225 護衛依頼
ごめんなさい!!!
ツィークフォンの街、表通りを一つ曲がっただけの細い路地裏。薄暗い視界に差し込む表通りからの光。そして、その逆光を背負うのは灰色の瞳の男。
サンはしばし呆気に取られた。まさか、この場所、この局面でその顔を見る事になるとは思っていなかったのだ。
皇子ベルノフリートの中性的な顔は柔らかに微笑んでいて、如何にも相手を安心させるように優しげ。それは確かに、乱暴に巻き込まれた少女に向ける物として相応しいだろう。
いつの間にか荒事に慣れてしまっていたサンとしては特に感じ入るところは無かったが、これが普通の少女だったら安堵に涙を零したのかもしれない。そんな演技をするべきかと少しだけ思ったが、やめておいた。
「ありがとうございます……」
追い求めていた人物が自分の方から来てくれるという、なんとも奇遇な事態への戸惑いは消えないままだったが、サンはお礼を言うと差し出されている手を取った。
ベルノフリートは実に紳士的にサンを助け起こしてくれ、服についた土埃を払ってもいいかと穏やかに聞いてくる。気軽に身体に触らない辺りは悪くない気遣いかなと思ったが、それどころでは無いだろう。
「い、いえ、大丈夫です。それより――」
サンはベルノフリートから目線を外すと、足の傷を抑えて転がっている暴漢たちを見やる。
ベルノフリートが暴漢たちに使った“風”の魔法【風精指突】は繊細さに優れる魔法で、狙う先に編み棒の先程の穴を空け、人体なら貫通させてしまう。足の骨を貫かれたらしい暴漢たちは痛みにむせび泣いており、とても立ち上がりそうに無い。
「そいつらなら衛兵につき出すさ。俺はそれなりの魔法使いでね。まぁ――」
ベルノフリートは意味深に目を細めると、薄い笑みを浮かべた。切り裂いたような笑みだった。
「――助けなんて、要らなかったみたいだが」
そう言われて、サンはハッとする。確かにその通りだが、暴漢二人に襲われて取り乱さない街娘は明らかに普通では無い。
これは、早速設定が崩れたかもしれない。だが、今更演技をするのはわざとらし過ぎる。
サンは咳ばらいを一つしてから、多少は武術の心得もあると言う。
それに対し、ベルノフリートは肩を竦めて追及するつもりの無い事をわざわざ示すと、“土”の魔法で転がっている暴漢たちを地面に拘束した。
「それにしても、奇遇だなフロイライン。あ、俺の事、覚えてるか?」
「忘れられる筈がありません。まさか――いえ、貴いお方にお会いするなんて」
今更と言えば今更だが、皇子が居ると喧伝するのは避けた方が良いのだろう。暴漢に引っ張り込まれたせいでサンが居るのは細い路地裏だが、表通りから覗き込んでいる人の目は一対では無い。
サンが濁した言葉の先はベルノフリートにも伝わったらしい。苦笑じみた表情を浮かべると、やや雑に礼を言ってくる。
「お気遣いどうも。ま、今更さ。すぐに衛兵も来るだろうしな」
「それは、申し訳ありません。私のせいで街に居づらくなるでしょうか」
「あぁいや、いいんだ。どうせ直に発つ予定だったからな」
どうやらもうすぐツィークフォンを離れる、のだろうか。サンの知らなかった情報だ。
「それなら、良いのですが……」
「あぁ、良いのさ。――おっと、衛兵が来たらしい。応対は任せてくれよ。これでも皇子だ」
見れば、表通りからばたばたと衛兵たちが駆け込んでくるところだ。
ベルノフリートに気づかれないようため息を一つつく。
確かに皇子ベルノフリートとの接触は出来たが、これが果たして歓迎すべき経過なのかはとても判別出来ないサンであった。
「――改めて、助けて頂いてありがとうございました。ベルノフリート殿下」
衛兵たちに連れて来られた応接間にて、サンはベルノフリートと向き合って座っていた。
ソファはお世辞にも柔らかいとは言えなかったが、衛兵の詰め所となればこれでも頑張った方だろう。彼らの役目は街の治安維持であって、間違っても皇子の歓待では無い。
「良いのさ。実際、余計なお世話だったろうしな。暗殺者三名を軽々払い除けた魔法使いに、危ないところだったーなんて、恩着せがましい事言うつもりは無いぜ」
ベルノフリートが言うのは、サンが最初に彼と遭遇する縁になった事件だろう。確かにサンは、連絡将校に襲い掛かっていた襲撃者三人を撃退した。
「それとこれとは別の話です。助けて頂いたのは事実ですから」
今更『普通の街娘』で通すのは無理筋だろう事くらいはサンにも分かる。ここからは即興で設定を作っていくしかあるまい。もうどうとでもなれ、といった気持ちで臨むことにする。
端的に言って投げやりだった。
「しかし、殿下は何故このような街中にいらっしゃったのでしょう? 窺いますに、供も連れておられないようですし……」
「ちょっとした気晴らしってとこだな。基地に閉じ込められて息が詰まってたんでな。まさかこんな事態に出くわすとは思ってなかったが……。あーあ。説教だろうなぁ……」
という事は、まさか抜け出してきたのだろうか。一国の皇子ともあろう者が、とは思わないでもない。
それが表情にも出ていたらしく、ベルノフリートが嫌そうな顔をする。随分とあけすけな皇子だ。
「お説教は勘弁してくれよ? 息抜きだって、立派な仕事さ。だろ?」
「まぁ、確かに大事な事ではありますけれど……」
その立場で勝手に抜け出してしまうようでは、周りの人間たちの心労が大きそうである。
「しかしなんだ。随分と肝が据わってるよな。ええと――失礼。名前を聞いてなかった、よな?」
確か名乗ったと思ったが、忘れられたらしい。
「あ、ええと、エルザと申します。不幸ながら、色々と巻き込まれる事が多かったもので……」
「エルザ、ね。ふんふん……。それにしたって見事だ。まぁ暗殺者と渡り合えるような人物に言う台詞でも無いか。――とすると、俺が救ったのはむしろ悪党ども、だったりしてな!」
あからさまなくらいの冗談めかした言い方だったが、実際その通りである。サンは【爆蓮花】という、人を殺傷するに十分な魔法を使うつもりだったからだ。
結果として、二人の間に何とも言えない微妙な間が降りる。両手を広げて見せているベルノフリートが、何だか滑稽であった。
「……あー……。まぁ、なんだ。とにかく、無事なら何よりだ。連れてきちまったが、誰かを待ってたとかじゃないよな?」
「はい。私には何も問題は無いのですが……」
「問題があるのは、むしろ俺ってな。はいはい、立場立場っと……」
「も、申し訳ありません。でも、やはり皇子ともあろうお方と街中でお会いするなんて意外と思ってしまって……」
「――たかが、生まれたところが違うだけ、さ。良くも悪くもな。」
『生まれたところが違うだけ』。
何だか意味深長な強調をつけられたその言葉は、サンの耳にこびりつくように残った気がした。
確かに、その通りかもしれない。一国の皇子という立場であればこそ、得られたものも多かったろう。失ったものも多かったろう。気持ちが分かるとは言わないまでも、何となく共感を抱かずにはいられない台詞だ。
サンも、いやエルザも、生まれで苦労をしたことは多かっただけに。
「意外だな? 皇子なんて立場でこういう事言うと大体反発食らうんだが」
「……いいえ、貴いお立場なればこその苦労も多いかと思います。とても、反発などする気にはなれません」
「へぇ……。まるで、君もそういう苦労が多い身の上みたいだな」
「どうでしょう。私の話では無いかもしれません」
「へへぇ。私じゃない、ね……」
「ま、良いのさ、そんなことは」
ベルノフリートはそこで手をぱんと打ち鳴らすと、話題を切り替える。
「エルザ、君は確か、亡命貴族だな? しかも単身。うぅん、こいつは如何にも苦労が多そうだ。――そこで。俺に雇われないか」
「雇われる? 私が、殿下にですか?」
それは全く予想外の申し出だった。こうして二人でのんびり話している事自体、望外の好機なのだったが、まだ続くと言うのか。
「そう。さっきちらっと言ったが、俺はもうすぐツィークフォンを離れて都に帰る。ところが、今ウチは戦争中で危険極まりない状況にある」
確かにザーツラントとラヴェイラは実際に交戦を開始しているはずだ。だが、ここはザーツラント国内でもラヴェイラと正反対の位置にある。
ではベルノフリートが言う『危険』が何を指すのか言おうと思えば、ザーツラント国内の勢力分布を確認する必要がある。
現在、ザーツラント本国の敵は大きく二勢力。一つは南の隣国、ラヴェイラ。もう一つは北西の国内――元国内と言うべきかもしれない――、独立宣言と同時に戦端を開いた親ファーテル系だ。
親ファーテル系はザーツラントにとって一つの大動脈である主要街道の大部分を抑えており、領地として広大ではないが、絶対に放棄出来ない一帯を支配している。従ってザーツラントはこの親ファーテル系を叩き潰して抑え込む必要があるのだが……。
「誰もがお察しの通り、親ファーテル系は北のファーテルと通じている。事実上、ザーツラントは南北の大国どもを一気に相手取った二正面作戦の真っ只中だ」
そういう訳である。親ファーテル系が単独で独立など自殺行為でしか無い以上、背後には他国がいる。そして可能性として最も高いのは地続きかつ同系民族の大国、ファーテルだ。
更にザーツラントにとって嬉しくない話として、独立宣言のタイミングがあげられる。
親ファーテル系にとって最も良い独立宣言のタイミングは、ザーツラント本国がラヴェイラとの交戦で疲弊した瞬間だ。
それなのにわざわざラヴェイラとの交戦開始と同時に独立宣言をしたという事は、親ファーテル系とラヴェイラに何かしらの繋がりがある事を示唆している。このタイミングで親ファーテル系が独立宣言を出して最も得をするのはラヴェイラだからだ。
ラヴェイラと親ファーテル系に繋がりがある。親ファーテル系の背後にはファーテルがいる。つまり、ラヴェイラとファーテルの二国は結託している可能性が高い。
「戦争の発端はウチがラヴェイラの継承に口を出した事だが、窮地なのはむしろウチになった。ザーツラントはめちゃめちゃに軍事国家だが、ファーテルとラヴェイラを一気に相手取る体力は流石に無い。というか、ファーテルなんか一対一でも勝てない」
『戦士の国』ファーテルは大陸、いや大地上最強の陸軍国家だ。陸戦において、ファーテルと正面から戦って勝てる国は存在しないと言っていい。
「それなのにラヴェイラと両面作戦。これはウチが誘われたんだろうってのが――あ、いや。話しすぎだな、忘れてくれ」
ぽろっと国家機密を漏らしそうになっているベルノフリートにサンの方が不安を覚えつつ、続きを促す。
「で、何が言いたいかって言うと。ツィークフォンから都への帰り道はファーテルの襲撃があるだろうって事だ。それか、途中で通過するヴェーアドでラヴェイラ系の襲撃だな。どっちにしろ危なくて仕方ない」
そろそろ、サンにも話の先が見えてきた。
「私に同行しろ、というお話でしょうか」
「正解! ――エルザ、君の魔法使いとしての実力を見込んで、君を雇いたい。ツィークフォンから都への帰り道、俺たちの護衛だ。どうだろう?」
その話自体は、歓迎すべきだ。そもそもサンの目的はベルノフリートに近づくこと。恩も売れるかもしれないこの話は大変に望むべく展開である。
……流石に上手く行きすぎ、というのは余計な不安なのだろうか?
「ダメか? 報酬なら期待してくれて良いんだが」
「んー……」
だが、断るという手は無いだろう。ここでこの機会を逃せば、サンがベルノフリートに近づく機会は無くなるだろう。偶然を装って会えるとして、精々あと一度くらいだ。それ以上は不自然に過ぎる。
つまり、どう悩もうと、結論は一つしかない。
サンはベルノフリートの灰色の瞳を見つめ返すと、一つ頷いた。
「殿下直々のお話とあれば、否やはありません。微力ながら、その身をお守りさせて頂きます」
「よし! 商談成立、だな!」
ニッとベルノフリートが笑う。無垢な少年のような笑顔だ。
――その笑顔を見て、どうしてか、サンの記憶が疼いたのだった。




