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196 誰でも無かった少女


 天秤の神を奉じる宗教では、基本的に土葬が良いとされる。


 いずれ訪れる世界の大審判の日、全ての死者は蘇って地上に帰り、降臨した神の前に立つ。そして手にした天秤の釣り合うように、裁きを受けるのだ。全ての罪を清めた死者は永遠の命を賜り、無限の幸福の中で暮らすとされる。


 この大審判の日に戻るべき肉体が無いと、蘇る事が出来ないのだ。よって肉体が無くなる火葬などは最も忌避される。


 土葬にしたっていずれ土に還るし、大審判を待たずに罪人を焼き殺して良いのか疑問だし、サンはあまり納得していなかった。だが、とにかくそういう風にされている。


 なので、サンが見下ろしている墓の下には棺が埋まっている筈だし、その中には骨だけになった遺体が納められている筈だ。


 ――あぁ、でも。自殺者はどうなるんだっけ……。


 教会の教えだと、自殺は基本的に悪い事である。地獄に落ちるんだったか、大審判の日にどうにかなるんだったか。一年も俗世の常識から離れていたせいか、案外そういった部分はうろ覚えになっていた。


 ――それとも、その辺りは“引き継がなかった”のかな。


 そもそも今となっては一年前、魔境で目覚める以前の記憶などどこまで信じられるか疑問である。


 それはそうだろう。全ての記憶の前提が覆された今、何を信じられるだろう。


 サンの見下ろしている墓。その墓石には死者の名前が書いてある。そこには、ずっとサンが思い出せなかった名前が刻まれていた。


 “ラインファーン”、と。


 それは、エルザの唯一の親友にして、あの日ファーテルの都で命を絶った少女の名前だった。





















 ラインファーンは、ファーテルの近衛貴族の娘だった。父は近衛貴族でも重役だったのだろう、娘であるラインファーンは登城する機会が幾度かあった。ファーテルの姫であったエルザと出会ったのは、その時だ。


 二人はまるで重なるところが無く、ほとんど正反対の性格と言ってもいいくらいだった。ただ、両者とも生まれ故に苦労し、母が無く家族に疎まれているという、境遇における共通点は多かった。


 二人はすぐに仲良くなった。そもそも宮城に飼い殺されているエルザだけにラインファーンと会える機会は多くなかったが、会える機会にはいつもギリギリまで一緒に居た。


 いつも話すのは大体エルザの方で、ラインファーンはもっぱら聞き役だった。不愛想気味の顔が、エルザの前ではにこやかだったのを良く覚えている。


 確か、年は同じ。それが意気投合した最初のきっかけだった気がする。


 お互い母が居ないと知った時は、不思議な共感を得たものだ。悲観する程の不幸とは思っていなかったが、二人して「母が生きていたらきっとこんな人だった」なんて空想を話すのは好きだった。


 また、二人とも友達が居なかった。宮城で半ば軟禁されていたエルザはともかく、ラインファーンまでがそう語った理由は分からない。もしかすると、エルザを気遣った嘘だったかも、とも思う。


 恋愛ごとに疎いのは双方本当だった筈だ。ファーテル王や正妃は多分エルザの使い道を早くに決めていたので婚約者などは話も無かったし、ラインファーンの場合も貴族に嫁ぐには問題が多かった。


 ラインファーンは醜い娘という訳では無かった。むしろ、顔立ちは整っていたと思う。


 ただ、その顔は大きな痣があった。


 生まれた時からのものらしく、とても隠せない程に目立つ痣だった。エルザは最初同情したが、ラインファーン本人が欠片も気にしていないのでその内に気にしなくなった。


 そして何より、ラインファーンは貴族としては失格だった。彼女は『魔法使いで無かった』のだ。


 ファーテルに限らず王侯貴族とは基本的に強大な魔法使いを祖先に持ち、その魔法使いたる才能を受け継いでいる。貴族とは基本的に魔法使いであり、魔法使いでない貴族など貴族扱いはされない。


 容姿に劣る上、魔法使いでない。ラインファーンがまともな貴族としての扱いを受けられないのはむしろ当然だったのだ。


 とはいえ、完全に家中で人間扱いをされないとか、そんな強烈な話も無かった。


 適当な平民出身の騎士に嫁がせるとか、そういう使い方をされる予定だったのではないか。下女の仕事も与えられていたのは、平民としても生きていけるようにという、今思い返せば将来を案じられていたという裏返しでは無かったか。


 曲がりなりにも家族の縁で登城を許されていた事は最低限の扱いは受けられていたという証拠だと思う。


 それに何より、彼女がありとあらゆる人間から忌避され見下されていたのなら。


 今サンが見下ろしている墓が“奇麗に掃除されている”事が理解出来ないではないか。


 ラインファーンは恐らく、娘として最低限、本当に最低限だったかもしれないが、大事にされていたのだろう。


 多分、エルザの前で語っていたのは……。エルザのため、幾らかの誇張をしていたのだ。


 本当に家族から人間として見てもらえなかったエルザの孤独を癒すため、自分も同じだと言ってくれていたのではないか。あれで、ラインファーンは優しい娘だったから。


 サンが持っている“記憶”は、そういう誇張された話の上にエルザの願望が加えられた物だったのだろう。


 そうだ。


 サンは、決して()()()()()()()()()()()()()()()


 かつて親友の死を嘆き、神を呪い、命を絶った少女の魂はとっくにあの世に逝っている。


 サンが見下ろしているのは過去の自分の墓では無い。


 ”自分“が憧れ、”そうなりたい“と願った()()()()






 サンは、“エルザ”の成れの果てだった。






 もっと正確に言えば、エルザですら無い。


 エルザは死の間際、”贄“とされる間際に、願った。


 ――『ラインファーンのようになりたかった』。


 その想いは、魂の欠片は、取り残された。そして他の魂の欠片と集まり、重なり、歪なる生命として再びの肉体を得たのだ。


 その時、ラインファーン本人が同時に死亡していたのは何の偶然だったか。


 恐らく、引っ張られたのだ。


 本来、通常の死を迎え、通常通りに楽園へ向かう筈だったラインファーンの魂。それは何の因果か偶然か、エルザの“贄捧げ”に引っ張られて遺す筈の無い魂の欠片を遺した。だからサンはほんの少しだけ、ラインファーンの武術や魔導の知識を受け継いでいるのだ。


 つまるところ。


 サンタンカとは、エルザやラインファーン、その他様々な“贄”たちの魂の欠片から生まれた“魔物”。


 どうして自分をラインファーンだと思っていたかと言えば、エルザが核だったから。エルザの『ラインファーンのようになりたかった』という想いから創られた架空の人格。偽りの記憶、偽りの自分。


 『エルザの考えたラインファーン』の再現。






 それが、サンタンカという魔物の正体だ。





















 サンはそっと墓石に指を伸ばすと、『ラインファーン』の名前をなぞってみた。


「……ごめんなさい。」


 ぽつり。呟いた。


「私はずっと、貴女を自分だと思っていました。本当は、全然違ったのに。」


 誰に聞かせるでもない独白。


「私はもう、エルザじゃありません。自分をエルザだと言うには、何もかもが違い過ぎる。」


 サンの魂はエルザの欠片を核としていても、エルザの魂では無い。


「多分、本当はずっと、全部知っていたんです。私が、忘れようとしていただけで。」


 エルザの事を思い出す度に顔を出す罪悪感。あれは、ラインファーンに向けたものだった。


「ごめんなさい。私は貴女を愚弄していた。」


 だから、謝るのだ。


「ごめんなさい。貴女を悼むことすらしなかった。」


 一年もこんな場所で待たせてしまったのだ。いくら謝っても足りない。


「ごめんなさい。……本当に、ごめんなさい。」


 今の自分に、彼女の名前を呼ぶ権利があるだろうか。親友などと、名乗る資格があるだろうか。


 答えは、返らない。二度と、返ることは無いのだ。


 あんなにたくさん話を聞いてくれた彼女はもう居ない。もう、笑って頷く事も、ちょっと困りながらたしなめてくれる事も無いのだ。


 一緒に話をした。たったそれだけ。


 それでも、誰からも人間扱いされず、ただ生かされているだけの灰色の日々には。友も家族も居なかったエルザには。


 ――あの時間だけが、大切だった。ラインファーンと何気ない話をする、それだけの為に生きていた。


 ぽつり。奇麗に整えられた土の上に、雫が落ちて滲みていく。


 それはサンの、エルザの、涙だ。本当はもっと早くに流されていなければならなかった涙だ。






「ありがとう。私は、貴女のお陰で救われた。」


 ――ありがとう。わたし、ラインのお陰で救われたの。




「ありがとう。今までずっと、私と共にあってくれて。」


 ――ありがとう。今までずっと、わたしと一緒に居てくれて。




「ありがとう。」


 ――ありがとう。




「安らかに眠って下さい。いつか、直接謝りに行きますから。」


 ――おやすみなさい。いつか、また会える日まで。




「……もう行きます。さようなら。」


 ――もう、行かなきゃ。……さよなら。




「……。」


 ――さよなら。




 ――大好きだった。






 ――愛してる、ライン――。











 サンは目元を拭うと、ラインファーンの墓に背を向けた。


 恐らく、ここへ来る事はもう無いと思った。


 それでいい、ラインファーンの魂の欠片は、きっと自分の中にもあるから。


 剣を振れるこの右手は、きっとラインファーンのくれたものだから。


 今までも、これからも、ずっと一緒に居るのだから。






 サンは”転移“を行使すると、魔境の城へ帰っていく。主の下へ、在るべき場所へ。


 闇がサンの身体を覆い、跡には何も残らない。


 そうして、サンはファーテルの墓地を後にした。






 ラインファーンでは無く、もうエルザでも無い魔物。


 今やもう、他の誰でも無かった少女。






 闇の消えた名残を、ラインファーンの墓だけが見つめている。


 それは暖かな日の当たる、春の日の事だった。







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