202 状況把握
一台の馬車がホテル・ヴィーノから出て来る。赤を基調にしたそれは華々しく飾り立てられ、他に似る物の無い見事な馬車である。
御者席に座っているのは、立派な馬車に見合う上品な服に身を包んだ若い男。従僕風のその男は手綱を操って、馬を歩かせる。
二頭の馬に牽かれるその馬車は、音も立てないような軽やかさで通りに出ると、夜の闇に溶け込んでいくように走り去って行った。
馬車の中、意外に広々と感じる車内に居るのは4人。サン、贄の王、フランコ、ロッソである。
「――しかし、この馬車は目立ちませんか?もっと普通の馬車に乗った方が良いのでは……。」
サンがそう疑問を口にすると、小馬鹿にしたような口調で答えてくるのはロッソだ。
「このアタシが貧相な馬車になんか乗れる訳ないでしょ。というか、アタシのホテルから貧相な馬車なんて出てきたら余計目立つわよ。」
「む……。」
一理ある。ホテル・ヴィーノはラツアの都で最高と名高いホテルで、泊まる客は基本的に見栄を張るのが大好きな富裕層ばかり。質素な馬車が出てくれば、却って客では無いと主張しているようなものだ。
一理あるのだが、この派手派手な美女に今一つ好意的でないサンなので、何だか素直に納得するのが面白くない。
「ま、あんたみたいな地味女には地味な馬車の方がお似合いかもね。アタシの馬車に乗れるなんて、光栄と思いなさい。」
「な……っ!」
サンの服装はかつて贄の王から貰ったエルメア式の衣装一式である。贄の王手製の魔術陣が刻まれた強化衣装であり、サンにとっては大切な服だ。ロッソの真っ赤なドレスのような派手さは確かに無いが、優美で格好いい見た目をサンは気に入っている。
「これは主様から頂いた服ですよ。悪く言われるのは受け入れられません。」
思わずサンが反発すれば、ロッソはやはり小馬鹿にしたような目で見下してくる。
「そうね。ま、服自体は悪くないわよ。でも女が着る服じゃないわ。それにあんた化粧も殆どしてないじゃない。アタシからすれば、女失格ね。あんた、女とは呼べないわよ。」
「なぁ……っ!」
「女の最大の武器は色よ。美しい見た目こそ最も重要。あんた、恥ずかしくないのかしら。そんな地味な顔晒して……。お面でもしていたら?そっちの方がマシよ。」
「……っ!……っ!!」
反論したい。が、言葉が出てこない。
エルザから受け継いだ顔は基本的に美しいとサンは思っている。金の髪も空色の瞳も自慢である。
だが、サンの服装に色気が無いのも化粧をほぼしていないのも事実である。なまじ事実であるが故に、サンは言い返す言葉が浮かばなかったのだ。
怒っていて言い返したいのに何も言えず、それが余計に悔しくて、頭に血が上って、また言葉が出て来なくなる。
女の戦いという土俵において、サンとロッソの戦闘力は差が大きすぎたのである。
「ロッソ。あまり我が従者を苛めてくれるな。」
贄の王がそんな風に助けてくれる。が、それはつまりサンの完全敗北を決定づけもした。
一つも言い返せず主に助けてもらう展開。この土俵の上では、サンは完膚なきまでに負けたのである。
ロッソは贄の王の方にキッと目を向けると、やや丁寧な言葉で答えた。
「殿下。お言葉ですけれど、お傍に控える者がコレでは主人の格を下げるというもの。殿下がコレを指導しなくては、見損なわれるのは殿下でしてよ。」
贄の王に対しても不遜な態度を取るロッソは、サンが見過ごせるものでは無いのだが、敗北者として口を挟むことは許されなかった。――いや、単に何も言い返せなかっただけである。
肝心の贄の王はロッソの態度をまるで気にした風も無く、静かに首を振る。
「サンはこれで構わん。」
そんな贄の王を見て、ロッソはやれやれと大げさに溜息を吐いて見せる。
「……趣味が悪いですわよ、殿下。」
それだけ言って、口を噤んだ。
ちなみに、完全に蚊帳の外のフランコは会話を聞いて苦笑いを浮かべていただけだった。
それから、話題は情報の交換へ。
最初に語るのはフランコ。サンと贄の王にラツアの現状をまず話す、という事になった。
「ま……。何というか、特に殿下は驚かれたんじゃないかなぁ、と思ってですねぇ。今のラツアは反ラツア王で民衆が固まりつつあります。このままいけば、革命ですねぇ。」
贄の王は深刻な顔で頷くと、続きを促した。
「まずはいきさつをざっくり話しましょう。なぁんで王様が引きずりされそうになってるのか、ってところですねぇ。」
「――元々、ラツアってのは我々“裏”側の力が強い土地です。悪者だなんだって言われますが、ラツアにとっては必要な存在だと自負してるくらいでしてねぇ。急に我々が居なくなったら、ラツアはガタガタになります。政府どもの目も手も届かないところに、我々が届かせる。無秩序の悪では無く、秩序だった悪。ある意味、夜のおまわりさんですからねぇ、我々は。
代々のラツア王もその辺は分かってらした。政府と我々、表と裏、うまぁいことバランス取ってやってきました。先代のラツア王――殿下の御父上は、14日に一度は我々と会合をやってらしたくらいでねぇ。あちらさんが出来ない事を我々がやる代わりに、あちらさんは我々に甘い蜜をくれる。そういう関係でした。
今の陛下ともまぁ、ぼちぼちやってたんですがねぇ……。どうも元々好かれてなかったみたいでして。ここ一年くらいですよ。急に我々を全部潰して、全部政府で握ろうとし始めました。ヒトやモノの運び……犯罪者と酒に薬の密輸ですが、強力に締め付け始めたのが始まりで。ちょいと困った事になりましてねぇ。」
フランコは簡単そうに口にしているが、サンの記憶では、フランコはまさに密輸を握っている立場だった筈だ。相当な窮地に追いやられたのではないだろうか。
「もちろん、我々は反発しましたよ。どういうつもりだ、って強めに文句つけたりしてねぇ。ウチの若い奴らなんて怒る怒る。でもまぁ、ここまでは何とかこっちも乗り越えさせてもらいましたよ。多少、政府とのルール違反もやりましたが、最初にちょっかい出してきたのは向こうだ、文句言われる筋合いはありません。
ただ、それが余計王様の気に障ったらしくて、ですねぇ……。酒の重税、取り締まりの強化、違法行為の厳罰化、とまぁ色々始められまして。こっちだってンな事されて黙ってる訳にはいかない。すると、段々と戦争の様相を呈し始めた訳です。」
フランコはその口にしている過激な内容とは裏腹に、いつも通りの柔和な表情を浮かべたままだった。ちょっと困ったような顔をしているが、それがさも子供に悪戯された優しいおじさん、と言った風なので、サンは何となく薄ら寒さを覚えずにはいられなかった。
「でも、まぁ、まぁ。我々だって国を割りたい訳じゃあない。何とか何とかギリッギリのとこを耐えてました。ところが……。」
フランコはそこで意味深に口を噤むと、ほんのちょっとだけ目を細めた。
すると、たったそれだけでフランコという男の纏う空気が変わる。
柔和な表情は変わっていない。だが、そこに居るのは間違っても優しいおじさんなどでは無かった。
そこに居たのは、大国ラツアの陰を牛耳る裏社会の大物。常人には真似し難い重圧と威厳を放つ、犯罪者たちの親玉。指先一つで国の裏を揺るがす事の出来る、偉大な権力者だった。
「――あの王様は、やってくれましたねぇ。最低最悪の騙し討ちだ。なぁにが『現状の解決のため』だ。あの野郎、ドン・バッティーノを後ろから刺して殺して、首晒しにしやがった。」
表情を変えないまま凄まじい怒りを発するフランコのその言葉に、思わずと言った様子で贄の王が言葉を零した。
「何だと……!」
その言葉には確かに驚愕と動揺の色があった。サンには分からなかったが、主が動揺する程の事態であるらしい。
「主様。お聞きしてもよろしいでしょうか。」
サンは会話の流れを切らないように慎重に空気とタイミングを見極めつつ、そう聞いた。
「許す。ドン・バッティーノについてだな?」
「はい。私はその方について知らず……。申し訳ありません。」
無知を贄の王に詫びるが、主は緩やかに首をふってサンを許した。
「ドン・バッティーノは、ラツアの裏の元締めだ。私の父王の時代から『影に君臨するもう一人のラツア王』などと呼ばれていた男だ。私も国に居た頃に顔を合わせた経験がある。」
「アタシたちにとって、誰より偉大なお父様。ある意味、表の王より強力な権力者。」
「ぼくも大恩ある親父様でねぇ。あの人が居なきゃ、ぼくはとっくに野垂れ死んでたくらいなのさ。」
贄の王に続くのは、それぞれロッソとフランコ。どちらも、静かでありながら、はっきりと分かる怒りを滾らせていた。
「それを騙し討ちで首晒しなど、ラツアの裏社会全てを一斉に敵に回すようなものだ。……そうだな。ドン・バッティーノを私に置き換えてみろ、サン。大体、そういう事だ。」
贄の王を騙し、その背中を刺して殺す。更には、それを首晒しにする。
「それは……。」
考えただけでおぞましい。想像でも腸がひっくり返るような怒りが湧いてくるほどだ。……そしてそれを、ラツア王は実行した。
「ぼくたちの気持ちが分かってくれたかな?従者さん。ぼくはね、あのクソ野郎を同じ目に合わせてやらねェと気が済まないんだよねぇ。」
「生ぬるいわ、フランコ。アタシなら四肢をもぎって生きたまま豚の餌にしてやるわよ。」
二人の言葉は苛烈だったが、その内から迸らせる怒りを思えば、むしろ優しいくらいの言葉だったろう。それくらいに、二人の怒りは大きかった。
だが、サンにも分かる。万が一贄の王がそんな目に合わせられたなら、サンとて今の二人に負けないくらいの怒りを覚えることだろう。
「後は、想像がつきますかねぇ?怒った我々と王様との全面戦争です。で、我々は持てる手を全て尽くして、ラツア王を引きずり下ろして糞に沈めてやる為に、戦っている訳ですねぇ。」
つまるところ。今のラツアでうねる反王政の流れは、フランコたち裏社会の人間が扇動しているという事のようだ。
この状況で自分は一体どう行動すべきか、サンには判断しかねる。
だが、贄の王はどう考えているだろうか。主にとってラツア王は実の弟でもある以上、苦悩しているのではないか。
ちらりと窺った贄の王は、予想通り眉間にしわを寄せて難しい顔をしていた。
その苦悩を少しでも分かち合いたくて、しかしサンには何も出来なくて、思わず浮かせていた手を力無く降ろした。
自分は無力なのかと、サンは一人悔しさを堪える事しか出来なかった。




