216 決闘
始まりは静かだった。
スッ――と、贄の王とラツア王が構える。
右手の剣を前に、半身になって、左手に魔法を構える。
同じ構え。剣術と魔術を並行する武術のうち、特に強力な魔術を持つ者が好む構えだ。
故に、始まりは魔法だった。
初手、“炎”と“炎”。
両者の左手から放たれた大きな大きな火炎の渦。サンの身の丈を倍以上に超すほどの大渦は、互いにぶつかり合って、広大な玉座の間に火傷するような熱風を起こした。
サンは巻き込まれてしまう、と慌てて走り距離を取った。
火炎の渦と渦は激しくぶつかり合い、押し合い、拮抗する。
すると唐突に渦が弾け散った。
“風”だ。
“炎”の渦を吹き飛ばして巻き上げて、かき消してしまうような、圧縮された突風の槍。
目に見えない槍が二本、高速で行き違いになって、狭間に作り出された音速の空間がきぃいいん、と甲高い絶叫を上げる。
次に、“土”。
ずん、と地面が抜けて叩き落とされたような凄まじい地震。それは両者の眼前、地中から引き上げられる大量の土砂の反作用。
土砂は目にも止まらぬ速度で圧縮され、身の丈ほどもある鈍い光沢を放つ大きな盾となって、それぞれ術者に向かって飛来する風の槍を弾いた。
風の槍が土の盾に激しくぶつかって、耳を叩き砕くような轟音を立てる。
生み出された大風に立っていられず、サンが思わずひっくり返って背中を打つ。そのままごろんと一回転して、這いつくばるようになってようやく風に耐える。
――ひ、人の戦いじゃない……っ!
サンが内心で悲鳴を上げながらも何とか決闘を見届けようと目を向けると、贄の王とラツア王、それぞれの左手から伸びる水の大蛇が二匹、互いに絡み合っているところだった。
ばがぁん! と、とても水同士とは思えない大音を立てて、互いに弾け飛び玉座の間中に水飛沫をぶちまける。
ここで、初めて両者は違う魔法を使った。
贄の王は飛び散った水飛沫を己の支配下に置くと、無数の雫を弾丸に変えてラツア王へ収束させんとする。
ラツア王は“雷”を選択。左手から放たれた紫電は、飛び散っている水飛沫たちを追って網の目のように空間中に広がり、それらを一気に蒸発、高温の水蒸気を発生させる。
水の弾丸として収束し始めていた為に紫電は贄の王に届かず、紫電に蒸発させられたが為に弾丸は一つもラツア王に届かない。
大気と水が熱されて爆風を引き起こし、またも玉座の間中に突風、しかも今度は灼熱というおまけつきで吹き荒れる。
サンは咄嗟に“水”で自分を覆い尽くして、何とか焼肉になるのを防ぎきった。
水の防御を解けば、視線の先には変わらず構え続けている贄の王とラツア王。
美しかった玉座の間はもうすっかりボロボロだ。ガラスは奇麗に割れて消え、床はヒビだらけ、入り口はドアごと吹き飛んで大穴が空いている。
「――忌々しい。衰えてもいないか」
「――この身は既に『変化』を拒む。魔術の腕すら、鈍りようは無い」
「懐かしいなぁ、兄上よ。俺たちは互いに張り合える人間がおらず、魔法の師からは嫌われたものだった」
「そうだな。私も、お前の成長ぶりには目を見張ったものだ」
「よく言う。一度も俺に負けたことが無い癖にな」
「歳の差だろう。実際、年々埋まるお前との差に焦りを覚えた事もある」
「ほう? 貴様にも人ががましい感情があったのだな。知らなかった」
「当たり前だ。私を何だと思っている」
「生まれついての化け物。……違うか?」
「……さぁ、どうだろうな」
「下らん。――さて、勝負はこれからだ。死ぬ覚悟はいいか、兄上?」
「……死なんさ。私は、な……」
じり、じり、と。
両者がゆっくり間合いを詰め始める。
時折ちかちかとそれぞれの左手が魔力光を発するのは、何か魔術の読み合いか攻め合いをしているらしいが、高度すぎてサンにはよく分からない。
両者の剣はふらふらと揺れたり、ぴしりと止まったり、忙しなく動き方を変えている。あれはサンにも分かる。間合い外での攻め合いだ。
例えば、下段斬りを見せて上段を狙う、それをまた読ませて防御させ、開いた胴体に突きを見せ、相手の構えを崩す、とか。
それに左手の魔術も組み合わせているのだろうが、そういう読み合い、攻め合いをしているのだ。
基本的に武術においては、相手が万全の構えで待ち受けているところに攻撃を仕掛けるのはご法度だ。
それこそサンと贄の王のような隔絶した実力差でも無い限りは簡単にカウンターを合わせられてしまう。
故に、武術同士の戦いは間合いの攻め合いから始まる。
攻撃を受けるかもしれない、とは、怖いのだ。
何せ相手が持っているのは真剣で、斬られれば痛いし、最悪死んでしまう。
そして相手の攻撃に対して防御が遅れてもそうだ。攻撃を受けてしまう。
だからこそ、防御を誘われるのだ。
相手が頭に斬りかかってくると分かっていて何もしない者は居ない。誰だって頭を守るだろう。
だが、そうして頭を防御すると、今度は脚が空いてしまう。では脚も、と思うが人間の身体は二本しか腕が無い。防御はどちらかしか出来ない事が大半だ。
頭を守るか、脚を守るか。相手は頭を狙ってくるのか、足を狙ってくるのか。
そもそも先手で攻撃を狙いにくるのか、防御してのカウンター狙いか。
攻撃をしたいのか、させたいのか。
もちろん最初に頭を攻撃するつもりだったからと言って、脚を攻撃出来ない訳も無い。頭を狙うつもりだったが、脚が空いたので脚を攻撃、なんて事も出来る。
相手の狙いは何か? どれが本命、どれが誘い、どれが本当、どれが偽り?
自分は何を狙う? 誘うか、誘いと見せかけて本命か、攻撃と見せかけて崩すか、防御と見せかけて誘うか?
とにかく、相手の『万全』を崩した方が勝つ。
焦れれば負ける。逸っても負ける。
焦れさせれば勝てる。逸らせても勝てる。
故に、読み合い。故に、攻め合い。
じり、じり。
じり、じり。
じり、じり、と。
贄の王とラツア王の間合いが、少しずつ近づいていく。
両者がぶつからざるを得ない距離まで、ゆっくりゆっくり近づいていく。
魔法で、剣で、いや体さばき、足さばきで。
攻撃を見せ、防御を見せ、誘い、崩し、読み合う、攻め合う。
そして――。
両者の剣の切っ先が、触れそうなほどに近づく。
すなわち、あと一歩。
あと一歩で、お互いがお互いを間合いに捉える。
つまり、最後の読み合い。
外せば、負ける。
そして。
そして――。
――ぴたり、と息を合わせたように止まる。
次の瞬間。
ラツア王が先に動く。スッ、と一歩を詰め、贄の王を間合いに捉える。
その銀色の剣が走る。贄の王の黒い剣を絡めとるように回り、その構えの『万全』を崩そうとする。
そのまま、小さく振りかぶってから贄の王の手元へ振り下ろす。
対する贄の王は、絡めとられそうになる剣を引き下げて耐えるが、切っ先が下がり構えは既に『万全』では無い。
銀色の剣が走る。残光で弧を描く。
黒色の剣が躍る。残光は不可思議な曲線を描く。
銀と黒がぶつかる。それは贄の王の手元で、だ。
同時に贄の王の左手から“雷”が走る。しかし、それはラツア王の左手の”雷“に吸い込まれ、地面まで無意味に流れ去る。
銀色の剣が受け止められた反動に乗って再び振りかぶられ、突き出される。その向かう先は、贄の王の顔面。
贄の王は斜めに頭を下げるようにして銀の切っ先を回避する。そのまま、手元の剣を返してラツア王の太もも目掛けて突き。
ラツア王の左手が“土”の魔法を使用し、贄の王の突きを受け逸らす。
贄の王は大きく踏み込んで流された剣を手元に戻す。
ラツア王もまた、避けられた剣を引きながら踏み込む。
両者は互いにすれ違いながら、互いの視線を交錯させた。
二人の剣が鋭く煌めいたと思うと、それらは勢いよくぶつかり合って火花を散らす。
ぶつかった反動の使い方は両者とも同じ。壁を叩いて下がるように、後ろへ跳び退る。
それと同時に、贄の王の左手が“土”の魔法を使うと、下がるラツア王に対し地面から伸びる無数の杭が追いすがる。
ラツア王は左手で“風”の魔法を使い、自分に向かって伸びる杭たちを切り落として防御。
両者がほぼ同時に着地し、互いの剣を投げる。
銀色の剣と黒色の剣は空中でぶつかり合い、見当違いの方向へ飛んでいく――かと思うと、真っすぐに持ち主の右手へと飛んで戻る。【動作】の魔法で拾い上げたのだ。
更に贄の王が”炎“の魔法。足下、床に沿って絨毯が広がるように、燃え盛る炎が伸び広がる。
ラツア王は高温の炎に対し、あろうことか”水“を選択。風呂桶十杯を一気にひっくり返したような多量の水が、炎の絨毯へ振りかかる。
当然、高熱に焼かれた水は爆発的に水蒸気へと変わって灼熱の突風を起こす。突風は床に広がった炎を全て吹き消しつつ、両者へ迫る。
贄の王は右手の剣を手放すと同時に“風”の魔法で己を包み、熱風から身を守る。
ラツア王も右手の剣を手放すと同時に“水”の魔法で己を包み、熱風から身を守る。
やがて熱風が収まると二人はそれぞれの守りを内から破って突進。途中【動作】で己の剣を拾い上げつつ、お互いがお互いへ向かう。
贄の王は【動作】で掴んだ剣をそのまま触れずに持ち上げ、斜めから差し込むようにラツア王へ放つ。
ラツア王はこれを軽々剣で受けて、左手からは“雷”の魔法を放つ。
だが、これは贄の王に読まれていた。“雷”の魔法は同じく“雷”で地面へと誘導されて、贄の王には届かない。
贄の王は一度右手の【動作】を切ると、そのまま右手で“炎”で燃える槍を形成。ラツア王へ向けて投擲する。
ラツア王の左手が新緑の輝きを放つと、不可視の槍が放たれて、燃える槍を相殺する。
さらにラツア王は素手になっている贄の王へ斬撃を見舞う。
贄の王は顔をしかめながら右手に”土“の籠手を纏ってこれを受け止める。
受け止められた事を認識するや、ラツア王は贄の王に蹴りを放った。贄の王もまた、長い脚を持ち上げて蹴り上げ、ラツア王の蹴りと打ち合わせて防御する。
またも反動でお互い後退、その隙に贄の王が黒い剣を手元に戻し、ラツア王は詠唱を開始する。
今度は詠唱を中断させたい贄の王だけが突進に切り替わる。左手に即席の剣を作り、二刀流になってラツア王へ斬りかかる。
ラツア王は片方を剣で受けながらもう片方を避ける。
そして、詠唱が完成した。
ラツア王の左手から青い炎が現れ、それは奔流となって直線へ放たれる。――一極天の大魔法【青龍照】だ。
わずか数秒のやりとりの最中に大魔法を完成させた驚くべき魔法使い、ラツア王はその青い炎の奔流で贄の王を焼き尽くそうとした。
如何に贄の王とて完成した大魔法を無詠唱で防御する事は出来ない。だが、受けるだけが能では無い。
贄の王は左手に持った即席の剣を手放すと同時、“土”の魔法で自分の足下を爆発させる。それに合わせて両脚で地面を蹴り出すと、砲弾の如き速度で贄の王が【青龍照】の範囲から離脱。
ラツア王は大魔法を躱された事を理解すると、認識の限界を超えて飛んでいった贄の王の方へ目を向ける――。
そして、今度は贄の王が詠唱を完成させている現実を知った。
それは“風”の大魔法、【風精霊の強欲】。“精霊”に属する一極天である。
ラツア王の身体がぐん、と贄の王の方に吸い寄せられる。その暴風はラツア王をして自由な動きを許さない。
そして、贄の王が制縛されながら吸い寄せられるラツア王に対し剣を振るおうとする。
だが、ラツア王が魔法で短詠唱か何かで強引に“土”の柱を間に出現させ、贄の王による剣戟を防御してしまう。
ぶつかり合う直前で【風精霊の強欲】から解き放たれたラツア王が銀色の剣で贄の王に迫り、これを贄の王が“土”の具足で蹴り落とす。
また銀色の閃光が走る。
黒色の残光が描かれる。
炎が荒れ狂い、風がそれを吹き飛ばす。
水が猛り、雷が走る。
大地が蠢き、大気が咆える。
幾たびも地震が起こり、暴風が宮殿を打ち崩し、雷光が空の雲を割り――。
今話は読み飛ばしても平気です。展開とか伏線とか別に無いので。




