250 嫉妬
ガリア・ターレル戦線は拮抗。
ラヴェイラ・ファーテル戦線はゆっくりとラヴェイラが押し込まれている。
陸の上ではやや劣勢のガリア・ラヴェイラ同盟であったが、海の上では少し違った。
内海において海戦が行われる事、既に三度。小規模な物も含めれば、二十を超える。
その全てにおいて、ラヴェイラ海軍が勝利を収めていたのだ。
元よりラヴェイラは海軍国家。近年こそ『警備人』などと揶揄されていたものの、その本質は四百年以上もの昔から内海で覇を唱えてきた海の王者だ。
ラヴェイラが衰えた理由も、発達した人類文明がより広い海を求めたからに過ぎない。
陸で最強のファーテル軍も、ターレルの擁する魔法部隊さえ、海戦においてラヴェイラ軍には敵わなかったのだ。
エルメアを除けば、参戦国家は全て内海に面する国々であるこの戦争において。
内海を支配しているという軍事的優位が持つ重みを、理解出来ない国はどこにも無かった。
北土諸国はその近さゆえ、エルメアともファーテルとも敵対したくない。よって、中立なままだ。
しかし、内海の東、アッサラ地方ではまた事情が違ったのだろう。
アッサラ諸国、連合してターレルに宣戦布告。
――拮抗していた内海戦争に、新たな風が吹いた瞬間だった。
ターレルの味方は外海のエルメア、北土のファーテルである。
エルメアもファーテルも、ターレルに辿り着くには内海を横切らねばならない。そして内海でラヴェイラに敗北し続けている現状、ターレルはたった一国でアッサラ諸国と戦わねばならない。
更に、既にガリアと戦っているターレルからすれば、東西から包囲された形になる。
ターレルは決して認めたがらないだろうが、その苦境は明らかだった。
だからこそ、ターレルは活路を求めてその切り札を一枚切った。
それは神聖魔法部隊の一員。
ターレルが誇る、最強の魔法使い達の一人である。
がたがたがたがた。
それは、イスロが鳴らすひどい貧乏ゆすりの音だ。
彼は今、船内に与えられた狭い一室で机に向かっていた。
とはいえ、何か書き物をしていたり、本を開いていたりという訳では無い。手持無沙汰に机に頬杖を突いているだけだ。
名目上は任務中だったが、実質的には何もやる事が無い。何故なら、彼の任務は護衛任務だからだ。
広い海の上の大きな船の上。予想される敵の位置はまだ先で、船内にスパイなどが居ない事は執拗なまでに確認されている。護衛しようにも敵がいなくては意味が無いのだ。一応部下は護衛対象に張り付けてあるが、それも意味がある事とは思っていなかった。
そもそもイスロは護衛対象の男が嫌いだった。任務だから最低限仕事を果たしているだけで、本当なら事故死でもしてくれればいいと思っているくらいだ。
「大体、アレに護衛なんかいる訳ねぇだろう……」
イスロがそう独り言を零した直後、コンコンとノックの音がする。
「誰だ」
「タアキです、イスロ隊長! 伝令に参りました」
「入れ!」
失礼します、と言いながら部下が部屋に入って来る。イスロの部隊で副隊長を務めるタアキという部下だ。彼はイスロに向かって敬礼を一つすると、伝令の内容とやらを口にした。
「船長より、敵の予想位置が近づいて来たので最終的な打ち合わせがしたい、との事です」
「そんなもん俺が行く必要あるか。閣下に行ってもらえ」
「いえ、しかし……」
「事実だろう。俺らの任務はクソ閣下のお守りだ。他の事なんざやらん」
「は、はは……」
部下の引きつった苦笑いが何とも気に食わない。イスロは苛立ちを露わに深い息を吐いた。
「あぁ、腹立たしい。何だって俺らがこんなことを……」
その時、ばたん、と部屋のドアが開け放たれた。
一体何のマネ、どこの誰だ、とそちらを睨みつければ、そこには一人の青年――イスロが嫌いで嫌いで仕方がない男が立っていた。
「イスロくん。こんなところに居たのか? 私は休憩など許可した覚えは無いぞ」
仕方なく、イスロは椅子から立ち上がって男に敬礼をする。男はイスロより階級が上なのだ。
「閣下。これはこれは。一体どこの無礼者かと勘違いをしてしまいました。お詫びを」
「いらんよ? わざとだからな」
くつくつ、と嫌味ったらしい笑いを隠しもせず、男がイスロに見下すような目を向ける。
「それは、それは……。閣下は個性的な趣味をお持ちでいらっしゃる」
「君にだけだとも、イスロくん。光栄に思いたまえ」
ギリ。イスロの奥歯が噛み締められて、思ったよりも大きい音が鳴った気がした。
「そんな事より、イスロくん。船長が戦闘の打ちあわせをしたいと言っているそうだ。君が行ってきたまえ」
「いえいえ、私などが行かれるより閣下が直接行かれるほうがよろしいかと? 何せ、重要な打ち合わせになりそうですから」
「なるほど? 君のように重要でない人間は不似合いだと言う事かね? 結構、私は自惚れの無い人間は好きだよ、イスロくん」
ギリリ。また、思ったよりも大きな音がした気がした。
「ま、そう言うなら打ちあわせには私が行くとしよう。君はこの部屋で大人しくしているがいいよ」
「おや、自らご足労頂けるようで。何よりですよ、閣下」
「気にするな、イスロくん。君のような人間は信頼出来ないというだけだ」
それだけ言うと、男はさっさと部屋を出て行く。ばたん、と、わざわざ【動作】の魔法でドアが閉められた。
イスロはドアが閉まるや否や、全力で机を殴りつけた。
「クソッたれがァ!!!」
フー、フー、と荒れた息を繰り返す。
「何が神聖魔法部隊だ!! クソッ! クソッ! クソッ!!」
ダン、ダン、ダン、と床を踏みつける。もちろん、その床には先ほどの男の顔を思い浮かべながらだ。
「たまたま魔力が多いだけのクソガキがッ! この俺を舐めやがってッ! クソッ!!」
収まらないイスロの怒りは、部屋の隅で極力存在感を消していた部下にも飛び火する。
「タアキッ! てめぇもいつまで居やがる! さっさと出て行けッ!!」
「りょ、了解! し、失礼します!」
慌てて出て行こうとする部下を蹴り出すような勢いで追い出し、すぐにドアを全力で叩きつけて閉める。
「クソがァアアアアアアア!!!」
背後から聞こえてくる怒号――壁を挟んでいるせいでくぐもっているが、はっきりと聞こえる――に嘲笑を浮かべながら、男は歩いた。
イスロという下賤が咆えているのだ。それが何とも心地良く、男は鼻歌交じりの上機嫌だった。
男の名はアッハル。ターレルが誇る神聖魔法部隊の一角、“水”の大魔法【水龍の息吹】を使う魔法使いである。
若くしてアッサラの故郷を出奔し、最も自分を成長させられる場所を求めた。最終的にターレル軍に招かれ、大魔法を使う最強の一角として最高の待遇を受けている。
アッハルは自分の魔法に誇りを持っていた。
この大地の上で、十人にも満たない大魔法の使い手。それこそが自分。世界最強すら目指せる魔法使いの一人。そう自負していた。
だからこそ、集団魔術で大魔法を使うなどという話がとにかく気に食わなかった。当然、それを成し遂げたイスロという男も酷く気に入らない。
聖地防衛という大切極まる任を帯びていはいたが、一方で戦果を挙げ続けるイスロら部隊が妬ましく、また憎らしく思っていた。
それだけに、イスロがしくじったという話を聞いた時は随分愉快な思いをしたものだった。
大魔法に対抗されたとか、自分たち神聖魔法部隊の面々すら超えると思われる魔法使いと遭遇したとか、そんな馬鹿な言い訳をしているのも笑えた。
神聖魔法部隊を越える程の魔法使い。これはいい、まだあり得る。ターレルは世界最高峰の魔法使いたちを集めてはいるが、大地は広い。特にエルメアやファーテルと言った先進国ならばそういう存在が居る可能性も否定出来ない。
だが、大魔法に対抗された? これはいけない。常識的に考えれば分かる。そんなことがあり得るはずがないのだ。
大魔法の発動には入念な集中と長い詠唱を必要とする。どう考えても、対抗魔術など間に合いようが無い。
しかも完全に先手を取って大魔法を発動したとも言う。ほぼ同時ならまだしも、発動の予兆すら出てから大魔法を間に合わせるなど机上の空論も良い所だ。イスロには言い訳のセンスが無い。
その上、最も笑えるのがもう大魔法を使えないというところだ。
何でも、イスロ達は大魔法発動に足りない魔力や技術を集団魔術によって補っていたらしいのだが、戦死者を出したせいでその人員が足りなくなったのだとか。
つまり、もうイスロはただの一般的な魔法使いに過ぎないと言う事だ。これが実におかしい。
実のところ、アッハルにだってイスロ達の凄さは良く分かっていた。それだけ、集団魔術で大魔法を行使するなど信じがたい偉業だったのだ。
集団魔術という物は、大きく二つの利点がある。
一つ、構成人員の魔力を共有する事で一人一人の魔力的負担を減らすこと。
二つ、構成人員の中で最も技量に優れた者が牽引する事で、それぞれの魔術的技量を大きく引き上げる事が出来る。
この時二つ目にはデメリットがあり、構成人員の技量差が大きいと発動出来る魔法が急激に弱くなってしまう。更に、その中で最も優れた者でさえ、個人魔術の時ほどの技術は引き出せない。
つまり何が言いたいかと言えば、イスロら部隊で最も魔法技術に優れるであろうイスロの技量は、明らかに大魔法発動に足るレベルにあると言う事である。
何故ならイスロが一人で大魔法を使えるほどの技量で無ければ、集団魔術によって下がる技量で大魔法を放てるはずが無いからだ。
正直に言えば、単独で大魔法を行使するアッハルですら大魔法発動にはギリギリの技量である。それを鑑みれば、アッハルとイスロ、技量に優れているのはイスロの方だと言う事になってしまう。
アッハルが神聖魔法部隊の一員でありイスロがそうでないのは、たまたまアッハルの持って生まれた魔力が多かっただけ。あるいは、若かっただけ。そういう理屈が通ってしまう。
それが気に食わない。許せない。
実のところ、アッハルはイスロを評価している。個人での技量の高さ、不可能と思われていた集団魔術による大魔法の行使という偉業、当人について来られるレベルまで部下たちを育て上げた手腕。いずれか一つでさえ、素直に尊敬出来る話ばかりだ。
だが全てというのはいけない。納得出来ない。
自分はイスロが辿り着けなかった、単独で使う本来の大魔法にまで辿り着いた者。それなのに、自分よりイスロが評価されるような事は認められない。
だから、アッハルはイスロを心底から憎悪する。その失態を心から喜び、その栄達を心から妬む。
居なくなってくれればいい、と。
素直に言えば、アッハルはそういう思いを抱いているのだった。
「くっ、ふっふっふふふ……」
我ながら下衆な笑い声が漏れてしまった、とアッハルは口を閉じる。しかし、どうしてもその口元が笑むのだけは抑えられない。
愉快だった。イスロの醜態が、とにかく愉快だったのだ。
小さく肩を揺らしながら、アッハルは船内を歩いて行く。
――これからの戦闘でイスロに大魔法を見せつけてやれると思うと、更に愉快だった。




