223 帝国の皇子
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ラヴェイラのスパイ、マルディンはサンに言っていた。
『誰か』がツィークフォンの街を訪れていると。
『誰か』とは、軍属の要人であると。
そしてサンの任務は、その『誰か』を特定する事から始まる。
サンは確信する。
この目の前にいる男こそ、『誰か』であると。
『誰か』とは、軍属の要人とは、ザーツラント皇子ベルノフリートであると。
想定以上の大物が前触れ無く現れた事でサンはとても動揺したし、あっけに取られて何の言葉も発する事が出来なかった。
だが、この時ばかりは幸いしたのだろう。皇子ベルノフリートはサンの様子を面白そうには見ていたものの、疑うような視線を向ける事は無かった。
「――それで、フロイライン。俺はベルノフリートと言う。君の名前を教えてくれないか?」
そんな風に言いながら、ベルノフリートが灰色の目を近づけて、サンの瞳を覗き込んでくる。
唖然としていたサンもそれで再起動し、やや慌てて答える。
「は、はい。エルザと申します。その、皇子殿下……?」
「エルザか。素敵な名前だ。俺の事は気軽にベルノフリートと呼んでくれていい。よろしくな」
「そんな、恐れ多い事です……!」
ベルノフリートはやれやれ、と肩を竦めて見せると、拗ねたような目で連絡将校と衛兵に視線を向けた。
「ほら見ろ。お前らのせいで壁が出来てしまった。これでは仲良くなるのも一手間だ」
「も、申し訳ありません、大隊長どの……」
「申し訳ありません……」
二人揃って身体を固くする連絡将校と衛兵だったが、ベルノフリートはくつくつと笑うと二人の肩をぽんと叩いた。
「いちいち本気にするなよ、堅物だなぁ。……それで、エルザは何故こんなところに? お前らの恋人か?」
ベルノフリートの冗談めかした問いかけに答えたのは、連絡将校の方だ。
「いえ、彼女こそ自分を救ってくれた命の恩人、例の魔法使いの方なのです」
連絡将校の身に起きた一通りのいきさつはベルノフリートにも伝わっていたらしい。それだけの言葉で全て察したらしい彼は、驚きの表情を作ってサンを見た。
「じゃあ、このエルザが襲撃者3人を無傷で叩きのめし、お前に的確な治療を施して助けたっていう、あの魔法使いか? へぇー……。失礼かもしれないが、とてもそうは見えないな」
「全く、見事な戦いぶりでしたよ。自分は魔法には詳しくありませんが、恐るべき腕前だったことが素人目でも分かるくらいでした」
そこでサンは一つ気づいた。今のサンの設定、『エルザ』は荒事に慣れているはずが無いのだ。
これは早速修正が必要かもしれない、と頭の中で設定を見直していく。
「ほぉー……。せっかくだ、フロイライン。君の事をもう少し教えてくれないか」
ほら来た。サンは見直したばかりの設定を、今度はあたかも自分自身の事のように話していく。
「えっと、名前はエルザ。家名は伏せますが、ファーテルから亡命してきた貴族でした。一応、ファーテル貴族として一通りの戦い方を仕込まれています。戦いは、好きではありませんけど……」
「ファーテルの亡命貴族か……。ご家族や家来は?」
「父と母は既に……。使用人の方達も、お給金が払えないので……」
「という事は、一人か? 凄いな。こう言っちゃなんだが、貴族娘が一人で生きていけるなんてなかなか信じがたい話だぜ」
「確かに、最初は苦労しました。でも、必要となれば何とかなるものなんですね。いつの間にか身の回りの事も身に付いていました」
「はー……。強い子だなぁ。俺なんて未だに自分でケツ……は、やめとこう。ともかく、尊敬するぜ」
「いえ、そんな……。恐れ多い事です」
サンとベルノフリートはそんな風に会話を続けていたが、ふと話題の切れたタイミングでベルノフリートが退出を申し出る。
「さていい加減、お見舞いの邪魔をし過ぎたな。ディルクも元気そうだし、俺はここらで出ていくよ。悪かったな」
サンとベルノフリートの会話中、黙っていた連絡将校と衛兵だったが、その言葉を聞くと敬礼で上官を見送る。
「いえ、わざわざありがとうございます、大隊長殿」
「お疲れ様でした。どうぞお気をつけて!」
サンもまた、見送りの言葉を丁寧に述べる。
「ありがとうございました、皇子さま。またのご縁があれば、その時は何卒よろしくお願いします」
そう言ってにっこりと笑顔を向ける。笑顔を作る練習は、ロッソに勧められて以来ずっと続けている事の一つだ。
その甲斐あってか、ベルノフリートはにこやかに去って行く。一部始終、特にサンを疑ったような感じは見せなかった。
サンは去って行く皇子の背中を目に焼き付ける。
あれこそが、自分のターゲット。
そんな風に思うと、つい肩に力が入るのだった。
見舞いを適当に済ませ、お礼にと次の約束を取り付けようとしてくる連絡将校を上手く躱し、サンはツィークフォン基地を辞した。
最後まで、すれ違う人全てにおいて、サンの事をスパイだと見透かした人間は居ないように思えた。
その後、ところ変わってヴェーアド。
ザーツラントでも親ラヴェイラ系が支配する地域最大の街で、ラヴェイラのスパイが拠点にしている街でもある。
サンはパッとしない印刷会社のドアを勝手に潜る。中には、新聞を読んでいる赤ら顔で恰幅のよい男がソファに埋まるように座っていた。
「こんにちは、マルディンさん。少し、いいですか?」
「おぉ、エルザさん。いいよいいよ、ちょうどヒマしてたところだからね」
マルディンは人懐っこい態度と邪気を感じさせない笑みのまま、地下室へ続く分厚い扉を開けて降りていく。
サンもまた、それに続く。
如何にも倉庫、と言った風の地下室に二人で入り、内側から鍵をかけて閉じこもる。
途端、マルディンの表情が消え、全くの別人のように雰囲気が変わった。
「で、何でまだヴェーアドにいやがる? 連絡将校はどうした。要人とやらは? お前、何をしに――」
「ツィークフォンを訪れている軍属の要人が誰か、特定しました。ベルノフリート皇子です」
なるほど、【転移】の存在を知らなければサンがツィークフォンに発っていないという認識になるらしかった。だが、それは当然間違いだ。サンは既にツィークフォンに赴いたし、任務も順調だ。
勘違いしているマルディンの言葉を遮り、サンは端的に報告する。すると、それを聞いたマルディンはぽかんと口を開けて、怪訝そうな顔をした。
「は? ベルノフリートだと? いや待て、どうやってツィークフォンと――」
埒が明かない、と思ったサンはマルディンの目の前で【転移】を発動する。マルディンの視界から外れないよう、地下室の反対から反対まで。
闇に包まれて消え、一拍ほどの後に闇から現れたサンを見て、マルディンは驚愕で顔を埋め尽くす。
「お分かり頂けましたか? 私に距離とは有って無いようなものなのです。という訳で、ツィークフォンから帰りました。私のターゲットはベルノフリート皇子であるようだ、と報告に参ったのです」
マルディンは驚愕いっぱいになったまましばらく反応しなかった。
やがて口を開くと、その声もやはり驚愕に彩られていた。
「なんて……馬鹿げた魔法だ。いや、魔法なのか……? こんな能力、聞いたことも……」
ぶつぶつと独り言を繰り返すマルディンに声をかけて現実に引き戻す。
「特殊な魔法、というものの一つです。私はその気になれば長大な距離を一足で越えられる。それだけ認識しておいてください」
「……おかしな手品じゃあ、無いんだな?」
「えぇ。本物です」
「そうか……」
マルディンは下を向く。その顔がサンから見えなくなる。
一体どうしたのか、とサンが怪訝に思っていると、マルディンは唐突に大笑いを始めた。
げらげらと聞いている方が驚くくらいの豪快な大笑いだ。
「おいおいおいおい! なんて力を持ってやがるんだよ、おいおい! 信じられん、『転移』ってのはそういう事かよ!? あっはっはっは!!」
「い、いきなりどうしたのですか」
「これが笑わんでいられるかよ、おいおい! お前、その力があればどれだけの事が出来るか! とんでもねぇ、とんでもねぇなぁ! はっはっはっはぁ!!」
「確かに、便利ですけれど」
「便利? 便利だぁ? そんな程度のモノかよ、『転移』! 今すぐその力が貰えるなら魂だって売れるくらいだぜ。分かるか、エルザ? これは俺たちスパイにとっては最強最大の能力だぞ。帰れるんだ。分かるか? いつなんどきであれ、どんな状況だって、その力があれば帰れるんだ!」
何やらマルディンは感動しているようだったが、サンにはよく分からない。帰れることの何がそんなに凄いのか?
「分かってねぇな。いいか? 俺たちはプロだ。どんな情報もどんなブツも、手にするところまでならまず出来る。その時最も問題になるのが何だかわかるか? 帰ることなんだよ! 手にしたソイツを持って帰る。これがどれだけ難しいか!」
「そうなのですか? どちらかと言うと行く方が問題になるのかなと……」
「とんでもねぇよ。――分からねぇか、惜しいなぁ。その力を持ってるのが俺ならもっと有効に活用してやるのにな」
そう語るマルディンは心底悔しそうで、本気の言葉らしいと分かる。
「まぁ、いいさ。お前もその内分かる時が来るだろうよ。――ともかく!」
マルディンはそこで言葉を切って、サンの方をじろりと見てくる。
「お前、ベルノフリートと言ったな。このザーツラントクソ帝国サマの皇位継承権第一位、『灰の鷹』ベルノフリートの事だな?」
「え、えぇ。私が実際に会いました。事前に得ていた情報からして、本人で間違い無いかと」
実際にザーツラントに入るまでに、手に入る情報はあらかた頭に入れてある。
サンの言葉を聞くと、マルディンはにんまりと――ちょっと怖い――笑みを浮かべる。
「ようしよし! 素晴らしい、お前は才能があるぞエルザ!」
「は、はぁ……」
「それなら打てる手はいくらでもある。あぁ、最高だな。んじゃ、こっからは――悪だくみの時間だ」




