197 魔境の一幕
第七章のスタートです。私の大プロットではここから後半戦!
完結まで頑張りますますよー。
あと感想下さい(鳴き声)。
夢を見ていた、と思う。
どんな夢だったかは分からない。目が覚めると同時に、ふわっと消えてしまうみたいに、忘れてしまった。
思い出そうとしてみるけれど、でも何も思い出せなくて、夢を見ていたという残り香のような感覚だけがある。
幸せな夢だったかもしれない。あるいは、酷く不幸な夢だったかもしれない。
何故なら、とても大事で、喜ばしいものを手にしていたという感覚があるから。
そして、それを失くしてしまったという喪失感もまた、あるから。
きっとどちらもが正しくて間違い。
確かめる術なんて無い。目覚めれば夢は消えるもの。影も形も残らないもの。
ただ、その香りだけを感じながら、人は現実に戻っていくのだ。
人はいつだって、現実にしか生きられないから。
だから、サンもまた、現実へ帰っていく。目覚めていく。
目覚めた後にサンが感じられるのは、とても優しい残り香だけだった。
「んん……っ。」
呻くような声を零し、サンは身体を起こした。どちらかと言うとサンは朝に強い方で、目覚めは素早い。
ベッドから出た途端に襲い掛かってくる寒さに身を竦めつつも、てきぱきと朝の支度を整える。
すっかり着慣れた使用人服に袖を通し、顔を洗って薄く化粧を施す。エルザから受け継いだ顔は元が良い。正直に言って、あまり化粧のしがいが無いのはやや不満だ。
髪を梳かして飾りをつけて、最後に全身を鏡に映して乱れが無いか確認。一年半も続けていれば慣れたものだった。
それからベッドの方へ戻り、眠りこけている灰色の頭に触れて起こす。ちなみに、何故か枕に足を乗せる恰好になっている。寝付いた時は逆だったのだが。
「起きて下さい、ヴィル。朝ですよ。さぁ、ほら。」
ぱちりと目が開くが、身体を起こそうとしない。ぼーっとした目がサンを見る。
調子でも悪いのかと額に手を伸ばそうとすると、その途端にパッと跳ね起きてベッドから降りると、洗面所まで駆けてゆく。どうやら元気なようだ。
クローゼットを開けてヴィルの服を取り出していく。子供というのは驚くほどに成長が早く、半年前に買った服はもうきつくなり始めた。服屋の勧めで大きめの服を買っておいて良かったと思う。
洗面所からヴィルが駆け戻ってくる。既に下着以外を脱いでいて、ほぼ裸である。もう秋だが、寒くないのだろうか。
着替えに飛びつくと服を着始める。ヴィルが上着のボタンを留めている間に、寝ぐせで荒れ狂っている髪を濡らした手で撫でつけて直してやる。これでも髪の手入れの仕方は教えたのだが、全くやりたがらない。男の子というのはこんなものなのだろうか。
「寝ぐせくらいは直さないとみっともないですよ、ヴィル。奇麗な髪なんですから、もっと大事に――。」
サンの小言など聞く気が無いらしく、服を着終えると飛び出していく。やれやれとサンが追えば、駆け戻ってきて手を引っ張り始める。言葉も無く「はやく」と急かしているようだ。
「分かりましたから。分かりましたってば。今日はやけに元気ですね……っ?」
元気なのは良いが、朝からこうも元気だとサンの方が疲れそうである。
廊下に続くドアを開けて、贄の王の居室を目指して歩き始める――と、ヴィルがさっさと駆けて行ってしまう。
「あ、ちょっと……!」
慌ててサンが追いかける。流石に城内で全力疾走をするのは気が引けたので、小走りである。
足早に階段を上り、目的の部屋を目指す。サンが辿り着くより先にドアが開いた音が聞こえ、ヴィルの到着を知る。
開け放たれたままのドアを閉める頃、奥の寝室から「ヴっ」という奇妙な声が聞こえてきた。手遅れのようである。
――あーあ……。
やはり開けっ放しのドアを潜り、寝室を覗き込んで声をかける。
「おはようございます、主様……?」
大きなベッドの大きな盛り上がり。その上に座り込んでいるヴィルと目が合う。
「――あぁ、サン。おはヴっ――よう……。」
ベッドの中から贄の王の声が返る。途中の奇妙な声は、ヴィルが飛び跳ねた事によるものである。あらゆる危害を無効化する権能に守られている筈だが、効くのだろうか。
「その、申し訳ありません……。逃げられまして……。」
「そヴっ――らしいな。取り敢えず、コレを降ろしてくれ……。」
「は、はい……。」
ヴィルの身体を抱えるようにして贄の王の上からどけようとするが、魔境に来てからの期間でさらに増した体重はそう簡単に持ち上がってくれない。
「こ、こら。ヴィル、降りて……っ。ほら、降りて、下さい……!」
仕方ない、と【強化】を使用。途端、全身にみなぎる筋力は魔法の力で補強されたもの。
一気に軽く感じるようになったヴィルを持ち上げてベッドから降ろす。
ベッド脇に立たせて、腰を屈めて目線を合わせる。意識して厳しい顔を作り、注意をしようとした。
「ヴィル。主様に失礼な事をしては――あっ。」
しかし、サンの手が離れた僅かな隙を突いて再びベッドの上へ。寝たままの贄の王に飛び乗ると、その上で飛び跳ねる。
「ヴっ、ヴっ――。ええい、やめろ……!」
とうとう限界を迎えたらしい贄の王が身体を起こし、転がり落ちるヴィルを捕獲する。流石に贄の王からは逃れられないらしく、じたばたともがくが動けない。
「きゃー!」
……ただ、楽しそうである。全く懲らしめられている様子は無い。
「――はぁ……。散々な朝だ……。」
溜息を吐きながらそう零す贄の王には、とても威厳らしいものは感じられない。
伝承の大悪魔【贄の王】もこうなっては形無しだなぁ、と思わせられるのであった。
ターレルの都における戦いから、およそ半年が経過していた。
かの都では本当に色々な事があったが、反動のようにこの半年は穏やかだった。
神託者を追い求める必要の無くなったサンは、各地で【従者】として陰に日向に活動しつつも、基本的には魔境の城で平和に過ごしていた。
贄の王も同じだ。時折外へ赴く事もあったが、普段は城に引きこもって研究やら学問やらに明け暮れている。
半年前に西都で保護した贄の子供だけは随分変わった。無表情しか浮かべなかったかつてはどこへやら、目まぐるしく表情を変えて、日々健やかに――やや元気過ぎ――成長している。
ヴィルアイド、と名前を与えられ普段は『ヴィル』と呼ばれている。
未だに意味ある会話は成り立たないが、サンたちの言葉は概ね理解するようになったらしく、呼べば反応するし窘めれば落ち込んだりもする。ただ、素直に言う事を聞いてくれたりはしない。隙あらば走るし遊ぶし、贄の王などは良く攻撃の被害にあっている。何故かサンに暴力的な振舞いはしない辺り、贄の王は案外舐められているのかもしれない。
食事さえ与えておけば大体放っておいても何とかなるのが幸いと言うべきか。巨大な城に三人しか居ないので遊び場には困らないらしい。それでよく迷子になるのは勘弁して欲しいと思っているのだが。
ともかく、半年の時間は実に穏やかに、平穏に、流れていったのである。
少なくとも、サンたちにとっては。
「――それで、次はどこへ行くつもりだ。」
三人揃って朝食を取りつつ、贄の王がサンにそう聞いてくる。
サンは少しだけ考えつつ、次の予定を話す。
「ラツアへ行こうかと思います。かの国は未だ内海を支配していますので、情報網を構築する上ではやはり優先すべきかな、と。」
「まぁ、ラツアを手にすれば内海はおおよそ手に入る。妥当だな。」
サンの大目標は変わっていない。『贄の王を救う』ことである。
そのために神託者を止める企てのほか、教会が握る筈の『大地を侵す呪いの真実』を探っている。
教会や各国の動向を知るため、各地での活動の円滑化のため、この半年間は各地で協力者を作ることに集中していた。神託者がターレルの都から動いていないという事実がもたらす余裕も味方してくれているのだ。活動はなかなかに順調だった。
「既にアッサラ、ガリアは充分です。前者は都市アンビヨンを初めとし、各部族への友好関係と反西方思想を広めている最中。ガリアはパラスキニアとサーザールを結び付ける事に成功。どちらも直接介入するよりは、現地の協力者に任せた方が良いとの判断の通りです。」
ターレルの都を襲った【聖女】の爪痕はなお深く、それに端を発する西方教会と東方蒙教の軋轢は増す一方である。この機を逃すまいと、サンはアッサラに最初の協力者たちを作り上げた。アッサラ主要都市の一つアンビヨンを篭絡し、蒙教の有力者を引き込んだのである。
高まる反西方思想を扇動し、敵の敵は味方という理屈を持ち込んだのだ。この時は、贄の王が生み出す無限の財力と【従者】の悪名が大変に役立った。
また、ガリアには既に友好的関係を築いている勢力があった。即ち、パラスキニアとサーザールである。
パラスキニアとは、かつて【接吻魔】と呼ばれた魔物を退治する際に協力した男マーレイスの率いる政治結社である。純ガリア主義と掲げ、ガリア各地で驚くほどに肥大化しつつある。
また、かつてイキシア存命の頃に協力関係にあった戦士集団サーザール。率いる長老メレイオスと顔を知っている仲でもあり、利害も一致する以上再びの友好は実に簡単に成った。
パラスキニアとは、財などの支援の代わりに情報網の提供を受ける。サーザールとは、反贄捧げ反教会の点で全面的協力を構築出来た。また両勢力を結び付け、サン・パラスキニア・サーザールの三勢力が協力し合える約定を取り付けたのだ。
ここまでをもって、サンと贄の王は工作活動を半ば成功と判断。アッサラとガリアは現地の協力者に任せる方針に切り替えたのだった。
そして次なる工作活動の部隊を、サンはラツアと考えている。そしてそれを贄の王も妥当だと許可した。
今日にでも早速、ラツアに居る知り合いと接触する事に決定するのだった。
「この半年、戦略を切り替えて以来お前は実によくやっている。しかし、こういった時こそ気を引き締めろ。成功に慢心するな。状況に油断するな。改めて最大限の注意と集中でもって、ラツアにおける活動に当たれ。」
実際、贄の王が知恵を与えたとは言え、サン一人の成果としては充分過ぎる程に充分だった。サン自身も上手く行っていると思っている。
だからこそ、贄の王は警戒するよう忠告したのだろう。敬愛する主人の言葉に、サンはしかと頷く。
「はい、主様。お言葉、有難く頂戴致します。何かあれば、すぐにでも主様に相談、ご助力を願います。」
贄の王の力があれば、人の世界で起こる危険など在って無いようなもの。天敵たる神託者がターレルに居ると確定している以上、助力を強く避ける必要はどこにもない。
「それでいい。ラツアには私の知り合いも多少居る。そういう意味でも使える伝手はあるかもしれん。今日にもラツアへ行くのであれば、顔見せだけに済ませておけ。今後について改めて相談するとしよう。」
「分かりました。万事そのように。」
贄の王の言葉を受け取りつつ、サンは脳内でラツアに居る知人の顔を思い浮かべた。裏社会の大物フランコである。かつてラツアで神託者を追う一騒動の際には随分お世話になった男だが、今回はサンの方からも利益を提供出来るだろう。
「――ん。」
全員が朝食を食べ終えると、ヴィルが食器類をまとめてサンに差し出す。子供ながら作法や行儀は基本行き届いているので、こういう場面では実にいい子なのだ。
だが、それを見た贄の王がやや不満げな顔をする。
「ヴィル。お前は何故、サンには丁寧なんだ。」
主人は贄の王のはずなのだが、ヴィルは基本的にサンの方を丁重に扱う。
「べー。」
ヴィルはこれ見よがしに、贄の王へ向けて舌を出して見せる。
「こいつは……。」
あんまりな態度に、贄の王も苦笑する事しか出来なかったようである。
「あはは……。」
そんな二人のやり取りをサンもまた困ったように眺める。
――悪魔と魔物と人間の子。あり得ないような組み合わせでも、こんな日常にサンは何となくの幸福を感じているのだった。




