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贄の王座と侍るもの  作者: 伊空 路地
第七章 欲しかったものは過ぎ去りて
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218 ロッソ


「――サン。私はお前に、謝ることがある」






 ラツア王国の終わり、ラヴェイラ共和国の成立を宣言する戴冠式が終わった後の事である。


 サンは唐突に贄の王に呼ばれ、宮殿の端の方にある部屋に赴いた。


 そこは、何とも雑多な部屋だった。


 ありていに言えば、酷く散らかっている。広い部屋のはずなのに、やたらと物が散らかっていて、狭く感じる程だ。


 大きな机にも紙や筆記具が散らばっているが、持ち主が書き物か何かをしていたらしい正面だけは空いている。


 そして、部屋の全てに埃が積もっていた。


 サンは埃っぽさに顔をしかめつつ、自分を呼んだ主を探す。すると、その姿はバルコニーになった窓の外にあった。


 贄の王はサンが来ていた事に気が付いていたのだろう、振り返ると、唐突に先の言葉を言い放ったのだ。






「謝ること、ですか?」


 サンは聞き返した。思い当たる節はあまり無い。贄の王が策の全てを自分にさえ教えてくれなかったことはやや不満だったが、それはもう謝られたし、サンも納得し終わっている。


 贄の王は改まった佇まいで、厳めしげに一つ頷いた。


「あぁ。本当は、真っ先に謝らねばならなかったのだが……。何と言えばいいか、分からなくてな」


「何のことやら、見当が尽きませんけど……」


「――ロッソのことだ」


 サンは、思わず息を呑んだ。


 ロッソは、新生したラヴェイラ国軍の総大将に就いたアルマン将軍の名の下に、偉大なる革命の闘士だったと宣伝された。その葬儀は国葬となり、多くの――主にカタギでない人たち――が集い、その死を悼んだ。


 サンはその死を悲しんだし、葬儀では思わず涙を零してしまった。


 だが、仇であるラツア王は死んだし、何より『戦い』だったのだ。その死を悲しみ、誇りに思いこそすれ、決して侮辱してはならない。


 だから、サンは「生きていて欲しかった」という想いは口にしても、その死を否定したり同情したりはしなかった。


 そんなロッソについて、贄の王が謝ることがあると言う。


「お前が、ロッソを姉と慕っていた事は知っている。その上で、言っておかねばならん」


 サンは唇を噛んで、心した。何を教えられようと、取り乱さないようにしなければならない。


「私は、ロッソが死ぬであろうことを知っていた」


 だから、贄の王のその一言にも耐えられたのだ。






「……最初に、ホテル・ヴィーノでロッソと出会った事は覚えているな? あれは、ロッソの命をラツア王が狙ったものだった」


 確かに、そうだ。


 主とディナーだ、と喜んでいたら襲撃に巻き込まれ、フランコと再会し、ロッソと出会ったのだ。あの頃はまだロッソとは険悪だった。


「私はラツア王がロッソの命を狙っている事を知りつつ、それを囮にした。ラツア王の目を都に誘うため、わざと都に居ると教え、敢えて厳重な警護を用意しなかった」


 つまり。


 つまり、ロッソは撒き餌だったのか。


 ロッソという餌をラツア王の前に撒いて、そちらに食いついている間に国各地の貴族たちに調略を仕掛けた。


 ロッソは初めから、死ぬことが役目だったのか。


「……少し、違う。ややこしい上に言い訳だが、私はロッソの囮は読まれると思っていた。ラツア王はあれで私より政治に長けていたのだ。短絡的にロッソという囮には食いつかないと読んでいた。泳がせ、生かし、更なる計の布石に拾ってくると考えていた。」


 では、何か?


 ラツア王が思ったよりも短絡的だったから、ロッソは死ぬことになったというのか?


「……そうだな、そういう言い方も出来る。私が見誤ったのだ。奴ならば、この程度の囮にかかったりはしないと」


 ならば、まだ。


 まだ、贄の王のせいでは無い。そう言える。


「……まだ続きがある。奴がロッソに注目しているらしいと気づいた私は、ロッソを守るのでなく無防備にした。ロッソが殺されればロッソを慕う者たちが暴発するだろう。それを陽動としている間に、各地から集わせた国軍で一気に片をつける。……本当は、予備の策だったのだがな」


 では。


 では……?


「……サン」


「……はい、主様」


「すまなかった。私はロッソを囮に使い、更には敵の手を読み違える失態を重ねた。ロッソが死んだのは、私の責任だ」


「……っ」






 本当は、分かっていた。


 気づいていたのだ。


 あの時、玉座の間で。


 現れた贄の王がラツア王に対し、『お前に狙われていると知りながらロッソが都に残り続けた』と言った時、サンは理解していた。


 ロッソは、贄の王の策の囮になったのだと。


 ロッソは、その命を使って贄の王に尽くしたのだと。


 サンの耳に、ロッソの声が蘇る。


 ――『例え何が起こっても、かわいい妹と一緒に居る』。


 ――例え、何が起こっても。


 ――例え、何が起こって(自分が死んで)も。


 今度は、自分の声が蘇る。


 ――姉さまの、嘘つき。


 それは、ロッソの葬儀があった日に、一人で呟いた言葉だった。


 誰にも聞こえないように、自分だけが聞こえるように。


 こっそりと呟いた言葉だった。


 嘘なんか、ついていなかったのだ。


 ロッソは、最初から覚悟していたのだろう。自分が死ぬことを。


 いつ()()()が来ても良いように、だからサンにあんな話をしたのだ。あんな約束をしたのだ。






「――姉さまは、知っていたのですか? 主様が、姉さまを囮にしていること……」


「教えてはいなかった。だが、気づいていたのだろうな。一度も都からの脱出を願われなかった。【転移】があれば訳も無いと、知っている上でな」


 幹部級の人間は全員、主が【贄の王】と呼ばれる悪魔である事を知らされていた。もちろん、その超常の力についても。


「むしろ、私の策を手助けするような動きをしていた。自分は都に居ると、自ら知らせるような……。私は、分かっていてロッソの献身を利用したのだ……」


「……そう、ですか……」


 どんな気持ちだったろう。


 死ぬと分かっていて、無残に殺されると分かっていて、それを顔にも出さないで居るのは、果たしてどんな気持ちだったのだろう。


 いつだって自分は最高の女だと自信ありげにしていたその裏で、見えない死の手と向き合い続けていた。


 サンを妹と慈しんでくれた。自分の想いが永遠に叶う事は無いと知っていて、サンの想いを応援してくれた。


 だから、ロッソは贄の王への恋慕を成就させようとしなかったのだ。


 死ぬと、分かっていたから。


 あるいは、贄の王が迷うと思ったから。


 だからこそ、サンに『永遠』を約束して、誰にも本心を明かさないまま、殺されたのだ。


 それは、一体。


 どんな気持ちだったのだろう。


 惨たらしく殺されゆく中で、どんな想いを抱いたのだろう。


「……姉さま……っ」


 その最期を、その覚悟を思って、サンは泣いた。


 泣くくらいしか出来なかった。


 だって、何が出来ると言うのだ。


「姉さまぁ……っ」


 ――『例え何が起こっても、かわいい妹と一緒に居る』。


「ぅう、ぅあああああ……っ」


 ――『約束よ』。


「姉さまの……っ。嘘つきぃ……!」






 サンは、泣いた。


 泣くしか、出来なかった。






 その時。


「サン……」


 贄の王が、サンを、そっと抱きしめた。


「すまなかった。私は、ロッソを死なせずに済んだはずだった」


「ぁ……」


「私の責任だ。私が、ロッソを死なせた……」


「主様……」


「すまなかった……。私を、許してくれ……」


 それは、聞いたことも無い程に弱々しい主の声だった。


 涙は流していない。声も、震えてはいない。


 だが、きっと泣いていた。


 それはきっと、贄の王の泣き方だった。






 だから、サンは主を抱きしめ返す。


 とても、大きな背中だった。


「……姉さまは、昔から主様の事が、好きだったんですよ」


「……そう、なのか」


「はい。言っていました。主様の隣に立ちたくて、とっても頑張ったんだって」


「……」


「姉さまは、知ってましたよ。自分が、死ぬって……」


「……」


「だから、主様にも言ったりしないって……」


「……そうか」


「ね、主様……。姉さまのこと、忘れないであげて下さい。ずっと、ずっと、覚えていてあげて下さい」


 ロッソという、一人の女が居たこと。


 この人だけには、忘れて欲しくないとサンは思う。


「私も、ずっと、ずっと……。姉さまを覚えていますから」


 恋をした女が居た。


 その恋は叶わなかった。


 だからせめて、覚えておいてあげたいではないか。




 ロッソという、一人の女が居たことを。




「私も、姉さまも……。主様を、許します」


「……!」


「その代わり、ずっと、ずっと……。忘れないであげてください……」


 ぎゅっと、サンを抱きしめる贄の王の腕に力がこもる。


「――あぁ。あぁ……。必ず、覚えていよう。……約束する。永遠に」






 それは、きっと。


 ロッソにとって、最も幸せな別れの言葉になっただろう。


 その恋は、永遠になったのだから。


 その約束は、叶えられたのだから。







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