217 残ったもの
遅れて申し訳ない…
銀色と黒色が激しくぶつかり火花を散らし、速すぎるそれらは空中に幾筋も軌跡を描き、鋭い衝突音を幾重にも重ね、神懸かりの剣舞を続ける。
黒い剣を持つのは贄の王。かつてあらゆる羨望と嫉妬をその身に受け、約束された王だった者。
銀色の剣を持つのはラツア王。かつて数多の優れた才を持ちながら、なお兄の敗者であった者。
兄と弟。
王と王。
悪魔と人間。
全てを手に出来るのに、全てに価値を見出せなかった者。
全てを手に出来たのに、欲しいものだけ届かなかった者。
誰より優れていた者。
誰より優れ、たった一人に劣り続けた者。
誰より劣ると思っていた者。
誰より劣り、たった一人に優れたかった者。
だが、今この瞬間。
二人はどこまでも、ただ戦士であった。
互いの誇りだけを胸に、過去も未来も見えず、今だけは現在だけを見つめている。
剣と剣。
魔法と魔法。
同じ構えと、同じ構え。
同じ読み、同じ攻め、同じ守り、同じ瞳。
よく似た二人は、孤高と模倣。
よく似た二人は、よく似た瞳を交錯させる。
だが、決定的に違う点が一つだけあった。
贄の王は、『疲れない』。
彼はもう、人ではない。人に良く似た、悪魔である。
傷つかない。少なくともその肉体は、人の力では傷つけられない。
だから、初めから結果は決まっているのだ。
「ァアアアアッ!! 兄上ェーーーッ!!!」
ラツア王が咆哮する。
悪魔と互角に渡り合っていたはずの彼も、いつしかその疲労を隠せなくなってきていた。
「貴様にッ!! 貴様に勝ちたかったッ!! 兄上だけに勝ちたかったッ!! 貴様に分かるか!? 生まれついての敗者の想いがッ!!」
「……ッ!」
「何をしても、何をしなくても! 貴様を超えられなかったッ!! 何一つ! 貴様に届かなかったッ!!」
「そんなことは無い。お前はとっくに、私よりも!」
「戯言はやめろ! 誰が見ても明らかだった! 誰が見ても俺は兄上に届かなかった! 所詮! “代替の王”だったッ!!」
「馬鹿を言うな! 私に王などやれなかった!」
「出来たさ! 知っているとも、貴様が俺に王位を継がせようとしていたことくらいッ! この王冠は初めから、貴様に譲られた物でしかなかったッ!!」
「違う、私は本心から――ッ!」
「まだやめないかッ! ならば、ハァ、この現状はどうだッ!? 俺は貴様に、負けようとしているッ!!」
「それは、違う! 私が――ッ」
「何が違う!? 貴様が勝ち、この国はラヴェイラに戻る! 俺だけをラツアに置き去りにして、全ては元通りに上手く行くッ!! 何が『贄の王』! 俺を見ろ、俺こそまさに、『贄』の王では無いかッ!!」
「違う、違う――ッ!」
「違わんッ!! 憎いぞ、貴様が憎いッ! 貴様さえ、いなければ、俺は『俺』を、生きられたのにッ!! ハァ、俺は! ハァ、兄上の弟以外、何者にもなれなかったッ!!」
「どうして気づかない! お前はお前でしか無い! 優劣など、見せかけだ!」
「それは、優れている者だけが言える台詞なのだ、兄上ェ!!」
宙に描かれる、黒と銀の残光。
それが、明らかに片方だけ減り始める。
銀色は鈍り、黒色は鈍らない。
「ハァ、ハァ――ッ!! 兄上ェーーッ! 俺はァ、貴様をォーーーーッ!!」
ラツア王が無理やりに剣を大きく振りかぶる。贄の王はそれに気を取られ、ほんの僅かな怯みを見せた。
その途端、ラツア王の左手から白い炎の矢が走り、贄の王の顔へ迫る。
贄の王は身を大きくよじり、白炎の矢を回避。
その贄の王へ、大きく振りかぶられた銀色の剣が振り下ろされた。
大げさな回避を取ってしまった贄の王はこれを避けきることが出来ない。故に、苦し紛れの刺突をラツア王に返す。
そして――。
ぴたり、と二人の動きが止まる。
銀色の剣は贄の王の胸を叩き斬るような、いや斬っていたはずなのに止まっている。
斬れないからだ。【贄の王】は、人の力では斬れない。
片や、黒色の剣はラツア王の胸、心臓の位置目掛けて突き刺さる手前で止まっている。
止めたからだ。贄の王は、その一撃を放てなかった。
「――ハァ、見ろ兄上……。ハァ、初めて、貴様に一本が取れたな……」
「……私は……」
「黙れ。……この期に及んで、話すことなど在りはしない……」
お互いの剣をぴたりと突きつける恰好のまま、二人は止まっていた。
だが、それが唐突に動く。
ラツア王が、大きく前に進み出たのだ。
「俺は、貴様が憎い……。俺は、兄上の……」
胸に突きつけられた黒い剣を、贄の王が退かす隙も無かった。
ラツア王の胸に、心臓に、黒い刃があっさりと突き立てられた。
贄の王の目が見開かれ、慌ててその剣を引こうとする。だが、ラツア王がその刀身を手で握って止めた。
「ガふっ……。これで、いいのだろう……? 俺が死に、貴様が――ごォぼっ……残る。ラヴェイラは……俺には、似合わんのだ……」
贄の王は、何も言えない。
本当はその剣を引けただろう。人の肉くらい触れただけで切れるくらいに鋭いのだ。掴まれたなら、その指ごと引き斬れたはず。
だが、贄の王は引かなかった。
一度だけ、一瞬だけ。贄の王はきつく目を瞑ると、深く剣を突き込んだ。
「そウだっ……。それで、いい……ッは、あぁ……」
苦し気に、その吐息を絶えさせようとするラツア王に言った。
「ラツアは終わる。再び、ラヴェイラの名がこの国に戻るだろう」
「……だろうなぁ……」
「お前の欲しがったものでは無いかも知れん。だが、ラツアの王とは。ラツアという王座は。……永遠に、お前だけのものだ」
ラツア王は、その言葉を聞いて、最期ににやりと笑った。
兄の瞳を見つめて、にやり、と。
「……いらんわ。そんなもの……。ぁ、おれ、は……あにうえの、ように……なりた、かった、なぁ……――」
ぐしゃり、とラツア王の身体が崩れ落ち、その胸から黒い剣が抜けた。
贄の王は、静かにその身体を、弟の亡骸を、見つめていた。
いつまでも、ただ静かに――。
ラツア王は崩御した。
空白となったラツアの王座には、王族で唯一の生き残りだった子が収まった。
新たな王はまだ子供である。故に摂政として、後見人にはフェッロ卿という大貴族がつく。
フェッロ卿は新王の戴冠と同時に、ラヴェイラ共和国の成立を宣言。
新たなラヴェイラ共和議会には平民の席も平等に用意され、王の時代は終わる。
ここに『ラヴェイラ革命』は成った。
ラツア王国は、約10年の短い時代を終えたのである。
のち、ラヴェイラには一つのことわざが生まれた。
『ラツア無くしてラヴェイラ無し』ということわざである。
それは『例え悪いものでも、後世に良い物を生み出す土台にはなれる』という意味だ。
あるいは、単に『優れた土台が無ければ、本当に良い物は生み出せない』という意味にも使われた。
ラツアという存在は、結局そういう認識をされる宿命だったのかもしれない。
そして、ラツアの王というただ一人だけの王を思い出せる者はどんどんと減っていった。
だが、ほんの僅かでも、その王を覚え続けた者たちは居た。
やがてその者たちすら現世を去ったとき、ラツア王は歴史書の片隅に小さく書かれるだけの存在になった。
その人生、その想いは、遥かな時の中に溶けて消えて、僅かな残滓だけが残ったのであった。




