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贄の王座と侍るもの  作者: 伊空 路地
第九章 神を失くした大地
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261 今一度の因縁


 とん、と軽い音を立てて、サンは屋根の上に降り立った。


 今は一人だ。贄の王は居ない。


 辺りの街並みは酷い有様だ。雨のように降り注いだ落雷の痕だろう、家々はいくつも瓦礫と化して、木々はどれも黒焦げで砕けている。


 加えて、今回の戦火だ。


 遠く、サンの視界の向こうの方ではもうもうとした黒煙がいくつも空に向かって伸びている。先行している上陸軍が防衛戦力とぶつかっている証だ。


 わざわざ耳を澄ますまでも無く聞こえて来るのは砲と銃の奏でる声、そして魔法たちの発動音。わぁわぁとした、人間の声が混じり合った音もある。いつの間にか聞き慣れてしまった、戦争の音だ。


 はぁ、と大きなため息を吐く。またこの音を聞いている事が少し憂鬱に感じられたのだ。


 サンは戦争など好きではない。ただ、その理由はどこかで聞くような人類愛だとか平和愛だとかでも無かった。


 戦争は人が死ぬ。当たり前の事だ。


 そして、その一人一人の死者たちにも家族が居て、夢や願いがあって、とても死にきれないような想いを抱えているかもしれなくて、というのもまた当たり前の事だ。


 だから、もし彼らの死を願い、人類の破滅を願うようになってしまったら。エルザやシャーを殺した人々を憎み、復讐を願うようになってしまったら。――自分も『人間』と同じになってしまうような気がしていた。


 サンは『人間』が嫌いだ。


エルザやシャーを殺してのうのうと平穏を貪る『人間』が嫌いだ。


 知りもせずに贄の王を忌み嫌い、罪無き主の死を糧に未来を生きようとする『人間』が嫌いだ。


 だからこそ、サンは『人間』を憎まない。


 誰かを殺さねばならないなら、その人にも家族や幸せがあった事を忘れない。誰かの死を踏み越えねばならないなら、その人にも夢や未来があった事を忘れない。


 その死を望まない。その魂を踏みにじろうとしない。


 もしそうなってしまえば、それはサンが『人間』と同じになった事を意味すると思うから。


 死を悼み、血を拭い、骨を抱いて生きる。それがサンなりの覚悟で、サンなりの『人間』との決別だった。


 だから、死をばらまくような戦争は好きではない。当たり前の顔をして人を殺していくその姿が、とても『人間』らし過ぎるから。嫌う者たちにさえ死を望まないと決めたサンにとって、その有様はまるで相反しているから。


 だから、戦争は好きでは無い。


()()な事だからと飲み込んでしまっても……また『人間』と同じ、だよね」


 だから、サンは戦争を忌避し続ける。多分、死ぬまでずっと。


 それでいいと思う。それがいいと思う。


 どんな形であれ、人の死を願うようにはなりたくないと、サンはそう思う。


「この戦争も、早く終われるように……。そろそろ動き始めの頃合い、かな」


 仮面をつけ、フードを被って、顔を完全に隠す。


 それから、サンは一振りの剣を抜く――。





















 ターレルからすればラヴェイラの強襲は全く前触れの無いものだった。


 海であれ陸であれ、幾重にも敷かれた防衛線を一息かつ報せさえ許さずに全滅させてくるなど、一体どうして予見出来るだろう。最後方である都に置かれている防衛戦力が然程大きいものでないのは、ある意味当然と言えた。


「――シックザール!」


 ラヴェイラの強襲戦力は、軍事に明るい者ほど信じ難い規模。それこそ、ラヴェイラ本土の防衛を放棄するような捨て身の作戦としか考えられない。


 今のターレルの都にはこの戦力差を覆すだけの力が無かった。


 ――たった一つを除いて。


「……出来ません、台下」


 シックは苦痛を堪えるような表情を隠す事も出来ず、教皇の命を拒否した。


「何を言う。このままでは神の愛された聖地が侵されてしまう。神の御意志に逆らう事になってしまうのだぞ。お前しかおらん。お前しか、あの軍団を撃退出来ないのだ!」


「出来ません、台下……!」


 シックは強い。その天稟(てんぴん)の剣才は最早このターレルの都において並ぶ者の無い程である。


 だが、所詮は個人。戦争の趨勢(すうせい)を自在にする事など出来得る筈も無い。


 そんな事は教皇にだって分かっているだろう。つまり、教皇がシックに命ずる真意は――。


「【神託の剣】は神様より使命と共に託された物です。それを人間の争いに使うなんて……!」


 【神託の剣】。


 その白刃に秘められた力の強大さは人智を越えたところにある。その力を振るうならば、確かに人間の軍勢など簡単に滅ぼしてしまえる。


 だがその本質は神より【贄の王】を討つべく与えられた聖剣だ。この大地において唯一その力を扱える人間として、絶対に向ける先を間違えてはならない。ましてや同じ人類に向けるなど、絶対に受け入れがたい。


「シックザール! では、お前はこの聖地シシリーアを神に唾吐く異端者たちに穢させると言うのか!」


「それは、しかし……!」


「ならん、ならんぞ! ここで我らが異端者たちに討ち取られようものならば、神の御意志を代弁する者が居なくなってしまう!」


「彼らだって主に愛されし人々です! そんな、台下を(しい)することなんてするはずが無い!」


「事実この都に攻め込んできているのが証拠だ。奴らは神の御意志に反する異端者どもよ。その脅威を振り払う為、お前の力を使うのだ!」


「なりません、台下! これは人の戦いに使っていいような物では……!」


 話は完全に平行線だ。都防衛に【神託の剣】を振るえと言う教皇と、人の争いに【神託の剣】を抜くなど出来ないと言うシック。どちらもが絶対に譲れないと引かず、不毛な論を繰り返す。


 ――その時だった。


 ぞわり、とした激しい悪寒がシックの背を走る。弾かれたようにシックは駆け出し、()()を感じた方向を目指して走った。


 ぶつかるように窓に辿り着き、その向こうを見やる。


 すると、見下ろす都の彼方から、黒い黒い影のような何かが天に向けて立ち昇った。


 それは影であり、暗い霧であり、光を失くした炎であり、反転した太陽である。


 光を呑み込み、星を消し去り、天地を穢す。


 【贄の王】のみに許されたはずの、“闇”であった。


「……呼んでいる」


 ぐっ、と拳を強く握りしめる。


 あそこに居るのだ。光あるものより忌み嫌われる、闇のものがあそこに居る。


 そして、【神託者】たる自分を呼んでいるのだ。


「……今、行くよ」


 誰にともなく呟くと、シックは窓に背を向けて再び走り出すのだった。





















 使う事に恐怖が無い訳では無かった。


 特に前回この力を振るった時、自分が“闇”に呑まれかけた事を思えば、つい躊躇ってしまうのはむしろ当然と言えただろう。


 それは【神逆の剣】。


 贄の王より与えられたサンの愛剣が本来の力を解放した姿であり、サンにとっては奥の手の一つ。


 多大なリスクと引き換えに、サンに超常の力をもたらす“闇”の剣だ。


 身の丈を何倍も超える巨大な刀身は揺らめき続ける”闇”そのもの。鮮血のような赤の輝きを放つのは、核たる宝石。秘めたる力は、【贄の王】にすら迫るほど。


 そして、サンが【神託者】と渡り合える可能性を持つ唯一の頼り。


 恐ろしさはあるが、これ以上無い力だ。特に今回の作戦では要になる。恐怖を押し殺し、抜き放つ事に迷いは無かった。






 しばし、通りの中央でそのまま待つ。


 すると、道の向こうから異常を察知した兵士数名が駆けて来るのが見えた。彼らはライフル銃の射程範囲で止まると、サンに銃口を向けてきた。


「なんだ、アレは……っ」


 兵士たちの顔ははっきりと分かるほどに青ざめ、彼らの目はサンの持つ【神逆の剣】に向けられている。


「貴様ッ! 何者だ、そこで何をしている……!」


 銃口を向けられても怯む様子を見せないサンに、彼らの恐怖は増したようだった。震えを押し隠しきれない怒声で、サンに誰何してくる。


 さて何と答えたものだろうか、とサンは少し思案した。ターレルの言葉はまだまだ拙く、ごく簡単な単語しか分からないのだ。


「……待ってる」


 サンが拙い言葉で返答をすると、彼らは驚いたようにびくりと身体を震わせた。


 言葉も通じないような何かに見えたのだろうか、と少し気になる。


「待つ、だと……? 一体何を……」


 【神託者】とはターレルの言葉で何と言ったのだったか、と考えたところで、正直に答える必要も無いと気づく。要は、適当に時間が稼げればいいのだ。


「……すぐに、来る」


「何を……。いや、いい。ソレを捨てて投降しろ! さもなくば撃ち殺す!」


 ……失敗してしまった。会話で時間を稼いでおこうと思ったのだが。


 彼らを屠るのは何も難しい事では無い。右手に持った【神逆の剣】を一度振り抜けばいいのだ。彼らは引き金を引く事も出来ずにバラバラに消し飛ぶだろう。


 しかしサンの目的は殺戮には無い。発砲してくるようなら容赦はしないが、不要に命を奪うつもりも無かった。


 どうしようかな、と考えていると――。


「……あぁ。……来た」


 サンが目を向けた、兵士たちの更に向こう。


 そこに一人の少年が立っていた。


 右手に鋼の剣をぶら下げて、サンの事を見つめていた。






「――下がってッ! 手を出してはいけないッ!」






 シックの声に兵士たちが振り返った。口々にシックの名を呼びながら、困惑を露わにしている。


 シックは兵士たちを庇うように前へ出てくると、剣を構えて叫んだ。


「あなた達は下がってください! こいつの相手は、俺が!」


「しかし――」


「大丈夫です、俺に任せて! お願いですから、撤退を!」


 兵士たちはやはり困惑している様子だったが、やがてじわじわと後退を始める。


「分かりました。……どうか、ご無事で!」


 それだけ言うと、兵士たちは振り返って駆けて行く。サンは彼らの背をぼんやりと眺めていたが、すぐにシックの方へ視線を移す。


「ありがとう。彼らを殺さないでいてくれて」


 シックがそう言う。有難いことに、ラヴェイラの言葉だ。確かに、【従者】としてシックと会うときは大抵ラヴェイラの言葉を使っていたなと思い出す。


「意味も無かったので。……変なお礼ですね」


「その“闇”を感じた時、既に大きな被害が出ている事を覚悟していた。だから、嬉しい誤算だったよ」


 人を殺人鬼みたいに言わないで欲しい、と思ったが口を閉じた。実際、命じられれば躊躇なく殺戮をしていた自覚があるからだった。


「まぁ、そんな事は良いんです。来てくれてありがとうございます、【神託者】」


「……お前が呼んだんだろう」


「そうですね。……さて、私の目的は時間稼ぎです。ラヴェイラの軍が都を制圧するまで、ここに貴方を釘付けにする」


「……」


「私を放置していくなら、相応の被害を覚悟して下さい。この都全てが人質です。住民の避難も済んでいないでしょう」


 サンはちらりと通り脇の窓を見る。不安げな子供の視線と目が合ったが、その子供はすぐに隠れてしまった。


 避難が間に合っていないのだ。周囲の民家には、きっと息を潜めた住民たちが何百何千と居るに違いない。


 ここでサンが見境無く【神逆の剣】を振るえば、その住民たちの大半が死ぬだろう。彼らには抗う術も逃げる暇もありはしない。


「俺がお前を倒せばいい」


 シックが正解を口にする。そう、【神逆の剣】の暴威を一度目にしているシックならば、サンの脅しが現実的な脅威だと分かる。故に、サンを置いて行く事は出来ない。倒すしかない。


「出来ますか? 優し過ぎるあなたに」


 自分を殺せるのか、と問いかける。


「腕の一本くらいは覚悟してくれ」


 殺さない、とシックが答える。


 ――今度は不正解。


 サンは胸中でそう呟くと、右手に握った【神逆の剣】をゆっくりと頭上に持ち上げる。






「やはり、あなたは優し過ぎますよ」


 その言葉と同時に、サンは剣を真っすぐに振り下ろした。







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