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贄の王座と侍るもの  作者: 伊空 路地
第九章 神を失くした大地
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259 心を決める為の時間


 ターレル軍がガリアに対し侵攻を再開した、という報せをサンはラヴェイラの諜報員から聞くことになった。


「まさか! 各国はどこも混乱するばかりで、とても戦争をしている余裕なんて……」


「しかし、事実です。前線から回ってきた情報によれば、既にウーラマイアまで陥落したとの事。砦でもあるウーラマイアが落ちたとなれば、ガリアは少々苦しい戦いを強いられるかと」


「馬鹿な……。ターレルは何を考えて……」


「サン様。恐らくですがターレルからすれば、敵国が弱っている好機でしかないのです。彼らは貪欲だ。勝利し、自分たちの主張こそが正義だと知らしめる為にも戦いを止める事はない」


 ぐっ、とサンは言葉に詰まる。


 サンがどれほど信じられなかろうと、事実ターレルは戦争を再開したのだ。サンの下まで情報が来ている時点で誤報の可能性も低い。


 ならばすべきことは情報をさっさと受け入れ、一刻も早く対応することに違いない。


「……ありがとうございます。貴重な情報でした」


「いえ、職務ですから。では、自分はこれで」


 そう言って諜報員は去って行く。きっと彼も忙しいのだろう。


「ひとまず、主様に報告を……。ううん、その前にアルマンと話さなきゃ」


 サンはラヴェイラ軍最高司令官であり、同じ主に忠誠を誓った友人でもあるアルマン将軍の下へ向かう。


 ラヴェイラの都が巨大な地割れに襲われ、余波の自信と合わさって壊滅的な被害を受けたのち、ラヴェイラの政治機能を担う上層部は比較的被害の少なかった隣町に避難している。アルマン将軍が居るのもそこだ。


 サンは【転移】を用いて病院に向かうと、厳重な警備の置かれたとある一室を訪れる。アルマン将軍の護衛達はサンの顔を知っているので、いちいち止められたりはしない。


「アルマン、起きていますか?」


 病室に入るなり、サンはアルマン将軍に呼びかける。すると、すぐに返事が返った。


「サン。良かった、いいタイミングだ」


 アルマン将軍はベッドに寝かされながらも、大きな地図を広げて何やら考え事をしていたらしい。


「傷の調子はいかがですか?」


「悪くないよ。もうしばらくはベッドから離れられなさそうだけどね」


 アルマン将軍は都が地割れに襲われた時も都に居た。幸い地割れに呑み込まれはしなかったものの、余波の地震で建物の下敷きになってしまい、負傷してしまった。


 命があるだけ幸運だった、とは本人の弁だ。


「報告は聞きましたか? ターレルがガリアに侵攻を再開したと」


「聞いたよ。予想よりも幾分早い。厄介な事だ」


「戦況としては、どうなりますか?」


「ウーラマイアが落ちたという事は、その北の港も落ちたに等しい。すると……地図をごらん。ターレルからガリアの都パトソマイアまで、海路を遮る港がもう無い」


「……すると、都に攻め入られる?」


「いや、ガリアにも海軍がある。すぐには都での戦いにはならないはずだ。しかし、ガリアは今凄まじい猛暑に襲われている。海戦に耐える体力がどれほどあるかは、正直分からない」


 サンはやはり軍事に明るくない。最近必死に勉強をしてはいるつもりだが、やはりまだ素人の域を出られていない。


 それでも、ガリアの都パトソマイアが窮地にある事くらいは分かる。


「ラヴェイラの海軍はどうですか? 増援として送る事は?」


「……不可能ではない。ラヴェイラの被害は主に地上にある。海の被害はそこまで大きくないからね。ただ――」


 とんとん、と地図を叩きながらアルマン将軍は続ける。


「決して余裕がある訳じゃない。ついこの間、艦隊を一つまるごと失った所でもある。パトソマイアだけを守ればいいと言う訳でも無いから、戦力が足りないんだ」


「なるほど……」


「とにかく、サンは()()()()()に報告を。それと、先に手紙を書いておいた。渡してくれる?」


 アルマン将軍が傍らにあった封筒をサンに手渡してくる。


「分かりました。では、すぐにでも」


「うん、頼んだ」


 手短に別れを告げると、サンはその場で【転移】を発動する。向かう先は当然、魔境の城に居る贄の王の下だ。






「――ひとまず、報告は以上です」


「ご苦労」


 贄の王はサンの報告を労いながら、アルマン将軍の手紙を読んでいた。そこに何が書かれているのかは、サンは知らないし、知るつもりもない。わざわざ手紙という形を取ったと言う事は、あるいはサンの知らない方が良い事かもしれないからだ。


 やがて手紙を読み終えた贄の王は【動作】の魔法で手紙を暖炉に放り込んで燃やした。


 サンは何も言わずに、贄の王の言葉を待つ。下がれと言われないという事は、何か用件があるのだろう。


「……少々面倒な事になったようだ」


「面倒、ですか」


 贄の王はこくりと頷く。


「一つ、ターレルで贄捧げが行われたようだ。かの地から呪いが祓われた事を感じる」


 サンは思わず表情を硬くした。ターレルの都で、また誰かが命を奪われたのだ。


「二つ、ファーテルに現れた魔物の群れが一部ラヴェイラに南下し始めているらしい。三つ、ラヴェイラ内部で現体制への不穏分子が活発化しているようだ」


 確かに、どちらも面倒な話だ。特に魔物の南下に対しては、ラヴェイラの陸軍が対応しなければならない。どれほど強力な魔物かは分からないが、大きな被害が出る事はまず間違いないだろう。


「四つ、最も深刻な問題……。ラヴェイラの食糧が追いつかない。【贄の王の呪い】の影響で次々ダメになってしまい、このままでは民が飢える」


「それは……」


 【贄の王の呪い】は人間にだけ作用するものではない。動植物にも悪影響がある。それが、食糧に影響しているという事だ。


 ふぅ、と贄の王がため息を吐いた。この主にしては珍しい事だ、と思っていると、贄の王は言い辛そうにしながらも口を開いた。


「……四つ目の問題に対し、すぐに解決する手立てが一つある。が……」


「……」


「……分かっているな。贄を捧げる事だ」


「……はい」


 そう、【贄の王の呪い】を取り除く最も簡単かつ唯一の方法。


 それは無論、贄捧げを行う事だ。誰か一人の命を贄として捧げれば、ラヴェイラを覆う【贄の王の呪い】はただちに消え失せるだろう。


 このまま呪いを放置すれば多くの人が死ぬ事になるだろう。たった一人の命で数千数万の人が救えると思えば、合理的な選択肢など嫌でも分かる。


 贄を捧げるべきだ。そうすれば、ラヴェイラから【贄の王の呪い】は祓われ、たくさんの人命が救われるだろう。


 贄を、捧げるべきなのだ。


 それが、一番()()


 悩む必要など無い。たった一人でいいのだ。たった一人で、“みんな”が救われる。


 だから。


 だから――。


「……私は。私は……嫌、です」


 けれど。


そう考えていたはずなのに、サンの口から出た言葉は真逆のものだった。


 どうしてだろうか。


「だって、だって……。それをしたら、同じになってしまう。私の一番嫌いな“みんな”と、同じになってしまう……」


 サンは知っている。


 贄として殺される一人にだって、心があるのだ。“みんな”なんてものが救われた所で、その一人には何にもならない。


 死ぬのだ。


夢があったかもしれない。大切な人が居たかもしれない。やり残したことがあったかもしれない。


後悔があるかもしれない。約束があるかもしれない。諦められない想いがあるかもしれない。


 それが全部、消えてしまう。初めから何も無かったみたいに、あっさりと無くなってしまう。


 たった一人かもしれない。それでも、その一人は全てを失ってしまうのだ。


 一体誰が言える。“みんな”の為に、全てを捨てて死ねなどと。


 一体誰が言える。想いも願いも諦めて、顔も知らない“みんな”を救えなどと。


 死んでしまったら、もう絶対に取り返しがつかないのに。


「……」


 贄の王は何も言わない。


 困らせているのだろうな、とサンは思った。


 サンにだって分かっている。為政者として、国と一人など天秤にかけるまでも無い事を。いや、かけてはならない事を。


 国を背負うのならば、一人一人の心になど寄り添ってはいられない。合理的に、冷徹に、国にとって最適な選択をしなければならない。


 贄を捧げるとか捧げないとか、そんな事で迷う余地など無いのだ。


 分かっている。サンだって頭では分かっているのだ。


 それでも、やはり受け入れられない。


 贄捧げなど、絶対に。






「――お前がそう言うであろうことは分かっていた」


 ぽつりと、贄の王が呟いた。


「しかし一方で、贄捧げに代わる解決方法が見つからないのも事実。……さて、どうしたものか」






 その後、贄の王は「少し一人で考えたい」と言い、サンは主の前を辞した。


 サンはやり場も無く沈んだ気分のまま自分の部屋に戻る。すると、居間のソファで眠っているヴィルが目に入る。本を広げたまま突っ伏している。どうやら、本を読んでいる間に寝てしまったようだ。


 サンは毛布を一枚取り出してヴィルにかけてやると、その灰色の髪をそっと撫でてやる。


 かつてターレルの都で贄とされるはずだった子供。すっかりサンにも贄の王にも懐き、今では弟のように思っている。


 ではもし、ヴィルがこれから殺されるような事があったら? 贄として、皆のための尊い犠牲に、なんて言われたら?


 断言出来る。サンは絶対に、その相手を許しはしない。


「やっぱり、私は……。贄なんて、認められない」


 だって、そうではないか。


 贄を捧げると言う事は、誰かにとってのヴィルを殺めるという事に他ならない。たまたまサンが顔を知らないから、名前も知らないから、なんて何の言い訳になると言うのか。


 生きているのだ。魂がここにあるのだ。


 罪があれば許されるとも言わない。でも、その罪すら無い命をどうして殺められる。


 家族が居ない。誰にも大切に思われていない。居なくなっても気づかれない。――きっと、そんな人間は世界のどこにだっている。


 それでも、未来には違うかもしれない。自分でそうと思っていないだけで、もしかしたら誰かに想われているかもしれない。居なくなったら、寂しいかもしれない。


 微かな可能性だ。でも、そんな微かな可能性だって、命を認めてあげるには十分だとサンは思う。


 お前には生きる資格も価値も無い、なんて。


 いったい誰に言えるというのだ?


 ゆっくりと上下するヴィルの背中を見つめながら、無防備に閉じられた瞼を眺めながら、サンはそんな事を考えるのだった。





















 失礼します、と言って部屋を出て行った少女を思う。


 考えを聞く前から分かり切っていた。あの少女は、贄捧げを認めなどするはずが無い。


 長い息を吐く。目を閉じて、考える。


 いや、正確には考えてなどいなかった。考えは既にまとまっている。打てる手段は、()()しかない。


「……ままならんな」


 本当はもっと違った計画があった。時間をかけて準備してきた計画が。


 だが、突如世界を襲った【贄の王の呪い】によって全て狂ってしまった。


 口惜しい。あるいは、これこそ逃れられぬ宿命なのか。計画が上手く行ってさえいれば、何も問題は起こらなかったのに。


 選ばなければならない。一方を掴み、一方を手放さなければならない。


「……迷っている。つくづく、私は……」


 選べ。


 覚悟を決めろ。


 そう、自分に言い聞かせる。


 そうするしか無いと、もう分かっているのだから。


「……もう、これまでだ。いい加減、終わらせなければ。もう、下らない未練でしかない。分かっている。だから――」






「――お別れだ。サン……」






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