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贄の王座と侍るもの  作者: 伊空 路地
第十章 愛が為に
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284 はじまりの想いたち


 かつて、【大いなる邪悪】を辛くも封じた【神】、【龍】、【星】、【精霊】の四柱。唯一帰還した【精霊】はその身から二つの神器を創り出した。


 一つ、剣の神器。【大いなる邪悪】を打ち滅ぼす為の武器である。しかし、神器には肝心の力がまだ宿っていなかった。


 一つ、玉座の神器。【大いなる邪悪】の封印を維持し、空の器である剣の神器に力を満たすための道具である。


 いつか、剣の神器が完成を見た未来、人が自ら戦えるように。その未来まで世界が繋がるように。それこそ、二つの神器の創り出された意味である。


 しかし――。






「生贄、って……」


 呆然とリデアは繰り返した。聞かされた言葉の意味が、そこに込められている絶望が、受け入れられない。


「生贄を捧げる事で剣の神器は力を増し、封印は修復される。生贄を捧げなければ、そのどちらかでさえ成す事は出来ない」


 父は無情にもそう言った。その顔は、痛みを呑み込み終えているようだった。


「なぁリデア。……無いんだ。生贄を捧げずに丸く収める方法など。何の犠牲も出さずには、【大いなる邪悪】とは戦えない。それほどまでに、奴は強大なんだ」


 ぽつぽつと呟くような父の言葉に、リデアは何とも答えられない。


 そうして、しばらくの沈黙が降りるのだった。


 窓の外は曇天。ちょうど、弱々しい雨が降り始めたようだった。





















 それから数日。


 小雨の降る暗い朝、リデアは廊下の窓から外を見下ろしていた。


 眼下に見えるのは城の中庭だ。様々に花の咲く中庭は遠目にも色彩豊かだが、この朝には少しくすんで見える。


 その中庭を一人の男が歩いていた。傘も差さない背中は、何だか酷く寂しげである。


 彼はリデアの元婚約者であり、この国の第一王子でもある。彼は今まさにこの城を出て、世界を巡る旅に出るところなのだ。


 供はいない。見送りも無い。どちらも不要だと、彼がそう言ったから。


 一国の王子、世界の命運を握らされてしまった人の、あまりに痛ましい旅立ち。宿命に抗う様子も見せず、粛々と役目を果たそうとする彼の胸中はいかばかりか。


 彼の心の鍵が手に入ればいいのにな、なんてリデアは思った。


 ずっと眺めていた彼の背中が見えなくなった。城の反対側に入っていって、きっとそのまま真っすぐに出て行くのだろう。


 彼が何のために旅に出るかと言えば、世界各地で生贄を捧げて回るためだそうだ。


 封印が綻びを見せた今、世界は急速に【大いなる邪悪】の“闇”に侵されつつある。それを除くためにも、また生贄が必要なのだという。


 世界各地で闇を取り除き、その闇を『贄の王』に集める。最後に『贄の王』の魂を捧げる事で封印の修復が完了し、同時に剣の神器にも力が蓄えられるのだそう。


 なんて惨い話だろう、と思う。このためにどれほどの人が死ぬのか。この残酷な儀式が、剣の神器が完成するまで、何年、何十年、あるいは何千年と繰り返されていくのだ。


 他に方法は無かった、と父は言った。事実、そうだったのかもしれない。でも――それでも。


 一体誰に何の罪があって彼らは死ぬのだろうか。……答えなど見つかるまいが、リデアはそんな疑問を抱かずにはいられなかった。


 それならばせめて、死に行く彼らが一人ぼっちではありませんように。


 それが、リデアのせめてもの想いだった。





















 一年の月日が経った。


 日々は存外他愛なく、リデアの日常は至って平穏だ。婚約者が現れるでもなく、突然闇が空を覆うでもなく、和やかに。


 だが、リデアが彼の事を忘れる事は無かった。ほんの短い時を過ごしただけの元婚約者。世界の生贄となるべく、一人宿命の手を取ったあの人。リデアにとって、得難く失くし難い人だ。――忘れる事など、あり得ない。


 それに、例え忘れたかったとしても難しかっただろう。何故ならば――空だ。あるいは、大地だろうか。


 この一年で空は青々しさを失った。太陽は弱々しく輝きを曇らせ、快晴の空はくすんでしまった。草花は活力が無く、萎れがちになった。人々の間では病が流行し、誰もが酷く疲れ果てていた。


 【大いなる邪悪】の封印が綻びを見せたせいで、その“闇”が漏れているのだという。たったの一年で世界から明るさを奪い去ってしまった【大いなる邪悪】という存在の恐ろしさが、リデアにも理解出来ようというもの。それに抗う為の、生贄という役目の重さも。


 この頃になると、リデアも生贄というものを受け入れていた。いや、他に方法は無いのだと諦めていたと言うべきか。


 あの人は死なねばならない。そういう宿命なのだ。


 本当は抗いたかった。だが宿命と戦う為には、リデアはあまりにちっぽけだったのだ。


 リデアに出来る事なんて本当に僅かしかなくて、それは全てを覆すには程遠くてとても非力だ。


 それでも。


 いや、だからこそ――。






 彼が帰って来たのは、旅立ってから一年と少し経った、春のちょうど真ん中の頃だった。


 そして春らしい明るさや華やぎが【大いなる邪悪】の闇に奪われ、不気味に薄暗い晴れた日。


 彼が、生贄に捧げられることになった。





















 祈りの言葉が朗々と紡がれ、鈍色の空の下、暗い群衆に降り注ぐ。


「――【神】が、それを望まれる。【大いなる邪悪】よ、我らが血を受け、主の御名の下にせせらぐ光を浴びて、汝が呪いを祓われよ」


 石畳の都。


 その広場には厳かな静けさが降りて、中央に置かれた石の寝台、それを取り囲む群衆と祈りの言葉を響かせる男の様子から、まるで葬儀のように見える。


 異なるのは、弔われる主役が居ないことだ。


 空の寝台に向かって祈りの言葉を唱える男は、この都の王子だ。広場の北、厳重な騎士達の敬語の内にいるのは、この都の王とその妃、それから姫だ。王たちは毅然とした顔で儀式をじっと見つめている。


 ――やがて、祈りの言葉は終わる。


「呪われしこの大地に、再び主の威光を」


 ――男が、唱える。


「……あれかし」


 そして男は美しき剣を抜き放ち、自らの胸にその刃を突き立てた。






 リデアは一歩を踏み出した。


 ()()()()()小さな瓶を地面に捨てると、それはパリンと音を立てて割れる。


 真っすぐ広場の中央――彼の下へと歩くリデア。その耳に、父の声がした。


「……リデア? どうした――」


 その時だ。


 ――ぽっ、と。


 酷く清らかな光が、リデアの全身に宿った。


「――リデア。お前、何をした。この瓶は何だ。何を……何を飲んだ! リデアッ!」


 父の声に民達が異常を察し、ざわめきが走る。


 今まさに自らの胸を貫いた彼も、歩み寄るリデアに気づいた。その目はすぐに見開かれ、突き立てていた剣の神器は力無く抜き放たれる。


 今やリデアと彼、二人の身体はゆっくりと消え始めていた。その肉体はやわらかな光となって、宙に溶けるように昇っていく。


 がらぁん、と音を立てて、彼の取り落した剣の神器が地面に落ちた。


 彼の口が震える言葉を紡ぐ。


「何という、ことを……」


 リデアの歩みが止まる。石の寝台を挟んで、リデアと彼が向かい合う。


 リデアは笑んでいた。作った笑顔ではない。自然と、笑みが浮かんできたのだ。


「お父様、ごめんなさい。お母様、今までありがとう。わがままな娘を、どうか許してね」


 父の声がする。


「ふざけるな! 私は、お前を……お前たちを! 死なせるために育ててきたんじゃない!」


 母の声がする。


「ダメ、リデア……! どうして、あなたまで……!」


 でも、リデアは振り返らなかった。すると、彼がまた口を開いた。


「何故だ、リデア。お前が死ぬ必要など、どこにも無いのに」


 彼は心の底から分からないという風だった。


 だから、答えた。


「だって。あなたが一人で逝くなんて、寂しいと思って」


 彼が絶句する。その間に、リデアは石の寝台の上に膝立ちで上る。ちょうど、顔の高さが二人同じになった。


 彼の身体も、リデアの身体も、どんどんと消えて行っていた。どうやら、あまり時間は無いらしい。


 リデアは両手を伸ばす。それから、そっと彼を抱きしめた。


 本当は口づけでもしてやろうかと思っていたのだが、それはちょっと恥ずかしかったのでやめた。


「ねぇ。もし、次があるなら。……その時は、ちゃんと私をお嫁さんにしてね」


 溢れる想いを言葉に乗せるように、リデアは彼にそう願った。


 すると、彼がその両腕でリデアを抱きしめ返してきた。


「……あぁ、分かった。約束する」


 ちょっとびっくりしていたリデアに、彼がそう言ってくれる。


 嬉しかった。想いが通じ合うという事が、こんなにも幸せなことだとリデアは知らなかったのだ。


「……うん。約束ね」


 空を見る。あんなに薄暗かった空は、いつの間にか明るい青を取り戻していた。


 消える、消える、消えていく。リデアも彼も、光となって消えていく。


 これが最後だ。だから、リデアは一番伝えたい言葉を口にした。


「あのね。……私はね、あなたを――」






「――愛しています」


 そして、全ては光となって――。






「私も、愛している」






 ――やがて、消えた。






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