232 ゲルトルーデの尋問
視線を感じる。
それは馬に乗っての行軍中や、隣のゲルトルーデと会話している最中、食事中に至るまで、ずっと視線を感じているのだ。物理的に周囲を遮られる馬車の中で眠る時だけは流石に感じないのだが。
今も、サンの背中には視線が注がれている。それも一つでは無い。たくさんの視線を背中に浴びているのが分かって、何とも居心地が悪い。
サンは行軍中、隣のゲルトルーデの方に馬を寄せると話しかける。
「あの、ゲルトルーデさん。視線が凄いのですけど……」
視線の主たちは分かっている。
大隊の兵士たちだ。
「仕方ないだろうな。奴らの気持ちも分からないでは無い」
ゲルトルーデはにやにや笑いながらそう返してくる。
「軍隊は男所帯だ。居ても私のように女っ気なんぞ欠片も無いのが普通。そこにエルザ殿のような、いかにも可憐で女らしい令嬢が現れた! しかも一軍に匹敵する凄腕の魔法使い! 絶体絶命、死に瀕した自分たちに遣わされたまさに天使! ……なんてな!」
「からかわないで下さい。もう……」
そう、これが敵意や害意のある視線ならば、まだ対応もしやすかったかもしれない。だが、そういった悪意ある視線は一つも無いのだ。
敬意。尊敬。憧れ。それから、熱っぽい何か。
大隊の男性中から向けられる視線は全て好意的なものだったのだ。
サンの大して長くも無い生において、これほど多くの好い注目を浴びた事は無かった。正直鬱陶しいのだが、睨み返そうにも目が合うと満面の笑みばかりが向けられてしまい、いまいちやり辛い。
結局どうにも出来ず、黙ってやり過ごそうとしていたのだが――。
「うぅー……。落ち着かない……」
そんなサンの泣き言に、ゲルトルーデはさもおかしそうに笑う。
「はっはっは! 良いじゃないか、男どもの視線を独り占めだ。妬けるな」
「それなら、是非とも代わって下さい」
「ご免こうむる! はっはっは!」
「はぁ……」
「しかし、実際うまい話では無いのか? 失礼だが、エルザ殿は亡命貴族だろう。この大隊は殿下の直属だけあって身元の良い者がほとんどだ。上手くやれば良縁に恵まれると思うぞ」
『エルザ』という架空の人物が実際に居たとしたら、確かにそういう考え方もあったかもしれない。しかし、所詮は設定に過ぎない。すべき事が終わったら離れるだけの土地に、余計なしがらみなど増やす訳にもいかない。
それに、何より――。
「私はあまりそういう話は、その……」
下手に喋ると設定が破綻してしまう、と適当に躱そうとした。したのだが、ふと脳裏をよぎったとある顔のせいで言葉尻が濁った。そして、その隙をゲルトルーデに捉えられる。
「……あぁ。そうだったな」
マズい。
「なんですか」
「なるほどなるほど。確かにそうだった。それなら、迷惑でしかなかろうなぁ?」
「な、なんの事ですか?」
「詳しく聞かせてもらおうか。エルザ殿の、想い人とやらについて」
「ぅぐっ」
「いやいや、なに。言いふらしたりはしないさ。ただ、大魔法使い殿の恋路に興味が――じゃなかった、調査する責務がだな」
「興味って言ってるじゃないですか! 嫌です、何も言いませんよ!」
「想い人を否定出来ていないぞ。……さて困った。話してくれないなら調べ上げるしか――」
それは本当にマズい。スパイだと知られては任務失敗になる。
「ひ、卑怯です!」
「卑怯なものか。権力の正しい使い方だ」
「間違ってる! 絶対に間違ってます!」
「何のことやら。さて――」
きらり、とゲルトルーデの目が煌めいた気がした。
「話してもらおうか」
サンは、己の敗北を悟った。
「で、どんな男なんだ?」
「それは、まぁ、優しいというか……」
「どこが良かったんだ? 何が切っ掛けだった?」
「どこって……。その、一見冷たいのに、本当はとても温かい人で……。切っ掛けというか、いつの間にか、というか、その……」
「向こうはエルザ殿をどう思っているんだ?」
「……き、嫌われてはいないかなって……」
「どこまでいったんだ?」
「いってません! どこにもいってませんから!」
「――」
夜。大隊は行軍を停止し、見回りを交代しながら夕食を取っていた。
「――なぁ、エルザ殿。今日は楽しい日だな!」
「……私は、全く良くないです」
根掘り葉掘り聞き出され色々と疲弊しきったサンに対し、ゲルトルーデは全く対照的に生き生きとしていた。
「はっはっは! ま、あと数日もすれば帝都だ。戦争がいつ落ち着くかは分からんが、夏が終わる頃にはエルザ殿も想い人に会えるさ」
「そうですねー……」
サンの本来の立場はザーツラントの敵だ。そして、恐らくゲルトルーデの出世が現実のものになる日は来ない。
贄の王は言ったからだ。『ザーツラントを崩す』と。
……ふるふる、とサンは首を振って考えを追い払った。深く考え込むと、何だか落ち込んでしまいそうだったからだ。
そんなサンをハッとさせたのは、何気なくゲルトルーデが口にした一言だった。
「しかし、ついぞ名前だけは吐かなかったな。見上げた根性だ」
名前。確かにサンはゲルトルーデの尋問にも名前だけは語らなかった。
「……名前、は……」
そして、それは当然なのだ。
「まさか、知らない……のか?」
知らない。
だが、そうと口にする事も憚られ、黙ってしまう。
そして口ごもったサンの様子は、雄弁な肯定でしかなかった。
流石に戸惑ったらしいゲルトルーデは困惑を隠せずに聞いてくる。
「だが、聞いた話では随分と親しそうだったじゃないか」
「えぇ、まぁ……」
知らない。
何故なら、その名前は既に失われたのだから。
「いや、すまん。気軽に聞いていい話では無さそうだな」
「いえ……」
既に失いものを知る術は無い。当たり前の話だ。
だが。
だが――。
「……ちょっとだけ、寂しいですね」
「……」
「でも、約束してもらいましたから」
「約束?」
「いつか、その時は最初に教えてくれるって、そう言ってくれましたから」
それは、サンの戦う理由でもある。
「――絶対、約束は守ってもらうんです」
いつか思い出せる日が来るように。
いつか教えてもらえるように。
今はただ、いつも通りにこう呼ぶのだ。
――主様、と。




