229 二の手三の手
私は謝らない。何故なら、いい加減にしろと怒られるのが目に見えているからだ。
遅れた。しかし、それが一体何だというのだろごめんなさい。
襲撃、襲撃、と繰り返してきたにしては、意外とあっさり決着がついてしまった。完全に一方的な掃討戦へと移行した戦場を見下ろしながら、サンは一人、馬上で拍子抜けしたような思いを抱いていた。
確かに、いきなり砲声が轟いてきた時にはどうなるかと思ったが、終わってしまえばどうと言う事も無い。むしろ、昨晩唐突に砲撃を防げと言われた時には、もっととんでもない無茶をやらされるかと思ったものだが。
まぁ、無事に済んだなら幸いである。
戦争など無い方が良い。そもそもからして、サンは別に戦いなど好きでは無かった。
そんな風に胸を撫で下ろしていると、一足先に戦場を抜け出して来たらしいベルノフリートが、小隊を連れて向かってくる。
皇子を上から見下ろす訳にもいかないので、サンは馬から下りるとベルノフリートに礼をして迎えた。
「よお、エルザ。流石の魔法だったな。助かったぜ」
「ありがとうございます、殿下。ご無事で何よりです」
「こんな戦いで死ぬ訳にもな。ちょっと格好がつかないだろ?」
どんな戦いでも死ぬ人は死ぬだろう。恰好がつかない、なんて言い方はあんまりではと思ったが、自分が言えた事でも無いかと黙ったままでいた。
だが、ベルノフリートにはサンの考えたことが何となく伝わっていたらしい。肩を竦めると、サンに言う。
「我が大隊はこれでも精鋭揃いなんだ。隊長にもそれなりの傲慢さが求められるのさ。気に障ったなら、すまんな」
「いいえ。どの道、私が言っていい台詞でも無いかな、と」
「真面目だなぁ、エルザ。もう少し適当に生きてもバチは当たらないと思うぜ、俺は」
すると、彼の率いている小隊の中から、大隊長殿はもっと真面目に生きるべきだ、そうだそうだ、なんて声が上がる。
ベルノフリートはこれ見よがしに心外そうな顔をして見せながら言う。
「おいおい酷ぇなお前ら。俺ほど真面目に生きているヤツも居ないって言うのに」
わははは、と笑い声をあげる彼らの様子からは、お互いへの強い信頼と確かな親しみがあって、彼ら小隊の絆を感じさせた。
何となく置いてけぼりだったが、眺めているのも悪くない雰囲気だと思った。
「それで、これで終わりですか? それなら――」
ザーツラントの都への旅を再開しよう、と言おうとしたサンをベルノフリートの言葉が遮る。
「あぁいや、確かに今回は終わりなんだが。旅程の消化へ戻る前に、寄る所があるんだ。直に隊も帰ってくるだろうし、そっちへ向かおう」
「寄る所ですか。それはまた、一体どちらへ?」
「行けばわかるさ」
わざわざ何処へ行こうというのか全く見当はつかなかったが、教えてくれるつもりも無さそうである。取り敢えず、大人しくついていく事にした。
ベルノフリートに連れられて来た場所は、既に戦いの終わった戦場跡だった。先にベルノフリートらが戦っていたのとは、また別の場所である。
恐らくだが、戦いの規模はこちらの方がずっと小さかったようだ。生きている人間も、そうでない人間も、さっきの方が多かった。
敵兵と思しき死体をまとめたり、装備を拾い集めたり、忙しなく動き回っている味方兵たちが、ベルノフリートに気づいて敬礼の姿勢を取る。
「ご苦労、諸君。作業に戻ってくれ!」
ベルノフリートはそう言うと、率いる大隊にも手伝うよう指示を出す。部下たちが動き出しても、彼自身はその場で眺めているままだ。流石に、皇子自ら死体運びをしたりはしないらしい。
当然、護衛として雇われているだけのサンも手伝うつもりは無い。ベルノフリートの傍に立つと、話しかける。
「殿下。ここは……?」
「敵の後詰……いや、主力を撃破したところだ。さっきの戦場、魔法使いがほとんど居なかったのに気づいたか?」
「言われてみれば、確かに……」
そう言えば、そうである。先ほどの戦場ではあまり魔法が見られなかった。
それと比べると、こちらの戦場跡は派手に荒れていて、魔法の撃ち合いがかなりあったように見える。
「俺たちに砲撃をくれた本隊とは別に、選りすぐりの魔法兵だけを集めた精鋭部隊が用意されていたんだ。砲撃だけじゃ心配とは、俺らも高く買われたもんだ」
「それは……本当に、随分な念の入れようですね?」
普通に考えて、唐突に向けられた砲撃から生き延びられる人間はまず居ない。サンだって、予め来ると聞かされていたから間に合ったようなものだ。事前の情報無しに防ぎきれたかどうかは、正直自信が無い。
――まぁ、その時は【転移】で逃げるだけだけど……。
「それだけ、どうしても俺らを潰したかったんだろうさ。残念無念、ってな」
ベルノフリートの口ぶりは、まるで襲撃者の思惑を知り尽くしているかのようだった。それで、サンはつい聞いてしまう。
「殿下は、敵の狙いをご存知だったのですか?」
すると、ベルノフリートはサンの目を見て、わざとらしい笑顔を浮かべて言った。
「そりゃもちろん、俺が皇子だからだろ?」
それは、嘘を吐いている顔だった。
「大隊長殿!」
突然、駆け戻ってきた兵士がベルノフリートに敬礼と共に何かを見せた。サンの位置からはよく見えないが、何か布の切れ端のような物だ。
「ご覧ください、これは……」
兵士が布の切れ端をベルノフリートに差し出す。それを見たベルノフリートは、納得げに頷く。
「あぁ、その事なら承知済みだ。心配いらんよ」
「しかし――」
「大丈夫だって。ほら、仕事に戻ってくれ。――あぁ、一応内密に、な」
「……分かりました。大隊長殿がそう言うなら」
兵士はもう一度敬礼をすると、走って去って行った。
「あの、私が聞いても良いお話ですか?」
何があって、何が承知済みなのか。気になったサンは、素直に聞いてみた。
すると、ベルノフリートが手渡されていた布の切れ端をサンに放り投げて渡してくる。サンはそれをつかみ取って広げ――。
ドドドォォ……ン……。
遠くから、雷のような音が聞こえてきた。
その瞬間、サンは目を見開く。何故なら、その音は間違っても雷などでは無かったからだ。
「――おっと。流石にこれは予想外」
「言っている場合では――もう!『いざ。【風神礼賛】』!」
ごおぉ、と大気が震え、縦横に入り乱れる豪風が発現する。それは急速に、圧縮されるように形を作ると、サンとベルノフリートだけを包み込む盾になる。
その直後。
キィィイイイイイイイイイッ!!! という、甲高い大音が響く。
更に直後。
天と地が全部割れ砕けたような衝撃が襲い来る。衝撃が、サンの五感全てをぐちゃぐちゃにかき混ぜて押し流す――。
ジィー……。
そんな、音が聞こえる。
いや、それしか聞こえない。
どれくらい時間が経ったのかも分からないが、とにかく短くない時間が経った頃、サンは意識を取り戻した。
だが、意識が戻ったと自覚してからも、すぐには動けなかった。どうしようもなく体が重くて、全身の血液が鉛に入れ替えられたみたいだった。
――何が、どうなったの……?私は、一体?
ずん、ずぅん、という衝撃が身体に伝わってくる。爆発か、何か。
それから、ようやく全身の血が元通りに流れ始めたみたいな痺れが出て、少しずつ感覚が帰ってくる。
どうやら、自分は横向きに倒れているらしいと知る。
だが、そこで違和感を抱く。
両腕が動かないのだ。後ろ手に、縄か何かで縛られている。
――あぁ、これは本当にマズい状況かも。
こういう時は、まず落ち着く。焦っても良いことは何も無い。
サンはゆっくり、じっくりと五感と身体の回復を待って、それから薄く薄く目を開く。
場所は大きく変わってはいないらしい。視界には、先ほどまでと同じ戦場跡が映っている。
いや、決定的に変わっているところが一つ。
戦場跡ではない。
戦場だ。
回復した聴覚にも、銃声や爆発音、怒声や悲鳴が聞こえている。サンとは少し離れた場所では今も戦いが続いているようだ。瞼を閉じたまま【透視】で見える範囲を見回してみるが、戦いの場は背後らしく何も見えない。
しかし、少なくともサンは放って置かれているらしい。好都合である。
今の内に、とサンは【転移】を発動。絶対に安全な魔境の城まで帰った。
城の自室に無事転移出来た、と一安心すると、サンは動き出す。
両腕は縛られていたが両足は自由なままだったので、大きく回すように勢いをつけると、何とか立ち上がった。
「ふぅ……」
ぐいぐい、と手を引っ張ってみるが、びくともしない。どうしたものか、と考えていると、ふいに部屋のドアが開いた。
ドアの方を見れば、開けた格好のまま固まってサンを見ている子供の姿がある。かつてターレルで救った灰髪の子、ヴィルアイドだ。
何か衝撃だったのか、目と口を丸く開けている。
「あ。ヴィル、丁度良いところに。ちょっと、手伝ってくれませんか」
名前を呼ばれた再起動したらしいヴィルが恐る恐る近づいてくる。
「これ、ちょっと外して欲しいんですが……。出来ますか?」
そう言って後ろ手に縛られている手をヴィルに示す。すると伝わったらしく、外してくれようとする。
やがて、しばらく苦戦していたが、何とか縄が外れた。
「ありがとうございます、ヴィル」
解放された手首をくるくると回しながらお礼を言い、良く出来たと褒めてやる。ヴィルは未だ話せないが、サン達の言葉は通じる。サンに褒められて、ヴィルは満足そうに笑った。
――ふと、その顔を見て、とある映像が頭をよぎる。
「……ヴィル。あなた……まさか?」
サンの脳裏に浮かんだ可能性は、正直に言って突拍子もないものだった。
だが、絶対にあり得ないとも言えない。
しかし。
しかし、それが真実だとすれば――。
「――ううん。まだ、決まった訳じゃない」
それに、これは自分だけでどうにか出来る話ではない。贄の王にも相談しなければ。
「――さて、取り敢えずはあの戦場に戻らないと」
きょとんとした顔で見上げて来るヴィルの頭を撫で、ありがとう、ともう一度言う。
それから、【転移】を発動させると、飛んできた戦場へと戻っていくのだった。




