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贄の王座と侍るもの  作者: 伊空 路地
第十章 愛が為に
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270 いつまでも供に


 綺麗に整列した足音の群れがサンの意識を現実に引き戻した。


 近衛の兵たちが真っすぐに歩いてくる。


 サンに向かって、では無いようだった。彼らはサンの事などほとんど見てもいない。


 それでも顔を見られる訳にはいかないと、慌ててフードを被り直す。彼らは軍人、それも近衛なのだ。姫だったエルザを覚えていないとも限らない。


 やがて、サンと近衛たちがすれ違うほどに近づく。すると――。


 ザッ、と。近衛たちが足を止めた。


 怪しまれたか、とサンが身を固くする。すぐに動けるよう身構えながら次の動きを待っていると、近衛たちは無言のまま何かをずいっと差し出してくる。


 それは、木皿に注がれたスープであった。


 予想外の展開に不意を突かれ、思わず受け取ってしまう。


 サンがそのまま固まっていると、近衛たちはサンから目を外しさっさと歩み去ってしまった。まるで、何事も無かったかのように。


 彼らの行く先を見ていると、道端で座っている老人にも同じようにスープを渡し、やはりさっさと行ってしまう。


 ……つまり、近衛たちはこのガレキの通りで人々に食事を配っている、らしい。


 警戒していた事が何だか馬鹿らしくなり、サンは渡されたスープに口をつけてみる。


「……美味しくない」


 軍の炊き出しなんてこんなものか、とは思いつつ捨てるのも悪いので続けて口に運ぶ。空腹かと言えば、まぁ空腹だった。






 すっかり飲み干してしまうと、残った皿の扱いに困って、返した方がいいのかなと近衛たちを追ってみる。


 少し言った先で見つけた彼らは、相変わらず淡々とスープを配り歩いていた。


 サンは小走りで隊に追いつくと、後方で指示を出していた男に近づいて声をかける。


「あの」


「ん……? 何だ?」


 振り返った男は、凡庸な茶色の髪と瞳をしている、まだ三十歳にも十日内だろうという程度の若い男だった。


 ありがとうございました、とだけ言って皿を差し出す。男は僅かに怪訝な表情を浮かべたが、皿を受け取ってくれた。


「帰る場所があるなら、帰るがいい。こんな場所に若い女が居るべきではない」


 男は義務的な口調でそれだけ言うと、サンから目を外して近衛たちへの指示に戻った。様子から見て、隊長的な立場であるらしい。


 何となしに、サンはその様を眺めていた。近衛たちが隊列を組んで歩き出せば、やや遅れてサンも続く。近衛たちは人を見つけてはスープを与え、また進む。


 そんな道のりがしばらく続き、やがて当たりの景色が変わる。どうやら、魔物の被害地域を抜けたらしい。いつの間にかガレキは失せ、血の跡も死臭も無くなっている。


 近衛の隊はそこで歩みを止める。先の隊長らしい男が「先に帰れ」と隊に指示を出してから、さっさと隊列を外れてどこかへ向かっていく。


 残された隊は真っすぐ宮城の方へ去って行くので、サンは一人外れた隊長らしき男の方について行ってみる事にした。


 人ふたり分くらいの間隔をあけて、どこかへ向かっていく男の背を追う。特に、隠れたりはしていない。


「面白い所へ行くわけでは無いが」


 男の方も当然、サンがついて来ている事には気が付いているようで、背中越しに言葉をかけてきた。


「構いませんよ」


 サンも言葉を返す。言ってから、構わないという返しは少し違うな、などと考えていた。


「どうして近衛ともあろう方々がわざわざ炊き出しなんてしているのですか?」


 今度はサンの方から質問を投げかける。


「人手が足りなくてな。部下どもは不平不満に事欠かないようだが」


 あらゆる兵の中で最も高貴な出自が集められているのが近衛だ。当然、皆貴族である。こんな雑用のような仕事ではプライドに関わると考える者も居るだろう。


「凄まじい被害でしたからね」


 直接知っている訳では無かったが、あのガレキだらけの通りを見れば被害の大きさくらいは何となく分かる。


「あれだけ魔物が湧いて出たとなれば、むしろ良く抑えた方だろうがな」


 それは確かにそうだろう。かつてターレルの都で暴れ回った【聖女】などはターレルの都の半分、東都をまるごと壊滅させてしまったのだから。


 【聖女】ほど強力な魔物も珍しいのではないかと思うが、それでもファーテルでは複数の魔物たちが出たのだ。【聖女】に匹敵する被害が出ていてもおかしく無かったと思う。


 それだけファーテルの軍や神官騎士団が上手くやった、という事だろうか。






 ――しかし、疑問だった。


 どうして、自分はこの男について行っているのか。


 どうして、自分はこの男を警戒していないのか。


 この男はよりにもよって近衛なのだ。王族にも近しく、姫だったエルザを監視していた近衛なのだ。嫌いこそすれ、こんな無警戒に同道するような相手では無い筈だ。


 本当に、不思議だった。


 恐らく、サンの知らない何かがあるのだろう。サンを作った彼女たち――きっと、エルザやラインファーンだけが知っている何かが。






 どれほどそうして静かに歩いただろう。とうとう近衛の男が足を止めた。


 そこは、墓地だった。墓地の中の、立派な霊廟の前だ。


 男とサンは横並びに立ったまま、しばらく無言のままでいた。何気なく口を開いたのは、サンの方だ。


「――ご家族ですか?」


 外していたら中々の非礼だが、何となくそうだと思ったのだ。


「両親だ。代々の先祖も眠っている」


 男は何でも無いように答えた。察するに、この霊廟は彼の家が持つものなのだろう。


「今回の呪いで?」


「あぁ。魔物の被害に巻き込まれた」


 男はあくまで淡々とそう述べた。だから、サンも淡々と言う。


「残念ですね」


「あぁ」


 それきり、また沈黙が降りる。


 決して居心地が良いとまでは言わないが、さりとて気まずかったりもしない。


 春の終わりにはちょっと涼しいそよ風が吹く。風は霊廟の傍らにある花壇に咲く黄色い花を少しだけ揺らした。


 何故だかサンはその花の名前を知っていた。タンジー、という花だ。


 そして、本当に何故なのだろうか。――サンの胸の真ん中が、ぽっと熱くなった。


 暖かくて、でも切なくて、ひどく懐かしいような――寂しくて、嬉しい熱。


 ふと、今度は男の方から口を開いた。


「思い入れのある花でな」


「……そう、ですか」


 サンが不思議な熱に囚われて、何と答えればいいのか分からないでいると、男は静かな口調で語り出す。


「我が家は代々、近衛騎士団の長を務めてきた。今は父上の弟殿が務め、行く行くは私が務める事になるだろう」


「……えぇ」


「我が家はそもそも、一人の女性が祖だ。――彼女の名前は、エッフェンティート。現代へ続く魔導学の基礎を作った偉大な魔法使いだ」


 その名前なら、サンも少しだけ知っていた。


「エッフェンティート……。全ての魔術に通じ、史上で唯一、三極天を行使した大魔法使い」


 三極天の大魔法。それが人間の限界だとされているのは、単純にそれを越える記録が一切無いから。要するにこのエッフェンティートの偉業が由来だ。サンの限界はまだ二極天であるから、エッフェンティートはサンを大きく超える凄まじい魔法使いだったのだろう。


「そうだ。しかし、一点だけ違う。エッフェンティートが至ったのは三極天では無い」


 その言葉に、サンは驚く。魔法使いにとっては余りに当たり前の逸話だったからだ。


「世間的には秘されているが、子孫である我が家には密かに伝わっている。エッフェンティートが行使したのは、四極天だ」


「まさか……!?」


「真実だ。何故なら、その証拠が今もある」


 そう言って、男は目線を遠くに向ける。その先を追って、サンも視線をやる。


 果たして、その目に映ったのは――。






「――北土山脈。人類を魔境より守る巨壁」






 ファーテルの都は北土山脈からほど近い位置にある。都から北に目を向ければ自然、見えるのだ。


 天を支える、偉大な山並みが。






「“土”の四極天【己白守陣(みはくしゅじん)】。その結果こそ、あれだ」


「そんな……」


「考えた事は無いか? 北土山脈の()()()()()を。東西に真っすぐ、見事に魔境と人間の領域を別っている。まるで、誰かが人類を守ろうとしたかのように。まるで、誰かがそれを望んだように」


 信じ難い。


 四極天など。北土山脈が人間の手で作られたなど。


 しかし、わざわざこの男が嘘を口にするはずが無い。だから、真実なのだ。間違いなく。


 それが真実だと飲み込まれてゆくのと同時、サンの中で急速に蘇るものがあった。






「――私、行きます。行かなくちゃ」


「あぁ。行くと良い。ただ、その前に――祈っていってやれませんか」


 男は目の前の霊廟に目線を戻して言った。


「……私、神は嫌いなので」


「それでも。――人が何故に祈るのか、知っていますか」


 サンがその問いに答えないでいると、男は続けて語る。


「何も、出来ないからです。……誰かの為、死者の為。何かしてやりたい、でも出来ない。だから、せめて祈るのです。祈る事しか、出来ないから。……だから、祈ってやってやれませんか。せめて、この花に」


 男は霊廟の傍ら、花壇に咲くタンジーの花に目を向けて言う。


「神など信じなくていい。救いなど望まなくていい。だから、ただこの花のために」


 男の静かで真摯な願いを聞いて、しかしサンは首を振った。


「それならば、私はまだ祈る訳にはいかない。だって、私に出来る事はまだ、あるから」


 ――この花のために。私が出来ること。


 ――それは、きっと――。


 すると、男は一つ頷いた。


「なるほど。……そうですね。確かに、そうかもしれない」






「――では、私は行きます。私だけに、出来る事を果たすために」


「えぇ」


 サンは男に背を向け、走り出そうと――。


「最後に! ……ひとつだけ」


 男に呼び止められる。サンは振り返らず、そのまま聞く。






「――忠誠は、果たされましたか」






 その問いかけに、サンは。


 サンタンカは――。






「――いいえ。……でも」


 サンは花壇のタンジーに目を向けて言う。


「――最後まで、()にあります」






「……そうですか」


 サンの返事を聞いて、男が何と思ったかは分からない。


「それでは、さようなら」


「えぇ。――さようなら」


 サンはすぐに走り出し、振り返る事は無かった。





















 霊廟の前には、男が一人残される。


 男はタンジーの花を眺めて、誰にともなく呟いた。


「よかったな」


 男は、僅かに微笑んでいた。






 そよ風に、タンジーの花が揺れている。ゆらゆらと、どこか嬉しそうに。


 男はそれを、やはりどこか嬉しそうに見つめていた――。






タンジー(【独】rainfarn)

花言葉:『あなたとの戦いを宣言する』など。

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