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贄の王座と侍るもの  作者: 伊空 路地
第十章 愛が為に
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278 ルーツ


 栄華を極めた都があった。


 争いは無く、人々は豊かで、街並みは美しかった。


 都には名前が無く、ただ王都と呼ばれていた。


 その王都には、それはそれは見事な宮城がある。


 大きく、広く、そして壮麗な黒い石積の城である。


 当然、城があれば主がい居る。この偉大なる大国の王でもあるその男は、一人執務室で机に向かっていた。今日は男と国にとって大事な日だ。やるべき事は多かった。


 とは言え、少しは休憩も必要である。男はペンを一度置いて、一息を吐いた。


 すると、執務室のドアがコンコンと叩かれる。続けて、侍従を名乗る声が届いた。


 男が入室の許可を出せば、一人の侍従が入って来る。用件を聞くと、やや言い辛そうにしつつ口を開いた。


「その、陛下。……姫が居なくなりました。恐らく、抜け出されたものかと……」


 今日に限っては聞きたくなかった報告だ。男は苛立ちに溜息を零し、侍従をじろりと睨み付ける。


「よりによって、今日にか……」


「かねてからご不満を抱かれていたようでしたので……」


 侍従の遠回しな口調が他人事のように聞こえて、男はやはり苛立つ。


「そうと分かっていながら何故逃げられる?」


 侍従は慌てて弁明をしようとするが、男にそんなものを聞く気は無かった。手を振って黙らせると、命令を下す。


「すぐに連れ戻せ。顔合わせには何としても間に合わせろ」


「は、はい。そのように」


 侍従は逃げるように部屋を出て行く。それで、男はまた一人になった。


「あの馬鹿娘が……」


 年頃の娘が扱い辛いとは知っていたつもりだったが、自分の娘に限ってここまでのじゃじゃ馬なのがどうも気に食わない。男は頬杖を吐いてまた溜息を吐く。


「誰の婚約だと思っているんだ、全く……」





















 リデアは春が好きだ。


 冬の厳しい寒さが終わり、ゆっくりと雪が溶け始める。じんわりと暖かさがやってくる。


 都の人々も自然と和やかになる気がするし、賑やかさも増しているように思う。だから、リデアは春が好きなのだ。


 そんな大好きな季節で、天気は快晴。何より窮屈な城の外である。リデアは非常にご機嫌だった。


「ふんふーん……。あぁ、今日はとっても良い日!」


 今日が忌々しい婚約顔合わせの日だと言うのも、抜け出してしまえばもう気にならない。現実が無くなる訳では無いが、取り敢えずは忘れていられた。


 軽やかな足取りで商店街を歩く。気になったお店や物があれば寄って行って見て見たりもする。買えないのが残念だが、仕方ない。リデアは自分のお金という物を全く持っていないのだ。


「わ、素敵!」


 目に入ったお店に、思わず声を上げてしまう。


 それはどうやらお花屋さんらしい。表通りに見えるよう、色とりどりの草花が飾られている。


 寒さの厳しいこの国で花は貴重だ。白には花々の咲く庭もあるが、街中だと中々に珍しい。


 ちょっとドキドキしながら店に入ってみる事にした。


「失礼しまーす……」


 すると、ドアを開けた瞬間から良い香りが漂ってくる。如何にも花らしい、ふんわりとした香りに心が躍るのを感じる。


 そして開いた隙間から覗き込むように中を見ると――。


「おぉー……」


 光を浴びて鮮やかな彩りが目に飛び込んでくる。赤や青、白に黄色、それからたくさんの緑も。


 カランコロンと鈴を鳴らしてドアを開け放ち、リデアはようやく中へ踏み入る。


 室内はそれほど広くない。リデアが四人も居れば窮屈さを覚え始めるだろう。そしてそんな部屋がとにかくいっぱいの花たちで埋まっているのだ。


 大きな花、小さな花、美しい花、可愛らしい花……。色も姿も様々だ。


「すごーい……」


 感嘆しながらくるくると店内を見回していると、カウンターの奥から一人の婦人が出て来た。


「いらっしゃ――あら。失礼しました。……本日はよくぞ当店にお越し下さいました。どうぞごゆるりと」


 婦人はリデアを見ると、途中から明らかに態度を丁寧に変えた。まさか自分を知っているのか、と思ってリデアは聞いてみる。


「私のこと、知ってるの?」


 知られているとしたらちょっとマズい。そんな考えが顔に出ていたか、婦人は安心させるような笑みを浮かべた。


「いいえ。でも、高貴な方だと思いまして」


 リデアは自分の恰好を見てみる。


 お忍び用の一番質素な服だ。余計な飾りも今日は身に付けていない。靴まで味気ない物にしてきたのだが。


 そんなリデアを見て、婦人はおかしそうに笑みを手で隠す。


「綺麗過ぎますよ。平民には見えません」


 そう言われて、失礼を承知して夫人の服装を見てみる。


 服はリデアの物より更に質素で仕立てもあまり良くない。耳に飾りをつけているが、正直粗悪品だ。……なるほど、確かに比べればリデアの恰好は質素でも綺麗過ぎるかもしれない。


 自分の感覚は未だに平民の人とはズレているらしい。誤魔化す気にもなれなくて、リデアは素直に認めておくことにした。


「お忍び用の服、考え直さなきゃね」


「それが良いと思います」


 婦人がにっこりと笑って頷くので、リデアもちょっとの恥ずかしさを隠すように笑い返した。


「すると、本日はたまたまお立ち寄りに?」


 さりげなく話題を変えてくれる婦人の心遣いにありがたく乗っておく。


「そう。歩いていたらちょっと見かけて。とっても素敵なお店だと思ったの!」


「それはありがとうございます。如何でしょう。お気に召したでしょうか」


「えぇ、とっても! 本当に綺麗!」


「よかった。嬉しいお言葉です」


 にこにこと嬉しそうな婦人を見て、リデアはちょっと申し訳無くなる。自分がお客さんでは無いことを思い出したのだ。


「でも、気を悪くしないでね? 私、お金を持ってなくて……。何も買ってあげられないの」


「そんな、どうかお気になさらず。お褒めの言葉だけで十分ですよ」


 婦人は心底からそう思っているのか、朗らかな表情を崩さない。


「それなら良いんだけど……」


「えぇ、お心遣いに感謝いたします。……ところで、やはり花がお好きなのですか?」


 またも婦人は話題を変えてくれる。カウンターから出て来る婦人に、リデアは心の中でお礼を言っておいた。


「お花は好き。私の所にもあるけど……。でも、ここには見た事の無いお花がたくさんあるみたい」


 流石にお店ということだろう。知らない花のうち、目に留まったものに指先で触れてみる。


「これなんか、初めて見たかも。なんていうお花かな?」


 小さな木のような植物だ。枝の先に赤っぽいピンクの花が咲いている。


「それはサザンカ、というそうです。ずっとずっと東の国の花だそうで、私もこの冬に初めて見た物ですね。この国では本当に珍しい花と言えます」


「へぇ……」


 リデアはそのサザンカという花に顔を近づけてみる。すると、ふわりと香りを感じた。


「とっても良い香りがする。……東の異国かぁ」


 見た事も無い異国にこの花が咲いている姿を想像してみる。見た事も無い街、聞いた事も無い言葉を話す人々、そしてこの花。たったそれだけで、不思議と心がそわそわした。


 リデアが直接その地を歩む日は来ないだろう。遠すぎるし、仮にもこの国の姫なのだから。


 だからリデアは良く想像をする。自分が王族でもなんでもなくて、この国の外、広いという世界中を冒険する空想だ。


 リデアはこの国の中ですら行った事の無い場所がほとんど。そしてこれからもきっとそうだ。それを寂しいと思った事もあるけれど、今はもう受け入れている。


 それでも、やっぱりこの空想までは捨てられなかった。だって、きっと楽しいではないか。知らない土地を歩いて、知らない人たちと触れ合うなんて。


 遥か遠い異国の地。きっと咲いているのはこのサザンカだけではあるまい。他には、どんな花が咲いているのだろうか?


 そんな風にリデアが想いを馳せていると、婦人に呼ばれた。見せたい花があるという。


 婦人がカウンターの奥から取ってきて、カウンターの上に広げて見せてくれたのは、大切に留められた押し花のカード達だった。婦人はその内の一枚を取ってリデアに見せてくれる。


「これは、先のサザンカと同じ所から来た花です。寒さに弱く育たなかったのですが……。綺麗だと思いませんか?」


 それは今までに見た事も無い程に鮮やかな、見事な赤い花だった。四枚の花びらを広げる姿は十字に見えなくもない。


 本当に目の覚めるような赤色で、とても美しくて、リデアは一目でその花に心を奪われてしまった。


「すごい。本当に……綺麗」


 押し花なのが少し残念だ。きっと、咲いている姿はもっと美しかったろう。


 リデアが言葉も失くして見入っていると、婦人が提案を一つしてくれた。


「良ければ――これを差し上げましょう」


 予想外のその言葉に、リデアは驚く。大切で貴重な物のはずだ。自分などに譲っていい訳が無い。


 そう思って婦人の顔を見ると、そこには優しい笑みが浮かんでいた。それで、リデアは思わず口を閉じてしまう。


「お嫌でなければ、お傍に置いてあげて下さい。この花も喜ぶでしょう」


「……いいの?」


「えぇ、是非」


 恐る恐る、リデアは赤い押し花を受け取る。それは何度見ても、やはり鮮烈な赤だ。


 この美しい花が自分のものになった。じわじわと湧き上がってくる喜びに、リデアは笑みを隠せない。


「ありがとう」


「いいえ」


 壊さないように、優しく指で花に触れる。不思議と心がドキドキする。


 奇妙な事に、リデアはこの花に運命的な何かを感じていた。出会うべくして出会ったような、おかしな確信じみた感覚だ。


「大切にする。本当に、ありがとう」


「えぇ。良き出会いに感謝を」


 婦人はにっこりと笑った。リデアもまた、満面の笑みで返す。


「――そうだ。この花の名前は何と言うの?」


「あぁ、この花の名前は――」






「――サンタンカ、というそうです」






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