214 ラツアの王
【透視】。物質を見通す“闇”の魔法。
サンは素早く周囲を見回し、まずは自分を発見する者が居ないかどうかを確認。
次に足下、宮殿内部を上から見下ろす恰好で、視界と頭の中の地図を結び付ける。元が贄の王の育った場所だけあって、地図は予め準備出来たので、頭に叩き込んでおいた。
サンは自分を脳内の地図上に配置する。ラツア王が居る可能性の高い場所もまた、いくつか調べておいた後だ。後はそれらを回り、ラツア王を発見する手筈である。
宮殿は屋根の上も複雑な上、警備の巡回路もぬかりなく及んでいる。地上よりは楽にしても、気を抜けはしない。
走る。全速では無く、しかし小走りよりは早く。【透視】で必ず物陰や移動先に警備が居ないか確認する事を忘れない。
突き出た塔に飛び移り、流れるように降りる。天窓を大きく迂回し、屋根と屋根の隙間を跳び越える。
警備を見つけたので、すかさず物陰にしゃがみこみ、ゆっくり息を整えつつ通り過ぎるのを待つ。無闇に殺したりはしない。侵入者の存在を気取られたくない。
まだ革命の騒音は聞こえている。だが、確かに隊列を組んで反撃に転ずる近衛兵たちをサンも見ている。じきに鎮圧されてしまうだろう。
タイミングを逃してはならない。一刻も早くラツア王を見つけ、鎮圧が完了してしまう前に仕留めなければ逃げるしかなくなる。そうなれば、贄の王の策は失敗だ。
断じて、自分の失態で贄の王の作戦を崩壊させるわけにはいかない。
恐らくは二の策三の策もあるのだろうが、そんなものは無いと思え。
何としても、これを成功させる。
警備兵が行ったのを確認してから、音を立てないよう意識して早歩き。もっと距離を稼いでから、小走り。それから、元通りの速度で走り出す。
闇夜に乗じて、サンは走る。
最も近い、王の居る可能性の高い場所は執務室。――居ない。
次に近い、王の寝室。――居ない。
更に次、亡き王妃の部屋。――居ない。
王の中庭。――居ない。
王の聖堂。――居ない。
ならば――。
短くは無い時間をかけて到達したのは、宮殿のむしろ入り口近くの場所。
居る可能性はある、と贄の王は言っていた。同時に高くは無い、とも。
だが残るは心当たりはここぐらい。ここに居なければ、やみくもに捜さなければならない。サンは縋るような気持ちで、その大きな部屋を見下ろす。
すると。
――居た……っ!
気持ちが逸りそうになるのを、必死に堪える。
そして、革命という場面にあって、より安全な宮殿の奥ではなく入り口に近いこの場所に居る事。その事から、ラツア王の心境を察せるような気がした。
そこは、玉座の間。
王が王たる為の場所。
王が王たるを示す場所。
国を背負う者の矜持が立つ場所。
国の頂点のみが座れる場所。
――サンは【転移】を発動すると、警備も居ないその広間に降り立つのだった。
ラツア王は玉座に座っていた。
両腕をひじ掛けの上に乗せて、何かを考えるように、静かに待ち受けるように、両目を閉じていた。
【転移】に音は無い。気付いていないのか、と思ったが、すぐに思い直す。そんな筈は無い、と。
だから、ほら。――ラツア王が、口を開く。
「やっと来たか。……だが、兄上では無いのか。となると、貴様が【従者】という事か? 小娘よ」
「そう呼ばれているようですね。光栄な通り名です」
「下らんな。他者の下に膝をついて誇るなど」
「人如きの上に立って誇るなど、下らないと思いますよ」
「減らず口だな。実に、あの男の下僕らしい」
贄の王は基本的に顔を晒していない。11年前に消えた王子が当時ままの姿で現れれば騒動が起こるのは目に見えている為、その存在は秘されたままラヴェイラ派はここまで来た。
だが、どうやらこの男は贄の王がラヴェイラ派の背後に居る事に気が付いていたようだ。
「折角なので聞いておきます。どうして、主様がラヴェイラ派を操っていると?」
「分からぬはずが無い。小娘よ、私はお前などより余程あの男の事を理解しているぞ」
聞き逃せない言葉だ。反射的に言い返しそうになるのを堪える。
「思う事は、自由かと」
「そうだな。まさに、自由だ。自由、自由……。羨ましい事だな。自由、決して手に入りはしない、何かよ」
ラツア王は遠く何かを見つめるような目で、サンに目を向けた。
黒い髪。青い瞳は氷よりもずっと冷たい。
その顔はサンの主に良く似ていた。主がもう少し年を経ればもっと似るだろう。ラツア王の方が弟だが、贄の王として歳を取らない約11年の間に逆転してしまったらしい。
「小娘よ。兄上の犬よ。ここは人払いがしてある。少しだけ、話すとしよう」
時間はラツア王の味方でサンの敵である。近衛兵たちがここに集まって来れば、サンでは勝てないからだ。
だが、そのラツア王の申し出に、サンは乗りたくなった。
興味があったのだ。敬愛する贄の王の弟に。
「この革命、上手く行きすぎたと思わんか?」
「主様の叡智あればこそ、ラヴェイラ派はここまで育つ事が出来ました」
「ハッ。違うな。あの男は分かっているぞ。この私が革命を起こさせようとしていると」
「……何を?」
「叩き潰してやるためだ。税を課し、抑圧し、なお立たぬ腑抜けどもならどうでも良い。だが立つのであれば、立たせてやろう。そしてその上で、叩き潰す。だれが王なのか、はっきりと分からせてやる」
「……自作自演……?」
「楽しい演劇であっただろう。愚かな大衆の踊る様。無様で滑稽だが、笑いの一つくらいは取ってくれる」
「わざとやったのですか……?わざと、ドン・バッティーノを殺し、民を扇動させたのですか……?」
「その通り。バッティーノを殺せば裏社会が荒れる。私が革命の扇動をするよう誘導してやれば、簡単に動いた。その後はロッソ・バッティーノを殺し、革命を引き起こさずにはいられないように仕向ける。そしてそれらを叩き潰し、私が完全なるラツアの王となる」
確かに、ドン・バッティーノは裏社会の王と呼ばれていたらしい。そういう意味では、この男は裏社会に生きる者達の王では無かったのかもしれない。
ロッソはドン・バッティーノの娘としても、個人としても周囲に慕われていた。ドン・バッティーノに続きロッソを王が殺したとなれば、裏社会の怒りはより膨れ上がり、暴発的に革命が起こる。事実、そうなった。
そしてその革命すら潰した時、この国でラツア王に逆らい得る存在は居なくなるだろう。
つまり。
「貴方は、そんな下らない事の為に姉さまを殺したのですか……?」
「下らない? この私を差し置いて王だの女帝だの名乗る馬鹿どもを駆除するのが下らない? ふん、愚者には道理も分からんか」
落ち着け。
落ち着け。
サンは自分に言い聞かせた。この男に煽られるまま乗せられてはいけない。
「信念も誇りも無い売女如きが『女帝』など笑わせるだろう。私は卑賎な偽物を、正当に取り除いたに過ぎん」
信念も誇りも無い?
サンは目の前が眩んだような錯覚がした。
――落ち着け。落ち着け。
「どいつもこいつも愚かだ。王は私だ! 犯罪者の大猿でも媚び得る売女でも、ましてや消えた兄上でも無い! 私だ、私だけが、ラツアの――ラヴェイラの王なのだ!!」
ラヴェイラ。このラツアという国のかつての名前。継承戦争と共に失くした古い名。
サンは声が震える気がした。それがどんな震えなのか、自分でももう分からない。
「貴方は……。ラヴェイラの名前なんかが欲しかったのですか? そんな、そんな劣等感を埋める為だけに、姉さまの命を利用したのですか?」
「黙れッ!! 貴様に何が分かる? 千年続いた誇りある名が、この手から零れ落ちていった屈辱がッ!」
ラツア王は思わずと言った様子で立ち上がった。
「それに、ラヴェイラ派だと? あの兄上が率いるのが、ラヴェイラ派だとッ!?聞こえていたぞ、ラヴェイラ、ラヴェイラと繰り返す猿どもの声ッ!」
「……」
「馬鹿にするなッ! この俺だ、それはこの俺の物だッ!! 兄上ッ、一体いつまで俺を愚弄するッ!! ラヴェイラ、その名前を殺したのは貴様だろうにッ!!」
ラツア王は唾を飛ばして叫ぶ。
「もういい……。お前も殺して正門に首を晒してやる。王に剣向けた者の末路だと示してやる。お前の首を見た兄上がどんな顔をするか、見ものだな……」
サンはラツア王に向けて、無言のまま”雷“の拳銃を抜いた。
「身の程知らずの女風情が、俺に銃を向けるとはな? その愚かしさ、実にあの下らない兄上に似つかわしいな」
ぴりぴり、とした緊張感が肌で感じられる。
「そう言えば、貴方はご自分以外の王族を皆殺しにしたとか?」
「あぁ。兄上を殺してやれなかったのが心残りだったが」
「……馬鹿な事を」
「お前を殺せば兄上が来よう。そうすれば、今度こそこの手であの男を殺してやる。あいつは生まれるべきではなかったのだ。分かるだろう? 最初からあんなものは居なければ、【贄の王】などになる事も無かった」
「……」
「そう、生まれるべきでは無かった。あんな劣等な男は最初から居なければ、この私の王道を阻むものは無く、またラヴェイラの名も失われなかった。全ては、初めから間違っていた。今からでも正さねばならん」
「もう、お話は以上でよろしいですね?」
「そうだな。あの下等の下僕に人間の言葉は難しかったか」
サンはラツア王に向けたままの拳銃を握る手に力を込めると、狙いを定め、引き金を――。
どぉー……ん……。
それは、どこか遠くから響いてくる爆発音だった。
遅れて、地鳴りのような揺れを感じた。
「何だ……?」
更に遅れて、ワァーっとした、鬨のような声が聞こえてくる。
「――革命の軍がこの宮殿に突入してきた音だ」
そう言っていつの間に背後に居たのか、贄の王が歩き現れた。
「主様!?」
「お前まで騙したようで悪かったな、サン。今しがた、革命の本隊が宮殿に突入した。アルマン率いるラツア軍も居る。少ない近衛兵如きでは押し返せん。革命は成ったも同然だ」
「何だと……っ?」
「搦め手ばかりに囚われ、正攻法に足を掬われたのだ。何故お前に狙われていると知りながらロッソが都に残り続けたか、疑問に思った筈だが?」
「馬鹿な、我が軍が――!」
「フェッロ卿、シダージョ卿、カンパーナ卿、センノ卿。みなラヴェイラ派についた。ラツア軍はアルマン将軍の指示に従い、宮殿を包囲。――既に、お前の軍では無い」
一体何が起こっているのか、サンには分からない。だが、贄の王が何やら謀略においてラツア王を上回ったらしい、という事だけは分かる。
贄の王が、ラツア王に言葉を向ける。
「この程度は読まれると思っていた。お前の知略ならば、この程度は、と……」
兄が、弟に、言葉を向ける。
「――驕ったのだな。お前の、悪い癖だった……」
王になるはずだった男が、王になった男に。
「――お前との知恵比べ。もう少し楽しめると思っていたぞ」
それは、どこか寂しそうだった。




