246 星呑み
ターレル軍に現れた『大魔法部隊』は猛威を振るった。
戦場に現れてはガリア軍に甚大な被害をもたらしていく悪魔のような部隊。ガリア軍はこれに有効な対策が取れず、戦線は後退するばかりであった。
大魔法とは撃たれれば負けなのだ。自然、相手が大魔法を行使するならば、それより先に大魔法を使用する必要が出る。つまりは『やられる前にやる』しかないのだ。
贄の王のような規格外の魔法使いならばともかく、大魔法に対抗魔術は間に合わない。それに人類の戦争に主の力を使ってもらうなど、畏れ多いにも程があるとサンは思っている。そもそも神託者が現れかねない地域に贄の王が向かうなどもってのほかなのだが。
しかし、通常の戦力で大魔法部隊を狙い撃ちしようにも、大魔法部隊は周囲をぐるりと味方に囲まれ、厳重も厳重な防御の奥から決して出てこないのだ。どうしても叩きたいならば、周囲の防御ごと叩く――つまり、大魔法規模の力が必要な訳である。
ともなれば、ガリア軍が助力を頼む相手は当然サンにならざるを得ない訳であった。
「……はぁ。私、戦争なんて好きじゃないのに」
周囲に聞こえないよう小さくぼやく。
サンはラクダ(・・・)という砂漠特有の生き物に跨って揺られている。何となくシルエットは馬に似ていなくも無いが、なんというか全体的に間抜けっぽい見た目をしている生き物だ。
乗り心地は意外と悪くないのが幸いである。
周囲をぐるりと白い軍服の男たちに護衛され、ラクダの手綱を引かれている。
どこへ向かっているかと言えば、当然次の戦場だ。高い確率で敵の大魔法部隊が出て来るという事で、先んじて大魔法を放ち撃滅せよ、との事。
知り合いは一人も居ないし、そもそも戦争なんて好きじゃないし、端的に言えば帰りたいし、と気分は最悪である。大魔法を撃つためだけの兵器扱いも正直嫌だ。自分は人間――じゃなかったが、人っぽいモノである。人間扱いされたい。……などなど、先ほどから一人で不平不満を零しているのだった。なお、周囲に聞かれないようにである。
ついでに言うと、周囲の兵士たちが使っているのはガリアの言葉なので、サンにはほとんど分からない。やり取りはたまに片言のラツアの言葉で指示されるのみである。
「はぁ……」
何度目かのため息を吐く。嘆くばかりで現実が変わる訳も無いと分かってはいたが、やはり憂鬱な気分は消えなかった。
砦の街ウーラマイアを出立したのが今朝。今は、昼前である。
サンは行軍の最後方に居るため先の方の状況は分からないが、事前の話から推測するにそろそろ陣を展開する頃だろうか。
などとぼんやり考えていると、にわかに前方の方が騒がしくなり始めた。
一体何事かと思って目を凝らして見れば、伝令らしき兵が全速力で後方に向かって駆けて来るのが見えた。
まだ遠く距離はあったが、伝令の兵とサンの目線が合うのが分かった。
「伝令ーーーーーッ!!! 大魔法、撃てーーーーーッ!! 大魔法、撃てーーーーーーッ!!!」
突然、伝令の兵が凄まじい大声でそう叫んだ。明らかに、サンに向けて。
――次の瞬間。
ずずぅぅん、と。重々しい地鳴りと共に、砂漠が揺れた。
先んじられた、と判断するが早いか、サンは直ちに大魔法の詠唱を開始。
敵の魔力光が見えない。詠唱も聞こえない。何の魔法を放つつもりか、分からない。
それでも、状況から必死に推測する。
まだ遠い距離。
予兆の地鳴り。
敵の練度――。
「『星よ、星よ、我がうたを聞け。我は大地に愛されしもの。我は大地より出で、大地へと還る土くれの生命。母よ、父よ、我が祖なるもの。我の声を聞かれたし――』」
選択するは、一極天【星】に属する“土”の魔法。
そしてサンの予測が正しければ、相手も同じ魔法を使うはず――。
「『――煌めけるもの。其は照らすもの! 揺るがざるもの。其は祈らぬもの! 怒り、また無し。嘆き、また無し。全てすべからく全きなるべし!』」
ごごご、と、地鳴りが増す。砂漠が揺らめき、蠢き、そして――。
大地の底から、魔法が顕現する。その力が、放たれる。
それは波。それは山。それは砂。それは砂漠そのもの。
全ての音を遠ざけて、音とすら認識出来ない轟音が大地の底より破裂する。
砂漠が弾け、爆発するように、噴き上がるように、天を覆い尽くそうと手を伸ばす。
そしてそれは、ほんの僅かに傾いて(・・・)いた。
世界全てを呑み込むような、砂の津波が天から降り注ぐ――。
――間に合え……ッ!!
「『今こそ、星はその身を震わす! 照らすものを照らさざり、揺るがざるを揺るがすなり!! ――【星呑み】!!』」
ずずぅううん……ッ!!! と、砂漠が再び揺れる。
そして、先の破裂よりももっと大きい破裂が起こって、大地から砂漠が噴き上がった。
天から降り注ぐ砂の津波と、天へと向かい上がる砂の津波が、正面から――。
どぱぁん、と。
砂と砂が、激しくぶつかり合った。
挟まれた大気が押し出され、兵士たちが、いや軍そのものがまるごと吹き飛ばされていく。
爆風はサンにも届き、その身体を軽々と吹き飛ばした。
人が簡単に浮かび上がっては飛んでいく異常な光景の中、サンも一緒に吹き飛ばされていく。視界がぐるぐると高速で回転して、自分が今どうなっているのか分からない。耳はすでに、まともに音を捉えていない。
何もかもがぐるぐると回り出し、サンの意識が遠のき始め――。
ものすごい衝撃に意識を強制的に引き戻される。全身を忙しなく砂漠の熱が叩き、ごろごろと転がされていく。
あまりに視界も意識も回るものだから、自分がまだ転がっているのか止まっているかも分からない。
砂まみれの口の中、舌を嚙まないように必死で歯と歯を嚙合わせていた。
強く噛み合わせた歯と顎が痛みを訴え始めて少しした頃、ようやく世界が元通りになり始める。
ぐらん、ぐらん、と脳が揺れ続ける錯覚の中、サンはどうやら自分が止まったらしいと判断した。身体に感じる圧力の感じから言って、うつ伏せになっているらしい。
どっちが上でどっちが下か分からない、回り続ける意識の中、恐る恐る顔を上げる。
すると、真っ暗だった視界が白っぽくなる。いや、正確には砂の色一色になる。
下手に動けない、と大人しく回復を待ちながら状況を把握しようとするが、どうやら舞い上がった砂埃で視界が全くのゼロになっているらしい。
見える範囲には何も無い。誰もいない。
上も下も右も左も、ただとにかく砂だけがあった。
そのままどれほどの時間が経ったのか分からないが、サンは全身を確かめるようにゆっくりと体を起こす。
幸い、大きな怪我は無いらしい。打撲はいくつかあるが、骨を折ったりはしていないようだ。
相変わらず視界は全くの砂だけだが、とにかく寝ている訳にはいかない。
サンは砂埃を空まで巻き上げられる魔法【翔乗風牙】を使おうとして、少し迷う。
敵の状態が分からないからだ。下手に視界を戻したとして、敵にぐるりと囲まれた状態だったら却ってマズい。それならいっそ、【転移】で安全な場所に下がった方がいいだろうか。
しかし、結局サンは【翔乗風牙】を唱える事にする。敵に囲まれていたとして、まさかすぐさま撃ち殺されはしまい。
「……けほっ、けほっ……。『――【翔乗風牙】』」
すると、上下逆さまの竜巻が現れて、周囲の砂埃を全て空まで巻き上げてしまう。
全くのゼロだった視界が一気に透き通り、周囲の様子が見えるようになっていく。
一体どうなっているだろうか、と身構えながら周囲を見回すが――。
「……誰もいない?」
視界が通るようになった辺りには、誰も、何も居なかった。
もしかして、自分だけ遠い場所まで吹き飛ばされたのかもしれない。
サンは砂漠にある無数の起伏のうち、最も近くにあるものに登ってみる。
その小丘の向こうは【翔乗風牙】の範囲外だったらしく、まだもうもうと砂埃が舞っていた。
「『類まれなる風精よ。我にその吐息を宿らせたまえ。――【一柱付与・翔乗風牙】』」
【精霊付与】を施し、一柱付与で強化した【翔乗風牙】を発動する。すると先ほどよりもずっと大きな逆さまの竜巻が現れ、周囲の砂埃を一気に舞い上げていった。
視界が急速に晴れていき、小丘の向こうには――。
「……少し、間に合わなかったかな……」
――惨状が広がっていた。
立ち上がっている者はほとんど居ない。大部分が爆風に吹き飛ばされ、そのまま目を回しているか、打ちどころが悪かったか、である。
苦痛のうめき声がいくつも上がり、助けを求める泣き声も混じる。
無数の兵たちが転がり、あるいは斃れ、少なくない者が血を流していた。
だが、サンの近く、行軍中に後方だった部隊はまだマシな方だったろう。
サンが居るよりずっと前方、行軍中の前方部隊が居た辺りは、大きな砂の山が出来ていて、人間の姿など見えはしない。
恐らく、皆降り注ぐ砂に埋もれてしまったのだろう。
いや、圧し潰されたと行った方が正しいだろうが。
何もしないよりは、ずっと良かったはずだ。その証拠に多数の兵が【星呑み】の下敷きにならずに済んだ。あのまま手をこまねいていれば、間違いなくサンも吞まれていた。
それとも、魔法の選択を間違えただろうか。
同じ【星呑み】では無く、例えば“風”の魔法で砂だけを吹き飛ばすようにしていれば、味方に被害は出なかった?
――考えるだけ、無駄だ。
もう被害は出てしまった。今更、振り返って何になろう。
それでも、もし、と考えてしまうのは、サンの弱さなのだろうか?
答えなど出ない。
出る筈も無い。
惨状の広がる砂漠の只中、サンは一人それを眺めている事しか出来なかった。




