226 獅子身中の虫
ブクマ増えたので遅刻です
ベルノフリートが率いる大隊と共に、ツィークフォンの街を離れる日。ベルノフリートに招かれたサンもまた、ツィークフォンの軍基地を訪れていた。
基地入り口を守る兵士には既に話が通っていたらしく、特に止められる事も無く案内される。
実のところ、何度も【欺瞞】で潜入した基地だけに案内は不要だったのだが。
流石にそんな事を白状する筈も無く、サンはベルノフリートの待つ部屋まで連れていかれるまま従う。途中、すれ違う兵士たちがサンの事を興味深そうに見て来るのが印象的だった。
案内された部屋は会議室のような場所で、ベルノフリートを上座に数名の軍人たちが机を囲んで座っていた。
その全員の目が、サンの方に向けられる。鍛え上げられてきた軍人たちの目は、睨んでいる訳でも無いのにとても鋭い。いくつもの死線と修羅場を潜ってきた者特有の眼光は、安穏と暮らしてきた者たちとははっきりと違う。それは、まるで猛禽類を思わせるような力を宿している。
しかし、サンだってそうだ。サンが越えてきた死地は、彼らのそれと比較しても決して劣るまい。
だからこそ、サンは彼らの目線に怯まない。極めて落ち着いた冷静な眼で、彼らの目をぐるりと見返していった。
その反応は様々。驚いたように少し目を見開く者、にやりと笑みを浮かべる者、興味深そうに覗き込んでくる者、特に反応しない者。
「――ようよう、よく来てくれたな、エルザ。歓迎するよ」
最も上座に座るベルノフリートから声がかけられる。にこにこと安心させるような表情を顔に張り付けているが、その目が明らかに笑っていない。
どうやら。
成り行きで雇われただけだと、油断していてはいけないらしい。
ここに呼ばれた意味は分からないが、単なる『お嬢さん』に用は無いようだから。
会議室に居る全員と一通りの自己紹介を交わし終える。すると、それを待っていたベルノフリートがぱん、と一度手を打ち鳴らして注目を集めた。
「よし! これで全員だ。本題に入ろう」
ベルノフリートは表情から笑みを消す。途端、その気さくそうな青年の顔は『鷹』の如き鋭い眼光を宿して、目線を向けられた全員にぴりりと緊張が走った。
「いいか? 全員、よーく聞けよ?――この中に、スパイがいる」
どきり、とサンの心臓が跳ねた。
動揺を表に出さないよう、必死に押し殺しつつ、何気ない風を装って会議室の面々を見回した。
うち、何人かと目が合う。向こうから素早く目を逸らしたが、どうやらサンは疑われているようだ。そういう空気を確かに感じる。
「待て待て、お前ら。エルザを怪しむのは勝手だが、それだと俺の考えが分からんだろ。何だってスパイと疑っている人間をここに連れて来て座らせるんだ?」
それは、確かにそうである。
サンをスパイだと疑っているのであれば、さっさと捕えてしまえばいい。『雇う』なんて立場で会議室に呼び、吊るし上げるなんて迂遠に過ぎる。
「個人的にエルザがスパイだとは思えないが、疑う分には自由だ。で、俺が言いたいのは。ツィークフォン基地か、我が大隊か、どっちか知らないがスパイが紛れ込んでいるってことだ」
続いたベルノフリートの言葉に、サンはつい安堵を覚える。どうやら、いきなり自分がスパイだとバレた訳では無いらしい。どちらであれ確定した話では無いが、少なくとも即拘束されるような段階では無いと思っていいだろう。
「状況証拠ならいくつかある。俺らの情報が洩れているってことだが――」
ベルノフリートが言うには、ザーツラントの情報機関がベルノフリート襲撃の事前情報を手にしたのだとか。
曰く、ベルノフリートがツィークフォンの街での任務を終えて、ザーツラントの都に帰る途中を襲撃する。
「どこから洩れたのか分からない。内通者は確実だと思っているが。……そこで裏切り対策として、外部の人間を護衛に雇ったって訳さ」
それがつまり、サンという事のようだ。一応辻褄は合っている。
「襲撃は現実に起こるだろう。移動中の大隊をわざわざ襲うなんてアホらしいが、これでも俺は皇子だ。その価値はあると踏んで、俺の首を取りに来る。そう読んでいる。俺もむざむざ死にたくは無いんで、腕利きの魔法使いを外から雇い入れたのが、そのエルザだ」
目線がサンに集中する。信頼の目、疑念の目、興味津々な目、どうでもよさそうな目。色々だ。
「こう見えてエルザは暗殺者三人を一人で撃退する程の腕だ。特に、中規模戦闘での魔法使いの恐ろしさは諸君の良く知る通り。エルザを俺の傍に置いて、襲撃発生後は俺の身辺を守る事に集中してもらう。緊急事態には、俺を乗せた馬車だけで逃げる事も想定してある」
「しかし、素性の知れぬ者を置くなど、殿下が危険に過ぎます」
そう言ったのは会議室で唯一の女性。確かゲルトルーデと名乗ったはずだ。
その至極当然な発言に対し、ベルノフリートも頷く。
「もちろん分かっている。エルザはゲルトルーデの隊と同行だ。不穏な動きがあれば、お前が対処してくれ」
「御意に」
「ん、よろしく頼んだ。――で、何か質問はあるか? ぼちぼち出立の時間だが」
ベルノフリートはそう言って会議室を見回すが、特に発言のある人間は居ないらしい。
自分で言うのも妙な話だが、予想外の異分子が皇子の傍につくことになったというのに、随分と話が早い。もっと場が荒れるかと思ったのだが。
ぱん! とベルノフリートが手を打ち鳴らすと、会議の終わりを宣言する。
「よしっ! 何も無いな? じゃ、出立の準備に取り掛かれ」
サンは宛がわれた馬の上、ゲルトルーデと呼ばれた女性と横並びに道を進んでいた。既にツィークフォンを出て一刻ほど。今日中にどこまで進むのか分からないが、そろそろ休憩にでもなりそうだ。
いい加減退屈してきたので、サンは隣のゲルトルーデに話しかけてみる。
「あの、ゲルトルーデさん、で合っていますよね」
「あぁ、合っている」
「その……良いのですか? 私をこんなところに置いて……」
サンはちらりと前方の馬車を見る。
軍用の頑丈な馬車は特に人目を引くような装飾が為されている訳では無い。それは中に乗っている人物の所在を少しでも隠すためだ。
サンはベルノフリートの乗る馬車のすぐ後ろに配置されていたのだ。
「――正直に言えば、安心は出来んとも。貴女が怪しいという訳では無いが、やはり素性の知れぬ者を殿下の近くに置くなどな」
ゲルトルーデはそう言う。本音だろう。貴人の傍に信用皆無の外様を置くなど、ベルノフリートの考えがサンには納得出来ない。
「私だって納得している訳では無い。だが、あのお方は『灰の鷹』。私の懸念など当然計算の内だろう」
『灰の鷹』。それはベルノフリートの事を指す異名だ。
「貴女がどこまで殿下の事を知っているかは分からないが、あのお方は知略の鬼才。それも奇手を好む方でな。我々直掩はいつも振り回されているのだ」
「は、はぁ……」
ベルノフリートが知略に優れるという情報はサンも持っていたが、それがどれほどの物かは不明だった。
だが、ゲルトルーデの口調からはベルノフリートへの確か過ぎる信頼を感じられた。
ゲルトルーデは意外に整った顔で豪快な笑みを浮かべると、サンに向かって言う。
「私も初めは貴女のような顔をよくしていた。だが、恐らく襲撃が始まれば分かるさ。あの方の才が」
「それほど、なのですか?」
「無論だ。……そういう意味では、私はこう見えて貴女を信用しているんだ。あの殿下がわざわざ連れて来た人物なのだからな」
真っすぐにそう言われてしまい、サンはいささか罪悪感を覚える。信用も何も、サンこそまさにスパイなのだから。
ただ、どうやらベルノフリートが探しているスパイはまた別にいるようだった。ちらほらと聞かされた話によると、洩れたと思しき情報にサンは心当たりが無かったのだ。
つまり、今ベルノフリートの近くにはスパイが二人いる。
一人はもちろんサンだ。ベルノフリートの情報などは、逐一ヴェーアドまで転移して、ラヴェイラの本職スパイのマルディンに流している。
もう一人、これから起こるとされている襲撃の手引きをした者。ラヴェイラの手の者では無いだろう。もしもう一人仲間が居るのならマルディンが何も言わなかったのはおかしい。
恐らくは親ファーテル系の間者。今回の襲撃は、親ファーテル系が起こすとサンは見ている。
襲撃にラヴェイラが関わり無いだろう事はラヴェイラ側のサンにしか分からない事だ。うっかり口を滑らさないように注意しないといけない。
「そう言えば、折角だ。貴女の事をもっと聞かせてくれないか」
「私の事ですか。もちろん、構いませんが……」
「ファーテルからの亡命貴族、だそうだな。今までは何を?」
「両親の知り合いの方がザーツラントに居まして。その方の紹介で印刷会社の手伝いをしていました。ツィークフォンにもその用事で」
「なるほどな。見るにまだ若いというのにな。恋人はいないのか?」
「い、居ませんよ」
いきなり踏み込んで来たな、と思っていると、ゲルトルーデの目がきらりと光った。
「気になっている男は居る、な?」
びし。
「それは、えーと……あの……」
「ほうほう。初めは殿下目当ての女では無いか、なんて疑いも持ったものだったが……。杞憂だったか」
「何も言ってないじゃないですかっ」
「恐ろしく分かりやすい。顔に書いてあるぞ」
「うぐっ……」
確かに、動揺を顔に出した気はする。
「それで、どんな男なんだ? いい男か?」
「……まぁ、その……。はい、まぁ……」
「ほぉう。軍なんて男所帯に居るとなかなかこういう話は出来なくてな。私は今とても楽しんでいるぞ、エルザ殿」
「……それはなによりです……」




