195 訣別
“神逆の剣”によって魂を“闇”に蝕まれ、サンの意識は本来あり得ない程の深層に潜り込んでいた。
そこから立ち返る事が出来たのは、押し上げてくれた彼女のお陰でもあり、掬い上げてくれた彼のお陰でもある。
魂の深層でサンは一つの真実を思い出していた。
だが現実とは往々にしてそうであるように、真実とゆっくり向き合うような時間をくれはしなかった。
意識を取り戻すと、そこは“光”に満ち溢れていた。顔を上げた先に見える背中が慣れ親しんだ友のものである事はすぐに分かった。
そして当然、満ち溢れる”光“の持ち主がシックであり、それが意味するところを理解するのにも時間はかからなかった。
――うん。……そうだよね。
内心でそう、呟いた。その一言には、とても表現しきれないほどの納得と安堵があった。
今、黒い刃を突きつけられたシックは呆然としている。現実を理解出来ていないのだろう、今ならばこのまま命を奪えるかもしれないと思った。
「……な……。なに、を……?」
絞り出された言葉には強い困惑。理解は出来たが、納得は出来ていないらしい。
サンは権能を用いて己の声音を繕うと、答えを教えることにした。
「……そうだと、思ってた。」
「なに、がだ……?」
鈍いなぁ、と微笑ましく思う。“従者”が誰に仕えているのか、忘れた訳でも無いだろうに。
「“神託者”シックザール。……私は、“贄の王”の従者。貴方が使命を背負う限り、貴方は私の最大の敵。」
流石にそう言えば、シックにも分かったらしい。愕然と目を見開き、開いた口はちょっと間抜けだ。
「……ぁ……。」
「魔物は滅んだ。……もう、協力はおしまい。」
「で、でも……!」
サンは首を振る。
唐突だったが、何となく予感していたのかも知れない。追い続けた“神託者”との対決が訪れたというのに、サンの心は穏やかだった。
「選んで。――今、ここで死ぬか。それとも、“神託の剣”を放棄するか。」
見て分かった。確かに、“神託の剣”は贄の王を滅ぼし得る。
だからもう、現実から逃げる事は出来ないのだ。
サンは贄の王のため、“神託者”たる唯一の友達と向き合わねばならない。
……たとえ、この手で殺すことになっても。
「お、おれ、は……。」
「答えて。……どちらを、選ぶのか。」
シックは答えに詰まったまま次の句を発しない。しかし残念ながら、サンにもあまり余裕が無い。今この場でじっくりと考えさせてあげるには、サンの限界が近すぎる。
「選べないなら。……私は貴方を殺す。そうなれば、間違いは無いから。」
我ながら酷だと思う。シックからすれば、仮にも協力していた相手から唐突に生死の選択を突きつけられているのだ。じっくり考えることも、ゆっくり噛み締める時間も無いまま。
だが、選んでもらわねばならない。その為に、サンは一年間、ずっと“神託者”を追い続けていたのだから。……それが隣に居る友達の幻影だったなど、笑えもしないが。
「どうして……っ!なら、どうして今なんだ!俺は、お前を……っ。」
シックが震える声で叫ぶ。それはそうだろう。たった今、彼は己が守った相手に剣を向けられているのだから。
だから、サンも努めて淡々と答える。
「確証が無かった。“神託の剣”を、見るまでは。……それを握れるのは、それを使えるのは、ただ一人。”神託者“、貴方だけ。」
「ッ……!」
皮肉である。シックはずっと迷い続け、ようやくそれが晴れかけたからこそ、サンを守ろうとすればこそ、“神託の剣”を抜いたというのに。それが袂を分かつ決定的瞬間になるなど。
これ以上は待てない、とサンは思った。単純に消耗が激しすぎるのだ。とてもでは無いがシックと戦う余裕など無い。こうして立っているのでさえ辛いのだから。
「さぁ、選んで!使命か、命か!」
「俺、は……っ!」
「――命を惜しんで、使命を投げ出したりはしないッ!」
静寂。それはサンがシックの選択を良く噛み締めるための時間。
息をするのも苦しいような沈黙がしばらく降りて、それからサンが口を開く。
「……そう。残念です。」
「……?おまえ――。」
もはや言葉を聞く意味は無い。選択は為されたのだ。
シックの言葉を遮るように、断ち切るように。サンは、剣を突きだした。
――だが、甘かったのだろうか。
即座に反応したシックは、首の先すぐそこにある切っ先を驚くべき反射で避けて見せる。
同時に、手に持ったままだった“神託の剣”を振ると、サンの首を落とそうとして――。
息を呑む程に美しい白の刃が、ぴたりとサンの首下で止まる。こんな状況下でさえ、シックの剣は僅かもブレなかった。
また、しばらくの沈黙が降りた。二人は立場を逆転しながらも、互いに動けずにいた。
だが、やがてサンの方が動く。
当てられた白刃を恐れるでも無く自分の黒い剣を引くと、そのまま身体も引いた。それを、シックは追わない。追えない。
「……今は、退きましょう。でも、忘れないで。貴方が”神託の剣“を手放さない限り、私は貴方を殺しに来る。この命に懸けて、絶対に。」
何も言えないままのシックに背を向けると、サンは数歩歩いてから“転移”を行使する。
サンの身体から立ち現れた闇がサンの身体を覆い隠し、その身を呑み込んでいく――。
視界の全てが“転移”の闇に閉ざされる直前、サンは振り返った。
その先では、白刃を下ろしたシックがこちらを見つめていた。“神託の剣”の影響だろうか、茶色い筈の瞳は金色に染まっており、なんだか見慣れない。
――さようなら。
心の中でそう呟いて、サンは姿を消した。一方的なお別れで申し訳ないな、と思った。
そしてシックは、最後まで動けないままだった。
――その後。
“聖女”討伐を成したシックは、英雄としての名を更に上げ、教会と民衆に担ぎ上げられた。そしてその最中、教会はシックこそが今代の“神託者”であり、大悪魔“贄の王”との因縁を果たす選ばれし者だと大々的に公表した。
“英雄”は確かに神に選ばれた神聖な存在なのだと、ターレルに、そして大地中に知れ渡る事となる。
英雄たるシックはそれからしばらくの間、ターレルの都の復興に尽力する事になった。いや、そうするしか無かったと言うべきか。
また、シシリーア城防衛戦及び“聖女”一度目の襲撃により、人口の二割ほどを失った西都。“聖女”二度目の襲撃により、人口の九割近くと長たちを全て失った東都。
どちらも甚大過ぎる被害だったが、特に東都は絶望的であった。
頼教――西方教会――と蒙教――東方の異教――はこの大厄災からの復興のために表面上最大限の友好でもって手を取り合い、共に力を尽くした。
この時、相対的に被害の少なかった頼教は教皇主導の下、異教たる蒙教の傀儡化をもくろみ、その後数百年以上に渡る確執を生むことになってしまう。
蒙教は長たる大教父と大巫女及び高位の者たちを一気に失ったため、各地に散らばっていた権力者たちの闘争が激化。大分裂時代を迎える事となり、混乱の中その力を大きく失う。
東西の宗教において共に英雄かつ神聖である“神託者”が頼教出身であり、教皇と親しくなったのも不味かった。“贄の王”座す北の魔境に辿り着くには蒙教の地であるアッサラを通らねばならないのに、アッサラの民たちはシック及び頼教を快く思わなかったのである。
仕舞いには『神託者はわざと東都を見捨てた』という噂まで立ち、その使命を果たす為の大きな障害となる。また両都の被害から自責の念に駆られたシックはその噂に心を痛めてしまい、その様子がまた『後ろ暗いところ有り』と見なされた。
ターレルという一国家の下、揺らぎながらも安定を保っていた両宗教の関係は揺らぎ始めたのであった。
勿論、賢明な者たちは分かっていた。俗世の宗教争いで“神託者”の使命が邪魔されるなどあってはならない。両者はこの点においてだけは完全に協力し、大地から“贄の王の呪い”を取り除くべく“神託者”を魔境まで運ぶべきであると。
しかし人類の愚かさはそれを理解しつつも実行出来なかった。
“神託者”がターレルの都に縛り付けられたまま、大地は祓った筈の“呪い”にまたも侵されてゆく事になるのだ。
一方、人の世の混乱が利する存在。即ち、贄の王とその従者サンタンカ。
図らずも得ることになった時間を活用する二人のうち、繰り返す“贄の王の呪い”の永久的解決と主の救済を模索するサンは“従者”として各地で暗躍。時に”贄捧げ“を妨害しつつ、その悪名を広げる事となっていく。
そしてまた、“神託者”と”従者“、シックとサンの因縁は続くことになる。
光の使徒と闇の使徒。無益で無価値、しかして避けざる戦いは、時の中で激化してゆく――。
言うなれば、第一部完ッ!でしょうか。こんなに長くかかるとは……。
想定では第二部の方が短い予定ですが、まともなプロットなんて無い(あっても無視しちゃう)のでどうなることやら。
おかしいなぁ、もっと短い作品の予定だったのに……。100万字越えるんでしょうね……。
ともかく、ここまで本作にお付き合い頂いた皆様に心よりの感謝を。
今しばらくお付き合い頂ければ幸いですッ!!




