233 ことば
旅を続けること数日。サンとベルノフリート率いる大隊はザーツラントの都、帝都ザトゥアに到着した。
これを以てサンの皇子護衛は終了したことになる。ベルノフリートはサンの宿を手配してくれ、依頼報酬などは後日引き渡すと約束してくれた。
意外にあっさりした別れの後、サンは早速とばかりに贄の王の下へ向かう。これまでの事、これからの事など、話すべきことはたくさんあった。
「――以上が、ここまでの経緯になります」
ザーツラントへ向かってからの一連の事を報告し終える。最大の目玉はやはり、ザーツラントの皇子ベルノフリートと知己を得た事だろう。既に次の約束も取り付けているとなれば、まず間違いなく上出来の部類だ。褒めて貰えるかも、とやや期待しつつ主の言葉を待つ。
しかし、贄の王が発した言葉は予想していたものとは違った。
「……読めんな。だが、謀られているぞ」
「……え?」
「お前はベルノフリートに謀られている。恐らくは何かの確信を与えているな。しかし、そこからが読めん。排除を諦めたのか、それともそこまでの自信が……? まるで自殺行為にしか思えないが」
一人思考に沈み始める主をサンは慌てて引き留める。
「ちょっと、ま、待って下さい。私、何か失態を?」
「そのままだ。スパイだとバレている。その上で泳がされているようだが、その狙いが読めん」
「え、えぇ……?」
サンは間抜けにもぽかんと口を開けてしまう。
『スパイだとバレている』? 一体、いつから? 全くバレていないと思っていたのに?
あまりに多くの疑問が溢れ出てしまい、咄嗟に言葉が出ない。そうしている間に、贄の王は一人で次の思考へ進んでしまう。
「何かあるな。ザーツラントには何かある。その何かのせいで、私の予想と動きがズレている。それは何だ。国運のかかった戦争よりも重大な何かとは? 教会の存在がやはり鍵か」
ちなみに、ベルノフリートの大隊が神官騎士団に襲撃を受けた事は報告済みだ。贄の王にも予想外だったらしく、少し驚いていた。
「教会と言えばラツア司教の言った『教皇がザーツラントに指示をした』という言葉が思い出されますが」
「うむ。教会とザーツラントの並々ならぬ関係を示唆しているが、その正体が掴めんな」
「うーん……。その指示と前後関係を巡って揉めたという可能性はありませんか?」
「考えんでは無い。だが、執拗にベルノフリート殺害を求めた辺り納得は出来んな」
「そうですか……」
贄の王に分からないものを自分が分かるとは元より思っていない。もちろん、だからといって何も考えないなんて事はしない。
「――まぁ、いい。分からぬものは一度捨て置く。戦争についてだ。サン」
「はい。今後はどうされますか?」
「ラヴェイラ・ザーツラント戦線は膠着している。そもそもが時間をかけたくない戦争だ。ここで一度戦局を動かす」
「動かすというと、どのように?」
「戦線の後方を抑える。兵站を破壊し、前線の維持を不可能にした後にファーテルと共謀して大攻勢をかける。これ以上他勢力が介入する前にザーツラントを降伏させるとしよう」
「分かりました。私はどのように動きましょうか、主様」
「少し悩むが……。ザーツラント後方を叩く役目、お前に任せようと思う。この時【従者】による攻撃だと喧伝せよ」
「それはつまり、教会の思惑を探るという事でしょうか?」
「そうだ。神敵【従者】がザーツラント滅亡に一枚嚙んでいるとなれば、教会も動きを変えざるを得ないかもしれん。加えて、ザーツラントも揺れるかもしれない」
「承知しました。全て主様の御心のままに」
それから、サンと贄の王は細かい話し合いに入り、今後ザーツラントをどう滅ぼすか決めていった。贄の王の計画では、ザーツラントはファーテルと分割し、皇室は解体するつもりらしい。
そんな打ち合わせも終わり、休憩とばかりにお茶を淹れていると、部屋のドアが開いてヴィルアイドが入ってきた。恐る恐るとばかりに部屋を覗き込み、入っても問題無いと理解すると小走りでサンの下までやってくる。
「おっと……。危ないですよ、ヴィル。火傷しちゃいますよ」
ティーポットにお湯を注いでいたサンのスカートにしがみついて来たヴィルを受け止めつつ、それとなくティーポットや熱湯から離す。
そのままお茶を蒸らし終え、三人分のカップに注ぐと、ヴィルを持ち上げてソファーに座らせる。
「んっ……しょ、と。重くなりましたね。背も伸びた気がします」
「子供の半年は長い。良く成長しているという事だ」
「本当に。……嬉しい事です」
ヴィルの分のお茶に砂糖を入れてやり、ティースプーンで混ぜる。サンと主の分には不要だ。
「はい、どうぞ、主様。ヴィルも、はい」
「頂こう」
「――それにしても、ヴィルが来てからもう半年ですか。何だかあっという間でした」
かつてターレルの都で贄にされる所だったヴィルを救い、【聖女】との戦いを終え、およそ半年が過ぎていた。
「そうだな。早いものだ」
贄の王も頷いて同意してくれる。
しかし、サンが贄の王の下に現れたのだってまだ一年半くらい前の話だ。何だかもっと長い時間を過ごしていた気がするのは、この魔境に来てからが“サン”の全てだからだろうか。
今から一年が経過したとして、その日も同じような感慨にふけっているのだろうか?
――それとも、その頃には――。
サンは目を閉じると、ゆっくり息を吐く。胸の奥で、何かの傷が強く疼いたからだった。
くい、と袖を引かれ、見ればヴィルが不安そうな顔をしている。サンの心中が伝わってしまっていたのかもしれない。
大丈夫だよ、という意味を込めてヴィルの頭を撫でてやる。灰色の髪は細く、触れる手が心地良い。
そこでふと、思い出した。
ヴィルについて、思い当たった事があるのだった。
「あの、主様」
「何だ」
「実は、ヴィルについて気が付いた事が――」
「なんだ」
「――って、え?」
「なん、だ?」
一瞬、硬直する。サンの目戦は贄の王の方を向いたままだが、主もまた硬直していた。
「なんだ、さん」
贄の王の声では無い。もちろん、サンの声でも無い。
それはつまり。
サンの目が隣のヴィルに向く。灰色の瞳と視線がぶつかると――。
「さん。なんだ」
喋った。
話した。
あの、ヴィルが。
今まで一度も朽ちの効けなかったヴィルが。
サンの名を、呼んだ。
「ヴィ、ヴィル。あなた……」
「さん。さん、さん」
ひどく舌っ足らずで、幼い声。
それは確かに、ヴィルの声だった。
「主様……! 今、ヴィルが……!」
じわじわと込み上げてくる喜びを隠せもしないまま、主の方を向く。贄の王もまた、酷く驚いた顔でヴィルを見ている。
「あぁ、私も聞いた。これは、驚いたな」
「ヴィル! ヴィル、もう一回! もう一回言えますか!?」
「さん。さん」
「――!! そ、そう! サンですよ、ヴィル!」
嬉しさのあまり、ヴィルの頭を抱きしめてしまう。
「ヴィルが! ヴィルが、話せるようになるなんて!」
腕の中にあるヴィルの顔を見下ろせば、ヴィルは嬉しそうにはにかんでいた。それがまたとても可愛らしくて、サンは抱きしめる腕により力を入れてしまう。
「落ち着け、サン。ヴィルが窒息するぞ」
「あ、そ、そうですね。ごめんなさい、ヴィル。……あぁ、でも! とっても嬉しい。ね、ヴィル」
「ん。さん」
サンは嬉しさのあまり涙ぐんでしまい、それを拭いながらヴィルを撫でる。
「じゃ、じゃあ、ヴィル。こちらは? こちらの方は?」
そう言ってヴィルに贄の王を示すと、少しもごもごしてから言葉を発した。
「あ、ぅじさ」
「――!! 主様! 今、主様って!」
「サンの呼び方が移ったのか。成る程……」
「あじ、さぁ」
「あぁ! もう、ヴィル! そうですよ、主様です!」
サンはヴィルが口を利いた事に感激しっぱなしだった。ヴィルが言葉を喋ったというそれだけの事が、とにかく嬉しくて堪らないのだった。
それはどうやら贄の王も同じようで、珍しく嬉しそうな笑みを浮かべていた。
この時以来、ヴィルは拙いながらも言葉を使うようになり、それはどんどんと達者になっていく。
サンにとって、あるいは贄の王にとっても、喜ばしい日々になるのであった。




