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贄の王座と侍るもの  作者: 伊空 路地
第七章 欲しかったものは過ぎ去りて
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209 暗殺狂言

遅れましてごめんね☆


 ラツア司教区にある教会を統治し、司祭たちを指導する役職がラツア司教である。ラツアで最も偉い聖職者、とだけ言い換えてもいい。


司教でありながら枢機卿でもある、という状況もままあるが、現在のラツア司教は枢機卿では無い。ただの、という言い方も変だが、単なるラツア司教である。もちろん、それは権力が低いという意味では無い。






 ラツア司教は()()()()の邸宅に住んでいる。邸宅の場所は調査済みで、司教が今晩も帰ってくる筈であるという情報も入手済み。


ならば当然と、サンは司教の邸宅を見張っていた。


【欺瞞】の力で身を隠し、通り向かいの屋上から邸宅を見下ろしている。


 サンはその邸宅を見て、呆れかえるようにため息を吐いた。


「なんて、()()なお屋敷……」


 東方の異教と違い、教会は清貧などといった教えはもたない。


 だが、果たしてこの豪勢な邸宅を目にして、寄進をした無垢な民は納得するだろうか。彼らは聖職者どもを肥えさせるために金銭を投げ打った訳では無いはずではないか?


 教会に金がかかるのは、まだ納得できる。祈る民の為、という言い訳が立つからだ。


 だが、この邸宅は? この邸宅は、誰の為なのだ? この『ラツア司教の邸宅』は一体、どんな風に言い訳をしてくれるのだ?


「……腐ってる、何もかも」


反吐が出そうな思いだった。これだからサンは余計に教会が嫌いなのだ。


 サンはもう一度、腹の奥底に溜まるものを吐き出すように、ため息を吐く。


 冷静にならなければ。苛立ちで己を(にぶ)らせてはならない。ある意味、サンがこれから行う事はただ暗殺するよりもずっと難しい事なのだから。




 ただ司教を殺害すればいいのなら、難しい事はあまり無い。【透視】で司教を確認、【転移】で近づき、剣や銃で命を奪う。常人ならともかく、超常たる権能の力を有するサンの暗殺を防ぐ術などまず無い。


 だが今回は司教の暗殺に()()しなければならない。その意味するところは、意図的にミスをするということ。


 気づかれぬまま実行し、気づかれぬまま撤退したのでは意味が無い。気付かれぬまま実行し、司教に【従者】が命を狙っていると理解させ、撤退する必要がある。


 その理由は分からない。贄の王は何も語ってくれなかったため、その頭脳が何を考えて敢えての失敗を命じたのかは不明だ。


 分からないからこそ、サンには二の手が存在しない。下手に命じられた以上の事をすれば、最悪贄の王の策謀を邪魔してしまうかもしれないからだ。


 つまり、失敗出来ない。次善の策を持てない。


 サンは必ず命じられた事をその通りに果たしきる必要がある。それは単なる成功よりもずっと難しい事だ。


 だが、もちろんやらない選択肢はあり得ない。


 贄の王の手足たるを自負するサンにとって、贄の王の意思こそが至上。それ以外は、後回しなのだ。






 やがて、サンが見下ろしている司教の邸宅の敷地に一台の馬車が入ってくる。馬車に刻まれた紋章は司教座を表すもの。


 ようやく来たか、とやや安堵する。


 帰ってくるという情報はあったが、間違っていた可能性だってあるからだ。その場合は司教を捜して都中を走り回らねばならなかったかもしれない。


 ともかく、司教座の紋章が刻まれた馬車から降りて来る人間に注目する。見間違いの無いよう【強化】で視力を高めた上でだ。


 馬車から降りて来るのは、護衛と付き人、それから法衣の男。青を飾った白い法衣はラツア司教座を表すものだ。遠目だが、顔つきも本人に見える。流石に影武者という事も無いだろう。つまり、当たりである。


 司教は護衛と付き人に囲まれて、邸宅の中へ入っていく。


 サンは【強化】を【透視】に切り替えると、司教の動きを追う。


 狙いは一人、それかせめて二人になった瞬間。


 じっと、司教の動きを見続ける。


 邸宅に入り、階段を上がり、どこかの部屋に入り、ソファにどさりと座り、付き人が差し出す杯から何かを飲み、しばらくしてから立ち上がって、隣室に移り……。


 行ける、とサンは判断した。護衛は部屋の外。付き人は隣の部屋。司教は着替えようとしているのか、広い寝室に一人。


 【転移】。司教のいる寝室へ。




 サンは音も無く司教の背後に現れると、なるべく静かに拳銃を抜く。


 それでも、やはり少し金属の擦れる音が立った。それを聞いたのか、気配でも察知したのか、司教が何気なく振り返る。


 その顔に向けて、司教の手が咄嗟には届かないくらいの距離で銃を構える。


 司教は驚いたのか、びくりと体を震わせると、何が起こっているのか分かっていないのだろう、ぽかんとした間抜け面を晒した。


「――動かないで下さい。そして、大声も出さないこと。死にたくなければ、ですよ」


 一拍、二拍、三拍。


 それから、ようやく司教は事態を飲み込んだらしい。開けっ放しだった口を閉じると、大げさな動作で息を呑んだ。


「こ、ころさないでくれ……」


 最初に出てきたのは、情けなく震えた命乞いの台詞。何とも、無様な事だ。


「【従者】。そう言えば、私が誰か分かりますか?」


 サンの名乗りに、司教は目をまん丸に見開いた。がくがくと音さえ立てそうなほどに震え、大きく開けた口から、はぁはぁと苦しそうに呼吸を繰り返す。


「や、やめてくれ。たのむ、たすけて……」


 随分と、行き過ぎた恐れられようである。そんなに酷い事してきただろうか?


 ……まぁ、悪い事はそれなりにしてきたかもしれない。でもそんなに残酷じゃなかった……と、思う。




 まぁいいや、と気を取り直し、改めて司教を見る。


 パッと見は太り気味の壮年の男。背はあまり高くなく、特に威厳のようなものも感じない。やけに大きい顔が特徴的といえば特徴的。強いて見るところも無い人物、というのが感想だ。




 ここでサンの目的はほぼ達成された。後は司教を生かしたままここを去るだけである。


 だが、あまりに演技臭いのも良くないだろう。贄の王の思惑は分からないが、暗殺に失敗しろ、という以上の指示は無い。失敗しろと言うのだから、そもそも暗殺するつもりが無いとまで見通されてはいけない筈だ。


あくまでこれは暗殺。たまたま、不幸にも――司教には幸運――失敗してしまうだけ。最初から殺害の意志が無いとバレてはならない。


 一方、無駄に情報を与えてもならない。そんな指示は無いからだ。下手な会話をしないまま、不自然さも漂わせないまま、隣室の付き人が気づくまで待つ必要がある。


 恐らく、それほど長い時間はかからないと思うが――。




 サンはよくよく内容を吟味した上で、司教に話しかける。


「貴方の教会内での立場は、教皇派閥。確かですか?」


 ぶんぶんぶん、と、あくまで音を立てないように、しかし首を痛めそうな勢いで司教は頷く。犬か何かみたいだな、とサンは思った。


「残念ですが、私の目的は貴方を殺すこと。助けるつもりは全くありません」


「……!?」


 司教が引きつった鳴き声を上げる。今度は豚みたいだな、と思った。


「ですが、せめて苦痛なく死にたいなら、教えてください。教皇が、貴方に下した指示を」


 如何にも大事な話だぞ、と言わんばかりに声の調子を落とす。


 実際、そんな話があるのかは知らない。ただ時間が稼げればいいのだ。面白い情報が聞ければ運が良いくらいのもの。


「きょっ、教皇台下は……何としてもラヴェイラ派を潰せと仰せだ……っ!どんな手を使ってでもと……っ!」


 おや、と思う。特に期待はしていなかったのだが、どうやら本当に教皇から何らかの指示が下っているらしい。


「……ほう。教皇は何か見返りを約束しましたか?」


「く……紅の衣を約束して下さった……。たのむ、死にたくない、死にたくない……っ!」


 紅の衣を約束する。意味するところは、枢機卿のしるしである深紅色(カーディナル)の法衣を与える、つまりは枢機卿にしてやるぞという約束。


 ――これは、良い手土産が出来たかも。


 枢機卿座を約束するとは結構な見返りだ。となると、教会の王政派への支持表明が早まったのはその辺りの関係かもしれない。派閥まるごと異端宣告、というのも現実味を帯びてくる。


「なるほど、なるほど……。ラヴェイラ派を潰す代わりに、枢機卿の座を。そういう事ですか」


 ごくり、と司教が唾を飲み込んだ。辺りが静かなせいもあって、サンの耳に残るような嫌な音だった。


 サンは司教から注意を逸らさないまま、隣室の気配を探る。そろそろ、付き人が入ってきても良い頃だが――。




「では、そうですね……。何か、私によって有益な情報があれば話して下さい。それ次第では、助けるかもしれませんよ」


 真っ赤な嘘――そもそも殺すつもりが無いという意味で――だが、司教は縋りつく。


「ず――」


 司教は何かを言いかけて、やめた。サンははっきりとそれを聞き、また逃がしてやるつもりは無かった。


「何です。はっきり言いなさい」


 司教はまた少しだけ迷ったようだったが、自分の命には代えられないのだろう、口を開いた。


「ザーツラントにも、指示をしておられた。その、賊徒を討つ邪魔立てをするなと……」


「ザーツラント……。確かですね?」


「も、もちろんだっ」


 ザーツラントとは、ラツアの隣国である。戦乱が続いた状態にあり、治安が悪化している。また、およそ十年前、現ラツア王が戴冠する際に文句をつけ、継承戦争を引き起こした国でもある。


 そこに、教皇が指示をした。恐らくはラツアの混乱に付け込んで――。






 ――待て。()()()()()()()? ザーツラント司教に、では無く?






「ザーツラント司教、の事では無いのですか?」


 そこで、司教ははっきりと『しまった』という顔をした。じわ、とその額に汗が滲んだのをサンは見て取る。


「その話、詳しく――」


「司教さま……っ!?」


「――っ」


 サンの背後から声がする。付き人だろう。


 ――なんて、間の悪い……!


 だが、退かねばならない。ここで付き人に発見され、慌てて司教を殺そうとするが失敗。駆け付ける増援を前に、仕方なく撤退。それがサンの書いた筋書きだからだ。


 この情報は気になる。絶対に逃す事の出来ない情報だ。


だが、同時に贄の王の命令もまた、絶対である。


「ちっ――」


 サンはこれ見よがしに舌打ちを一つすると、声の方に振り返る。


 そして視界にとらえた付き人を見るや、司教の肩目掛けて発砲する。


 ばん! と部屋の中に銃声が鳴り響き、司教の左肩から血が噴き出して床を汚す。


「司教様ぁーーっ!!」


 付き人が悲鳴を上げる。銃声とその声を聞いたのだろう、一気に邸宅内が騒がしくなり、隣室へ護衛が駆け込んでくる音がする。


 護衛たちの駆ける足音はまっすぐにこの寝室へ続いており、もう間もなく現れるだろう。


 サンは演技でない口惜しさに仮面の下の顔を歪めると、その場で【転移】。


 視界の端で司教が動いているのを確認しながら、邸宅より撤退した。







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