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贄の王座と侍るもの  作者: 伊空 路地
第七章 欲しかったものは過ぎ去りて
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198 白い都の観光記


 ラツアの都を訪れた人間は、まずその都そのものの美しさに息を呑む。


 真っ白な建物に、真っ白なモザイクの石畳。建物には海を象徴するような青色があしらわれ、邪魔な色は存在しない。


 見渡す限りの白と青。飾られた草花や、ほんの少しだけの赤や緑も良いアクセントである。


 都の向こうには内海の水平線が無限のように広がり、反対を向けば緑の豊かな山並み。ラツアの都は、それ自体が巨大にして完成された芸術品だ。






 久々にラツアの都を訪れたサンもまた、改めてその美しさに感嘆した。これまで大地の色々な土地を訪れてきたサンだが、都の見応えという意味ではラツアが一番だと思っている。エルメアやターレルも良かったが、ラツアの都の真っ白で清潔な空気感はここにしかない。


 ふと、風に乗って潮の香りがサンの鼻をくすぐる。都の雰囲気のせいか、そんなものまで奇麗に感じてしまう。


 ついでに言えば、ここはサンにとって敬愛する主人の生まれ故郷でもある。引きこもり気質の主がどれほど外を歩いていたかは知らないが、きっとかつては同じ香りで胸をいっぱいにしていた筈だ。そう思うとそれだけで心が躍るような気がする辺り、自分も大概である。


 空を見上げれば、白い雲が太陽の光を浴びて輝いている。どこまでも抜けていくような青空は高く、じっと見上げていると、ふと吸い込まれていってしまいそうだ。


 みゃー、みゃー、と。海鳥の鳴く声が心地良い。もし彼らと一緒に大空を飛べたなら、それはきっと、とっても気持ちがいいだろう。……後でちょっとやってみようと思う。






 そんな風に景色を眺めていると、ぐいぐい、と右手が引かれる。見下ろせば、ヴィルの灰色の瞳がサンを不満そうに見上げていた。お腹が空いたらしい。多分。


 そう、今回はヴィルが同行している。再びラツアの都を訪れるにあたって、折角ならと連れて来たのだ。


 とはいっても今日限り。本格的に活動を開始すればヴィルは邪魔になってしまう。何となくの様子を見に来ただけの今日だから居ても問題無いのだ。


 今日は半ば観光である。暗躍も荒事も明日から、と思ってのんびり歩き回るつもりだ。


 サンにはこの風景を眺めているだけでも楽しいのだが、ヴィルにはそうでも無かったらしい。最初は一緒に眺めていたのだが、早々に飽きて食事を強請っている。


 ぐいぐい、ともう一度右手が引かれる。確かに普段ならばもう昼食の時間だ。その灰色の目は、早く何か食わせろ、と言わんばかりである。


 サンはちょっとだけ苦笑すると、ヴィルを伴って歩き出す。


「さて、ご飯はどうしましょうか。ヴィルは何が食べたいですか?」


 ちなみにサンは元々昼食を取らない人間だったのだが、贄の王やヴィルと共に過ごすうちに昼食も食べるようになった。サンは今も昼抜きで平気なのだが、男二人は昼食が無いと不服を訴えるのだ。


 ヴィルはともかく、贄の王などサンが現れる以前は食事自体を取っていなかったと思うのだが。確か出会ったばかりの当初に「食事は取らない」と言っていた気がする。


「まぁ、それだけ私のご飯を喜んでくれているという事にしておきましょうか……。」


 そう思っておけばサンも嫌な気はしない。贄の王は好みの物を食べると口の右端がちょっとだけ上がる癖があるのだが、それを眺めるのがサンは好きだった。


 最近で贄の王の好みに直撃したのはアッサラの郷土料理である山羊肉の甘辛い料理だ。アッサラで活動していた時に出会ったレシピで、やたら香辛料の種類が多いのが特徴である。ちょっと独特な風味があるのだが、贄の王的にはそこが良かったらしい。


 今回は折角ラツアにやってきたので、ラツアのレシピを手に入れたいなと考えている。贄の王にとっては故郷の味だ。喜んでもらえると思う。






 そんな事を考えつつ歩いていると、とびきり良い匂いを感じた。どこからかと思って少し辿ってみると、一軒の小さな建物があった。一応看板を見るに料理屋であるらしい。


 隣のヴィルもすっかり匂いの虜であるようで、灰色の目が料理屋に釘付けだ。


「ここにしてみましょうか、ヴィル。ちょっと気になりますよね。」


 そう言って中に入る。青い扉を開ければ、良い匂いが一層強くなって、思わずお腹が鳴りそうになる。


 料理屋は本当に小さなお店で、テーブルはたった4つしかなかった。テーブル自体も小さくて、10人も入れなさそうである。今はその内の半分ほどが埋まっていた。


「やぁ、太陽の髪のお嬢さん。いらっしゃいませ。」


 奥から出てきたのは、赤毛を後ろに撫でつけた壮年の男。彫りが深く渋い顔立ちだが、にかっという擬音の似合いそうな笑顔は人懐っこい。太陽の髪、というのはサンの金髪を言っているのだろう。


「お二人だね。どうぞ、好きなテーブルに座って。」


 そう言われて、近くの空いているテーブルにヴィルを促す。大人しく座ったのを見てから、サンも対面に座る。こういう時、ヴィルの行儀良さはとてもありがたい。


「壁に書いてあるのがメニューだよ。飲み物はサービス。水とオレンジジュースとワイン。どれがいいかな?」


「でしたら、二人ともオレンジジュースを。それと、あの……。この素敵な匂いにつられて来たのですが、これは?」


 匂いにつられて来た、なんてちょっと恥ずかしいが、多分ヴィルはこの匂いの元を期待しているだろう。そう聞くと赤毛の男は得心して教えてくれる。


「あぁ、なるほどね。今まさに、牛肉を煮込んでいるところだからね。ウチの最高の一品だよ。それがいいかい?」


「なら、この子にはそれとパンを。私は、そうですね……。では、レモンソースのサラダを。私にパンは要りません。」


「うん、分かったよ。じゃあ、作ってくるから待っていてくれるかな。」


「えぇ、ありがとうございます。」


 赤毛の男はまた奥へと戻っていく。その背中を眺めながら、再びヴィルに話しかける。なお今のところヴィルに伝わるのはファーテルの言葉だけだ。


「楽しみですね。お腹空いているでしょう?」


「んー。」


 唸ったようなそれはヴィルなりの同意である。生まれて以来の環境のせいか流暢に話す事は未だ出来ないが、こちらの話は理解している事の証左だ。


 そんなヴィルの表情はむにゃむにゃと笑顔の口を動かして、何とも嬉しそうである。出会った頃は人形よりも人形のような表情しかしなかったのに、今ではすっかり表情豊かで子供らしい。


 そんなヴィルの変化や成長を眺めるのも、最近のサンの楽しみの一つなのだ。可愛らしいな、と自然にこちらまで笑顔になってしまう。


 この子の人生が幸せなものであると良い。サンは心からそう思う。


 その為にも、サンは戦わねばならない。この子の生きる未来が、悲劇に塗れたものであって欲しくない。この子の生きる将来に、贄も呪いも不要なのだ。


 命だって懸けられる。この大地から、呪いなんてものを無くす為ならば。贄の王を、その陰惨な宿命から解放する為ならば。この子が、笑顔で大人になる為ならば。


 悲愴な決意などでは無い。それは、希望に満ちた願い。愛に溢れた想い。


 だって、戦う為の理由なんて、前向きな方が良いではないか。






 ――嬉しそうなヴィルの顔を見守るサンは、どこまでも慈愛に満ちた微笑みを浮かべていたのだった。






















 小さな料理屋の昼食はとても素晴らしかった。


ヴィルは料理が運ばれるや否や、夢中で肉を頬張り始め、喉でも詰まらせないか心配になるほどだった。サンの注文したサラダも、レモンのさっぱりした酸味を活かしたソースが特に良かった。


 是非レシピを売って欲しい、と願うサンに対し、店主らしい赤毛の男は快く応じてくれた。ただし他の人間には教えないこと、という条件付きだったが特に問題は無い。サンが料理を振舞う相手は基本的に贄の王とヴィルだけだ。


 満腹でご満悦顔のヴィルと、新しいレシピを手に入れてほくほく顔のサン。手を繋いで歩く二人は実に上機嫌だった。






 二人は腹ごなしにのんびり歩きつつ、ラツアの都の象徴である大灯台に上ってみる事にする。


 大灯台はラツアの港に立つ、それはそれは巨大な灯台だ。見上げるのもつらい程に高く、周りを一周走るのに苦労する程に太い。ラツアの都と言えば、という代名詞的存在であり、昼間は一般の人間が上まで上れるようになっている。


 やたらと高い入場料を払って大灯台の中に入る。すると、これまた巨大なエレベーターに案内される。曰く、このエレベーターも世界で最大級の物で、最高級の魔術陣が使用されているのだとか。


 ごぉーっという音に包まれながらエレベーターは上へ。多分蒸気式だな、とサンは推測する。火と水があれば作れる蒸気機関は急速に発展を遂げている魔導工学の賜物だ。ただ贄の王の話では、二十年内に次世代の機械が登場するだろう、という事である。


 サンは魔導学にはそれなりに明るいが、それを応用した魔導工学となると全く詳しくない。進歩って凄いなぁ、と何となく思った程度だった。






 やがて到着した大灯台の頂上。そこからの眺めは何とも絶景であった。


「はぁー……。」


「おー……。」


 思わず感嘆のため息を吐いてしまう。隣で柵にしがみついているヴィルも何やら唸っている。だが、それも頷ける見晴らしだ。


 見下ろせば人が砂粒か何かのようで、ラツアの都を囲む丘陵をも超えて、遥か遠くの地平線までが見通せる。


 まるで天空の上に立っているようだ、と思った。


 贄の王の眷属として与えられている権能を用いれば、サンは【飛翔】なる魔法を使用して自在に空を飛ぶ事が出来る。だが、力の限界があるためにこれほどの高度には上がってこられない。


 眼下に広がる白い都が模型か何かのようだ。手を伸ばせば摘まみ上げられそうな錯覚。


 それに何よりも、仰ぐ大空の広い事と言ったら!


 どこまでも、どこまでも広がる大空。いつもよりもずっと近い雲。それでもなお遠く輝く太陽。地上ではとても感じられないような、澄み切った空気。


 吹き抜けていく風がサンの金髪を揺らすと、陽光を浴びてきらきら煌めく。


「気持ちいい……。ね、ヴィル。」


「おー……。」


 実はサンが大灯台に上るのは二度目である。以前ラツアの都を訪れた時、贄の王と密談をするのに使ったのだ。周囲に人が無く、間違いなく目撃される事も無いとして選んだのだが、その時は夜だった。


 夜、地上の白い都が暗闇の中に浮かび上がる光景は何とも幻想的で、言葉にし難い美しさがあった。地上と空と、二つの星空に挟まれているような感覚を今も憶えている。


 昼間と夜ではまた違った趣があるな、と思った。夜の間は立ち入り禁止なのが残念だ。……【転移】を使えばこっそり来られるのだが。今度ヴィルも連れて来てみようか。


 それはともかく、今はこの景色である。白い都も壮大な山並みも、見るたびにその顔を変えているような気がして、いくらでも見ていられる。ラツアの都の風景にはすぐ飽きたヴィルも、今は却ってサンよりも熱中している。


 ふいにヴィルが走り出す。


「あ、ヴィル!危ないですよ……!」


 慌てて追いかけると、大灯台を四分の一ほど回った辺りで再び柵にしがみつく。


「おー……。」


「転んだりしたら危ないでしょう、急に走ったりしてはダメですよ、ヴィル。」


 追いついたサンが注意する。ここは天高い大灯台の上なのだ。もし落ちたりしたら万が一にも助からない。その時は権能を用いて何としても助けるつもりだが、そんな心臓に悪い事は御免である。


 ところがヴィルは全く聞いていない。景色に夢中で、完全に耳に入っていない。


 もう、と頬を膨らませるサンだが、ヴィルがそんなにも夢中になっている景色が気になってそちらを見る。


 すると、そこには果てまで続いていく広大な海があった。


「わぁ……。」


 零れた声は無意識のもの。それだけ、素晴らしい光景が広がっていたのだ。


 遠い水平線が、空と海を分けている。信じられないほどに広い海原。日光を浴びてきらきらとする海面。風が運ぶ、潮の香り。びっくりするほどに小さい帆船が、波を立てて進んで行く。


 内海。大陸に囲まれた広大な海であり、人類の文明がこの内海を囲むように発展したことから、人類の母とも呼ばれる。エルメアを筆頭に外海へ漕ぎ出していくまでは、常に歴史の中心だった海だ。


 これは確かに、夢中にもなる景色である。


 大空と、大海原と、ちっぽけな島々。自分という存在がこんなにも小さいと感じた事がかつてあっただろうか。目にしている世界があんまりに大きくて、ただただ圧倒される。


「すごい……。」


 これが、世界なのだ。これが、大地なのだ。なんて、大きいのだろう。


 サンは今や、ただただ感嘆していた。






 だが、ただ圧倒されている訳にもいかないな、と思い直す。何故なら、サンが戦おうとしている相手はまさにこの世界かもしれないのだから。


 贄の王の呪い。こんなにも大きい空も海も大地も、全て暗闇に呑み込んでしまう恐ろしい現象。サンはその正体を突き止め、無くしてやりたいと思っている。


 出来るか、なんて分からない。それでも、やるのだ。


 贄の王を救うため。


 ヴィルアイドの未来のため。


 サンという存在を形作った想いたちのため。


 ……それから、この世界を守るため、なんて加えてもいいかもしれない。


 ちょっと陶酔が過ぎるかな、と自嘲しつつも、サンは拳を握っていた。


 ――必ずや、全ての想いと願いを果たして見せる。


この大きすぎる世界を前にして、全身全霊で生き抜くと、サンはそう誓っていた。







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