199 動乱の兆し
ラツアの都に夕暮れが訪れる頃、サンとヴィルは魔境の城に帰った。サンは相変わらず人間を転移させる事が出来ないので、送り迎えは贄の王である。主を足に使う事には気が引けるのだが、正直最近は慣れてしまっている。
「――と、言った所でしょうか。今日は殆ど、ただの観光でしたが……。」
サンは贄の王の居室にて、ラツアの都を見て回った報告をする。ヴィルと一緒に遊んでいただけでは無いのだ。一応の一応ではあるが、都の雰囲気や情勢に関する情報を集めたりもしていた。
その中で、やはりサンと贄の王が気になったのは――。
「王政への反対運動の兆しあり、か……。」
サンは緊張の面持ちで頷くと、肯定する。
「……はい。世論は既に反ラツア王に傾いているようです。ここ一年ほどの間に、重税や規制の強化、その他強引な政策が多く取られ、民衆の反感が高まっている、とのことです。」
それはサンがラツアの都で得てきた情報によるもの。観光気分で歩いていたサンでも不自然な程に簡単に情報が集まってしまった。まるで用意されていたかのような情報達に、サンは反王政を扇動する何者かの存在を明らかに感じ取っている。そしてそれは、贄の王も頷くところであった。
「そうか……。」
短くそれだけ零して、贄の王は目を閉じて黙り込んでしまう。
今、主の胸中は如何ほどだろうか、とその心をサンは慮る。
贄の王は【贄の王座】に選ばれ、人間である事と人の名前を失った。世に悪魔と呼ばれる存在である彼は、年も取らず食事や睡眠も不要、あらゆる傷病はその身を侵せず、更には超常的な力である権能を操る事が出来る。
だが、悪魔【贄の王】となる前は一人の人間だったのだ。
そしてその故郷こそラツアであり、その身は王の長男であった。
聞けば、当時の主は王位継承権第一位にして王太子の最大の候補。というよりも、実質的に次のラツア王であった。……その筈だった。
今からおよそ11年前。時代の【贄の王】として王座に選ばれた彼は単身魔境へ赴き、そこで人間としての自分を失った。世界よりその名前は失われ、その存在が在った事は覚えられていても、名前だけはありとあらゆる形から無くなってしまった。
ラツアは混乱した。次の王が消失したのだ。
そこへ立て続けに、当時のラツア王が崩御した。
王の子は一人では無かったため、次男だった男が王位を継いだ。つまり、現在のラツア王は贄の王の実の弟である。
更に苦難は続き、隣国ザーツラントの皇帝がラツア王位の継承権を主張。皇帝には数代前のラツア王族の血が流れていたので、継承権自体は低くともあったのだ。
一般に『継承戦争』と呼ばれる戦争の勃発である。
ラツアは辛くも戦争に勝利したが、要地の一つを奪われた事で痛み分け。更には勝利したにも関わらず、教会の介入によって当時の国名「ラヴェイラ」を捨てるという屈辱を味わった。
そして「ラツア」という新たな国名と共に今日までを歩んできたのだ。
そのラツアが今、再び揺るがされている。
民衆はラツア王への不満を高め、王政自体への批判を開始。サンの見立てでは扇動者が居る筈だが、今やもう大規模な反対運動の兆しを見せている。
つまりは、革命が起ころうとしている。
革命が難なく成功するならばまだいい。ラツア王はその王位を失うが、命まで奪われる恐れは低く、新たな政府は円滑に誕生出来るだろう。
しかし、もしこれが泥沼の内戦状態に突入すれば、どうなるか。
ラツア王の命が失われる事は半ば必定となり、再び隣国のザーツラントが介入してくることは必至。アッサラや教会といった大勢力、ファーテルやエルメアといった強国まで介入してくれば、最悪はラツアの名が地図から消える。
反王政の扇動者がどんな思惑で動いているのか不明だが、他国の間者である可能性も低くない。贄の王の故郷は今、大きな動乱を迎えようとしているのだ。
「……。」
黙ったままの贄の王を、サンは不安げに見つめる。
贄の王はあまり故郷にいい思い出が無い、と言っていた。弟であるラツア王とも良好な仲では無く、嫌い合ってすらいると。
だが、それでもラツアは故郷なのである。ラツア王は家族なのである。その心中が、穏やかな筈は無かった。
「……言うべきでは、無いかもしれません。……ラツアの混乱は私たちにとって有利となり得ます。一方の勢力に加担し勝利に導けば、その中枢に食い込める可能性があります。そうでなくとも、立役者として組織に恩を売る事は出来ます。……内海の情報網を手にする、という最低限の目的は果たされるでしょう。」
事実、である。
サンの目的はラツアに協力者を作ること。勢力が二分されているのなら、一方に近づく好機だ。そして贄の王の存在や権能の力をもってすれば、勝利に導く事も不可能ではない。かつて失われた正統なる王と、正面から一国の軍勢すら薙ぎ払える暴力。陰からの支援だけでもいい。贄の王が作り出せる無限の財力だけでも相当な後押しになるだろう。
もしラツアが安定していて、政府が安泰であるならそこに潜り込むのは難しかっただろう。後ろ暗い手しか使えない以上、破綻する可能性が常に付きまとう。
だが、今なら。
今、この機会を活かせば。
ラツアという大国の中枢に堂々と入り込めるのだ。
サンたちの目的を思えば、ラツアの動乱は好機ですらあるという残酷な事実は確かなのだ。
――もちろん、贄の王の故郷が荒れるという事実も、確かである。
「……。」
贄の王は、口を開かない。
サンよりもよほど知恵に優る贄の王である。サンが口にした事実くらい言われるまでも無く理解しているだろう。
それでもこうして黙している事が、その苦悩ぶりをよく示している。
「……まずは、情報だ。」
やがて、どれくらい経った頃か、贄の王が短く言葉を発した。
「情報、ですか。」
サンが繰り返せば、贄の王は重々しくひとつ頷いた。
「……そうだ。扇動者は居ると見て間違いない。その思惑を探る。ラツア王が民の反感を招いた政策についても探る必要がある。何故そんな事をしたか、など……。」
「両勢力の思惑を知るところから、と?」
「……あぁ。この嵐がどこからどこへ行くのか、見極めねばならない。」
贄の王の口調は苦しげで、いつもの果断ぶりも見られず、明確な方針も立てなかった。
だが、どうして失望出来るだろう。サンはむしろ、そんな贄の王の心を想って苦しみ、そんな主の人間性を尊く思った。
贄の王は既に人間では無いかもしれない。それでも、その心は確かに人間なのだと、そう証明されているような気がしたから。
その心は、確かに痛みを覚えて惑い苦しむのだと、示されているから。
だから、そんな主のためにサンが出来る事は、たった一つ。
「――分かりました。全て、主様の御意思のままに。」
サンは贄の王の青い瞳を見つめて、強い意思をもって、応えた。
――支える。この人を。
それが、サンのすべきたった一つのこと。
それが、サンのしたいたった一つのこと。
贄の王のたった一人の従者として、今こそサンの価値が試される時。
その心の傍に在れるのか。
サンの忠誠とその核心が、今問われているのだ。




