219 その剣の次なる敵は
ラツアという大国が革命に倒れ、ラヴェイラ共和国として新生した。その情報は大地上の各地を瞬く間に駆け巡った。
世界最強の海軍国家エルメアは自国と近い政治形態としてこれを歓迎。内海と外海の覇者たちの距離が近づく。
一方、世界最強の陸軍国家ファーテルはこれを黙認するに留める。王政を敷くファーテルは、表立って革命を歓迎する訳にはいかなかった、というのが大方の読みだ。
伝統的にラヴェイラと仲が悪いガリアは批判を上げながらも容認。自国内での火種が多い以上、それらを刺激するような事をするな、という意味だろう。
教会と同一視されるターレルも以前のラツア王政支持はどこへやら、手のひらを返してラヴェイラ共和国を歓迎した。既に勝者は決まったのだ。大国と意味も無く敵対したい訳は無かった。
そして、かつてラヴェイラ王国がラツア王国へと変わる原因、継承戦争の引き金となったラヴェイラの隣国。帝国たるザーツラントは、完全にラヴェイラ共和国を否認した。
七代前のザーツラント皇妃がラヴェイラの姫だった事から、ザーツラント皇帝のラツア王位継承権を主張。ラヴェイラ共和国を名乗る『賊徒』は直ちにザーツラント皇帝に降伏し、『正統なるラツア王』にその領土を『返還』せよ、と声明を出した。
事実上、ザーツラント帝国からラヴェイラ共和国への――宣戦布告である。
「――と、いうのが主だった国々の反応になります」
集められた幹部たちの前で、サンが報告を終える。幹部たちはみな、違った表情を浮かべていた。
フランコはいつもの柔和な表情で何度も頷き、納得顔。
アルマンは苦々し気にしかめ面。
新ラヴェイラ王の後見人にして摂政、フェッロ卿は無表情。
そして贄の王は口元に手を当てて、何やら考え込んでいる。
いくばくかの沈黙のあと、最初に口を開いたのはフランコだ。
「ま、ザーツラントがそのまま黙っている訳無いよねぇ。予想通りと言えば予想通りかなぁ」
ラヴェイラ共和国における軍事の頂点、将軍アルマンが吐き捨てる。
「新共和議会が落ち着きを取り戻す前に、領土を削り取ろうと言う腹でしょう。忌々しい」
齢50を超えてなお現役。表面的にはラヴェイラの最高権力者であるフェッロ卿は、特に感情を見せない。
「お二方に同じくございます。こちらからの正式な宣戦布告を、手ぐすね引いて待っているのでございましょう」
贄の王は黙して考え込んでいるまま。サンは特に言う事が無い。
すると再びアルマンが口を開く。
「我々が宣戦布告をしなければ正統な国家としての威信に関わる。『当国の声明は侮辱甚だしく、撤回無くば決定的手段も禁じ得ない』といった所でしょうか」
「一応、ぼくも殿下からのご指示で武器糧食は買い集めているよ。表裏ともに、ザーツラント行きの船は封鎖しているから、まぁ相手方はやりづらくはあると思うねぇ」
継承戦争以後、ラヴェイラによってザーツラントの海は事実上の封鎖状態にある。その抜け道として、フランコの関わる密輸ルートがかの国の海運の鍵であった。だが、今はこれも封じられている。
「第二次継承戦争が、起こるのでございましょうな。儂はこのラヴェイラの難事に対し、全力で立ち向かっていく所存にございますれば、何卒、殿下におかれましては、その叡智を儂らに賜り下さいませぬか」
フェッロ卿がその重々しい口調で水を向けたのは贄の王だ。
だが、難しいところだな、とサンは思う。
何せ、『各地に協力者を作る』という贄の王とサンの目的は既に達成されている。
ラヴェイラ裏社会の頂点フランコ、ラヴェイラ国軍総大将アルマン将軍、ラヴェイラ国摂政フェッロ卿。
彼らのいずれも、贄の王やサンが協力を求めれば断る事など出来ない関係が完成されている。
一方で、サンも贄の王もラヴェイラにおいて明確な地位を得た訳では無い。
非情な言い方だが、これ以上ラヴェイラという一国に肩入れする必要も責任も存在しないのだ。
もちろん贄の王の故国となれば情も湧くし、協力者の力は大きい方が良い。実の弟を手にかけまでした贄の王ともなれば、この国を放り捨てていく事も出来ないだろう。
ともかく――。
今後のサンにとっても、贄の王の考えは知っておく必要がある。
サンもまた、黙ったまま贄の王に視線を向けるのだった。
しかし贄の王はすぐには口を開かず、しばらくの沈黙が流れる。
誰も、何も、言葉を発しない。
耳が痛くなるような静寂に、サンが息苦しさを覚え始めた頃、唐突にそれが破られる。
それは当然、贄の王の言葉だ。
「私は、【贄の王】。既に、ラヴェイラの者では無い」
そこで、一度言葉が切られる。
贄の王は全員がその言葉の意味を解釈し終えた頃を見計らって、幹部たちの顔を見回しながら言う。
「だが、私はラツア王をこの手で討った者。勝者には勝者の務めがあろう。……故に、私はこれより起こる戦争に外部の者として協力を約束する。ただし、ラヴェイラもまた、我々に協力せよ。言うなれば、これはラヴェイラと【贄の王】の、同盟である」
贄の王がそう言い切る。――これにより、下知はなされた。
サンはその言葉を聞き遂げると、音も無くソファから立ち上がり、贄の王に向かって臣下の礼を取った。
「全て、主様の御心のままに。この身、この魂は、ただ御身のために」
「あぁ。励むがいい、サン」
「はい、主様」
次いで聞こえてきたのは、アルマンの声。
「我が身の全てを、このラヴェイラに捧げると誓いましょう。されど、それは殿下に託されしが為に。我が魂の主人よ、例え貴方様が何者であろうと、その御意志の為に私はある。殿下――いいえ、陛下とお呼びしましょう。その身は、『王』であらせられるのだから。」
「よかろう。我が故国、このラヴェイラ。――お前に託したぞ、アルマン」
「はっ!」
それから、フランコの声が聞こえてくる。
「ぼくは殿下――いや、陛下に忠誠は誓えません。ただ、ぼくなりにこの国は好きですからねぇ。不良の親玉なりにうまくやっていきますよ。どうぞ、今後とも仲良くしてくださいな、【贄の王】さま」
「うむ。陽の当たらない世界はまさしく我らの居場所。お前の力、頼りにさせてもらう」
「えぇ、よろしくお願いしますねぇ」
最後に、重々しいフェッロ卿の声。
「既に亡いと思っていた方が生きておられたと思えば、随分と御立派になられた……。儂もまた、この表に出来ぬ同盟、承知致してございます。新たなるラヴェイラのため、この肉の体を離れる時まで、身を尽くす所存でございますれば」
「フェッロ卿。貴様にも世話になった。ラヴェイラの摂政たる者との好き関係を私は望む」
「嬉しきお言葉にございます」
「それでは、聞け。私はこれより、ラヴェイラの同盟として然るべき責務を果たす。――ザーツラント。かの国にラヴェイラを穿たせはしない」
「ザーツラント帝国は……この【贄の王】が崩す」
それから贄の王はサンに向かって、声をかける。
「ひとまずは、サン。……お前に、かの国へ行ってもらおう――」
贄の王は次なる目的を示した。
ならば、贄の王の唯一の臣下として、眷属として、従者として。
サンはただ、その意志を果たす剣になるのみである。




