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贄の王座と侍るもの  作者: 伊空 路地
第六章 神聖悲劇
193/292

192 鋼に愛されし

 酷く鋭利な、先端。


 黒く、金属めいた硬質な感触を持つそれは、敵を狙って空を切り、石造りの床に深々と突き刺さった。


 それは一つだけではない。


 肉体を支えるための4本。敵を穿つ為に持ち上げられた4本。合わせて、8本。


 ぎちぎちぎち、と気味の悪い音を上げる巨大な口も恐ろしい武器の一つだ。


 どこにあるのかも窺えない目。けれども、確かに見えているのだろう。


 その目は、“聖女”の映し子の目は、じっとシックを捉え続けているのだから。






 前方4本の足を高々と持ち上げ、大きな口を見せつけるように威嚇する映し子。


 映し子の足は極めて鋭利な先端を持ち、鉄の如く硬いそれは易々と石の床を抉り貫く。人の肉体など簡単に引き裂いてしまえるだろう。


 更に、動きは俊敏。人の背丈を越える巨体ながら、その素早さはまるで手のひらサイズのクモのよう。あるいはシックよりも余程素早い動きで動きながら、シックをひと貫きに仕留める隙を窺っている。


 対するシックは油断なく剣を構え、逆に映し子へ致命の斬撃を加える機会を狙う。


 焦れたのは映し子。驚くほどの敏捷さで間合いを詰めると、前の2本足でシックを裂き殺そうと振りかぶる。


 更にそのまま、振り下ろすような刺突。硬い石も容易く突き通す脅威の一撃だ。


 しかし、ただ素早いだけの攻撃に対応できないシックでは無い。”来る“と分かっているのだ。後は、見極めた隙へ入り込むだけ。


 ゆらり、と揺らめくように。あるいは、残像跡引く閃光のように。シックは映し子の放った刺突、その内側へ滑り込んだ。


 そして映し子に対し、鋼による剛撃を見舞わんとして――。


 思い切り横へ跳んで回避(・・)した。


 シックが跳んだ直後、その場所には一抱えほどの水球が落ちて弾けた。もしシックが動かず水球に当たっていれば、怪我は無くとも大きく怯まされた事だろう。そして怪物たる映し子の懐において、その怯みは致命的である。






「――また、同じ……ッ!」


 そうなのだ。シックが映し子の隙へ潜り込んだのは先ほどの一度だけではない。もう何度も、様々な隙へ入り込めている。それなのに、シックは未だ一撃も映し子に叩き込めていない。


 苛立ち交じりに呟いたシックに向けて、頭上から”土“の弾丸が飛んでくる。ちらと一目見ただけでそれを叩き落とし、シックは剣を構え直す。


 シックにとって厄介に過ぎたのは、階上から絶え間なく飛んでくる魔法たち。


 戦闘の場になっている広間は吹き抜けであり、上二つの階からシックと映し子を見下ろす事が出来るようになっている。そして今、そこに居るのは“聖女”に操られた魔法兵たち。


 理性と知性を失っている魔法兵たちは詠唱を要するような魔法は使えない。彼らに出来るのは、扱いの簡単な代わりに人間一人の無力化すら難しい無詠唱の魔法を繰り返すことのみ。


 だが、炎を浴びれば火傷するし、水に当たれば怯む。風には足を掬われるし、土だって怪我は必至だ。彼らの技量のせいなのか、避けようの無い雷が飛んでこない事だけが救いだろうか。


 それに何より、今目の前には映し子が居る。


 人の背丈をゆうに超える怪物は、当然人を一撃で死に至らしめるだけの力がある。鋭利な槍の如き足でも、シックを丸ごと呑み込めてしまえる大口でもそうだ。その体重で圧し潰される、なんてこともあり得るだろう。


 重ねてシックにとって不幸なのは、無詠唱の魔法など映し子には無力過ぎるという事だ。


 理性無き魔法兵たちに映し子を避けてシックだけを狙う事は出来ない。だが、それでいいのだ。当たっても映し子は傷一つ出来ないのだから。


 その頑強な外表も、巨大な体躯と体重も、無詠唱の魔法如きでは怯ませる事すら出来ない。つまり、魔法兵たちが滅茶苦茶に放つ魔法が脅威になるのはシックただ一人なのだ。






「本当、厄介だなぁ……ッ!」


 今度はシックの側から映し子へ突撃する。途中、降り注ぐ炎や風の魔法を避けながらである。


「オオオオオオオオォォン!!」


 威嚇の声と共に、映し子が4本の足を広げシックを待ち構える。迂闊に間合いへ入れば、飛び交う4つの刺突がシックを貫き殺す。


 だがシックは欠片も怯える事無く、映し子の間合いの内側まで入り込む。間髪を入れず放たれる4つの刺突は矢のように速い。


 人が潜り込むだけの空間は存在しない。常人ならば、死が確定していた。




 だがここにいる少年を常人と呼ぶのは些か難しい。


 生まれは、普通の人間だ。育ちも普通の人間で、持っている肉体も普通の人間のもの。


 しかし、その剣術は違った。


 齢にそぐわぬ、では無い。例え彼より長く剣を振るう者だとしても、彼に勝てる者は数える程しか居ないだろう。


 大地に名を馳せる剣豪か。剣に生涯を捧げた悟りの老人か。あるいは世界を脅かす大悪魔か。きっと、彼を越える個とは伝説と謳われる者に違いあるまい。


 決して、無敵では無い。最強でもない。弱点は多く、出来ない事の方が余程多い。


 それでも、彼は強い。


 偏に剣において、彼ほどの才能を持って生まれた人間など存在しない。


 彼こそは、シック。シックザール。


 剣の愛し子である。






 放たれた4つの刺突。己の肉体に迫るその脅威に対し、シックはたった一振りで応じた。




 弧を描くような、鋼色の軌道。


 それが、鋼鉄の如き映し子の足2本を斬り落とした。


 逃げ道を塞ぐ目的でもあった残り2本はシックに掠りもしない。直撃すべき2本だけを断つ。それで充分だからだ。






「オオオオオオオオオッ!?!?」






 母たる“聖女”と同じく、映し子には高い知性があった。


 だからこそ、その現実は受け入れ難く信じ難く、驚愕したに違いない。


 鋼鉄に迫る己の足が、鋼の剣に断ち斬られるなど。






 驚愕のあまり、映し子の思考に僅かな硬直が生まれた。自覚した時にはもう遅すぎる。シックは既に次の斬撃を放っていた。


 映し子は考えるより先に後ろへ跳び退る。そしてその肉体を、冷たい鋼が通り過ぎた。


 そこへ飛び込んできた炎の魔法。


 映し子にとってはそよ風ほどの影響しかないその魔法が、映し子の命を救ったのだった。






 シックは炎を避ける為に追撃を諦めて後ろへ下がる。その視線は、やはり映し子に向けられている。


 映し子は落とされた2本足と一撃を叩き込まれた胴体から派手に真っ黒な血をぶちまけつつ、随分遠いところまで逃げていた。それでもシックから目を逸らしていないのは、もはや怯えの証。


 それが分かるから、シックは不敵に微笑んだ


「なんだ、そんなに下がって……。」


 目前に落ちた炎の光を浴びて、剣がぎらりと煌めく。




「――そんなに、俺が怖いのか?」




 映し子が人間の言葉を解するとは思えない。


 それでも、シックの発した言葉の意味は伝わったのだろう。




「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォン!!!!!」




 映し子が叫ぶ。重々しく、如何にも恐ろしげな咆哮だ。




 まさに、恐怖を押し隠すにはぴったりだろう。











 ピッ、と小さく振った剣から血が振り落ちる。


 これ以上、時間をかけるつもりはもう無かった。


「――もう、見切った。」


 絶えず落ちてくる魔法の雨も、もう怖くない。


「お前が憎い訳じゃないけど……。」


 故に、次で決める。


「ここで終わりにさせてもらうよ。」


 すっと持ち上げられた切っ先。向けられた先は、巨大な怪物。






「――魂があるのなら、せめて安らかに、ね。」





















 弾かれたようにシックが駆け出す。その様は、まるで弾丸のよう。


 迎え撃つ映し子は逃げようとしない。


 何故か。それは誰にも分かるまいが、もし映し子にも矜持というものがあったなら、きっと背を向ける事を良しとしなかっただろう。


 両者の距離が瞬く間に詰まる。降り注ぐ魔法など、最早蚊帳の外だった。


 先手はシックに譲られた。剣の間合いまで入り込んだシックは、巨体に向かって振り上げるような一撃。


 油断なく後の先を狙う映し子は、放たれるだろう斬撃の軌道に自ら飛び込む。それは決死の策。最も剣が加速するよりも先に刃を受けることで、必殺の一撃をただの強い一撃へと変えようとしたのだ。


 大けがを自ら引き込むことで致命を遠ざける。その恐るべき胆力が成せる策は功を奏した。


 シックの斬撃は、それが最も当たるべき一点を迎える前に相手に接触。本来あるべき致命的な威力を発揮できず、半端な一撃として映し子の胴体へ叩きこまれた。


 黒い血が噴き出す。シックの身体に、黒い血霧が浴びせかけられる。


 だが致命では無い。映し子は死なない。


 映し子は残る6本の足のうち、4本を持ち上げて刺突を放った。シックを抱き込むように、逃げ場を一切塞ぐように。


 更にその体重を活かし、シックを押しつぶすように前へ出た。映し子からすれば小さなシック。その体重差こそが最大の武器になり得る。


 加えて、蚊帳の外だった魔法がシックに向けて放たれる。それは水。一抱えほどもある水の球がシックの背へ迫る。当たっても怪我一つしないだろう。だが、その質量はそれだけで脅威。確実に怯むシックは、次なる映し子の一撃を躱せまい。


 そして、シックの剣は映し子の身体に突き刺さったまま。引き抜く時間などありはしないだろう。


 故に、決着。


 避けえぬ死がシックを襲う。




 ――はず、だった。






 映し子の肉体に埋まって、引き抜くのも一苦労だった筈のシックの剣。


 それが、不自然なほどにするりと抜ける。


 それは本当に不自然だった。必殺を込めた重々しい一撃を潰されたのだ。それを認識し、次なる一手へ移るにはどうしても時間がかかる。刹那、それでも戦闘の最中においては長すぎる時間が。


 だと言うのに、シックは既に次なる攻撃に移り始めていた。


 いや、違うのだ。


 シックは最初から、同じ動きをしているだけ。“次”になど移ってはいない。


 それは必殺の一撃に見せかけただけの一撃。最初から途中で止められることを想定しているのだから、“次”などでは無かったのだ。


 すなわち、フェイント。


 いきなり必殺を狙うのではなく、フェイントで敵の攻撃を誘う。それだけ。


 たったそれだけの、シンプル極まる結論。原因。帰結。


 ――映し子が、その単純な理由を理解する時は永遠に来なかった。






 フェイントから振り返りざま、シックは一歩だけ動いた。


 たったそれだけで、迫っていた4つの刺突も、圧し潰そうとしていた巨体も、落ちて来ていた水球も、空を切った。


 極限の集中。ぬかるむようなゆっくりとした時間と空間。


 それを、一筋の閃光が断ち切った。


 それは、鋼鉄の剣の一振りだった。







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