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贄の王座と侍るもの  作者: 伊空 路地
第一章 世界の敵たる孤独な主従
2/292

2 魔境の邂逅

挿絵(By みてみん)

(作品の世界地図です。縮尺はかなり狂っているので大まかな位置関係の把握にご利用下さい)

_____________________________________





 彼女は深いまどろみの中にいた。


 自分というものを忘れ、時間を無くし、記憶を手放していく。


 薄れていく、消えていく「自分」を認識できずにただまどろむ。それは、夢を見ていると知りながら見る夢に似ていたかもしれない。











 闇の最中に光がこぼれて形をつくる。


 光の最中に闇がこぼれて形をつくる。


 そして――。











 魔境と呼ばれる土地がある。現世の大悪魔たる【贄の王】が座す魔城と囲む廃都を中心として、円状に広がる北の地である。


 万年の凍土に光に属する存在は無く、力ある闇の魔物たちだけが住まう死の土地とされる。光に属する生き物たる人類はその大地の大半を支配しながらも、魔境とそれに近しい土地には決して近寄らなかった。






 ある春の日、魔境には変わらぬ弱弱しい太陽が南に昇り、凍えるような風の強い日だった。


 廃都の中央よりやや南に位置する『捧げの広場』に一人の少女が横たわっている。広場に作られた石の寝台の上で手を組んで眠る少女は美しく、崩れかけた家々とひび割れた大地にはひどく不似合いだった。


 金の髪はか細い陽光を浴びて儚げに輝き、白い肌は積もる雪よりもずっと透き通っている。黒い衣装は飾り気が無く質素ながら品の良いもので、神に仕えるものを思わせ、呪われし魔の地にあって少女だけがどこが神聖さを漂わせていた。


 広場には、魔物溢れる魔境であるのにその影は見当たらない。ただ、雪を踏みしめて歩く人の姿があった。


 そのものは少女の眠る寝台の傍まで近寄ると、暫し何かを考えこんでから、そっと少女を抱き上げて黒い石積の城へと歩き出した。そのものは生あるもの全て恐れる魔境の中心にあって何を恐れることもなく歩いた。

 

 そのものこそは、【贄の王】。


 神の大地に病魔と厄災を振りまく忌まわしきモノ。光を憎む魔物たちにすら恐れられ、遠ざけられる存在。


 【贄の王】。光あるもの全てより滅びを願われる闇の王である。











 少女が最初に感じたものは温もりだった。やがてそれが自分を包む寝具であり、自分がベッドに寝ていることを知り、やがて自分が眠りから覚めたことに思い至る。眠りよりの目覚めというありきたりな経験にあって、少女はいつものように瞼を開ける。


 まどろみから魂が覚醒していくにあたって、少女は疑問に思い当たり、それを口に出す。


「生きている……?」


「そうだ、お前は、生きている」


 他者の存在に驚いて声の主を探すと、男がベッドの横に立っていた。


 黒い髪。青く冷たい瞳。人間の青年に見えるそれはしかし、尋常の存在では無かった。


「お前は、何だ」


 男の端的な問いに対し、少女は答えを持ち合わせなかった。少女は名前を失っていたのだ。


「……お前は誰だ」


「私にも、分かりません」


 少女は表情の無いままに無感動に答える。


「名は」


「ありません」


 名を失ったことへの動揺は欠片も見えない。


「……なぜここにいた」


「ここ、とは。どこなのでしょうか」


 男は考え込むように少女を見やると、再び口を開いた。


「わかることを、一から話せ」


 少女は記憶を整理するように目をくるりと回すと、話し始める。


「私は、ファーテル王国の人間で……、近衛貴族の娘でした。名は分かりません。そして私は、自ら命を絶った、筈です」


「命を……?しかし、お前は生きている」


「私にも…分かりません。銃で頭を撃ち抜きました。……ここは、地獄でしょうか」


 男はやはり深く考え込む。


「確かに、人にとっては地獄とも言えるだろうが、現世には違いない。あるいは……呪いの何かしらに巻き込まれた、のか」


「呪い?」


 男は窓際まで歩くと、優雅な椅子を少女に向けて腰掛ける。気づけばそこは、随分と広い部屋だった。


「私から語った方が早いようだ。……ここは、人の言う魔境。その中心である廃都リデアの城」


「魔境…」


「お前は城の外、廃都の広場に眠っていた。お前が表れる前兆は何も無く、突如感じた違和感を探りに行った。すると広場の中央で眠るお前を見つけ、城に運んだ」


 一度口を湿らせるように間を置き、男は語る。


「なぜ、どうやってお前があそこに現れたのかは分からない。ここは只人がたどり着けるような場所では無く、かといってお前が魔物のように突如発生するような存在には見えない。お前は人にしては闇の色が濃いが、それだけだ。……お前の正体が私には、分からない」


 男はその怜悧な瞳で少女を睨みつける。その処遇を考えるように。少女はならば、と問いを返す。


「ここが、魔境というのは、簡単には信じがたい話です。私はファーテルの王都にいたはず。しかし、ここが魔境なのであれば分かりません。あなたは、なぜ魔境に?」


 男は……そのモノは、視線の鋭さを増し、常人ならばその視線に“死”を見出すであろうが、少女はひるみもしない。


「私が魔境にいるのは当然のこと。私こそが魔境の主……贄の王だからだ」


「……ならば、伝わっている話とは随分と違うようです。【贄の王】とは、神と大地の忌まわしき敵対者。病魔と厄災を振りまく現世の悪魔。人を憎む闇の化身。そう聞いています」


「で、あろうな。大きくは違わない。ただ、理性無き獣ではないというだけだ」


「……私を、どうするおつもりでしょうか」


「恐れが見えないな。命に執着がない……。命を絶ったというのもあながち嘘ではないのか。いずれにせよ普通とは程遠い人間のようだ」


 【贄の王】の言葉を聞くや、少女は強い言葉で返す。


「いいえ!私ほど“普通”な人間は存在しないと自負しております」


人形的に淡々としていた少女が人らしい反応を返したことが意外だったのか、贄の王はわずかに目を見開く。


「……何故、その言葉にだけ反応するかは疑問だが。ともかく、お前が命を絶ったという状況を教えろ」


 少女はまたも人形めいた無表情で語る。


「宮城前の広場で贄捧げの儀式が行われていました。私は……館の中にいて、祈りの言葉を聞いていて……、自室の寝台の上、でした」


 少女は不確かな記憶を探るように目を閉じる。


「やがて祈りの言葉が終わり、胸に……? いえ、贄になった彼女の胸に、剣が突き立てられて……。しばらくして、歓声が響き始めました。歓声がいっぱいに大きくなったところで私は、彼女が殺されたと分かり……。神に精一杯の呪いを吐いてから、持っていた拳銃を頭にあて、引き金を引いて……。大きな衝撃と、酷く大きな音が頭いっぱいに響いて……それで、終わりです」


 そこまでを聞いた贄の王はしばらく口を開かずに少女を睨むように見つめ、やがて口を開いた。


「……贄捧げの儀式の最中に、命を絶った、と。それが真実であれば、何かしら呪いの作用に巻き込まれた可能性はあるように思う。贄の王座やその呪いに関しては不明なことが多すぎるために確かな事は言えないが……」


「愚考ですが、【贄の王】へ贄を捧げる儀式であることと、私が贄の王のもとにいることは偶然とは思えません」


「その通りだな。私も贄の魂と共に王座のもとへ運ばれたのだろうと思う。何故生きているのか、何故そのようなことが起きたか、だが……。お前と贄になった者の関係は?」


「私と彼女は……。私と、彼女、は……。友人、でした。私にとっては、大切な唯一の友人でした」


「友人か。もう少し具体的には?」


 少女は思考を更に深く潜らせるように閉じた瞼に少しの力をこめ、語る。


「……王の、娘でした。側妃の子で、疎まれていて……。私と彼女は会える度に手を握って、色々な話をしました。唯一の友人で……唯一の、家族のようでした」


 贄の王は目を伏せて何事かを小さく呟くが、少女の耳には入らなかった。


「だから、私にとって死は解放でした。彼女の事だけが心残りでした。だから……」


 少女はそこで言葉を詰まらせた。その言葉の先が自分でも分からないように迷った。


「友人の死で、己の死にも躊躇いが無くなったか」


「……?え、えぇ……。そう……です」


「近しい者が贄となり、その儀式の最中に命を絶つ……。儀式と強く関係しているだろうことだけは確かと言ってよいだろうが……、ダメだな。少なくともかつての贄の王たちの時にそのような事は無かったように思われるが、そもそも王座と呪いには不明なところが多すぎる」


 贄の王はそこで音も無く立ち上がると、少女に続けて問う。


「お前は己についての記憶が不確かなところがあるようだ。聞くにファーテルの王都へ帰りたいとも聞こえないが、どうしたい」


「私に選ぶ権利があるとしても……、困りました。ここが魔境であればファーテルからはかなり遠い地の筈、帰るつもりも手段もありませんし……。かといって行くところもありませんので」


「では、ここに残れ。お前という存在はなかなかに退屈しのぎになりそうだ」


「退屈しのぎ、ですか」


「ああ。贄の王などやらねばならぬ事があるでもない。お前が何なのか、調べるだけでも退屈にはちょうどよい」


 少女が戸惑いを顔に浮かべると、贄の王は面白くも無さそうにふ、と息をついた。それを見た少女は、さらに困惑を口に出す。


「贄の王とても実像はただの人のようで…抱いていた想像が壊れていくのを感じます」


「贄の王など王座に選ばれただけに過ぎない。私としては世界にも贄にもさして興味は無い」


「……贄の王が何なのか、私には全く分からなくなりましたが……。つまり伝え聞く話は誤った幻想ということでしょうか」


「大きくは違わない、と言った通りだ。ただ、そこに意思の有無は関係無い。それだけだ」


 贄の王は語る気も見せずにドアに歩き、少女へ振り返る。


「話も長くなった。一度私は引き上げる」


 贄の王が窓の外に目をやり、少女もそれにつられる。


「今は……昼頃か。夕暮れの頃にまた訪れる。それまで好きなように過ごせ」


「この部屋の中で、でしょうか」


「城の中なら構わん。ただし一部は立ち入れぬようにしておく。城にあるものも自由に使ってよい」


「分かりました。ありがとうございます」


 その言葉を聞いた贄の王は妙なものを見る目で少女を見る。


「……。妙な人間だ、お前は……。まぁ、いい。ではな」


 そう告げると贄の王はドアの向こうへ姿を消し、やけに静かにドアが閉められる。






 一人になった広い部屋で少女は思考する。


 自分は何なのか、【贄の王】とは、魔境とは?死という体験の記憶が曖昧なのは幸いだったろう。そもそも本当に死んだのか、あの男は本当に伝承の【贄の王】なのか?


 ただ一つ、ここが平常の地でないことだけは確かだ。


 ――窓の外、見たこともない弱弱しい太陽と、不思議に鈍く感じる晴天。埃で汚れたガラスの向こうに広がる廃墟の都と、遥かに見える雪の地平線。いずれも少女の記憶には無いものたち。


 少女は布団をはらってベッドから出ると、大きな窓から入る光のどこかおぼろげな様に喜びを覚える。光は部屋を照らすと同時に多くの影もまた描いていた。


 そこでふと、壁に飾られた天秤が淡い光に照っていることに気づく。静かに天秤を床に落とすと、天秤は影に飲まれて光を失う。


 少女は薄く笑みを浮かべた。





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