサンはかつて主と血の誓いを交わし眷属となったため、一応権能が使えるはずなのだが、サンにはさっぱり使い方が分からなかった。というか、サンは自分が『人でなくなった』と言われても実感が湧いていなかった。
数日の剣の調査を終え、“何も分からない”ということだけが分かった二人は、これ以上の調査の必要を見出せず打ち切ることとした。実は贄の王だけは何か他にも気づきか何かがあるらしいのだがサンには教えてくれなかった。
後日、魔境の城の主の書斎にて二人は話し合う。
「贄の王座。初めて見た時は深い闇にしか見えませんでしたが、あれ以来はただの奇麗な椅子にしか見えません……。剣がただの剣にしか見えないのも同じなのでしょうか」
「なるほど。となると、神託の剣が光に見えなかったのは何故なのだろうな。王座からお前への繋がりは私が断ち切ったためだったが、同じような事が剣とお前にも起こったのだろうか……、とすると、それはいつだ。それとも、人は光に属する生き物ゆえ、影響が無かったのか……? ――分からんな。分からないことが多すぎる」
「ひとまず、【神託者】の手に剣が渡ることは避けたいですね。洞窟の入り口は隠してしまいましたが……」
「あの程度では何ともならないくらいに思っていた方が良いだろうな。監視の仕掛けはしてあるが……」
そう言って贄の王は手に持ったミートパイを齧る。サンが休憩がてら、と焼いたものだが、結局休憩にはなっていなかった。
サンもミートパイを齧りつつ、疑問を口にする。
「そう言えば、主様。たびたび口にされている『贄の王座に選ばれた』とはどういうことなのですか?」
「ある日、声が聞こえてな。『おいでなさい』だったか。何かに導かれるような感覚に従い、旅をすればこの魔境の謁見の間に辿り着いたのだ。そのまま王座に腰掛けると……『あなたは選ばれました』と再び声が聞こえ、贄の王になっていたのだ」
「声……ですか」
「あぁ、不思議な声だった。周りの誰にも聞こえていないようで、どこから聞こえてくるのかも分からないのだ」
「贄の王になっていた、とは?その瞬間に名前などをお忘れに?」
「そうだ。深い闇に包まれるような感覚があり、次の瞬間には『自分が贄の王になった』という事実を“知っていた”。誰に教わったわけでもなく、気づくと既に“知っていた”のだ」
「その時、権能なども?」
「同じく、気づくと“知っていた”。名前を失ったことに気づいたのは、数日経ってからだったな」
「数日もの間、気づかないものだったのですか?」
「そうは言うが、考えてみろ。話す他人も居ないのに、自分の名前を意識することなど案外無いぞ。私の場合は文献の人名を見た時に気づいたが」
ふむ、とサンは納得する。確かに自分の名前とは人に呼ばれるためのもので、一人の時に意識することはあまり無いかもしれない。
「私がここで目覚めた時は主様に何者か問われましたので、すぐに気づきましたね」
「……あの時は何が起こったのかと混乱していたのだぞ。ここに来て10年。魔境で人を見ることなど無かったというのに、お前は廃都の中心で眠っていたのだからな」
「廃都……そう言えば、魔境で城から出たことはありません。用事がある訳でもありませんが」
「何も無いただの廃墟だ。100歩歩くたびに魔物と遭遇するぐらいだな」
「この廃都と城、かつては人の文明のものだったと考えているのですが、廃墟にそういったヒントは無い物ですか?」
「ヒントも何も、推測通りだ。ここは遥か昔、人の文明圏だった。書斎や図書室の文献によれば、大国の王都だったようだ。……贄の王座がどこから来たのか、人々はどこへ行ったか、不明なことも多いが」
「気になると言えば、いわゆる財宝の類もそのままであることでしょうか。持っていく余裕が無かったのでしょうか?」
「それか、持っていきたくなくなる理由でもあったか。その辺りの記録は探したが見つからなかったのだ」
気づくとミートパイは全部無くなってしまっていた。すっかりお腹いっぱいになってしまったサンは、今日の夕食はいらなそうだ、と思う。
「主様、お茶でもお持ちしましょうか」
「ん……。あぁ、頼もう。ミートパイと言ったか、なかなかに美味いものだな」
「言って下さればいつでもお作りします。……では、少し失礼致します」
サンは廊下に出て、区画にある台所を目指す。謁見の間近くには巨大な台所もあるが、二人分程度であれば区画ごとに作られた小さい台所の方が使い勝手が良い。
ちなみに、古めかしいかまどは使いづらいので現代的な台所用品をいくつも買い足して使い勝手を良くしている。
お茶の淹れ方は簡単なようで気にすることも多い。最も重要なのは、お湯の温度だ。低すぎても高すぎてもいけない。薬缶の底から出てくる泡の様子で適切な温度を見極める。それから茶葉と蒸らしの時間はちゃんと計る。濃さが均等になるようカップには少しずつ回し入れる。サンはお茶を淹れるのがささやかな特技なのだ。
今回も会心の出来、と満足げに主のもとへ運ぶ。
書斎の扉を開けて中に入るが、主の姿は無い。おや、と思いつつも机にお茶を置いて主を待つ。折角のお茶がなるべく冷めないように布を被せておく。すぐに戻ってくるだろう。
しかしサンの予想は外れ、贄の王はなかなか戻ってこなかった。あの主がどうなるとも思えないが、流石に心配になりながら待っていると、やがて転移の闇が現れ、贄の王が姿を現す。
「主様! 心配しておりまし――」
「サン。やられた――」
贄の王の様子は珍しく余裕が無い。サンの言葉が終わるのを待ちもせずに遮って話し出す。
「神託の剣が消えた。洞窟の入り口は元通りに空いて、監視にも異変は何も無かった。何が起こったのか……。突如監視から剣が消えた。今見てきたところだが……やはり、無い」
神託の剣が消えた。
その言葉の意味が分からないほどサンは愚かでは無かった。
「では、つまり――」
「そうだ。【神託者】が、神託の剣を手にした。――これからは、迂闊に外にも出るな。不意に遭遇すれば、どうなるか分からん」
「そんな……」
その時、サンの目に不意に光が差し込んで、眩しさに目を逸らす。
窓の外、弱々しい魔境の太陽が傾き、サンの目に入ったのだ。その光は不思議と、魔境にあってみたこともない程に力強さを持っている気がした。
冷めきったお茶の表面に光が反射して、きらきらと輝く。
かくして、【贄の王】と【神託者】の物語は進む。
定められきった最後に向けて。
それを語る者の口は、決して閉じることは無い――。




