28 剣の祝福
騎士団長から奪った地図によれば、剣の安置場所はファーテルの都から川に沿って北へ1日ほど。さらに北土山脈の麓を半日ほど行ったところにあるらしい。普通の移動手段ならば二日以上はかかるだろうが、転移を用いる二人には関係が無い。
地図から計算した座標へ転移すれば、山脈の起伏に隠されるようにぽっかりと崖に空いた穴。大の男が身をかがめれば通れるか、といった程度の洞窟だった。贄の王を先に二人が中へ入り、”炎“の魔法で周囲を照らしつつ進む。
道中、騎士団長と話したことを伝える。顔を見られ、姫様だとバレたこと。『彼女』の名前を思い出したこと。それから、剣について語られたこと。無用な心配をかけるかと思って、隠し刃を突きつけられたことは隠した。
10分ほども洞窟を道なりに進むと、小さな石の祭壇にたどり着く。
それは本当にちっぽけな祭壇で、装飾も何も無い石の長方形が地面に埋まるように鎮座しているだけだった。その上には鞘に納められた一振りの剣がぽつんと置かれている。
「――あれが、【神託の剣】でしょうか……?」
「地図が本物ならば、そのはず……」
贄の王が警戒をしながら祭壇に近づき、剣に手を伸ばし……止まる。
「主様?」
屈みこんでいた贄の王は真っすぐに立ち上がり、サンに近くまで来るように言う。
「――サン。近づいても問題無い」
「はい、主様……」
サンも近づいて剣をよく見れば、それは古びた剣にしか見えなかった。藍色の鞘と柄は確かに、元は見事なものと思わせたが、酷く汚れていてみすぼらしくなってしまっている。柄頭に嵌められた赤い宝石もくすんで輝きを忘れている。
手に取ろうとして近づくと、ぴたり、と腕の動きが途中で止まる。
それは不思議な感覚だった。例えるなら、柔らかい布団に手を埋めるよう。
最初は柔らかく包まれ、どこまでも沈んで行きそうなのに、だんだんと抵抗が強くなり、最後にはそれ以上行かなくなる。そんな抵抗感が剣を包み込んでいるのだ。
弾かれるような、拒絶されるような感覚はしない。ただ、これ以上はダメだよ、と優しく引き止められるような、そんな感覚。
サンは手を引く。何となく、サンにも分かった。――これが、本物だと。
「手が進まなくなります。でも嫌われるような感じはせず、むしろ優しいような……不思議な感覚です」
「あぁ。私も同じだった。これが、あの男の言う祝福というものだろう」
しかしサンには主までも同じ優しさを感じる事が少し不思議に感じられる。
「この剣は【贄の王】を討つための剣。近づくには苦しさや痛みを伴うものかと思ったのですが……」
「私も似たような想像をしていたが……。さて、どうしたものか」
サンは【動作】の魔法を剣に伸ばしてみるが、やはり届かない。ならば“土”の魔法で間接的に、と思ったが剣まではやはり届かない。
「魔法もダメなようです。これではどうすることも……。破壊か、せめて奪ってしまえればと思ったのですが……」
「残念だが、そう簡単にもいかないらしいな……。ひとまず、洞窟の入り口だけでも隠すとしよう。あそこまでは祝福も邪魔をしまい」
その後、贄の王とサンは思いつく限りのことを剣にしてみる。強力な魔法を撃ちこんでみたり、物理的な攻撃を試みたり。だが魔法は剣の周囲で霧散し、攻撃は空中で優しく受け止められてしまう。
破壊や奪取を諦めた二人はせめて、と剣の調査をすることにする。
「鞘から抜けないので刃は見られませんが、見た目には古びた剣ですね」
「作られた当初は見事だったが、経年劣化が酷いと言った有様だな。刃が無事なら、使えないことは無いだろうが……」
「剣としてよりも、その祝福が本命……ということはありませんか。例えば、持っているだけで何かしらの力がある、というような」
「それであれば、初めから剣でなくてもいいはずだ。剣の形を取っているのは必要あってのこと、私はそう思う」
「確かに、そうですね……。それに、主様の権能を思えば常識で測るのは愚かであるかもしれません……」
「その通りだ。見た目から判断するべきではない」
サンは足元から適当な小石を拾い、剣に向かって放り投げてみる。放物線を描いた小石は剣を避けるように軌道を変えて落ちる。
「神託者であればこの剣を手に取れるのであれば、神託者とは何なのでしょうか。――まさか本当に、神が神託を下した選ばれしもの、ということでしょうか」
「選ぶのが神かは分からんが、遠からずかもしれん。事実私も贄の王座に選ばれることで贄の王となった……。つまり、では……?」
そこで贄の王は何かに思い当たったらしく、思考に潜り込む。こういう場合の主は声をかけても返事が返ってこないことを知っているサンは、目の前の剣を分析しようとする。
見た目にはただの古びた長剣であるが、生物、魔法、その他物質や現象の影響をことごとく受けない。石も風も炎も何も、である。
とすると、むしろ疑問なのは石の祭壇の方である。曲がりなりにも祭壇は剣に触れている。
ならばと祭壇に焦点を当ててみる。これも見た目には、経年劣化でぼろぼろになったただの石の直方体である。剣より一回りほど大きいだけの天面に、膝ほどの高さ。構成する物質は洞窟内部を構成する岩壁と同じように見える。ちなみに、祭壇への攻撃などは剣の祝福の範囲内らしく、及ばなかった。
――権能の力なら何か変わるだろうか。
先ほど主が剣にぶつけようとした”闇“の魔法は無効化されてしまったが、権能で剣に直接干渉しようとはしなかった。
「主様、主様。よろしいでしょうか」
「……。――ん、なんだ」
「いえ、主様の権能で直接剣に干渉してみるというのは試していなかったと思いまして」
「なるほど。やってみよう」
贄の王は右手を剣にかざして向ける。すると――。
突如、剣が”光“を放った。
それは剣に手を伸ばした時の優しさは知らず、はっきりと”拒絶“の強さを持っていた。閃光が暗い洞窟の中をひと時だけ照らし、サンは思わず目を覆う。
光はすぐに収まり、洞窟は元の暗さを取り戻した。恐る恐る、といった様子でサンが剣を伺えば、先ほどまでと何も変わらないでそこに置かれているだけだった。次に横の主を伺えば、驚きに目を見開いている。
「権能が弾かれた。拒絶された、と言った方が正しいか……。剣自体が反応したのはこれが初めて……。やはり……?」
「あ、主様……。ご無事ですか?何ともありませんか?」
「あぁ。少し眩しかっただけだ。何ともない……。だが、分かったこともある」
「分かったこと、ですか」
「これは、【贄の王座】と似たようなものだ。形はまるで違うが、その本質は恐らく同じ……光と闇で対極ではあるが、同じようなものだ。権能を拒絶された時、似た感覚に襲われた。私が贄の王として選ばれたときと似た感覚だ。超常の存在……。何か、人の身では及ばず、触れることも無い何か。そういったものに触れたとでも言えばいいか……。説明が難しいな」
「……闇における【贄の王座】が光における【神託の剣】。よくは分かりませんが、例えば贄の王座に剣の持つ祝福をぶつけられたとしたら、同じような拒絶が起こるのでしょうか」
「起こるだろう。発せられるのは光でなく闇であろうが。光を核として剣を作り、闇を核として王座を作った。誰が、何故、とは全く分からない。贄の王もそうだったが、剣の持つ力に理屈や理論は当てはまらないと思った方がよさそうだ。ただ、あるがまま受け入れるより他に無い」
サンは考え込む。かつて見たあのおぞましい”闇“。その対極にあるのがこの剣だと言う。であれば。
「【神託者】と【贄の王】も対になる者、ということですか」
「そうだな。そうなる……」
「……主様の権能をもって何故贄の王たちが討たれて来たのか、疑問でしたが……。つまり相手も同じような超常の力を持つということですね……」
はっきり言ってそれは非常に困るのがサンだ。
何故ならば彼女の目的は贄の王が討たれるという宿命を変えること。最悪の場合自分が【神託者】の前に立ちはだかることもあるだろうに、それが主の同類とは。
勝ち目が低いとかではない。嵐に立ち向かったとして、人に何が出来るというのか。
もう一つ疑問も浮かぶ。【贄の王】と【神託者】が同類ならば、何故負けるのは【贄の王】の方なのか。嵐と嵐がぶつかり、必ず片方だけが消える。それには、どういう必然があったのだろうか。
【神託の剣】を見ながら、サンは考える。
この剣に、自分はどうすることで抗えるのか――。
胸の内にちらつく絶望の予感から目を逸らしつつ、サンはそっと拳を握るのだった。




