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贄の王座と侍るもの  作者: 伊空 路地
第十章 愛が為に
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267 振り返らないで


 屋敷を抜け出す準備は手早く進められた。


 誰にも気取られないよう、決して機会を逃さぬよう、慎重ながらに素早く。


 屋敷自体から出るだけなら障害は何も無いが、この屋敷は周囲を警備兵たちが絶え間なく哨戒している。彼らの目を欺かねばならない。


 荷物は必要最小限に留めた。


 幸いにして贄の王は、“闇”の剣などサンの愛用している装備たちをそのままに残してくれていたので、武装に不安は無い。


 お金もそうだ。贄の王はサンが不都合する事の無いよう、十分過ぎる金銭を置いて行ってくれた。これを持ち運びに不便の無い分だけ持っていく。旅に必要な物は屋敷を離れてから買い揃えるつもりだ。


 ヴィルは、連れて行けない。


 本当は連れて行ってあげたかった。だが、元よりサン一人でさえ到達出来るとは到底思えないような道のり。ヴィルを守り抜いてやれる自信が、サンには無かった。


 丸一日を準備に費やし、決行は明朝、薄明どきと定めた。


 サンはヴィルと最後になるかもしれない夜を共に過ごし、同じベッドで眠った。


 そして――。


 まだ日も昇らない朝。サンとヴィルは、並んで屋敷を出ていった。






 二人並んで、手を繋いで歩いて行く。


 こうしていると、ヴィルは出会ってからたった一年の間に随分大きくなったと実感する。子どもの成長は早いと聞くが、本当に目を見張るばかりだった。


 楽しかったな、と思う。


 贄の王の下で目覚めてから二年。ヴィルと出会ってからは一年。決して長い時間では無いかもしれないが、それでもサンにとってはとても素晴らしい日々だった。


 人ならぬモノとして生を受けながら、人のように生き、愛し愛されてきた。


 血の繋がりは無い。だが、サンにとっては二人だけの家族だった。


 別れは辛い。だが、きっと永遠では無い。


 また会える。いや、また集うためにこそ、サンは行くのだ。


 屋敷を出て、庭を出て、警備の哨戒線が張られている森が近づいてくる。すなわち、ヴィルと居られる時間はここで終わりだ。


 サンは膝を地面につくと、ヴィルと向き合う。


 それから、思いっきりに抱きしめた。


「ヴィル」


「うん」


「大好きですよ」


「うん。だいすき」


「一時、ほんの少しだけ、お別れです。でも必ず、また逢いましょう。主様も一緒に、三人で」


「うん」


「ヴィル。愛しい子。……あなたの名前は、ヴィルアイド(意志の誓い)。あなたの名前に誓います。必ず、帰ってくると」


「うん。……やくそく」


「えぇ。約束です。……じゃあ、行ってきますね」


「うん……っ。いってらっしゃい、サン」


 それだけ言って、二人はどちらからともなく離れた。


 そのままサンは振り返らずに、真っすぐ森へと向かっていく――。





















 ヴィルは、その背中を眺めていた。


 寂しさや辛さはもう無かった。


 何故なら、約束してくれたから。


 必ず帰ると、誓ってくれたから。


 その背中が森の中に消えて行って、見えなくなる。


 そこまでをしっかりと見届けてから、ヴィルは準備を始めた。


 実は、サンに隠れてずっと習っていたのだ。いつか役に立つ日が来るから学んでおけ、と言われて。


 だからサンに見せるのは、これが初めてだ。


「『えん天、る転、めぐる点。われは見おくり、なんじのかどでに祝ふくせん。――【贈り火】』」


 ぽう、とヴィルの身体のまわりにいくつもの火が灯り、薄暗い朝の空気に浮かび上がる。それらは舞うように大きく、花開くように艶やかに、ヴィルを中心に灯火の乱舞を演じて見せる。


 そしてヴィルの頭上で一点に集うと、鮮やかで華やかな火柱となって天に昇って行く。輝くような火の光が、薄明の闇を切り裂いて、高い空まで貫いていく。


 それは祝福の炎。旅立つ者の無事を祈る、小さく僅かな贈りもの。


 途端に明るくなった辺りから、途端にざわざわと騒がしくなり始める。


 当然だ。まだ薄暗い朝に火柱など立ち上げれば、酷く目立って人目を惹く。警備の者たちも何事かと集まって来るだろう。


 ヴィルは間もなく警備の者たちに見つかり、また屋敷へと連れ戻される。


 だが、サンはその隙を逃さずに行ってくれるはずだ。


 これは無力な自分に出来る、せめてもの手伝いと見送り。


 行ってらっしゃい、また逢おうねと、そんな想いをただ込めながら。


 ヴィルアイドは火柱が消えてゆくのを眺めていた。


 きっと、サンにも見えたはずだと信じて――。





















 静かに、素早く、密やかに。サンは森の中を一人抜けて行く。


 背後の方で立ち昇った【贈り火】のお陰で、警備の目はそちらに向いているはず。すれ違う瞬間だけは危険だが、一度やり過ごせれば比較的安全に抜けられるだろう。


 【贈り火】を使ったのはヴィルに違いない。一体いつの間にあんな立派な魔法を使えるようになっていたのだろうと、サンはつい嬉しさに笑んでいた。


 元より賢い子ではあったけれど、サン達の下に来るまでは言葉を発する事も出来なかったのに。触れる機会すら無かったであろう魔法という力を確かに己の物としていた。


 教えたのは贄の王しかいない。贄の王なりにヴィルを可愛がっていたようだから、きっと魔法という力を与えたかったのだろう。


 ずっとサンだけ秘密にされていたのは、きっと驚かせたかったに違いない。


 ――ちゃんと見えましたよ、ヴィル。とても、立派な魔法だった。


 【贈り火】は決して難しい魔法では無いが、初歩と言うには一歩進んでいる。ヴィルにはきっと、素晴らしい魔法の才があったに違いない。もう一度会う時には、たくさん褒めてあげなければ――。


 サンは誇らしい気持ちでいっぱいになる。あぁ、早くも再会が待ち遠しい。


 そしてそこには、必ず贄の王も居なければ。


 既に固い決意が、今一度確かさを増してサンの胸で熱を持つ。


 今日までの停滞を取り戻すように、弱々しい自分を焼き尽くすように、熱く熱く燃え上がるそれはまるで炎だ。


 やり遂げる。成し遂げる。絶対に、生きて帰る。


 必ず、贄の王とヴィルと、サンの皆でまた過ごすのだ。


 ――待っていてください、主様。


 ――お別れなんて、絶対に許してあげませんから……!


 サンは行く。森を抜け、たった一人でひたすら北へ。


 その向こうにどんな苦難が待っていても、もう立ち止まる事は無いと思えた。


 その心には、もう迷いなど欠片も無かったのだ。





















 朝。既に起きていたアルマンは駆け込んできた伝令の報告を聞いて、清々しい気持ちになった事を否定出来なかった。


 ずっと気に病んでいたのだ。あの少女が、その生来の気力を失ってふさぎ込んでいる姿を見る度、アルマンは幾度も自問自答した。


 贄の王からサンを保護するよう命じられたとき、反対すべきだったのではないか。


確かに敬愛する魂の主君が命じた事ではある。だが、アルマンはその命令に心から賛同出来た訳では無かった。


 贄の王なりに少女を想っての事だと分かっていたから、諦めるように従った。だが、それが少女の生きる意味を奪うと同義であると、気づいていたのだ。


 あの少女は自分と同じく、いやそれ以上に忠誠心が強い。主君に置いて行かれ、その忠誠のやり場を失くすなどそれこそ死ぬより辛い事だったはずだ。


 だから。


「如何致しましょう、将軍。既に捜索の追手を向かわせ――」


「いや、いい」


「――てはありますが……いえ、今なんと?」


「追わなくていい。子どもの方は保護したのだろう? 今更抜け出しもしないだろうが、そちらだけ厳重に見守ってやってくれ」


「しかし、あの少女は……」


 伝令はひどく困惑したような顔をしている。


 仕方の無い事だろう。わざわざ国軍最高司令官のアルマンが自ら預かり最重要案件とした少女の保護、それをわざわざ撤回しているようなものなのだから。


 実のところ影で「将軍の愛人」などと噂されていたのも知っているし、多分目の前の伝令が困惑しているのはその噂の影響もあるはずだ。


 職権の乱用と誹られてまで守りたがっている最愛の少女が消えたのに、追わなくていいとは――なんて、きっと内心思っているのだろう。


 もちろんアルマンにそんな気持ちは無い。アルマンと少女は同じ主君を抱く仲間ではあるが、それ以上では無いのだ。


「いいんだ。彼女の事は追わなくていい。万が一発見した場合にも連れ帰るな」


「は……はっ。将軍がそう仰るのであれば……」


 アルマンは伝令を下がらせると、一人目を閉じて少女の行く末に想いを馳せる。


 困難は多いだろう。しかし、必ずや辿り着く。そう信じている。


 そして、届く筈も無い激励を贈った。


「行けよ、サン。君の居場所は、こんなところじゃあないんだろう」






「陛下の事を、頼んだよ……!」







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